第2話 ゴーシュの案
「おお、ゴーシュさん。今日は遅めの到着ですな」
「火星での会議が長引きましてね」
ジョージの言葉に、ゴーシュは微笑を浮かべながら温和な口調で返す。
「会議って、火星連合の? 事務総長ともなると大変ですのね」
「今年新任になったばかりですし、それにまだまだ若輩者ですけれどね」
依然として微笑を保ちながら、ゴーシュはキャシーに応えつつ円卓の中央前に着席した。
「若輩者って、そんな謙遜を。二十代で副事務総長を務めて、それから三十代前半で事務総長に任命されるなんて極めて異例ですよ。そんな話、少なくとも俺は初めて聞くね」
「同感ですな。その天才的な辣腕は地球連邦にまで轟いていますよ」
「恐縮です。それはそうとお三方、僕に対する敬語は必要ありませんよ。皆さん、年齢は僕より上ですし、何より僕達はあくまでも同じ志を持った友人なのですから」
同じ志……元々は地球と火星双方が設けた交遊の場で知り合った四人は、近い将来火星と地球との間に友好条約を結びたいと願い、いつしか友人としても関係を深めるようになったのである。
そして今日の会合も、そんな友好条約について話し合う予定だったのだが、ゴーシュが来るまでは──むろん音声通話という手段もあったが、やはり全員揃ってから始めた方が良いだろうというのが他三人の意見だった──友好条約に関する話はいったん待とうという事になっていた。
「あ、そういえばそうだったわね。ゴーシュさん、あたし達よりも立場が上だから、無意識に敬語を使ってしまうのよね」
「わかるわー。なんつーか、見るからに只者ではないオーラを放ってるんだよなあ」
「私は元から敬語なので、このままいかせてもらいますが、確かにゴーシュさんを前にすると、つい萎縮してしまうものがありますな」
「僕自身は、別に皆さんと何も変わらないと思っているんですけれどね」
そう微苦笑したあと、「さて」とゴーシュは話題を変えた。
「今までの皆さんの会話は、フロアに設置してある記録媒体から送られた音声データで移動中に聞かせていただきました。皆さん、月関連の問題で相当頭を悩ませているようですね」
「頭を悩ませるているのは、主にジョージだけどな」
「貴方だって決して無関係というわけじゃないでしょうジルベーン。もしも月で紛争でも起きたら、貴方の関係者だってタダじゃ済まないのよ? それとも同僚や知り合いが拘束されるのがお望み?」
「そんなわけないだろ。俺だって安全圏にいるからこうして呑気にしているように見えるかもしれんが、月にいる仲間を平気で見殺しにするほど冷血じゃねぇ。俺は単に事実を述べただけだ」
「それはまあ、事実ではあるけれど……ごめんなさいね。ちょっと言い方がキツかったかもしれないわ。あたしも月にホワイトアースの支社があるから気が気でないのよ。ただでさえ地球のホワイトアース社もテロの標的にされかねない事態だというのに」
「地球にあるホワイトアース社に関しては地球連邦政府も軍を出して常に周辺を警戒しているので問題はないかと。ただ月にいる社員に関しては、条約上こちらの軍は出せないので、民間の
一応こちらの方でも選りすぐりのボディーガードを送る事はできますが、と付け加えたジョージに、キャシーは静かに首を横に振った。
「やめておくわ。連邦政府が関わっていると知られたら、余計酷い事になりそうだもの。はあ……こんな事なら月に支社なんて作らなかった方がよかったかもしれないわね」
「だったら、今からでも撤退した方がいいんじゃねえのか?」
「準備自体は進めているけれど、けっこう広い規模で作った上に、撤退を渋っている連中が未だにいてね。まだまだ時間がかかりそうなのよ」
「なるほど、それは確かに心配ですね。僕もかつてはいくつもの会社を経営していたので、お気持ちはよくわかりますよ」
「いえ、さすがにゴーシュさんと比べられるのは気が引けちゃうわ」
と苦笑混じりに言うキャシーに、ジョージも「それもそうでしょうなあ」と話を継ぐ。
「いやキャシーさんも十分凄いと思いますが──何せ最初は契約社員から社長まで昇りつめたわけですからね。ただ翻ってゴーシュさんは十代で一から会社を立ち上げて、火星どころか他の惑星にまで轟くような大企業に成長させたのですから」
「しかもそれが一つや二つじゃないんだぜ? 若干二十歳で大企業のトップになるなんて、もはや天才を通り越してるよな」
「たまたま運が良かったですよ。それに僕だけの力ではどうにもならない事も多々ありましたから」
それに天才と言うならば、とゴーシュは口許を緩めながらジルベーンに目を向ける。
「貴方こそまさに天才と言っていいお方でしょう。昨年も地球で最も有名な化学賞を受賞されたと聞きましたよ。確かワームホールの実証に成功したとか」
「成功したと言っても、とてもじゃないが人体には使えない代物だけどな。なんせ物体がブラックホール内でバラバラになった状態でホワイトホールから出ちまうんだから」
「それでも充分凄い事ですよ。かつては夢物語と言われていたテレポーテーションだって実現可能となるのかもしれないのですから」
「あら、それって
「まあ違うな。
「しかし、もしも実用化されるようになったら、今よりもっと惑星間移動が活発になっていく事でしょうねぇ。未開拓の銀河系にだって行けるようになるわけですし、そうなれば惑星間のトラブルも多少は解決してくれるのでしょうけどねぇ。まあさすがに今回の月独立問題とは関係ない話になるのでしょうけれど……」
「まったく関係ない事もないのでは?」
と、ここでゴーシュが不意に口が挟んだ。
「仮定の話ではありますが、月の独立において一番の懸念事項は地球に対する侵略行為なのでしょう? でしたら簡単に侵攻されないよう、月そのものをどこか遠い宇宙にテレポーテーションさせてしまえば、無駄な血を流す必要もないのでは?」
「おいおいゴーシュさん。その発想はだいぶ斜め上すぎるぜ?」
いくらなんでも荒唐無稽すぎる、とジルベーンは一笑した。
「月を飲み込むほどのブラックホールを生成しようものなら、地球はおろか、そのへんの惑星もただじゃすまないぜ? コインの直径サイズのブラックホールを地球で起こすのでさえ──ちなみに俺が使った実験機はブラックホールの影響を受けないやつな──太陽系の小惑星が地球周辺に流れ込んでくるほどの勢いがあるんだからな。そうでなくとも月が無くなるだけで地球は天災だらけの地獄と化すぞ」
「もちろん冗談ですよ。本気にしないでください」
「だろうな。ゴーシュさんほどの頭の切れるやつがそんな事も知らないとは思えねぇし」
「あたしは逆の意味で驚いたわ。ゴーシュさんみたいな紳士な方でも、そういう物騒な冗談を言ったりするものなのね」
「わ、私は一瞬心臓が飛び出そうになりましたよ。冗談でもゴーシュさんが口にすると心臓に悪い……」
「まったく、ジョージは小心者ねぇ」
「かはは! キャシーの言う通りだぜ。あんなの本気で言う奴なんているわけないだろ」
「少し冗談にしては些か真実味に欠けすぎたようですね」
にこやかに言うゴーシュに、他の三人も笑みを深めて視線を向ける。
だが次に放ったゴーシュの一言で、和やかだったムードは一瞬にして凍り付く事となる。
「ですが、月に甚大な被害を与えるという案自体は別段撤回したわけではありませんよ?」
ゴーシュの言葉に、その場にいた誰もが声を失ったように硬直した。
重苦しい静寂が続く中、ややあってジョージが恐る恐る口火を切った。
「そ……それはどういう意味なのでしょうか? 月に甚大な被害を与えるなんて……まさか連邦政府に戦争をふっかけるように働きかけろと仰るつもりで?」
「いえいえ、それこそまさかですよ」
と、依然として微笑を湛えながらゴーシュは言葉を紡ぐ。
「ジョージさんも仰っていた通り、下手に地球連邦政府が月に手を出したら、他の惑星から総勢に睨まれかねませんからね。やるとしたら、あくまでテロという形ですよ。地球連邦政府とは関係ないという
「……それ、逆効果じゃないかしら? 連邦政府が関わっていない何かしらの組織によるテロだってわかったら、月側のテロ組織が余計活気付くんじゃない? 軍じゃなきゃ向こうも強気になるでしょうし」
「それに月側の機関もテロに便乗して今度こそ連邦政府に敵対する意志を見せかねません。そうなったら一体どんな恐ろしい事が起きるか……想像しただけで身震いしそうですよ私は……」
「そこに関しては地球とは無関係のテロという噂を流布すれば問題ないでしょう。当然地球人によるテロと疑う方もいるでしょうが、証拠さえ見つからなければ月政府も下手な真似はしないはずです」
「悪魔の証明ってわけか……。しかしテロと言ってもどこまでやるつもりだ? 話の流れからして、独立運動なんてやっている場合じゃないくらいのダメージを与えなきゃいけないわけだろ? 核でもバンバン打ち込むつもりか?」
「いやいやいや!」
と汗が飛び散るくらい首を横に振りながら、ジョージは勢いよく立ち上がった。
「それこそとんでもない事になってしまいますよ! 核の使用は惑星間条約で固く禁止されているんですからね! もしも核なんて使えば、地球だって核の標的にされかねませんよ!」
「あら? でも核自体はあるのでしょう? ジョージなら連邦政府の最高責任者に掛け合えば、なんとかなるんじゃないの?」
「無茶な事を言わないでくださいよキャシーさん。いくら私が上層部の人間でも、そこまで権限はありません。まして個人の意見だけで最高責任者を動かすなんて絶対無理ですよ……」
ましてそれが核の使用となれば尚更です、と再び椅子に座り直したジョージに、
「そもそも核の使用は、小惑星や人工衛星の飛来によるやむを得ない自体に限ると条約で決まっていますからね。それを自ら破るなんて、自殺行為もいいところです。核を使えば最後、真っ先に各惑星から核の雨を打ち込まれる事でしょうね」
とゴーシュが言葉を継いだ。
「よって、核の使用は現実的ではありません。もっと別の方法がいいでしょうね」
「別の方法って簡単に言うが、核以外で月の都市機能を麻痺させるくらいの兵器なんてあるか? あそこにはシールドもあるから、レーザーみたいな光学兵器は無意味だぜ? シールドは光線を偏光させてしまうからな」
「つまり物理的な兵器でないとダメって事? だったら宇宙船をぶつけてみるというのは?」
「んなもん、宇宙船が突っ込む前に撃沈されるだけだろ。あっちには戦艦だっていくつかあるんだぞ。それ以前に不審な船を見つけたら、普通は警備に職務質問されるか拿捕されるだけだっての」
「しかしながら、宇宙船のような巨大な物体をぶつけるという案はそれほど悪くないのでは?」
このゴーシュの問いかけに、ジルベーンは吐息と共に
「月の防衛システムを甘く見過ぎだ。さっきも言った戦艦やシールドしかり、迎撃ミサイルしかり、中性粒子ビーム砲しかり、月の防衛システムはゴーシュさん達が考えるよりだいぶ強固だぜ。要は仮に宇宙船規模の物体をぶつけようとしたところで、その前に粉微塵にされるのがオチってわけだ。まあこれは月に限らず他の惑星にも言える事だがな」
「なによ、結局月を攻撃するなんて土台無理って事になっちゃうじゃない」
「というより、そんな簡単に月を制圧されても困るんですけれどねぇ。かなり昔になりますが、月の防衛システムは連邦政府も関わっていますので。地球の防衛システムも規模こそ違いますが各種装備はほぼ同じとなりますので。ええ」
「ジョージの言う通り、惑星を攻めるなんてそれこそ軍でも動かさないと不可能ってわけだ。全面戦争をやるくらいの気概でな」
「それを極力避けたいから、月の独立派連中をどうにかしたいってさっきから話しているんじゃないの。ていうか外側から何かする方法じゃなくて、内側からどうにかできないもの?」
「どうやって? 月面基地でも爆破する気か? それくらいしないと月の独立運動は止まらないぜ? もっとも、それだけの爆発物をいかにして月内部まで持ち込むかって話になるだろうけどな」
「どこの惑星もそうですが、入星検査はかなり厳しいですからね。僕が火星から地球に来る時だって、かなり入念に検査されますから。それこそ髪の毛一本すら厳しく調べられるくらいに」
「今の時代、髪の毛サイズ(マイクロメートル)の空洞にすら、液体爆弾を仕込めたりできるからなあ。細胞すら詳細に調べられる探知機が開発されていなかったら、今ごろあちこちで爆発事件が起きていた事だろうぜ」
「結局、月に大規模テロを起こすなんて無理なんじゃないでしょうかねぇ。各地で小規模にテロを起こすくらいならまだしも……」
「それだと長期戦になっちゃうでしょう? しかも月政府が機能しなくなるまでなんて、考えるだけで気が遠くなりそうだわ。それともジョージは、血で血を洗うような泥沼化をお望みなのかしら?」
「いやいや! そんな滅相もない! ただやはり、テロなんて現実的ではないと言いたかっただけで……」
「では、武力行使以外に手があると?」
「そ、それは……そのぅ……」
ゴーシュの問いに、気まずそうに言葉尻を濁すジョージ。代替案は何も浮かばなかったようだ。
「こうなってくると八方塞がりって感じね。戦争をするのは論外だとしても、かと言って何もしなければ一方的にテロの被害を受けるだけ。どこぞの組織に頼んで報復テロをしてもらうとしても、よほどの規模なものでもない限り、現状打破とはいかない。そもそも簡単にテロを実行できるほど月も容易くはない。ゴーシュさんには悪いけれど、三人が四人になったところで何も変わらなかったわね」
「そうとも限りませんよ」
脱力したように椅子にもたれたキャシーに、ゴーシュは終始一貫して口許を弛ませながら応える。
「皆さんとこうして色々と意見を交換できたおかげもあって、良い案を思い付きました。少々突飛ではありますが」
「少々ねえ。ゴーシュさんの言う少々は少々じゃない場合が多いから、ちょっと身構えてしまうわ」
「まあいいじゃねぇか。聞くだけ聞いてみようぜ。他に案らしい案もないんだし」
「そうですねぇ。少しでも問題解決に繋がる案なら、私としては大歓迎ですよ」
「ではお言葉に甘えて」
言って、ゴーシュは手首に巻いている小型携帯デバイスに指を伸ばし、円卓の中心に3Dホログラムを映し出した。
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