第6話:初夏の光
六月の朝は、清々しい光が植物園「花風」を包み込んでいた。アジサイの蕾が日に日に大きくなり、梅雨を待ち望むように空を見上げている。葉月は園内を巡回しながら、植物たちの様子を確認していく。
「おはよう、可愛い子たち」
葉月はウツギの花に話しかけながら、枝の状態を確認する。純白の花が、まるで雪のように咲き誇っていた。
「葉月さん、今朝はもう見回りを?」
蓮華が両手に剪定バサミを持って現れる。その姿を見て、葉月は優しく微笑んだ。
「ええ。アジサイの剪定、手伝おうと思って」
蓮華は葉月の横に立ち、その頬に軽くキスをした。朝露のように冷たい唇が、葉月の頬を染める。
*
午前中、二人はアジサイの剪定作業に取り掛かった。昨年の枯れ枝を丁寧に切り落とし、今年の花を支える準備を整えていく。
「この子、去年は青かったのに、今年は少し紫がかってきたわね」
葉月は不思議そうに、アジサイの蕾を覗き込む。
「ええ。土壌のpHが少し変化したのかもしれません」
蓮華は専門家らしい視点で答えながら、慎重に剪定を進めていく。
「自然って、本当に不思議ね」
葉月の言葉に、蓮華は優しく微笑んだ。
「そうですね。だからこそ、私たちはこの仕事が好きなんでしょうね」
*
昼下がり、せせらぎの小径では新たな発見があった。
「蓮華、見て!」
葉月の声に、蓮華は急いで駆けつけた。小川のほとりで、ホタルブクロが咲き始めていたのだ。
「まあ、もう咲いたんですね」
淡い紫の花が、微風に揺れている。その姿は、まるで小さな風鈴のよう。
「今年は少し早いわね」
葉月は蓮華の手を取り、二人で花を見つめた。
「ええ。でも、これも自然の素晴らしさですね」
小川では、小さなカワセミが水面すれすれに飛んでいった。その青い背中が、初夏の陽光に輝いている。
*
午後、星の温室では特別な作業が行われていた。夜咲き植物の植え替えだ。
「この子たちも、そろそろ新しい土が必要ね」
葉月は丁寧に根を確認しながら、古い土を落としていく。
「ええ。特にエピフィラムは、もう少し大きな鉢に移した方がよさそうです」
蓮華は新しい用土を丁寧に配合しながら答えた。
作業の合間、二人の手が触れ合う。土の付いた手で顔を触れば、お互いの頬に土の跡が付く。そんな仕草に、二人は子供のように笑い合った。
*
夕暮れ時、月見亭では不思議な光景が広がっていた。
夕陽に照らされた新緑が、まるで燃えるように輝いている。その中を、カラスアゲハが優雅に舞っていた。
「ねえ、覚えてる?」
葉月は蓮華の肩に寄り掛かりながら、突然尋ねた。
「何をですか?」
「私たちが初めて出会った日も、こんな風に蝶が舞っていたわ」
蓮華は懐かしそうに微笑んだ。
「ええ。葉月さんが温室で一人、植物に話しかけていた姿が、今でも鮮明に覚えています」
二人は静かに寄り添いながら、夕陽を見つめた。
*
その夜、風の広場で思いがけない光に出会った。
「あっ!」
葉月の声に、蓮華も足を止めた。暗がりの中で、小さな光が点滅している。
「今年初めてのホタルね」
二人は息を潜めて、その幻想的な光景を見つめた。ホタルは次々と光を放ち、まるで星座のように夜空に浮かび上がる。
「まるで、天の川みたい」
蓮華の囁きに、葉月は頷いた。
「私たちの小さな宇宙ね」
二人は手を取り合い, 光の舞踏を見守った。
*
翌朝、葉月は早くに目を覚ました。窓の外では、初夏の鳥たちが賑やかに鳴いている。
「また早起きですね」
背後から蓮華の声がして、温かな腕が葉月の腰に回される。
「ええ。今日も素敵な一日になりそうな予感がするの」
葉月は振り返り、蓮華の唇に軽くキスをした。
窓の外では、アジサイの蕾が朝露に輝いている。新しい一日が、また始まろうとしていた。梅雨入り前の爽やかな風が、二人の愛を優しく包み込んでいく。
初夏の朝は、このように静かに、しかし確かな希望とともに明けていくのだった。
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