十七 『好機』 宮田 國男 二十八山/ばべんの砦/03時50分

「逃げて!!早く!!!」


 その時、僕は今までに出したことのないほどの大声で叫んだ。横隔膜が膨らみ、口という出口から発するには大きすぎる声が喉を通って外へ投げ出された。当然、声は辺りに響く。古びた鉄板が声に揺れ、残響が尾を引く。それでも、僕は必死に彼女に伝えた。

 一人で決断を下すにはまだ迷いの多い年頃であろう美世子ちゃんは、身体を小刻みに震わせ、あふれそうな涙を目に湛えながらこちらを見下ろしていた。一瞬、そのか細い瞳と目が合った。おそらく僕は鬼のような形相で、獣のような眼光で彼女を見つめていた—————否、睨みつけていたに違いない。

 それほどの強い意志で、「逃げてくれ」と彼女に伝えた。


 彼女は何度も首を振りながら迷っていたが、やがて僕に背を向けて闇の中へ駆け出した。その背中を、田辺と呼ばれる異形が追っていった。

 行かせるわけにはいかない!僕は床に這いつくばりながら片腕を伸ばし、そいつの足を掴もうとしたが、指先は空を切った。握りしめた拳に指がめり込み、手のひらが熱を帯びる。その直後、再び銃声が鳴り響く。近くの鉄板の床に新たな弾痕ができた。

 肩を強く押さえ、あふれ出す赤い液体を必死に抑えながら、匍匐ほふく前進で床を這い、物陰へと逃れた。シャツの袖を無理やり破り、傷口に巻きつけて簡易的な止血を試みる。真っ白だったシャツはあっという間に赤く染まった。まるで、色褪せたシャツが本来の赤に戻ったかのように。


 周囲を警戒しつつ、彼女のあとを追おうとしたが、銃声は止まらない。銃弾を撃ち込まれるなど人生で初めてのことで、身体はこわばり、肩で息をしていた。

 —————この状況、どうすれば……?

 狙撃しているであろう向かいの道を物陰から睨んでいると、銃を構える異形の背後にぼんやりと人影が浮かぶ。次の瞬間、その人影が異形を背後から強く突き飛ばした。柵から身を乗り出していた異形は、まるで抵抗する間もなく奈落へと消えていった。


 衝撃的な光景に口がぽかんと開いた。しかし、これは好機!今しかない!

 肩から広がる痛みに耐え、美世子ちゃんが逃げていったその方角へ、全力で駆け出した。


 待っていて!絶対に助けに行くから!


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