第二章

 ◇

 家を出て、荷物を取りに行くために二人で玲央の家への道を歩く。徒歩数分の道のりをこんなに短く感じたのはいつぶりだろうか。

 奏汰は自分の腕できらきらとした輝きを放つ腕時計を見た。自分のために、両親がずっと前から用意してくれていたのだろう。本当はこんな形で渡されるものではなかったはずだ。自分たちの能力が違ったものであれば、今日は笑顔いっぱいの日になっていただろう。

 またもや涙が出そうになり、奏汰はぶんぶんと頭を振った。

 つい先ほど、この島を生きて脱出すると誓ったではないか。実際に脱出計画を考えてくれたのは玲央だが、生半可な気持ちでは脱出できないということぐらいは奏汰にだってわかる。

 足早に歩きながら、玲央が奏汰に脱出計画を説明する。 

 「脱出の流れを大まかに言うと、まずは京一と雅樂と合流する。雅樂は脱出を選ばないかもしれないけど、その場合もちゃんと考えてるよ。そして、このチョーカーを外すために島の中央の研究室へと向かう」

 奏汰は自分のチョーカーに手をやった。

 「これ、外さなきゃいけないものなのか?」

 玲央がにやりと笑う。

 「島を出た瞬間、お星さまになりたくないのならね」

 奏汰は慌ててチョーカーから手を離す。生まれた時からずっと身に着けていたものがそんなに危険なものだとは知らなかった。

 「詳しく説明すると、」と玲央が話を続ける。

 「このチョーカーは島から一定の範囲を抜けると自動的に爆発するようになってる。それに、GPSも兼ねていて位置情報が筒抜けになってしまうから、一刻も早くこれを取らないとおれたちの計画がドボンになる」

 「そっか」と奏汰は相槌をうった。

 「それで、このチョーカーを外した後はいよいよ脱出だ。島の中央にある塔から緊急用のヘリコプターを飛ばし、日本本国へと向かう。途中にある離島に着陸して、海底トンネルを抜けたら本国到着。あとは持って行った財産を換金してひっそりと暮らせば良い」

 なるほど、と奏汰は頷いた。脱出ルートに関しては再度玲央に尋ねるとして、今からすべきことは京一たちとの合流だ。

 「京一たちとはどこで落ち合うんだ?」

 奏汰の問いに、玲央は「うーん、英の様子次第かな」と返事を濁した。何か思うところがあるのだろう。

 訝し気な顔をする奏汰に、「大丈夫、良い方向に転がるよ」と玲央が声をかける。

 あっという間に玲央の家に着き、玲央はポケットの中から鍵を取り出す。

 「着いたね。家の中は散らかってるから、玄関で待っててもらって良い?」

 「わかった」

 玲央の後に続いて家に入り、奏汰は目を見開いた。奏汰がいつ来ても、玲央の家は綺麗に片付いていた。というより、生活感を感じさせなかった。それが、今はごちゃごちゃとしていて様々な物が散乱している。まるで家自体が玲央の帰りを待っているようだ。

 それにしても、と奏汰は考える。玲央はどうやって脱出計画を企てたのだろうか。それに、なぜ奏汰が重力操作の極だと知ったとき冷静な判断ができたのだろうか。偶然にしてはあまりにもできすぎているような気がする。

 「それは、おれが運命の歯車を少しだけ覗いてきたからだよ」

 いつの間にか玄関まで戻ってきていた玲央が、奏汰に黒いリュックサックを手渡す。奏汰が「なんで、」と声をもらすと、玲央は片手を耳にあてた。

 「奏汰は、思ってることが心の声に出すぎ。プライバシーに関わるから普段は聞かないようにしてるけど、さっきのは聞こえちゃってたよ」

 はて、と玲央が首を傾げる。

 「それとも、能力覚醒でおれの能力がさらに強くなって制御しにくくなってるのかな」

 玲央の言葉を聞きながら奏汰は渡されたリュックを開け、中身を見る。非常食や飲み物など、生活必需品が多く入っている。これだけで島を脱出できるものなのだろうか。

 「武器とかは良いのか? 僕のリュックだけだと限界がある気がする」

 奏汰がそう言うと、玲央はふっと笑い、背負っている二つのリュックを指さした。

 「戦闘はおれたちに任せて」

 奏汰は驚いて目を丸くした。確かに玲央は運動神経が良く、体育の授業でも何でもこなしているが、戦闘までできるとは知らなかった。

 奏汰の疑問に気づいたのだろう、玲央がウィンクする。イケメンにだけ許されている仕草だな、と奏汰は思った。

 「実は、京くんにちょこちょこ教わってたんだよね。それに、おれにはこの能力があるし」

 しばしば玲央が京一と二人で遊ぶと言っていたのはそういうことだったのか、と合点がいき、奏汰は一人で頷いた。

 「それじゃ、行こっか」

 何の躊躇いも無く家を出ようとする玲央に、奏汰は「良いのか?」と声をかけた。

 「ん? 何のこと?」

 「その、書置きとか、お母さんに残さなくても」

 玲央の母親は、奏汰ですら数えるほどしか見たことがない。玲央とは違うタイプの顔の整い方をしており、ぱっちりと大きな目が特徴的で酒やけした声の人だ。

 玲央は一度家の中を見回し、リュックを背負いなおした。

 「うん、良いよ別に。あの人はおれがいなくなってせいせいするだろうし、おれもあの人に何の興味もない。普段からあの人との交流がないおれがいきなり書置きを残したところで、捜査したときに違和感を与えるだけだろうしね。それに、おれの家族にはさっき挨拶したし」

 「そっか」

 玲央が決めたことなら、奏汰が首を突っ込む必要はない。奏汰は玲央に続いて香野家を出た。


 「おれ、本当は奏汰が脱出をあんなにすんなり決めるとは思っていなかったんだ。だからすごくびっくりしたよ」

 人がいない道を二人で歩いている途中、玲央がぽつりと呟いた。

 「どうして奏汰は脱出を決めてくれたんだい?」

 玲央の質問に、奏汰はくつくつと笑う。共感覚の極ならば、それぐらい自分の心の声を読み取ってしまえば良いことなのに、それをしない律儀な玲央が何だかおかしかった。

 「玲央が泣いてるのを見て、ああコイツを一人にしちゃだめだなって思ったんだよ。昔から何か嫌なことがあったり辛かったりしても、玲央は決して人の前では泣かずに一人の時に泣いてただろ」

 玲央がきょとんとする。玲央は人前ではいつもかっこつけているため、このような表情を見せることは滅多にない。

 「え、それだけ?」

 拍子抜けしたような玲央の声を聞きながら、奏汰は夜空を仰いだ。住宅街からやや離れたところにいるため、きらきらと瞬く星がよく見える。

 「他にもいっぱいあるし、下を向いたら涙が出そうになるけど、それが一番の理由だな」

 奏汰はぐっと歯を食いしばった。自分の能力はまだ受け入れられていないし、心の整理だってついていない。

 しかし、玲央たちと一緒なら前を向ける気がする。

 「そうなんだね、ありがとう、奏汰」

 一言一言絞り出すようにして玲央がそう言った。

 特にこれと言って話すこともなく、二人は無言で道を進む。足音以外何も聞こえない静寂のせいか、まるで世界にいるのは自分たちだけのようだ。

 「奏汰、ちょっと道を変えるよ。用事ができた」

 不意に玲央が曲がり角を指さした。確かそちらへと進むと海に出る。何か工作でもするのだろうか。

 坂道を上るにつれ、綺麗に整備されたアスファルトに白い砂が混じり始める。どんどん強くなる潮の匂いが奏汰の鼻腔をくすぐった。

 海がはっきりと見えるところまで来ると、玲央が立ち止まった。それにつられて奏汰も足を止める。

 「玲央?」

 一点を見つめて動かない玲央の視線の先を追うと、海の近くでぼんやりと佇む人影が見える。

その人影は一体何をしているのだろうと思った奏汰が目をこらすと、それは見知った顔だった。

 「雅樂……?」

 思わず奏汰は、その人影の名前を口にした。

 遠目に見ても雅樂の様子はおかしく、奏汰と玲央は顔を見合わせて頷いた後、雅樂の方へと歩く。

 手が届くほどの距離まで近づいても、雅樂はただぼんやりとしているだけで奏汰たちの存在には気づいていない。

 「雅樂! こんなところで何をしてるんだ?」

 雅樂の肩を軽く叩きながら奏汰が声をかけて初めて、奏汰たちに気づいた雅樂が驚いた顔をする。

 ガラス玉のように虚ろな目に奏汰たちを映し、雅樂は感情のこもっていない声で「英家を追放された」と呟いた。

 「俺のような無能は英家に必要ない。家を出ていけという通告を受け、荷物をまとめた次第だ」

 死んだ顔の雅樂に「そんな、雅樂はあんなに頑張ってきたのに……」と絶句する奏汰の横で、玲央はちらりと雅樂の背後に視線をやった。

 「じゃあ、その荷物はどこにある?」

 何も答えない雅樂の目をまっすぐ見据え、玲央は口を開いた。

 「死ぬな、英。こんなところでくたばるのなんて英には似合わない。今ここで命を捨てるぐらいなら、おれたちと一緒に命を燃やそう。まだ見ぬ世界に行くために」

 ここに佇んでいた意図を見抜かれた雅樂が、微かに苦笑いする。その顔は今日公園で別れたときよりもさらにやつれていて、奏汰は心が痛くなった。

 「捨てられたとしても、俺は英家の人間だ。そのようなことはできない」

 「なら、家なんて捨てちゃえば良いよ、うーくん!」

 どこからか高めの声が聞こえ、突如京一が現れた。京一は暗い迷彩柄の戦闘服に身を包み、いくつかの荷物を両手に抱えている。いつもは身軽な格好をしている京一だが、今は体のあちこちに武器をまとい、腰には二本の日本刀を装備していた。

 「れーくんから集合場所の変更を聞いてここに来たけど、やっぱりね」

 荷物を玲央に手渡した京一が、自分のよりも大分高い位置にある雅樂の肩を掴む。

 「ぼくは九重家を捨てた。それどころか、今から反旗を翻そうとしてる。うーくんのことを大切にできない家なんか、こっちから捨てちゃおうよ。ぼくたちと一緒に来て。ぼくたちにはうーくんが必要なんだ」

 真摯な表情の京一に見つめられ、雅樂の目が大きく揺れる。京一は幼い頃から高い身体能力と優れたセンスで頭角を現しており、九重家の天才と言われていた。その京一が、迷うことなく九重家を捨ててここに立っているのだ。

 「英家を、捨てる……?」

 生まれてから考えたことすらなかったことを言われ、雅樂は京一の言葉を繰り返した。

 「うん。ぼくたちは誰かの駒じゃなくて、一人の人間だもん。自分のために自分の人生を生きて、その中で主人公になれば良いんだよ。ぼくはもう九重家の次男じゃない。ただの京一。何者かになんてならなくて良い。そんなのは誰かに押し付けられたまやかしなんだから」

 「自分のために生きる……」

 京一の真っすぐな言葉に打たれ、雅樂は何度か瞬きをする。

 「そうだよ、英。おれたちの自由と未来は、おれたち自身の手で掴むんだ」

 「自分の手で掴む……」 

 壊れたロボットのようになってしまった雅樂の前に立ち、奏汰は雅樂の顔を見上げた。春の空のような色をした瞳に、ぼろぼろになった自分の姿が映る。

 「正直なところ、僕もまだ自分の能力を受け入れられていない。だから、僕たちで一緒に背負おう。僕たちは決して雅樂の手を離さない」

 「九重、香野、真宮……」

 「それに、もう英の荷物は用意しちゃってるんだよね」

 いたずらっ子のように笑い、玲央が雅樂にリュックを押し付ける。

 「そう言えば、ぼくも戦闘服四つ持ってきちゃった」

 にっこりと笑った京一が半ば強引に雅樂の腕を掴んだ。

 雅樂は星空を見上げ、深い息を吐いた。

 「俺は俺の生まれた意味を探す。それが達成されるまでの間なら、お前らに手を貸してやっても良い」

 目を逸らしたままそう言う雅樂に、京一が嬉しそうに笑う。

 「そうこなくちゃ。あ、れーくんとかなくんの分の戦闘服も渡すね」

 京一から袋を渡され、奏汰はその袋を二度見した。本当にこの中に服が入っているのかと疑ってしまうほどに軽い。

 袋を上げたり下げたりして重さを確かめている奏汰の横で、玲央は呑気に「おお、すごいね。これがこの島の最先端技術の結晶か」と感心した声をあげている。

 

 



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天国を夢見て 星降 @hoshi_hurihuri

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