もみじ神社への招待状

和邇メイカ

第1話

 五時間目は図工だった。はやては、川にかかる鉄橋を渡っていく列車の絵を描いていた。町の展覧会に出す絵だった。クラスのみんなで小学校の近くを散策し、何を描くか決めたのだ。颯の決めた景色は、道から橋を見上げたもの。夏が最後の力を放出したような青い空と、列車の黄色が日に照らされて反射する鮮やかな光景だった。

 画用紙に鉛筆でひいた線をたよりに、絵の具で色を重ねる。青や黄色などの絵の具チューブをそのまま使ってぬるのではなく、颯が見たあのときの空の色を表現できるように、パレットの上でていねいに色を混ぜた。自分が色をぬることで、白い画用紙から自分が見た景色の色に変わっていくのが嬉しかった。

 いつしか颯は川沿いの道に立ち、タタンタタンと線路をけってやってくる列車を見ていた。二両編成の黄色いディーゼルカーは、汽笛を鳴らして通りすぎていく。車窓に見える人の心や、まわりを取り巻く夏の終わりの草のにおいまで、絵の中に閉じ込めてしまえそうな気分だった。

 絵にのめり込んでいると、いつも時間を忘れてしまう。今日もそうだった。となりの席の友広ともひろが、颯のひじをつついた。

「もう時間だぜ。筆、洗ってこいよ」

 はっとして顔を上げると、もうあと二分ほどでチャイムが鳴る時間になっている。クラスメートたちは片付けをあらかた終えているようだった。後ろのロッカーに絵の具セットをしまいに来た何人かが、背後からのぞきこむようにして、颯の絵を口々にすごいすごいとほめている。注目されているのを感じて、颯は慌てて立ち上がった。

 今週の金曜日、つまり今日は五時間授業だ。先生たちが、来週末の参観日の準備をするためらしい。五時間目が終わるとすぐに、帰りの会が始まってしまう。

 担任の先生に、筆を洗ってくるので帰りの会に遅れるかもしれません、と言い置いて、逃げるように教室を出た。

 手洗い場で筆と筆洗を洗いながら、颯は一人ため息をついた。

 絵を描くのは好きだ。一生懸命描いた絵を、誰かがほめてくれるのもうれしい。でもいざほめられると、うれしい気持ちよりも、ぼくなんかがほめてもらってもいいのかな、と暗い気持ちが顔を出すのだ。しかもそのあと、もっと笑ってお礼を言えたらよかったのに、と後悔までついてくる。

 四年生の三学期の通知表に、「自信を持つとよいですね」と書かれていた。その通りだ、と納得しつつ、どうすればよいかはわからないままだ。自信なんて、赤いぼうしとひげがトレードマークのおじさんがキノコをゲットするように得られるものでもないし。もう一度ため息をつくと、筆の水気を切って手洗い場をあとにした。



 颯が五年一組の教室に帰ると、ちょうど帰りの会が始まるところだった。上村先生は颯を見てちょっとうなずくと、よく通る声で参観日について話し始めた。描きかけの作品は、友広が教室の後ろに置いてくれたようだ。颯は手早く絵の具セットを片付けて、机の横にかけた。机の上に配られたプリントは、がさがさ言わさないようにクリアファイルにしまう。

 参観日のプリント、忘れずにお母さんに見せなきゃな、と考えていると、ふと、他の紙とは少し手ざわりのちがう、かさかさした紙が混じっていることに気付いた。学校だよりと算数の宿題プリントに挟まれて、ちょっと黄ばんだ紙がのぞいている。ひっぱり出してみると、こう書かれていた。

 

 お元気ですか

 佐乃帰さのき神社のもみじが見ごろです

 ぜひ見に来てください

             左側の友より

 

 (なんだ、これ?)

 佐乃帰神社は知っている。颯たちの暮らす町の高台にある、小さな神社だ。特に、神社の敷地内にある広場は、小学校にあがったころからの遊び場だ。高学年になるにつれて行くペースは落ちていたけれど、颯のお気に入りの場所だった。

 今は十月半ば。通学路にも落ち葉が目立ち、校庭のいちょうも黄色く染まりはじめた。境内のもみじもきっと色づいていることだろう。でも、問題はそれではない。

 (左側の、友?)

 颯の席は教室の左はし。左どなりには窓がある。つまり、左側にはだれもいないのだ。首を伸ばして窓の外の校庭に目を走らせるも、空っぽのグラウンドに風が吹いているだけだった。顔を反対側に向け、右の席をそっと見ると、保育園からの幼なじみの友広がほおづえをついて先生の話を聞いている。机の上には五時間目の絵の具セットと、颯がおすすめした探偵物語の本、さっき配られたプリントが出たまま。神社の手紙は見当たらなかった。

「起立、礼」

「さようならー」

 日直の号令がかかり、考え事をしていた颯はみんなよりワンテンポおくれて立ち上がっておじぎをした。クラスメートたちがカラフルなランドセルをゆらしながら教室を出ていく。友広はやっと、プリントをしまいはじめたところだ。

「ねえ、友広。佐乃帰神社への招待状、ぼくの机に置いた?」

 紙を持ち上げ、ずいと突き出した。

「なんだよそれ、知らないよ」

 友広はそう言いながら、最後まで読んで首をかしげた。

「だいたいおれ、颯から見て左じゃなくて右に座ってるじゃん。それにわざわざこんなまわりくどいことしないって」

 確かにそれはそうだな、と颯は思った。じゃあ、これはだれからの招待状なのだろう。なぜ、ぼくだけに届いたのだろう。

 (気味が悪いな)

 もやもやと考えていると、ガタンと大きな音を立てて友広が立ち上がった。いつの間にやら、机の上の教科書たちはしまわれている。おどろいて見上げると、窓から差し込む明るい光に照らされて、友広がニッと笑った。

「今から佐乃帰神社に行って確かめようぜ!」

 

 ろうかですれちがった教頭先生に「さようなら!」と声を投げ、げた箱で上ばきからスニーカーにはきかえる。出席番号順に決められたげた箱の、颯は一番下の段だ。毎回しゃがまないといけないので、真ん中あたりの段をあてがわれている友広などと比べると不公平だ、と思いながらも、文句は心にしまったままで毎日使っている。先生に言うほどではないし、友広にぐちを言うのもあてつけみたいで気がひけるからだ。

 友広が玄関のとびらを開けると、外の秋風が二人のほほをなでた。

「なあ、颯」

「なに?」

 落ち葉が入らないように、素早く外に出てとびらを閉める。

「颯ってさ、やっぱり絵上手いよな。さっきもみんな褒めてたぜ。なんか、展覧会の金賞は颯がいただく!とか言ってて」

「そんなことないよ……。絵を描くのは好きだけど」

「……。もっと、自信持ってもいいと思うけどな」

 友広のため息まじりの声に、またやってしまった、と直感が告げる。素直にお礼を言うべきだったのに。

 颯はとなりを歩く友広を横目に見た。友広は短距離走が得意だ。町の陸上クラブに所属し、五年生にして中学の陸上部からスカウトが来るほどの実力がある。先月の運動会ではリレーの選手にも選ばれた。バトンをにぎって飛ぶように走るようすに、客席からもどよめきが上がったほどだった。

 明るく快活、少しお調子者のきらいもあるが、友広はクラスでも中心人物だ。友広が教室やろうかでサッカーの得意な剣也けんやたちとふざけ合っていたり、下級生に甘えられているのを見ると、なんでぼくと仲良くしてくれるんだろう、と思ってしまうときがある。その度に颯は自分のことがいやになるけれど、友広がまっすぐな笑顔で話しかけてくれると、救われたような気持ちになるのだ。

 校門を出ると、少し先を志乃しのが歩いていた。志乃も、家が近所の幼なじみだ。昔から一緒に遊んでいる気の置けない友達だったが、テストはいつも百点、算数と理科にいたってはすでに中学の内容も塾で勉強しているという秀才ぶりに、勝手に引け目を感じていた。

「おーい!」

 颯が声をかけようかしり込みしているうちに、友広は走って追い付いていた。髪の毛を、頭の後ろの低い位置で一つに結んだ少女が振り返った。颯も早足で近づいていく。

「今から佐乃帰神社行くんだけどさ、志乃も行かない?」

 楽しくてたまらない、といった友広の声を聞きながら、急にはずかしくなってスニーカーのつま先を見た。この間クラスの女子たちが、男子って子どもっぽいよねと話しているのを聞いてしまったからだ。でも、絵はほめてきたりする。女の子のことはよくわからなかった。志乃はクラスの中でも飛び抜けて大人びているため、なぞの招待状なんて子どもだね、と言うにちがいないと、顔を見られなかった。

「行く」

「え?」

 意外に感じたのが顔に出ていたのだろう。

「颯はいやなの?」

「ううん、いやじゃない」

 予想とちがって、志乃は乗り気だった。落ち着いた声に興味をにじませて、こちらをまっすぐ見すえてくる。クールに見えて、好奇心は人一倍なのだ。保育園のころからそうだった。みんなで散歩をしている最中にトンボが近くに止まったのをどうしても見たくて、手をつないでいた颯もろとも立ち止まっていたせいで列からはぐれそうになったことを思い出した。

「どうして急に佐乃帰神社に?」

「それがさ、颯がなぞの人物から招待状を受け取って……」

 友広が出した手に、小さくたたんだ紙を上着のポケットから出してわたす。志乃のひとみのかがやきが増した。

「なぞは解決するためにあるんだ。それにおれは探偵より、断然やる気がある」

 友広はすっかり探偵のつもりになっている。ぼくが受け取った招待状なんだけど、と思ったけれども、何も言わず足を進めた。


 早く行こうと言っていたのは友広なのに、青い屋根の駄菓子屋『ベル』の前を通ると店の中をのぞきつつ歩く速さがゆっくりになり、ついには立ち止まってしまった。友広はこちらを振り返ると店を指さした。

「ちょっと寄ってこうぜ」

「お金持ってないよ」

「ミツバにあいさつするだけだって」

 言うなりしゃがんで、白い雑種犬をなで始める。中型犬と言うには大きく、大型犬と言うには小さい老犬。ミツバはベルの看板犬だ。本当の名前はカールというらしい。けれどもここに来る子どもたちはカールと呼ばず、みんなミツバと呼んでいる。

 ベルの入り口脇には、お店とおそろいの青い屋根の犬小屋がある。その壁に三つ葉のクローバーのマークが描かれているのだが、ミツバだからこのマークなのか、三つ葉マークが描かれているからミツバと呼ばれるようになったのかは、だれも知らなかった。

 ミツバはいつも店先の地面に寝そべって木の枝なんかをつついて遊んでいる。今日は遊び疲れたのか、枝を半分体の下に敷いてうとうとしていた。友広になでられるとたれた耳をちょっと動かし、なんだ、という顔をしてまた居眠りに入った。

「あ、ミツばあちゃん、こんにちは」

 志乃の声に顔を上げると、店の奥からエプロンをつけた人かげが出てきた。ベルの店主、ミツばあちゃんだ。腰が曲がっているために、小学五年生の志乃よりも小さく見える。ミツばあちゃんはだまって丸いすに座ると、顔のしわをより一層深めてうんうんと二回うなずいた。ミツばあちゃんとミツバってそっくりだよなぁ、といつも颯は思う。特に、起きてるのか眠ってるのかわからない感じが。

「これください」

 志乃が四つ入りのミニドーナツをミツばあちゃんに差し出した。

「志乃お金持ってたのかよ!」

 友広がすっとんきょうな声を上げる。

「内緒だよ」

 平気な顔をしてお金をはらい、すたすたと表に出ていく志乃を、二人はあわてて追いかけた。

 


 佐乃帰神社のもみじはそれは見事だった。

 ごつごつした石段を上り、鳥居をくぐっているときは、久しぶりに来たね、なんてしゃべっていたのに、紅葉した木々の下に来ると、だれも何も言えなくなってしまった。もみじの木の下に立って空を見上げると、赤い葉の重なったすき間から金色の光がもれてきた。足元を見下ろすと、金色の光が落ち葉に当たって、赤やオレンジや、またちがう赤やオレンジの波のようだった。颯が友広と志乃を見ると、二人は金色のカーテンのあちら側にいて、自分だけがこの赤い葉の中に吸い込まれていくような気がした。

「招待状の送り主は、このもみじを見せたかったんだね」

 志乃の声がして我に帰ると、志乃もまた、上や下をゆっくりとながめていた。あまり表情を変えない志乃だが、この光景に心打たれているのがよくわかった。

「でもその送り主がだれだかわかんないのはスッキリしないよな」

 友広があたりを見回した。

「わざわざ招待したくらいだからさ、この神社に来てるんじゃない?」

 颯が笑って言うと、二人もうなずいた。

「まずは神社を一周してみようか」


 佐乃帰神社は日増川沿いの、田んぼに囲まれた丘の上にある。石段を上り、手前から三本目のもみじの木を右に曲がると、紅葉の名所である広場。階段を上ってからまっすぐ石畳を歩いた先に本殿がかまえ、左手は田んぼへ下る斜面になっている。

 颯たちはまず、広場をぐるりと一周することにした。

「すげえな、どっち向いても紅葉、紅葉」

「しかも貸し切り」

 友広と、珍しく志乃もはしゃいでいるようだ。後ろを歩きながら颯の心もおどった。

「そうだ、一番奥のでかい木に、ブランコ付いてたよな!久しぶりに乗りに行こう」

 言うが早いか、落ち葉を舞わせて走り出した。中学校の陸上部からお誘いが来るほどの脚力をおしみなく発揮している。

「こんなところでまで全力疾走しなくても」

 苦笑いしながら、颯と志乃も続く。

 鮮やかな葉の下をくぐって、がっしりとした幹の大木にたどり着いた。追い付いた友広に声をかけようとして、はっとした。

 葉っぱが、ない。一枚も。

 記憶では、手のひらよりも大きい葉がわさわさとしげった木だった。メープルシロップのびんに描かれた葉と同じ形。カエデの木だ。

 颯は広場を見わたした。他の木は、幸せそうに暖色の葉をまとっている。

「どうして、この木だけ」

 ブランコの木だけが、深い悲しみを抱えているようだった。大木には、葉の代わりに二本のロープがぶら下がっていた。ブランコの名残だ。踏み板は外れて、どこかにいってしまったようだ。ブランコで遊んでいたのは、たしか二年生くらいのころのこと。朽ちて緑色になったロープに、月日の経過が感じられた。

「日当たりが悪いと紅葉しないらしいけど」

「そもそも葉がないんだもんな」

 志乃と友広は同じことを考えていたようだ。

 見上げると、ブランコの木の枝に区切られた空が広がっていた。紅葉した木々の下では、空の青も見えないくらいの葉がしげっていたことを思うと、なぜだかこの青がとても寒々しく思えてならなかった。

 ブランコの木に葉がないことは悲しいけれど、原因がわからない。ひとまず今は左側の友さがしを続けよう、という結論になり、広場をはなれて本殿に向かうことにした。

 もみじの木の間を通って、再び石畳が敷かれた参道に出る。右へ向いてまっすぐ進めば、木造のお社だ。

 このあたりに住む人にとって、初もうでといえば佐乃帰神社だ。普段は参拝者がちらほらとしかいない境内も、お正月はにぎわいを見せる。神主さんと、神主さんの家族も手伝って甘酒がふるまわれるのだ。


 今年は一月一日に家族と、三学期の始業式の日に友広たちとお参りに来た。みんなでおみくじをひくのが毎年のお決まりだ。今年は友広が大吉をひいた。友広は大喜びで、小吉だった颯と中吉だった志乃が綱におみくじを結ぶのをしり目にいそいそとポケットにしまっていた。

 せっかくだからと今日もお参りすることにした。

「ぼくたち、おさいせん持ってないね」

 ベルで駄菓子も買えなかった颯たちだ。

「仕方ないよ、後ばらい、後ばらい。神様もそんぐらい許してくれるって」

 神様の心が広いことを期待して、三人は手をたたく。颯は、初もうでのときにお父さんに習ったやり方を思い出した。二礼二拍手一礼。二回お礼して、二回手をたたいて、もう一回お礼の順番が作法だったはずだ。

 (あれ?どのタイミングでお願い事するんだっけ?)

 なんだかまちがっているような気もしたけれど、もう一度手を合わせ、目をつぶっていのった。

 (左側の友に、会えますように)

 心の中で唱えたとき、目の奥にオレンジ色の風景が広がった気がした。さっき見たもみじの印象が強かったのだろうか。今日よりもっと前にこの景色の中で遊んだんだっけ、となつかしい気持ちが胸をくすぐった。


「長いことお願いしてたんだな」

 友広が少しからかうような口調で言った。

「そりゃそうだよ。招待状の送り主、神様に頼んででも知りたいし。探偵は神頼みなんかしないかもしれないけど……、友広はしなかったの?」

 颯もちょっとむっとして言い返すと友広は顔の前で両手を振った。

「探偵だってせっかくのお参りチャンスは逃さないぜ。さっ、手がかりを見つけるとするか」

「ごまかしてるね」

 志乃に冷ややかな視線を浴びせられながらも、友広はすずしい顔だ。やれやれ、と颯も気を取り直す。

「神社で左や右といえば、やっぱり狛犬かな?」

 参道を挟んで右と左の台座に座る狛犬と、三人は向かい合う。左側の狛犬に近づいてみると、思っていたより大きいことがわかった。

「ぬいぐるみくらいの大きさかと思ってたら、ミツバくらい大きいんだね、この子達」

 志乃はりりしい顔で座る狛犬の前足に手を伸ばしている。友広は狛犬の背中側に回り、声をあげた。

「すげえ、しっぽがぐりんぐりんだ!ミツバのしっぽ五本分くらいあるかも」

 興味をひかれて颯も狛犬のおしりを見やった。なるほど、雷様の雲みたいな、ボリュームたっぷりのしっぽだ。図書室で読んだ日本の歴史まんがに、風神と雷神が描かれたびょうぶの写真があったのを思い出した。

「右の子と左の子で顔がちがうんだよね。顔というか、表情?」

 次は志乃がなにか言い出した。

「二人が口々に報告するせいでぼくが観察する時間がないじゃん」

 颯はしぶしぶ志乃のところへ向かう。もちろん、しっぽに夢中な友広は置き去りだ。

「颯、見て。右の子は口を開けてるけど、左の子は閉じてるよ。『あうん』っていうんだったと思うんだけど。これ、左側に注目するべきなのかな?」

 志乃の言う通り、片方の狛犬はほえるように大きく口を開け、もう一方は口を固く結んでいる。二匹で一つ。息がぴったり合っていることを指す、「あうんの呼吸」という言葉はここからきているという。

「手がかりかもしれないね。でも、左側の狛犬が口を閉じていることに何の意味があるんだろう」

 手がかりという言葉につられて友広もやってきた。

「手がかりって言うんならさ!この文字だって意味ありそうじゃん」

 友広が指差したのは、狛犬が座る台座の側面。右側の犬の台座には「奉」、三人が立つ左側の犬の台座には「献」と書かれていた。

「みなみいぬ……?」

 まだ習っていない漢字だ。志乃が疑いの目で見てくる。颯だって、「へん」と「つくり」をバラバラに読んだだけの「みなみいぬ」が正しい読み方だとは思えなかった。

「南の犬ねえ……。」

「この子たちはどの方角を見ているんだろうね」

 志乃が言うと、友広は狛犬のそばに立って、りりしい目の見すえる先を一緒にながめている。せめて今、どっちが北かわかればいいんだけれど。

「方角なら、地図帳に書いてあるんじゃねえの?」

「友広、日本がどれだけ広いと思ってるの。秋野町の佐乃帰神社なんてのってないよ。小さな町なんだし」

 友広と志乃が言い合っているのを静かに聞いていた颯は急に声を出した。

「そうだ、地図、あるじゃん!」

 背負っていたランドセルを下ろして中を探る。

「地図?」

 ふしぎがる友広をよそに、颯は社会のノートを取り出した。今日の四時間目は社会科だったのだ。急いでページをめくると、プリントがのりではりつけられれているページに行きついた。パリパリになってしわもできているけれど、問題なく読むことができた。

「これだよ、『ぼくたちの秋野町』」

「そっか、調べ学習プロジェクトだ!」

 颯たちは、来週の参観日に『ぼくたちの秋野町』と題した発表を行うことになっていた。町の歴史や産業、自然などを、班ごとに大きな紙にまとめて前で発表するのだ。みんな、力を入れて取り組んでいるプロジェクトだった。

 颯は、紙にわかりやすく図や絵を描くのが得意だった。反対に、みんなの前で、しかも大勢のお父さんやお母さんに囲まれて発表するのは怖くてたまらなかった。

 いやなことを思い出して気持ちがしずんだ颯は、もやもやを振り払うようにノートのページをさっとなでて、友広と志乃に示した。

「この地図なら、秋野町のことがなんでも書いてあるよ」

「えっと、ここに小学校があるから……」

「川をたどって、ここだね」

 志乃の置いた人差し指の先に、たしかに神社の地図記号と「佐乃帰神社」という文字がある。

「石段は、北に向かってのびているんだね」

「ということは、狛犬たちは……」

「南向き!」

「ちょっと、友広、言葉取らないでよ」

 胸を張って宣言した友広に、颯がうらめしげな顔をする。

「ほんとにみなみいぬだったとはね」

 志乃は変わらずマイペースだ。

 達成感に包まれていた三人だったが、颯は気づいていた。みなみいぬが南向きだったことがわかっても、左側の友には全く近づけていないことに。


 友広が広場にたまった落ち葉をけり上げて遊んでいる。あれから、なにもヒントは得られないまま時間が過ぎた。やる気がしぼんでしまうのも無理はない。木の根に座った志乃が、突然明るい声で言った。

「おやつ食べない?」

 手に乗せられたミニドーナツのパッケージを見た瞬間、颯のお腹が鳴った。友広も笑いながら近づいて来る。

「志乃はそのドーナツ好きだよなぁ。四十円って、駄菓子の中では高いのに」

「四つで四十円なんだから一つ十円だよ。友広に一つあげたら交換でヨッシャーメンくれるんだから、損なんてしてないよ」

 今思うと単純な計算だが、小学一年生のときに志乃の口からこの考えを聞かされたときはびっくりしたものだ。いかにたくさん駄菓子が買えるかを考えると、一〇円より高いお菓子は眼中になかったのだから。

「しまった、今日おれ交換する駄菓子持ってないや」

 友広の声にハッとしてパーカーのポケットを探ると、あめ玉が一つ出てきた。志乃にあめ玉をわたし、ドーナツを一ついただく。友広もランドセルからキャラメルが出てきたようだ。

「溶けてないから!これ昨日姉ちゃんにもらったやつだから!」

 と言っていそいそとドーナツを食べている。

「四つ入りを、颯や友広と交換して分けて食べるのが好きだったんだよね」

 神社の本堂の方をながめながら志乃が言う。

「でも、なんで一個余ってるんだろう」

 ハッとして志乃の手元に目を落とす。

「個数が変わったんじゃねえの?こないだ母ちゃんが言ってたぜ。不況でミニあんぱんの個数が変わって家族五人で分けるのが不便になったって。昨日は父ちゃんに内緒で分けて食べたんだ」

 友広が粉砂糖の付いた手をズボンで払いながら言った。

「そうかなぁ?」

 志乃と颯は顔を見合わせる。

「不況で個数が変わるとしたら、数が減るんじゃないの?三人でぴったり分けられていたのが一つ余るようになっているんだから、増えてるよ。おかしいよ。」

 たしかに、と友広は口をとがらせてなやみ顔になってしまった。

「じゃあなんだよ、ドーナツが増えたんじゃなくておれたちが減ったってことかよ?」

 その瞬間、颯の目の前に三人の友達と駄菓子を囲んでしゃがんでいる情景がよぎった。場所は、今と同じ広場。ブランコの木には大ぶりの葉がしげっている。音は聞こえない。けれど、楽しい気持ちが染みるように伝わってくる。颯の口は、自然と笑みを浮かべていた。

 (あれ?ぼくのほかに、三人?)

 みるみるうちに、目の前の風景が白くかすんでいく。

 (友広と志乃と、この女の子は……)


「颯?聞いてんの?」

「颯、どうしたの?」

 気がつけば、志乃がこちらをのぞき込んでいる。友広もさらに口をとがらせてこちらを見ていた。颯はとっさに顔を手でおおった。

「なんでもないよ!ちょっと考え事してただけ」

 勢いをつけて立ち上がる。きつい言い方しちゃったかな、と志乃を見るが、志乃は全然気にしてない風だ。

「最後の一個食べちゃお」

 ドーナツを口に入れた。

「そういえばさー」

 友広が意地悪な笑みを浮かべて話し始めた。

「二年生のとき、颯、この木の下で転んで泣いてたよな」

 話を聞いていなかった颯への仕返しだろうか。

「あー!あったあった!」

 友広の悪意に気づいてか気づかずか、志乃もなつかしい!と手を叩いた。

「そんなことあったっけ……?」

「おいおい颯、いくらはずかしいからって覚えてないふりはよくないぜ?志乃にかわいい花がらのばんそうこうはってもらってさあ」

「え?それわたしじゃないよ。水道で洗った後、友広がはってあげたんじゃなかった?」

「おればんそうこうなんて持ち歩いたことねえよ」

「胸張るところじゃないでしょ」

 はった、はらないの言い合いになってしまった。

「ちょ、ちょっと待って。ぼくが転んで、手当をしてくれたことは確かなの?」

 すぐに二人がうなずく。

「それで、ばんそうこうをはってくれたのは二人のどちらでもないんだね?」

 また二人がそろってうなずく。

「もしかしたら、ばんそうこうをはってくれたのが、ミニドーナツを分けて食べた四人目の友達かもしれない」

 友広がおどろいた表情を浮かべる。

「よ、四人目?」

 そこで颯は、さっき目の前に浮かんだ映像のことを話した。自分たち三人のほかに、もう一人女の子がいたこと。四人でこの木の下で笑いあっていたこと。

「その映像が、颯の記憶なんだとしたら、その女の子こそが、左側の友かもしれないね」

 そう、志乃の言うとおりだ。颯たちはいつも三人で遊んでいた。学年が上がるにつれて別の友達も増えたけれど、三人で過ごす時間は特別な心うれしさに包まれていた。あの映像の中の颯は、ほかにはない居心地の良さを感じていたのだ。一人多かったにも関わらず。

 颯は地面の落ち葉を足でどけ、石で土に文字を書いた。

 

 左側の友=四人目の友達

 

「ぼくたちはなぜか、友達のことを忘れてる。思い出して、探し出して、一緒にもみじを見ようよ」

 志乃がズボンのおしりをはらいながら立ち上がる。

「手がかりは颯の思い出した記憶と、招待状だけだけどね。みなみいぬは当てにならなさそうだし」

 友広も力強くうなずく。

「おれと志乃も、なにか思い出せないか試してみよう」

 颯は招待状を開いてみる。最初に感じたうす気味悪さはもうなくなっていた。

「明日は土曜日。十時にここ、ブランコの木に集まろう」

 小学校の五時のチャイムが、風に乗ってひびいた。 

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