逆数え

うろこ道

 コウちゃんがいなくなった。

 で――。



 ぼくはそろばん教室の友達五人と、習い事が終わった後の一時間、遊んでから家に帰ることにしている。

 手提げバッグを振り回しながら、今日はどこ行こうかと話ながら教室を出ると、誰かが「で肝試ししよう」と言い出した。

 というのは、町のはずれにある荒れはてた神社だった。

 墨汁を染み込ませたような黒い木の鳥居に腐ったような注連縄が渡してあって、その前に「立入禁止」との札が立てられている。

 大人たちからも、決して近づくなときつく言われていた。でも小学校の上級生の中には、こっそり境内けいだいに入り込んで遊んでいる子もいる。ぼくは三年生だったが、同じクラスでもお兄ちゃんがいる子たちなんかは神社に連れて行ってもらったりしている。

「草ボーボーなだけで何にもないよ」

 神社に行ったことがある子は皆そう言うが、神社に連れて行ってもらえるつてのない長男組はうらやましがっていた。

一人っ子のぼくはもちろん行ったことがない。

 そろばん教室の仲間もみんな一人っ子か長男で、行ったことのあるやつはいなかった。それで行ってみようぜって話になったのだけど――。

 実際に行ってみると、背の高い草がびっしり生えている中にぼろぼろのおやしろがぽつんと建っているだけで、危ないものも面白いものも何にもなかった。本当に草ボーボーなだけだったのだ。

 ぼくたち五人は拍子抜けした。

 でもせっかく来たのだからと、かくれんぼをすることにした。屈めば全身が隠れるほどの草むらが一面に広がっている。いたるところが隠れ場所になった。

 そのかくれんぼのさなかで、コウちゃんがいなくなったのだった。

 鬼役の子が何度名前を呼ばわっても全然出てきてくれなくて、しまいにはみんなで探したけど、どこにも見つからなかった。

 途方にくれたぼくたちはとりあえず家に帰ることにした。

 ぼくは、遊んでいる途中にコウちゃんがいなくなったことをお母さんに話した。味噌汁の味噌を溶かすことに集中していたお母さんは、最初は話半分で聞いていたが、「でいなくなった」と言ったとたんに血相を変えた。

 かっと振り向いた顔色は紙のように白くて、見開いた眼球が小刻みに震えていて――そんな母の顔を見たのは初めてで、その時ようやく取り返しがつかないことが起きたのだと気づいた。



 コウちゃんがいなくなって、田舎の町はいっきに騒がしくなった。捜索活動が続き、テレビ局なんかも取材に来たりして、ほんとうにとんでもないことが起こってしまったのだとぼくは呆然としてしまった。

 その一方で、大人たちがどことなく諦めたふうであることが不思議だった。みんな暗く沈んだ顔をしていた。「早く見つかればいい」などという人もいない。

 捜索活動も連日続いていたが、なんだか義務的にやっているだけのような気がしてならなかった。そしてコウちゃんの両親は、捜索活動に一度も顔を出していない。

 失踪事件から一か月ほどたつと、毎日の捜索活動も打ち切られ、町全体が落ち着きを取り戻していった。三か月を過ぎると学校でもコウちゃんの話題が出ることもほとんどなくなり、やっと日常が戻ってきたような気がして、ぼくは、ひどいようだけどなんだかほっとしてしまった。



 そんなある日。ぼくは学校から帰ってランドセルを自室に放ると、居間に向かった。

 見たいアニメがあるのだ。未就学児向けの幼児番組なのだが、内容がシュールでそこそこ面白い。ハマるまではいかないがクセになっていた。

 テレビをつけ――そこでふと、あることを思い出した。

(そういえば、コウちゃんに漫画を貸したんだった)

 あの日、そろばん教室で漫画の最新刊を貸したのだった。あの漫画も、コウちゃんと一緒に消えちゃったということになる。

(あー、なんであの日に貸しちゃったんだろ)

 ぼくは頭を抱えた。友達がいなくなったことをさておいて漫画が返ってこないことを悔やむなんて、自分でもものすごく薄情だと思う。でも正直なところ、コウちゃんがいなくなったことはぼくの中でぜんぜん現実感がなかった。病気でお休みしているとか、学区外に引っ越した程度の感覚でしかなかったのだ。

 その時、トゥルルルルと電話が鳴った。しばらくすると、母が慌ただしく居間に顔を出した。

孝人たかと。おばあちゃんのこと、ちょっと見ててくれる?」

 母はキッチンでおばあちゃんの食事の介助をしていたのだ。ぼくが「はあい」と返事をすると、母はバタバタと電話機のある玄関に小走りで向かった。

 ぼくはろくに見てもいなかったテレビアニメを消し、キッチンに向かった。ダイニングテーブルに掛けたおばあちゃんが、黙々となにかを噛んでいる。

 ぼくは隣の席に座ると、おばあちゃんのどろんと生気のない目を見つめた。痴呆症になってしまったおばあちゃんと同居して、二年になる。その二年間、おばあちゃんの声を聞いたことがなかった。

 前はあんなに明るくてお喋りが大好きだったのに、喋らなくなってしまったのだ。笑いもしないし、怒りもしない。おんなじおばあちゃんなのに、別の人間になってしまったようで、ぼくは悲しいというよりも不思議でしょうがなかった。

 おばあちゃんのお食事エプロンにご飯がいっぱい落ちているのを見つけて、ティッシュで拭いていると――ふいに頭上から声がした。

「お友だちに会いたいかい」

 ぼくは驚いて顔をあげた。

 じっと見下ろすおばあちゃんの目にはしっかりと光が宿っていて、思わず息を飲む。

逆数さかかぞえで、帰ってくるかもしれんよ」

 ぼくは――さかかぞえ、とおうむ返しをする。

「その子が隠れてた場所で、百を逆から数えるんだよ。ただし元の姿では戻らんから、気をつけぇ」

 おばあちゃんはそう言うと、まただらりと魂が抜けたようになった。

 あっけにとられていると、母がキッチンに戻ってきた。

「孝人、助かったわ。ああ、おばあちゃんいっぱいこぼしちゃったのねえ」

 母が濡らした布巾でおばあちゃんの口周りとエプロンを拭いている隙に、ぼくは「ちょっと外に行ってくる」と立ち上がった。

「今から? どこ行くのよ」

「公園。忘れ物した」

 ええっ、と不機嫌もあらわな声が背中にぶつけられる。

「まったく、だらしないんだから。――もうすぐ夕御飯だから早く戻るのよ」

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