好きのカタチ

埴輪庭(はにわば)

第1話 わたしとありか

 ◇


 私が亜里香と初めて会ったのは、幼稚園に上がる前のある日だった。


 近所の公園で遊んでいたら、砂場の隅でこっちをちらちら見ている女の子がいて、それが亜里香だった。


 確か最初の会話は「一緒にお団子作ろうか」みたいな、とても些細なことだったはずだ。


 初対面だというのに、私はその子のしゃがんだ姿を見て──なぜか無性に話しかけたくなった。


 その時の亜里香は、ちょっとおとなしくて人見知りな感じがしたのに、私が声をかけると意外なくらいすぐに笑顔になってくれた。


 私は亜里香の笑った顔を見て、胸があったかくなったのを覚えている。


 それから何日も経たないうちに、私たちは公園で頻繁に会うようになった。


 どちらの家もこの公園から近いというのが大きかったと思う。


 ある日はブランコで順番こに遊んだし、ある日は砂場で何かを作っては壊し、壊しては「ごめん」と謝り合って笑った。


 その頃から、私と亜里香は「勝手にいても居心地がいい相手」として、自然に隣同士に座るようになっていた。


 ◇


 小学校に上がると、私と亜里香の家が隣町というわけではないのに、学区の境目が同じだったから同じ学校に通えることになった。


 最初、クラス発表の時に亜里香の名前を見つけた瞬間、私は大喜びしていたと思う。


 教室の中でも席が近いわけじゃなかったけれど、朝は一緒に通って、放課後も遊んで。


 そのままお互いの家に行くのが日常だった。


 亜里香がうちに遊びにくる時は、母が「いらっしゃい」と笑顔で迎えてくれたし、私が亜里香の家に行くと、亜里香のお母さんがいつも「友里ちゃん、いらっしゃい」と声をかけてくれた。


 でも、亜里香の家にはあまり大人の気配がなかった気がする。


 お母さんが働きに出ているせいか、夕方になるとカーテン越しに淡い西日が差す静かな部屋で、ふたりだけの時間を過ごすのが当たり前になっていたのを覚えている。


 その時の私の気持ちはなんというか、今でも何となく胸に引っかかっている。


 ああ、私がいなくなったらこの子は独りぼっちになってしまう──そんな感じの事を思ったものだ。


 小学校低学年の頃は、とにかく遊んでばっかりで、よくケンカもした。


 些細なことで拗ね合っては、すぐに「ごめんね」とお互い謝るから、誰かに仲裁されなくても自然に元に戻れた。


「どうしてそんなに仲がいいの?」と大人から言われても、私たち自身にもよく分からなかった。


 ただ、一緒にいると楽しい。


 それだけで毎日が回っていたんだと思う。


 ◇


 小学校の高学年になると、さすがに遊ぶ内容は変わってきた。


 図書室で好きな本を借りて読み合う日もあれば、下校後にパソコンや携帯端末でゲームをする日も増えた。


 お互いに成長して、少しずつ好みの違いが出てきたのを感じた。


 私は外で体を動かすのが好きで、放課後も公園で駆け回りたいタイプ。


 男子がやるようなサッカーやドッジボールも私は好きだった。


 なんだったらただ走り回るだけでも良かった。


 でも亜里香はインドア派というか、自分の部屋でじっくりゲームやマンガを楽しみたいタイプだった。


 それでも、どちらかが誘えばもう一方もなんやかんや付き合ってくれる。


 例えば私が「サッカーやろうよ」と言えば、亜里香は文句を言いながらも、なんとかボールを蹴ろうとしてくれるし、逆に亜里香が「新しいマンガ買ったから一緒に読もう」と言えば、私も部屋で大人しく座って読むのに付き合った。


 イヤイヤではない。


 ちゃんと本心から楽しめた。


 むしろ違うものを持っているからこそ、お互いを刺激し合う仲だったのかもしれない。


 そんな時、亜里香は「友里って体力すごいね」なんて呆れたように笑うけれど、私からするとじっと同じ場所に座って作品を楽しめる亜里香の集中力こそ羨ましかった。


 ◇


 中学生になると、部活や勉強の話が自然と増えてくる。


 私は運動部に入りたくて、最初はバスケ部を見学したりしていたけど、球技がちょっと苦手と分かって結局は陸上部に入った。


 一方、亜里香は文芸部に興味を持ってすぐにそっちを選んだ。


 部活を終える時間帯が違うから、帰り道が一緒にならないこともしばしばあった。


 でも完全にすれ違いというほどでもなく、週に何度かは待ち合わせをして、一緒に帰ろうと連絡を入れたりしていた。


 その頃から、お互いの好きなものがもっとハッキリ分かれてきた気がする。


 私はスポーツが中心で、走るのが好き。


 亜里香は文章を書いたり、本を読んだりするのが大好き。


 性格もどんどん違いが出てきた。


 私がクラスでわいわい話すのを苦にしないタイプなのに対して、亜里香はあまり騒がしいのは得意じゃなく、静かに友達と小さく笑い合う感じだった。


 そんなふうに成長とともに違いは増えていくのに、なぜか根っこのところではずっと一緒だった。


 多分、家が近所というのもあるし、何より幼少期からの信頼関係が大きいと思う。


 放課後の帰り道で、疲れて無言になりがちな私に「お腹減ってない?」と亜里香が小声で尋ねてくれたこともあった。


 そういう何気ない気づかいが、また私たちを繋いでいたのだと思う。


 ◇


 そういえば、中学一年生の時にちょっとしたトラブルがあった。


 私がクラスの男子と口げんかをしてしまい、それがいじめみたいに尾を引きそうになった時期があったのだ。


 別に大事にはならなかったんだけど、一時的に無視されるような空気になってすごく嫌な思いをした。


 その時、休み時間に「自分の教室に居づらい」と感じていた私が、亜里香の教室へ走って行った。


 すると亜里香は何も言わずに私を受け入れてくれて、机の脇に椅子を持ってきてくれた。


「ここに座ってていいよ」って、当たり前のように言ってくれたのがすごく救いだった。


 どんなに違いが増えても、この子に頼れば大丈夫。


 そんな安心感が、私をずっと支えてくれていたんだと思う。


 その日、ふと亜里香の机の上に載っていたノートを見せてもらったら、彼女が小説のような文章を書き散らしているのを知って驚いた。


「こんなの読んでもつまらないかも」と亜里香は照れ笑いしていたけれど、そこには瑞々しい感性が息づいていて、私は心がくすぐられるような感覚を覚えた。


 ◇


 中学二年生になると、周囲が突然「恋愛モード」に入りだす子が増える。


 クラスでカップルが生まれたり、先輩後輩の関係で「付き合ってるらしいよ」という噂が飛び交ったり。


 私も「誰々くんに告白されたらどうする?」みたいな質問を女友達とよくし合っていた。


 そういう話題を耳にするたび、亜里香と「なんかそういうのまだピンとこないね」と苦笑いしたことがある。


 でも、亜里香は私が「例えば私が付き合うとしたらどんな人がいいんだろう?」と口にすると、じっと黙り込むような時があった。


 あの時は深く考えなかったけど、今思えば、あれが亜里香のちょっとしたもやもやの始まりだったのかもしれない。


「友里って意外と男ウケいいよね」なんて言われた時、私はあまり気にしなかったけど、亜里香の表情はどこか陰っていたような気もする。


 その違和感は、中学三年生になってから少しずつ大きくなっていった。


 受験勉強や進路の話題が増えて、私たちもお互い夢中になっていたけれど、隣を歩く亜里香のまなざしは時々寂しそうに見えた。


 私はその頃、自分のことで精一杯だったから、亜里香の心に潜む不安にあまり気づいてあげられなかったのかもしれない。


 例えば塾の帰りに偶然会った時、いつもは笑顔で話しかけてくれる亜里香がやけに目を伏せていたことがあった。


 あの小さな違和感が、私たちの間に生まれつつある溝の前兆だったのかもしれない。


 ◇


 それでも、中学卒業の頃には「高校も同じところに行くんだ」と知って、私はまた一緒に過ごせることを素直に喜んだ。


 卒業式の日、校門の前で写真を撮る時、私と亜里香は当たり前のように並んで写った。


 その時は、まさか私たちの間にすれ違いが生じるなんて思いもせず、私はただ「これからもずっと一緒だよね」なんて言葉を何の気負いもなく口にした。


 亜里香も「そうだね」と、小さく微笑んでくれた。


 けれど、その笑顔がどこかぎこちなく見えたのは、私の気のせいじゃなかったのだろう。


 ──そう、私が気づいた時には、亜里香との“好きの形”の違いが、知らぬ間に大きな溝を作っていたのだ。


 そのことを真に思い知るのは、高校生になってから。


 私はこの時、まだ何も知らないまま、ただ漠然と「一緒に高校生活を楽しもうね」なんて期待していたのだ。


 けれど、あの日の亜里香のかすかな表情が胸に引っかかっていたのも事実で、私はほんの少しだけ不安な気持ちを覚えていた。


 それでも、その違和感を深く掘り下げることはせず、春休みの予定や新生活の準備に追われていたのを覚えている。


 結局、私が何も知らずに安心していられたのは、その時だけだったのかもしれない。

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