忌まわしき力で
瘴気の矛を押し留めながら、カミルは驚いていた。
聖術の〝せ〟の字も使うことができない、自他ともに認める無能──それが、カミルだったからだ。そんなカミルが、救済士たちを圧倒していた相手と渡り合っているとは。
だが、これがディートフリートなら不思議なことはない。ディートフリートは邪人の因子を色濃く受け継ぎ、冥王星級救済士をも凌駕する実力を持ち、ゲオルグの生まれ変わりとまで言われていた存在だからだ。
そのディートフリートなら呪禍とも戦える。呪禍を圧倒することもできる。
「あああああああああああああああっ!」
絶叫したフィーネが、瘴気で第二、第三の矛を形成。カミルを別角度から射殺そうとしてきた。カミルは後方へ跳び、フィーネと距離を取る。
そんななか、地面に伏している救済士たちの姿が目に入った。その光景から、カミルはあることを再認識する。
フィーネに取り憑いた呪禍に勝てばいい──事態はそんなに単純ではなくなっていた。フィーネは、日常に戻してやる必要がある。
そのためには、死者を一人も出してはいけない。となれば、瀕死の救済士たちを放置しておくのは愚策だった。
一旦、フィーネの無力化は後回しだ。救済士たちの命を守ることを最優先に考える。
カミルは大声で叫んだ。
「──〈
漆黒の瘴気が発散する。ややあって黒と白が乱舞する、半透明な直方体が現れた。それが救済士たちを包む。すると、彼らは固まったように動かなくなった。
聖術と邪術は対照的なチカラとして捉えられがちだが、仕組みとしては大差ない。聖術は正の感情を用いる一方で、邪術は負の感情を用いる。ただ、チカラの源に差があるだけなのだ。
つまり、聖術でできることは邪術でもできる。だから、ロスヴィータが得意とする〈時間支配〉を扱うことができた。
とは言え、それも普通なら瞬時にはできない。習得には、鍛錬が必要だった。
だが、カミルに限ってはそんな鍛錬は不要だ。記憶を辿るだけでそれを体系的に理解し、すぐ扱えるまでに至ったのである。
救済士たちは、みな手遅れになる前に〈
「──〈
カミルが呟くなり、ふたたび瘴気が発散。空気を押し出すような衝撃波が広がった。
そして、広大な森を見通せる目を手にする。その目を四方に巡らせ、葉の裏側や土の奥深くまでも見通した末、カミルは瓦礫に紛れた小さな金属を捉えた。
「あった──〈
一陣の風が肌を撫でる。その風は大気を食らって膨張していき、惑星のように旋回しながら激しさを増し、最後には瓦礫をもさらう凶暴な竜巻へと変貌を遂げた。
「──っ⁉」
顔をしかめたフィーネが、後方に跳ぶ。
自分を倒すための邪術かと考え、警戒したか。だが、それは見当違いだ。こんな竜巻にフィーネを呑ませたら、その身が無事では済まない。
この竜巻は、邪魔な瓦礫を払いのけるために起こしたものだ。それで狙い通り、目当ての小さな金属が露出すると、カミルは手を伸ばした。
「──〈
引き寄せた小さな金属を、カミルは手のひらに収める。それはマルティナが作った、呪禍を抑えられる指輪だった。
カミルはその指輪を握りながら、フィーネを見遣る。
「あ、はは……あはははははははははははっ!」
フィーネは高笑いしていた。だが、雰囲気がさきほどとは異なる。いまは己を奮い立たせるため、無理やり声を絞り出しているような印象だ。
「ああああああああああああああああああああああああああああっ‼」
それから、フィーネは夜空を覆うほどの瘴気を浮かび上がらせた。その瘴気は寄り集まり、折り重なり、押し縮められ、フィーネの身体に絡み付く。
そして生み出されたのは──鎧だった。その鎧を身にまとったまま、フィーネは地面を蹴り飛ばし、カミルに獅子のごとき勢いで迫ってくる。
カミルは難しい顔になった。
どうやら呪禍が本気になったらしい。カミルをただ弄ぶ相手ではなく、難敵として見なした。それを証明するに足る量の瘴気が、いまフィーネがまとう鎧を形成している。
ならば、こちらも全力で応じる必要があるだろう。ここまで優勢だったのはカミルだが、向こうは都市を単独で滅ぼしたこともある存在だ。油断はできない。
カミルは両脚を広げてから、鉤爪のように指を曲げた左手をフィーネに向けた。
「……」
ふいに鬱々とした感情が湧く。
これから発動するのは、人の命を奪うために使ってきた邪術だ。これで奪った命は数知れない。
記憶がフラッシュバックする。殺めてきた人々の顔が周囲に現れ、囁いてきた。
だが、その記憶もその声も、強引に掻き消す。
もう迷わない。フィーネを守るためなら、手段は選ばないと決意した。
大きく息を吸い、カミルは言い放つ。
「──〈
瘴気が発散するなり、カミルの後ろに巨大な亀裂が生み出された。横一線に走るその亀裂が上下に開かれたのち、現れたのは──黒く澱み、禍々しさを漂わせる瞳だった。
さながら悪魔が持つもののようなそれは、フィーネを監視するようにじっと見るだけで、危害を加えることはない。
フィーネは怪訝な顔をしながらも、疾駆の速さを増す。そのフィーネを見据えながら、カミルは呟いた。
「──脚ノ神経ヲ虚無ニ帰ス」
巨大な瞳が見開かれる。
「っ⁉」
突如、フィーネが足首を掴まれたように転倒した。視線を両脚に遣りながら、フィーネは藻掻く。ふたたび立ち上がろうとしているのか。しかし、一向に立ち上がれない。
両脚の制御がきかないことを悟ったか、フィーネが鎧の瘴気を部分的に槍へ変じた。その槍は、すぐさま投擲される。風を切りながら、カミルへと迫った。
カミルは動じない。泰然と構えたまま、静かに言う。
「──邪人ノ瘴気ヲ虚無ニ帰ス」
ふたたび巨大な瞳が見開かれる。すると、瘴気の槍が──そしてフィーネがまとっていた、瘴気の鎧までもが忽然と消失した。
口を開きっぱなしにしながら、フィーネは固まる。
止めと言わんばかりに、カミルは言葉を紡いだ。
「──視覚ヲ、触覚ヲ虚無ニ帰ス」
もう一度、巨大な瞳が見開かれた直後だ。
フィーネの双眸から光が消える。それから彼女はしばらく身を揺らしていたが、やがて糸が切れた人形のように動かなくなった。
カミルが使った邪術は〈
無に帰すことができるのは、実体を持つものに限らない。カミルが望めば、無形物でも一時的に世界からその存在を抹消できる。この邪術で、脚の神経を、漆黒の瘴気を、視覚を、触覚を剥奪したのだ。
五感すべてを奪ってもよかった。だが、聴覚だけは残しておきたいわけがあった。
フィーネに歩み寄ってから、カミルはそばで屈む。
「覚えておけ、呪禍」
そのまま、囁くように言葉をかけた。
「お前がフィーネの意識を食い破り、身体を支配しようとしても……俺は何度でも屈服させて、お前を内側に押し戻してやるぞ。それをゆめゆめ忘れるな」
フィーネの華奢な手を取り、カミルは指輪を嵌める。
すると、邪悪な雰囲気が消えた。フィーネは目蓋を閉じ、眠るように気絶する。呪禍が封じられたようだ。それを確認してから、カミルは邪術を解いた。
すべて終わった。カミルは、その実感を味わうように目を閉じる。
しかし、すぐ気付かされた。まだ足りない。
死亡した救済士はいない。フィーネに指輪を嵌め直させたことで、呪禍は抑えられた。だがフィーネが日常に戻るには、まだ欠けているものがある。
眉間に皺を寄せながら、カミルは考えた。
欠けているものを、どうやったら補えるか。補えるとしたら、それができるのは誰か。
その答えはすぐに出た。手段はある。それができるのはカミルしかいない。
だが、その手段は決して褒められたものではなかった。罪とも捉えられる。それをするのは、罪を重ねることにもなりかねない。ゆえに、カミルは迷った。
ただ、迷ったのは一瞬だ。フィーネを日常に戻すためなら、どんなことも厭わない。
カミルは覚悟を決める。そしてフィーネを抱き上げてから、レオノーレに続く道を進んでいったのだった。
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