沼(2)
小野寺大樹は、かつて葛木竜泉と名乗っていた男――鈴木浩太郎との待ち合わせ場所に到着する。
――懐かしいな。
かつて竜泉と二人で話をしたこの喫茶店はいつの間にか深夜営業を始めたらしい。
店内で持ち帰りのオーガニックコーヒーを買い、店の前で飲みながら待つ。
店の雰囲気はかつて来た時からはかなり変わっていた。
「お待たせしました。ご無沙汰してます、武藤さん」
「お久しぶりです、竜泉さん。今は小野寺姓なんですよ。もともと婿養子だったので」
「私も竜泉は引退しました。今はただの鈴木です」
二人とも最初に会った時とは違う名前を名乗っている。奇妙なこともあるものだと大樹は思った。
「この店、変わりましたね。雰囲気」
「あの時のアドバイス通りに店の方針を変えたようなんですが、それからもどんどんスピリチュアルに傾倒してこういう感じになったみたいです」
何の特徴も感じられなかった店は、何に使うのか想像もつかない魔術道具のような雑貨やスピリチュアル系の書籍を店内で販売しており、大きなテーブル一つを囲む席配置になっていた。
店主自身もまるでファンタジー映画に出てくる魔法使いのような風貌に変わっており驚いた。
「流行ってはいるみたいですね」
「以前は隠れ家というよりただ隠れていただけですからね。隠すならちゃんと隠して、特定の層に向けてちょっと尖らせた方がいいんですよ」
店の独特な雰囲気は大樹にとっては決して心地よいものではなかったが、今ならこういう雰囲気に縋る人間がいるのもわかる。
「とはいえ、やりすぎに思えますけどね、私には」
「同感ですが、あのまま潰れてしまうよりはよかったと思いますよ。店主ももともと私のファンでしたからね。この店がなくなればもっと悪い人間に騙されていたかもしれない」
「ははは、確かに。あんなに素直に信じて、経営方針を一気に転換するような人ですからね。見た目もだいぶそれっぽくなってましたよ」
「風貌までは指示してませんけどね」
「今でもここ来るんですか?」
「常連ですよ。やっぱり自分のアドバイスを受け入れてくれたわけですし、繁盛するかどうか見守りたいじゃないですか」
竜泉が恥ずかしそうに頭をかく。
大樹はやはりこの男は根っからの善人なのだと再確認したし、そんな彼の人生を自分のような人間のせいで犠牲にしてしまったという罪悪感に押しつぶされそうになる。
――申し訳ない。
彼がいてくれたおかげで大樹は自分が壊れずにいられたのだと毎日感謝し続けてきた。
「カップ捨ててきますよ」
大樹は空になったカップを店内に捨てに戻る。
「私はここで待ってます。店主に見つかると話が長いので」
「でしょうね」
二人は並んで、夜道を歩き始めた。湿気を含んだねっとりとした空気が二人を包み込む。
そのせいというわけでもないのだが、どこか足取りは重い。
「しかし、娘さんはなぜ我々を呼び出したんでしょうね」
「きっと気づいたんですよ」
大樹は静かに言った。
「そうですか。武藤さん……いや、今は小野寺さんですか」
「どちらでもいいですよ」
「武藤さんはどこまでお話ししていたんですか?」
「何も」
「何も?」
「えぇ、何も話していません。彼女にとっては母親と弟が失踪して、父親は心を病んで、自分は祖父母の家で育った。それだけです。きっと真相を確かめるためにこの町に戻ってきて、何かしらの答えに辿り着いたということでしょう。だとしても、こんな深夜にあなたと一緒にあの沼に呼び出さなくても、とは思いますが」
「呼び出された場所はあの沼なんですか?」
「えぇ」
「でも、竜泉さんのおかげでもう大丈夫なんですよね?」
大樹の問いに竜泉は口ごもる。
「だと思っていたんですが、どうやらまだ呪いは続いているらしい、という噂を耳にしました」
――まさか。
「急ぎましょう」
初老二人では急ぐといっても限界があるが、どうやら間に合ったようだ。
「遅いよ、お父さん」
久々に会った娘は以前にも増して目つきが鋭くなっているように感じたが、それは自分の後ろめたさから来るものだろうと思いなおした。
「ならもうちょっと近場を指定しなさい、悠(ゆう)。とにかく無事で良かった」
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