オモイ∞アイ

うなぎ358

オモイ∞アイ

 仕事を終えて会社の玄関を出ると、ふわふわと雪が舞い踊りアスファルトを白で覆いはじめていた。


 雪の結晶を手袋越しにつかむ。風にあおられた吐息が、かけていた眼鏡を曇らせる。マフラーと厚手のコートを着ていても、身体が強張るくらいの寒さだ。


「柊一さんが亡くなって、もう一年……」


 会社にいる間は忙しくて気にならないが、夫の柊一の一周忌を過ぎた頃から、視線を感じるようになった。


 駅に向かうまでの夜道、ほんの十五分ほどの距離を歩きだす。会社が大通りに面しているので街灯もあるし、車の行き交う光で明るい。


 最近は視線だけじゃなく、背後からコツコツと靴音が、私を追ってくるようになった。


 このままだと、おかしくなりそうでマンションに向かうことなく、両親のいる実家に帰ることにした。



 今も後ろにいる。



 駅に駆け込むようにして入り、新幹線に乗ってスマホを開く。両親に『今から実家に帰る』とメッセージを送った。突然の帰省にも関わらず、すぐに『気をつけて帰っておいで』と返事がかえってきた。


 明るい車内、視線は消えないどころか、ますます強くなり、靴音とすぐそばまで近づいてきてるようだ。


「新幹線は人も多い。だから、大丈夫……大丈夫……」


 座席に身を縮ませ、カタカタ震える指先でスマホを握りしめる。寒さからくる震えじゃないから、コートもマフラーも手袋も意味をなさない。



 異変は加速する。



 なんだか頭が重くて音が聞こえづらく、車内アナウンスの声も遠い気がする。



『……。か……ヤ……子……』



 空耳だろうか? 聞き覚えのある声で”何か”が耳元で囁く。



 実家の最寄り駅まで着くと、しばらく見ない間に髪の毛が白く薄くなってしまった頭の父が、軽トラで迎えに来ていた。


 父は私が帰ってきたのが嬉しいようで、皺くちゃの顔をさらにしわしわにして微笑みながら何かを言っている。


 けど、私の耳は”何か”に塞がれたように、何も聞こえなくなっていた。


 久しぶりの実家。心から安心出来る場所のはず。


 なのに……。


 耳の次は、目を”何か”に塞がられ霞み始め、世界がぼんやりしたものに変化していく。


 遅めの夕食を両親と食べていても、風呂に入っていても、もう何をしていても、すぐそばに気配を感じる。


 心配そうな両親。


 “何か”に口を塞がられ、もう声も出ない。


 歯が恐怖でガチガチと音を立て続ける。


 十八歳まで過ごした懐かしい自分の部屋。ベッドで布団を頭までかぶって潜りこんで外界を遮断しても”何か”が私に絡みつく。


 こんな時でもトイレには行きたくなってしまう。いや、こんな時だから余計に行きたくなるのかもしれない。



 ベッドからヨロヨロと立ち上がり真っ暗な視界の中、手探りでトイレに向かい用を足して、洗面所に行って顔を洗い顔を上げると、全身が凍りついたように動かなくなる。



 洗面所の鏡に映る自分の、すぐ後ろにドス黒いモヤが揺らめく。



 見えなくなったはずの目に、ソレだけは、はっきりと映る。



 “何か”だったのは徐々に夫、柊一のカタチヘと変貌をとげていく。



 聞こえなくなったはずの耳に、直接届く柊一の息づかい。



『オマエはオレだけをカンジていればイイ』



 うつろな目をした柊一は人間とは思えない力で抱きしめ、そして口づけをしてきた。逃げようと、もがけばもがくほどキスも更に深くなる。



 まるで魂までも絡めとり吸い尽くすかのように……。




 と、その時、必死に忘れようと努力した記憶が、雪崩のように鮮明に蘇る。


 夫の柊一は束縛が半端なかった。


 結婚前はそんな事はなかったが、結婚後に柊一は会社を辞めてまで私に付きまとうようになった。


 朝は一緒に会社まで来るし帰りも会社の前で待ち伏せ、昼休憩も会社の外で柊一と待ち合わせ、柊一の作った弁当を食べる。


 在学中の結婚だったのもあって、いつでも柊一が、近くにいてくれるのが愛されてると実感できて最初は嬉しかった。


 仕事中は一時間おきにメッセージ、買い物中や家事の最中は三十分おきにメッセージ、友人と会うと言った時なんかは十分おきにメッセージ、返事は一分以内にしなくてはいけない。


 次第に鬱陶しく感じて「やめてほしい」と頼んだ瞬間、体が吹っ飛ぶほどの力で殴られた。   


 その後は、ますます束縛が強くなった。忙しくて返信を出来なかった時などは、会社や友人宅にまで押しかけてくるありさまだった。


 そんな事の繰り返しが十五年続いた、ある日。


 友人とクリスマスを楽しんでいて、うっかりメッセージの返信を忘れた。たった一分、返信が遅れただけなのに、柊一は友人宅に怒鳴り込んで私の髪の毛を鷲掴み引きづり自宅に連れ帰ろうとしたのだ。


 引きずられながら涙で霞む目に、赤い屋根が見えてきた。可愛くて住むことを二人で決めた、二人だけの幸せの城だったはずのモノ。


 今は地獄への入り口に見えてしまった。


 この時、ついに私の痩せ細った心の糸はプツリと切れた。


 自宅前の、歩道橋の階段を降りかけたとき、柊一の背中をポンッと押した。髪の毛をつかまれたままの私も当然、柊一と一緒に転がり落ちた。


 夫からのDVに苦しんでいた私の事は周囲の人々は知っていたので、夫から逃げる時に誤って歩道橋から転落したのだろう、と噂が広がった。警察の判断も同様だったそうだ。


 私は奇跡的に助かったが、柊一は帰らぬ人になった。




『オマエはオレだけミテイロ』




 柊一の”愛”が、私を縛る。




『いままでもコレからもアイしてル。ニガサナイ……』




 

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オモイ∞アイ うなぎ358 @taltupuriunagitilyann

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