PRIME TIME — プライム・タイム —
ウオザトヲレス
第1話 ゴールデンタイム
「では、こちらへどうぞ。」
そう呼ばれると、老人は点滴スタンドに体重を預けながらゆっくりと腰を上げた。先にいる看護師に見守られながらドアの方へ歩み出すが、すぐに立ち止まり、こちらを振り返る。
「・・・そんじゃまあ、お世話になりました。」
肘を少し曲げ、手を挙げる素振りをしてみせた。細い前腕には、患者識別バンドが中ほどまでずれ下がっている。やさしい青の患者衣はだらんと垂れ、まるで振袖のようだ。今でこそ痩せ細っているが、広い肩幅や隆起したふくらはぎをみるに、昔は相当ガタイが良かったことが窺える。
「また、すぐに会えますよ。」
そう返すと、老人は「まあな」とはにかんだ。生まれつき額にあるあざが、ふるふると揺れる。それにしても、そのあざの形や位置といったら――「生き残った男の子」を思い出さずにはいられない。
老人は、はにかんだままの温かい表情で看護師に向き直り、またゆっくりと歩き始めた。彼の足取りを見届けたあと、隣接する待合室へ入る。施術室と待合室はガラス一枚で隔てられており、看護師たちに介抱されながら部屋へ入る老人の姿が見えた。
施術室は、小さなシアターのステージほどの広さしかない。ただ、よくあるオペ室とは違い、病院とは思えないほどアットホームな温かい雰囲気に包まれている。両脇にはこじんまりとした革製のソファが並び、今まさに老人が向かって左側のソファに座らされている。壁には落ち着いたトーンの壁紙、床にはカーペットが敷かれ、ソファの横には小さなコーヒーテーブル、そしてところどころに観葉植物が置かれている。おそらく患者がリラックスできるように配慮されたものだろう。
こうしてみると、待合室にいる僕からしたら、まるでテレビの画面を覗き込んでいるような気分だ。子供の頃、ゴールデンタイムの番組のCM明けを待った記憶が蘇る。テレビ画面の向こうでは、人気のトークショーが始まる準備が進められているようだ。ただひとつ、よく観るトークショーと違うのは、部屋の中央、
「やあ、トニー」
ガラスの向こうの忙しなさを眺めていると、同僚が僕の右肩をぽんと叩いた。振り返ると、同じ目線で彼女がいた。肩にかかる栗色の髪を手で払い、スーツの袖を軽く直しながら、僕の方を見ている。右腕には、僕と同じエージェント用の腕章がピンで留められている。
「ああ、パティ。おつかれ。今日は腕章わすれなかったね。」
「当たり前でしょー。前みたいにロビーで引っかかるのはごめんよ。」
そう言うと、彼女は力拳を見せるように腕章をこちらに突き出し、ころころと笑う。立っているのもなんだか落ち着かないので、空いている席を探し、二人並んで腰を下ろした。各々持ち物を踏まれないように脇に置き、パティが親指で老人の方を示した。
「それで、今回の彼はどう?」
「うん。27歳になる。」
「聞いたよ。やー、これはケアも骨が折れますねえ。」
「大丈夫さ。記録もかなりしっかり録ってたみたいだし。」
小脇に抱えていたタブレットを起動し、ファイルを開らいてみせた。画面には、目の前に座る老人の情報が映し出される。ジェイソン・ピアース、82歳。僕の担当。定年前は、自動車メーカーのエンジニア。離婚歴あり。自身に子供はいない。現在の写真と若かった頃の写真が並んで表示されていて、後者に映る彼の額にはよりはっきりと稲妻模様が見て取れる。基本情報の欄をスクロールして飛ばし、
「わー、ほんと!かなりマメねえ。定期記録以外にもこんなに・・・。」
「かかりつけの
部屋の隅にあるスピーカーからぶつぶつとフィードバックの音がした。顔を上げると、橙のブレザーを着た人物が、襟元のピンマイクを調整しながら施術室を横断している。途中、ソファにすわるジェイソンの前で立ち止まり、どうやら握手を交わしたようだ。数秒と経たないうちに、反対側の空いたソファにゆっくりと腰を下ろし、足を組んだ。近くの看護師に目配せをしたのち、ピンマイクを人差し指でとんとんと弾いてみせる。
「えー、皆様お待たせいたしました。本日はお集まりいただき有難うございます。この度、執刀医を務めさせていただきます、シェンと申します。どうぞ、よろしくお願いします。」
透き通った声で丁寧に挨拶をした後、六角形メガネの縁を少し撫で、コーヒーテーブルの上の書類をめくり始める。そのうちの一枚を抜くと、足を組み直し、再度ピンマイクを気にした。
「只今より、関係者各位立会のもと、ジェイソン・ピアースさんの若返りを実施いたします。それではまず、出席をとらせていただきます。お名前を呼ばれた方から順にお渡しする端末で出席を確定してください。」
どこからともなく関係者がやってきて、一番端に座る同席者に、レンガほどの大きさの端末を渡す。端末の上部にはタッチパネルがあり、その下にバイオメトリー認証用のジェルが埋め込まれている。
「まずは親族の皆様。レイチェル・ホワイト。ダニエル・ホワイト。シンディー・ホワイト。次に、トーマス・ルイス司祭。専属プライムタイム・エージェントのアントニオ・ガルシア。同じく、パトリシア・ジェファーソン。次に・・・。」
医師が淡々と名前を呼び上げる中、呼ばれた人から順々に認証を済まし、次に呼ばれた人間を部屋の中から探す。どうも非効率な気がしなくもないのだが、いつもこんな感じだ。認証を終えたであろう司祭に声をかけ、端末を受け取った。緑色のブヨブヨとしたジェルに親指を乗せる。これがまた、気持ちのいいものではない。ステーキから切り落とした脂身を指で突くような、そんな感触だ。だが、この手続きを避けるわけにはいかないので、ただ我慢する。端末が認証完了を告げると、それをパティに渡し、そっと親指の腹を撫でた。待合室の中を何往復かしたのち、端末は関係者の元へと戻っていった。
「ええ、欠席者なし、と。ありがとうございます。さて、ではまず最初に、ジェイソンさんに問診を行います。こんにちはジェイソンさん、調子はいかがですか?」
質問されるとは思っていなかったのか、ジェイソンは少し驚いた顔をして医師の方を向いた。
「お。ああ、わるくないよ・・・。」
「それはよかった。昨日はよく眠れましたか?」
「まあ、いつも通りかな。」
「昨日の夜は何を食べましたか?」
「んん、なんだったけなあ。ああ、ミネストローネだよ。」
「今、腹痛や頭痛といった症状はありますか?」
「膝が痛えけど、これもいつも通りだな。」
「吐き気や頭がぼーっとするといった感覚は?」
「んー、ないな。」
「両手をとじて、ひらいて。ぐーぱーしてみてください。」
「・・・こうか?」
「はい、ありがとうございます。では、これから実施する施術について教えてください。」
「俺が言うのか?・・・これから俺は若返る。」
「施術が成功した際の副作用についてはご存知ですね?」
「俺は・・・。記憶をなくす。」
「オーケー。完璧です。」
確認が終わると、足を組み直し、冷静に待合室の方へ視線を移した。
「この度は、担当エージェントのアントニオ氏の私見を鑑み、肉体年齢27歳までの若返りを実施いたします。アントニオ氏、どうぞ、端末にサインを。そしてパトリシア氏、異議がなければ同様にサインを。」
再び、あの端末が回ってくる。手続きの流れはいつも通り。官僚的ではあるが、必要な手続きだ。手早くサインをし、端末をパティに渡すと、彼女も躊躇いなくサインをした。さて、この次は・・・。
「では、トーマス司祭。よろしくお願いします。」
呼ばれた司祭は、シワの刻まれた顔を微動だにせず、ただ肘掛けに両手を置き、重い体を持ち上げる。少し口を開いたが、痰が絡んだのか、大きく咳払いをする。
「・・・んん。んぇー。では。この度のピアース氏の若返りに際し、祈りの言葉を送らせていただきます。」
もう一度大きく咳払いをし、今度は手を合わせた。瞼を閉じ、少し俯き、黙ったままだ。同席者たちもそれに倣い、各々祈りの準備をしている。僕も肘を膝に置き手を結び、少し俯いて軽く目を閉じた。十分な時が経った気がしたが、司祭はなかなか祈り始めない。よいタイミングを見計らっているのだろう。部屋の中がしんとしている。不安になって頭を上げようとしたとき、それは始まった。
「・・・主よ。
あなたは限りない愛と憐れみにより、この世に命を与え、時が満ちるときにあなたのもとへと招かれるお方です。
今日、私たちはあなたのしもべ 、ジェイソン・ピアースを一度あなたの御手に委ねます。あなたの深い慈しみにより、すべての罪を赦し、この者に今一度命をお与えください。
主キリストは御自身の死と復活によって私たちに永遠の命への道を示されました。どうかジェイソンをその約束の光の中へ導き、我々の元へとお導きください。
父と子と精霊の
待合室の全員が司祭の言葉に続いて、アーメンと呟く。ある者は結んだ手をゆっくりと解き、またある者は胸元の十字架に指で触れ、静かに手を下ろした。一拍の呼吸の後、頭を下げていた者は前を向き直し、目を瞑っていた者は瞼を開ける。それぞれの視線の先には、ちょうど同じように目を開けたジェイソンがいる。
滞っていた時間がようやく動き出したかのように、ガラス越しの看護師たちが準備を急ぐ。ポッドの扉が開き、中から診察台が降りてきた。老体を数人がかりで診察台に寝かせ、手足首をベルトでゆるく固定すると、矢継ぎ早にさまざまな管が通される。ジェイソンは苦悶の表情を浮かべることなく、ただ天井を見つめている。看護師の一人がじゃらじゃらと点滴スタンドを転がしてきた。かかっている点滴の袋には、鮮血のような紅い液体が詰まっている。
シェンはソファから立ち上がり、寝かされたジェイソンの枕元に歩み寄る。
「ジェイソンさん、まもなく施術の準備が整います。もしお伝えしたいことがあれば、こちらのマイクにどうぞ。」
「・・・レイチェル、ダニエル、シンディー。来てくれてありがとう。」
ジェイソンは、それ以上語ることなく、場をシェンに委ねた。シェンは待合室の様子をちらりと確認し、次いで点滴から垂れる管の中ほどをジェイソンに手渡す。
「それでは最後に。ジェイソンさん、あなたには施術を中止する権利があります。今渡したのは、『若返り』に必要な薬を投与するためのバルブです。開ければ、この管を通して薬があなたの体に投与されます。投薬後は、ポッドの中で経過観察が行われます。施術が終わると、あなたは肉体年齢27歳の状態に若返ります。」
シェンは下を向いたまま、少し黙っていた。ジェイソンの表情を見守っているのだろう。
「・・・お伝えすることは以上です。もし、これがあなたの望みであれば、バルブを開けてください。」
部屋には緊張感が漂った。同席した者たちは皆、ジェイソンの手元に釘付けになり、彼の判断を固唾を飲んで見守っている。ドラマチックな間が続くかと思いきや、ジェイソンはすぐにバルブに指をかけ、ゆっくりと捻った。と同時に、スタンドから伸びた管を通じて、赤い液体が流れ出す。彼はバルブを開けたのだ。ほどなくして、彼の体から力が抜け、深い眠りについたかのようにぐったりとしてしまった。
「・・・貴殿の貢献、誠に感謝いたします。」
医師の言葉を合図に、看護師たちが診察台を垂直に立て、ポッドの中へと押し込んでいく。複数人で指差し確認をした後、看護師の一人が厚い扉に手をかけた。閉まりゆく扉の隙間からみえるジェイソンの顔が少しずつ隠れ、やがて彼の姿は完全に見えなくなった。看護師たちは部屋の端に退き、今度はシェンがコントロールパネルを操作し始めた。
「これより、ジェイソン・ピアース氏の若返りを開始します。」
ポッド内にガスが満たされるような、空気が漏れる音が響く。それは、遠くの猫の威嚇のようでもあり、隣人がカーテンを閉める音にも似ている。シェンがつまみを捻るたびに、装置は低い唸り声を上げ、振動がガラス越しに伝わってくるような気がする。誰も動かず、誰も声を上げない。ただ、ブレザーを着た医師が真っ黒な装置を操作する数分間。仕組みがわからず、ただ見つめることしかできない僕たちの間に、時間が進むごとに不安が募る。飛行機が轟音を立てて離陸してからシートベルト着用サインが消えるまでの、あの時間のようだ。どこかで問題が起きるのではないかという微かな不安が、心に広がる。何度経験していても、どこか慣れない不安。――そんな不安を打ち消すように、ポッドの上のランプが点灯した。
「・・・リジュビネーター、正常作動中です。」
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