第2話 僕らの仕事
・・・
ここからは暇だ。ジェイソンの『若返り』が終わるまでに数時間はかかる。今の時間なら適当にランチと洒落込むこともできるが、別に空腹でもないので、職員用のカフェテリアで時間を潰すことにした。
見渡すと、こぢんまりとした、なんとも味気のない部屋だ。カフェテリアというよりも、給湯室と言ったほうが合っているだろう。入り口から正面には窓が連なり、それに沿って備え付けのテーブルが並んでいる。窓ガラスには遮光フィルムが貼られており、真昼だというのに、ほとんど陽の光が入ってこない。手前の壁にはシンクのついたカウンターがあり、その上にはボックス型の食器棚。棚のひとつは電子レンジで埋まっている。カウンターの先には、軽食や飲み物を売る
入り口から一番近いテーブルに腰を下ろす。僕ら以外にも数人いるが、やはり閑散としている。そのせいか、部屋が無駄に広く感じられた。右の隅には、申し訳程度にモンステラの鉢が置いてある。カフェテリアの無機質な雰囲気に反して、それだけがやけに活き活きとして見えた。その真上、天井から吊られた27インチのモニターが煌々と光を放っている。もしかすると、あの人工の光を喰って生きているのかもしれない。あるいは、そもそも生きたものではないのか。
まるで時間が止まってしまったかのように静かだ。アナログ時計があれば、秒針の音が聞こえてきそうなほどに。唯一、目の端でちかちかと動くのは、アナウンスを映しているモニターのみ。右から左へ、プレゼンのように、何周も同じ情報が流れている。
――まずは、感嘆符がくどい近所のピザ屋の広告。次に、自分の駐車スペースを守れという旨の注意書き。その後は、病院の外で起きているデモの注意喚起。懇親会の案内、定期
「あー、死んじゃったんだねえ。」
そう言いながら、両手を紙コップで塞がれたパティがやってきた。コーヒーをこっちに突き出すと、ピンで留めた腕章が揺れる。モニターに目を向けたまま差し出したせいで、中身が波打ち、テーブルにぴとりとこぼれた。その拍子に、小さな雫が飛んでシャツの袖についた気がしたが、目視ではシミは見当たらない。慌てて受け取るが、彼女は気にする様子もなく話を続けた。
「皮肉な話じゃない?」
「なにがさ。」
「だって開発者なんだよ? アタシなら絶対に自分のこと若返らせるのに。」
厳密に言えば、ファニータ・レオンは『リジュビネーター』の開発者ではない。マンディブル研に在籍していた頃に彼女が発見した「相関」が、『若返り技術』発明のカギとなったのだ。開発に直接的な関与はないものの、その貢献は凄まじく、今では全人類が死期を選べる時代になった。その旨を訂正しようかどうか迷っているうちに、彼女はまた続ける。
「ていうか、レオン博士ってここの病院出身でしょう?」
「らしいね。」
「なのに、なんか・・・みんな無関心というか。なんかもっと、こう・・・。」
「ああ・・・。あ、でも一応、葬儀はここが持つらしい。」
「一応ってなによう、当然でしょ! 仮にも『若返り』の第一人者だってのに。」
「でもなあ。世間的にはマンディブル博士の方が認知度高いし・・・。」
「そこが納得いかないのよ! だって、なんでセントオーガスティン賞を取ったのが彼女じゃなくてマンディブルなわけ? 今の世界があるのは彼女のおかげじゃない。」
パティの勢いに押され、僕も彼女も言葉を失った。だが、確かにそうだ。
当初、この国は
「じゃーさ、もしも彼女のエージェントに選ばれていたら、何歳推してた?」
脈絡もなく、彼女は続ける。
「じゃあ?まあ、そうだな・・・。」
すこし考えてみる。もしレオン博士の若返りを引き受けるなら、何歳まで若返らせるのがベストだろうか。大前提として、『若返り』には副作用があり、若返った年齢から現年齢に至るまでの出来事を全て忘れてしまう。例えば、90歳の人間が20歳に若返った場合、20歳から90歳までの70年間に起きたすべてを忘れてしまうという具合だ。辛かったこと、苦しかった過去、傷ついたあの時、楽しかった記憶、積み上げた経験、磨き上げたスキル――それら全てが消えてしまう。
『若返り』とは、新たな人生を歩み始めることであり、今までの人生を捨てることでもある。そのため、なるべく人生の絶頂期に若返らせることで、心的負担を軽減するというのがセオリーだ。しかし、制約も多い。まず、若返った後の年齢が社会で必要とされる生産年齢でなければならない。レオン博士のような高度人材はハイポテンシャルとして認定されるだろうから、博士課程修了以前の年齢に若返らせることはできない。さらに、相関発見前への若返りは法的に制約されるだろう。となると、最も若返らせることが可能な年齢は、せいぜい40代半ばだ。しかし、その時期には家族もいて、キャリアも軌道に乗っている頃だ。この時点で若返らせてしまえば、彼女にとっては全てを失うことになる。
若返りを行う際は、個人の主観的な「絶頂期」と、社会に対して最適な貢献が期待できる「全盛期」のバランスを考慮しなければならない。この“人生の最高到達点”を見極めることこそが、僕たち『プライムタイム・エージェント』の仕事だ。見る人によっては、まるで神にでもなったつもりだと言われるかもしれない。
「ちょっとー、そんなに考えること?もっとスパッと決めてよね、スパッと。」
長いこと悩んでいたわけではないはずだが、気がつけば、痺れを切らしたパティが両手をぺたっとテーブルに押し付けていた。わざと怒ったような顔を見せたかと思えば、今度は八重歯をのぞかせて笑う。
「私なら、スキャンダルのときかな!ほら、あの旦那さんと破局したときの!」
その言葉を聞いた瞬間、脳の中心からじゅわっと火花が散るような感覚が走った。そうか、なるほど。たしかに、そんな騒動があった。どうも、当時の夫の家庭内暴力が原因で破局したらしい。連日テレビに映るレオン博士は暗い表情を見せるどころか、活力に満ち溢れていた印象がある。ちょうど、そこにあるモンステラのように。マイナーだが、この時期は博士にとっての転機だった。研究職からも身を引いていた。最適な若返り時期とも言えるだろう。
「実際、あの時は幸せそうだったよね〜。なんか、DV夫と縁が切れて清々したって感じでさ!そういえば、あれ、本当は博士にも愛人がいたって噂で・・・。」
参った。パティがゴシップに花を咲かせている。適当に相槌を打ちながら、頭の中ではレオン博士の若返り時期のことを考え続ける。モニターにちらっと目を向けると、また訃報のアナウンスが流れてきていた。画面に映るレオン博士と目が合い、思考が失速する。そうだ、もういないのだった。
それにしても、彼女の褐色の肌に深く刻まれたシワは、笑顔のせいだろうか。それとも長年の苦労のせいだろうか。そのオリーブ色の瞳で、いったい何を見てきたのだろうか。レオン博士、世界が一番あなたを必要としたのはいつでしたか。あなたが幸せの絶頂にいたのは、いつだったのでしょうか。
ピザ屋の広告が現れ、ようやく我に返る。
・・・
しばらくすると、カフェテリアの入り口に看護師が現れ、僕たちを手招きした。どうやらもうすぐ仕上がるらしい。コーヒーの紙コップをふんわり潰し、去り際に入り口横のゴミ箱にそっと捨てた。二人横並びで歩くには狭い廊下を、律儀に縦一列で進んでいく。待合室に戻ると、ちょうど他の同席者たちが自分の席を探しているところだった。席に戻るや否や、透き通った声がまた部屋に響いた。
「ええ、はい。皆様、お疲れ様でした。まもなく施術が完了いたします。再度お名前をお呼びいたしますので、呼ばれた方から順に今一度出席を確定してください。では・・・。」
待合室がまだ鎮まらないうちに、また例の端末が部屋を行き交う。ガラス越しに見える施術室の景色は、数時間前と変わらない。今は、トークショーのCM待ちといったところだろうか。裏方がひっきりなしに部屋を横断し、足音が忙しなく響く。中央の鉄の塊からも、相変わらず重低音が波打っている。回ってきた端末に再度親指を押し当て、不快な感触を意識しないように目をぎゅっと瞑る。認証音が鳴ると同時に、端末をパティに押し付け、視線を施術室に戻す。さっきまで『リジュビネーター』の上部で点灯していたランプは消えていた。
「皆さん、お揃いですね。ちょうど施術が完了しましたので、これより開扉をいたします。」
待合室のざわつきはまだ微妙に収まっていない。しかし、執刀医はそれを待つことなく、コントロールパネルを操作し始める。ほどなくして、反響していた機械音は徐々に静まり、あっけないほどの静寂が部屋を包んだ。医師が目配せをし、看護師たちが再び装置を取り囲む。そして手早く、重い扉を開けていく。その際、ぷしっと中の湿気が霧吹きのように見えた。同席者たちの視線は、またしても施術室の中央に集められる。
扉が開いてゆく。
男が現れた。
数時間前のあの老人の面影はない。
背丈は老人の二回りほど大きい。
筋骨隆々とした体格。剛健で強壮な姿。
スポットライトを反射する、ハリのある肌。
シミひとつない、陶磁器のように艶やかな顔。
耳までかかる、淡い
――そこから覗く額に、稲妻は見当たらなかった。
PRIME TIME — プライム・タイム — ウオザトヲレス @W_Uozato
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