スクールスカート

紙の妖精さん

School Skirt

光姫は、自分の手元にある漫画のページをじっと見つめながら、冬夏の横顔をちらりと盗み見た。静かな夜の部屋に、ページをめくる音だけが響く。冬夏はまるで何かに取り憑かれたかのように、次々と漫画を読み進めている。彼女の長い黒髪がわずかに揺れ、淡い月光が頬を照らしていた。


光姫はふと、今の自分の状況が不思議に思えた。最初はただの偶然だった。冬夏が貸してくれたこの漫画を、一緒に読むだけのつもりだった。でも、ページをめくるたびに、そこに描かれている関係性が、次第に自分たちの姿と重なっていくような気がしてくる。


――強い者が、弱い者を守るふりをして、支配する。


その言葉が、冬夏の口から自然にこぼれたとき、光姫の心臓がわずかに跳ねた。


「これ、面白いよね。」冬夏は淡々とした声で言う。「すごく興奮しない?」


その言葉に、光姫は思わず指先をぎゅっと握りしめる。


(守るふり…支配する…それって、私と冬夏の関係みたい。)


いつも冬夏の隣にいると、自然と彼女の視線を追い、彼女の言葉を待ってしまう。冬夏が何を考えているのか知りたくて、無意識に彼女の機嫌を伺ってしまう自分がいる。まるで、冬夏が示す方向に自分の感情が流されていくような感覚。


「光姫?」


冬夏がふと顔を上げた。光姫は驚いて視線をそらし、誤魔化すように漫画のページをめくる。でも、内容がまるで頭に入ってこない。


光姫は、自分が無意識に冬夏に囚われていることに気づいていた。彼女の言葉や行動に振り回され、それを心地よいとすら思っている自分がいる。


(これが私たちなのかもしれない…でも、冬夏は気づいていないんじゃないかしら?)


冬夏はただ無邪気に、漫画の話をしているだけなのかもしれない。でも、その言葉の端々に、どこか試されているような感覚がある。光姫がどう反応するのか、どんな表情をするのか、冬夏は冷静に観察しているようにすら思える。


それはまるで、漫画の中の支配する側と、される側の関係と同じだった。


光姫は胸の奥がざわつくのを感じながら、冬夏の顔をそっと盗み見た。冬夏の目は漫画に向いているが、その指先がわずかに光姫の袖口を触れていることに気づいた。


「……光姫、顔赤いよ?」


冬夏がくすりと笑う。


光姫は一瞬息を呑んだ。まるで、自分の心の中をすべて見透かされているようだった。自分が冬夏の言葉にどれほど揺さぶられているのか、その仕草ひとつで見破られてしまった気がする。


「そ、そんなことないよ。」


慌てて顔をそむける。でも、冬夏の笑みが消えないことが、ますます光姫の心を乱した。


――支配って、何だろう?私はいつから、こんなふうに冬夏に心を奪われているんだろう?


光姫はもう一度、漫画の中の女性たちを見つめる。互いに絡み合う視線、逃れられない関係。どこか、彼女たちの間には愛情のようなものがあるようにも見える。でも、それが本当に愛なのか、それともただの依存なのかは、光姫には分からなかった。


「ねえ、光姫。」


冬夏の声が、そっと彼女の心を揺さぶる。


「次のページ、めくっていい?」


光姫は、ただ頷いた。


部屋の中は静寂に包まれていた。薄暗い灯りの下、ページをめくる微かな音が響く。しかし、その手はどこか迷いを帯びており、漫画の内容が頭に入っていないことは明らかだった。


光姫はふと息を吐く。冬夏の言葉が、まだ脳内を支配している。


——「支配されている?」


自分が? 彼女に?


そんなはずはないと否定しようとするが、心のどこかで違う答えが囁いている。ページをめくる指先が止まった。


視線を落とすと、漫画のコマの中でキャラクターたちが何かを語り合っている。でも、そこに込められた意味はもう分からなかった。光姫はページを閉じ、膝の上にそっと置く。


何度も何度も考えまいとしたのに、冬夏の表情が頭から離れない。あの笑顔——まるで何もかもを見透かしているかのような、冷たくも優しい眼差し。


胸がざわめく。


心臓の鼓動が速くなる。


嫌なはずなのに、どこか心地よい。


——「どうして…こんなにも彼女を意識してしまうの?」


答えは出ない。出せるはずがない。


そんな光姫の様子を、冬夏はじっと観察していた。漫画を閉じ、軽く笑みを浮かべながら。


「光姫。」


突然の呼びかけに、光姫は肩を跳ねさせた。


「……なに?」


自分でも驚くほど、声が震えていた。


冬夏はゆっくりと立ち上がると、部屋の中を歩き始める。その足音が、静寂の中で異様なほどはっきりと響いた。


「君が何を考えているのか、分かってるよ。」


その言葉に、光姫の胸が強く締め付けられる。


「……何のこと?」


精一杯平静を装って答える。だが、その声には余裕がなかった。


冬夏は微笑を崩さないまま、光姫の前に立った。


「君は私に支配されているって思ってる。でも、それは違う。」


優しくも冷たい声。その響きが、光姫の中の不安をかき乱す。


「私はただ、君がどうしたいかを教えてあげているだけ。」


「……!」


喉の奥が詰まる。


言い返したかった。でも、何を?


冬夏は光姫の沈黙を楽しむように、静かに手を伸ばした。


そして、光姫の手を掴む。


その瞬間、体がびくりと震えた。


逃げようと思えば逃げられた。けれど、指先が触れた瞬間、その選択肢はすべて消えた。


冬夏の手のひらは温かく、それでいて決して逃がさないという強さを持っていた。


「私に支配さることによって君の中に私が消えていく」


囁くような声が耳をくすぐる。


「……!」


光姫は、否定の言葉を飲み込んだ。


「それが一番心地よいんじゃない?」


脳内で警鐘が鳴る。危険だと、距離を取れと、心が叫んでいる。


なのに——


光姫の心の奥底で、何かが崩れる音がした。


この関係は、もはや友情でも敵意でもない。


もっと曖昧で、もっと歪んでいて、もっと抗いがたい何かだった。


そして、その深みに、光姫はもう——抗えなかった。


脳裏に浮かぶのは、冬夏の言葉。彼女の手が自分を引き寄せたあの瞬間。指先に残る感触が、今もなお肌の奥に刻み込まれているようで、胸が締め付けられる。あの手は、強く、そしてどこか優しかった。逃れようとすればできたかもしれないのに、自分はただ、身を委ねてしまった。その事実が光姫を困惑させた。


「どうして私は、彼女に……。」


問いかけても、答えは出ない。冬夏は確かに支配的だった。彼女の言葉は鋭く、時に光姫の思考さえも飲み込んでしまうほど強いものだった。でも、だからこそ——光姫は、否応なく惹かれてしまう。


支配されることが怖いのに、どこかで安心してしまう。この感情の正体は何なのか。嫌悪か、憧れか、それとも…。


「眠れない?」


何気ない問いかけのようで、その声には妙な確信が含まれていた。光姫は何かを言おうとしたが、喉が渇いたように声が出なかった。代わりに、わずかに頷く。


冬夏はゆっくりと部屋へ入り、光姫の横に腰を下ろした。


「君が悩んでいること、分かってる。」


冬夏は、まるで確かめるように、光姫のその指先をなぞる。その仕草は優しく、けれどどこか逃げ場を奪うような感覚を伴っていた。


「君は、私の中に消えたいのでしょう?」


心臓が強く跳ねた。光姫は反射的に手を引こうとしたが、冬夏はそれを許さなかった。


「君はずっと考えている。私の言葉を振り払おうとして、それでも頭から離れないんでしょう?」


冬夏の声は静かだった。でも、その言葉は鋭く光姫の心を貫いた。


「違う…」


ようやく口を開いたものの、その声には自信がなかった。


冬夏は光姫の顎を持ち上げ、その瞳を覗き込んだ。


「違うなら、どうしてそんな顔をしてるの?」


光姫は息を呑んだ。彼女の瞳に映る自分は、不安と困惑に満ちていた。


「…私は、ただ…」


何を言いたかったのか、分からなくなった。


冬夏は微笑むと、光姫の髪をそっと撫でた。


「君は私に支配されることで知るんだよ。」


その言葉は、まるで甘い毒のようだった。光姫の心の奥に沈み込んでいく。そんなはずがない。でも、彼女の言葉は心の奥の何かを揺さぶる。


「それとも、君は私なしで生きていける?」


その問いに、光姫は答えられなかった。


冬夏はゆっくりと立ち上がると、部屋を出て行こうとした。その背中を見つめながら、光姫は自分の胸の奥で何かが軋むのを感じた。


——行かないで。


その言葉を口にしそうになった瞬間、冬夏は振り返った。


「また明日、考えればいい。」


それだけを残し、彼女は部屋を去った。


光姫は一人、暗闇の中で目を閉じた。支配と依存、その境界線は、もうすでに曖昧になりつつあった。



そして、朝…………。


目を覚ますと、彼女は冬夏の存在を思い出した。光姫と冬夏の間には言葉にできない何かがあるけれど、それが何かはまだわからなかった。


目覚めて、光姫と冬夏はゆっくりと学校に向かう準備をした。普段のように、特別なことがない朝。でも、今日は少し違った。二人はいつも通りの朝のようでありながら、どこか違うものを感じていた。


学校の門扉を開けると、広い校舎には誰もいない。静まり返った学校を、二人はただ歩いて行った。早すぎる時間に学校に着いたせいか、まだ誰もいない。誰もいない空間に、二人は解放されているような気がして、気ままに歩きながら笑っていた。


「ねぇ、どうしてもやりたかったんだ。」と、冬夏が言った。


光姫が不思議そうな顔をすると、冬夏はにっこりと笑って言った。「フリスビー。」それは、言葉通りの意味だった。冬夏がバッグからフリスビーを取り出すと、光姫は少し驚いたが、すぐにその場の空気に乗ることができた。


「本当にやるの?」と光姫が笑った。


「やるよ。」冬夏は一度も迷わずに、フリスビーを手に取った。


二人は無言で、広い校庭の中でフリスビーを投げ合った。最初はぎこちなかったけれど、次第にリズムが合い、フリスビーが空中を飛ぶごとに、二人の心も少しずつ重なっていくようだった。何も言わずに、ただフリスビーを投げ続ける。思考を忘れて、ただ目の前にあることに集中する。その瞬間だけは光姫の頭の中にあるすべての疑念が、どこかへ消えていった。


フリスビーを投げる度に、光姫の中で少しずつ、重い思考の渦が、ほんの少しずつ溶けていくような感覚。それは…………。


「ねぇ、これって…」と、冬夏が言った。その言葉が何かを意味している気がして、光姫はすぐに反応できなかった。


「うん…」光姫は言った。


フリスビーが空に飛ぶ。光姫は少なくとも今は、この瞬間を生きることができている。


二人は互いにフリスビーを遠くに投げ合った。朝の空気はまだ冷たくて、爽やかだった。


「ねぇ、私たちって…」冬夏が突然口を開いた。


「?」光姫は振り返って、冬夏の顔を見た。


「たまにはこんな風に遊んでもいいよね。」冬夏は微笑んで言った。


光姫も微笑みながら頷いた。「うん。楽しいよ、今。」


フリスビーが空を舞い、二人の笑い声が静かな空間に響く。


その瞬間こそが、彼女の中の光だと信じて…………。

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