4. I don't care what follows
4-1. 無茶振りをする男
ベッドの隣のサイドテーブルに置いていた、スマートフォンが鳴る。
赤毛の男――
すると、狐に組み敷かれていた女の手が、背中に爪を立てる。パウダーピンクのネイルが皮膚を刺す。
「痛いってば」
狐はくすくすと笑いながら、女の胸元を撫で回す。か細く甘えた声が漏れ、背中を抉る指先が離れる。
女は、吐息混じりの上擦った声で啼きながら、これでもかというくらい、狐に体を絡み付けてくる。狐は女をシーツに押し付けるように、体を隙間なく密着させた。
スマートフォンは延々とコールして、切れる。そしてまた鳴る。だが、狐は出なかった。
乱れたベッドの上、うつらうつらしている女の横で、狐はやっと、サイドテーブルに置かれたスマートフォンを手に取る。
「ごめぇんね、遅くなった! すぐ折り返そうと思ってたんだけど、なかなかタイミングなくて、本当にごめん」
ワンコールで電話が繋がった瞬間、とにかく早口で謝った。女はパチッと目を開け、狐が「聞いたこともない言語」で早口で喋り出したのを見て、驚いている。
電話口の相手は、煙草をふかしているのか、喋り出すまで数秒かかった。
狐は作り笑いを浮かべながらも、嫌な汗が背中に伝うのを感じた。この沈黙が、とても重苦しい。
『セーフハウスを見つけてこい』
低く、くぐもった声音で、電話の相手は、狐にそう言った。
「はい? 寝起きの人間に言う用件が、それ?」
狐は困惑の色を隠せない。それが、朝七時に電話をかけてくるほどの用なのだろうか、と思った。
『賃貸でいい。家賃に糸目はつけない。即入居できる、お前が考え得る最高のセキュリティーの物件』
だが、電話口の男がここまで限定してくることで、狐には何が起きたかわかった。
「
狐は口元がニヤけるのを抑えられない。思わず口に手を遣り、笑いがこみ上げてくるのを堪える。
『その物件の契約が終わったら、スペアキーを当日中に用意しろ』
だが、電話の相手は、狐が笑っているのを知りながら、何も反応しなかった。ただ、用件だけを伝え続けている。
「お前が住むところなんだろ? それくらい自分でやりなよ」
『蠍と出くわした精神的ストレスで、寝込みそうなぐらい体調悪い』
「白々しい嘘を堂々と言うねぇ」
思わず吹き出した。
電話の向こうから、車の音や信号の音がかすかに聞き取れる。梟は今、外にいるのだ、と狐は思う。
煙草を咥えているか、もしくは律儀に路上喫煙禁止の看板を見て我慢しているのか。不機嫌そうな顔で電話している姿を想像するのは、容易だ。
『お前なら、白を黒にできるようなコネクションがあるだろうが。物件の一つや二つ、借りるなんて造作もない』
「そりゃ、俺は情報屋だからね。そうやって頼られたら、まぁ悪い気はしない」
狐はベッドから身を起こし、肩と耳でスマートフォンを挟みながら、話し続ける。
「そうは言っても、物件探しに時間がかかるよ。その間は別のホテルで暮らせば」
床に散らかしたままのボトムスを拾い上げ、足を通す。ベッドにいた女が、眉根を寄せてその光景を目で追っている。
『それだと分が悪い。その間に蠍が現れたら、あいつは見境なく人を殺す』
「それはたしかに。あのクソガキ、後先考えないからな」
梟が好んで泊まるハイクラスのホテルで、死体を積み上げていく蠍の姿を思い浮かべると、口の中に苦い唾が溜まってくる。
「ちなみに、今後ミシェルと仲睦まじく暮らすつもりなら、物件探しの間取りが変わるけど?」
『間取りなんかなんでもいい』
狐はシャツを羽織り、そのまま窓辺へ立つ。
シティホテルの大きめの窓から見た朝の空は青く澄み切っていて、放射冷却で地表は冷え切っているのだろう。
「見てるこっちとしては、蠍とミシェルとお前の三角関係とか面白くてしょうがないんだよね」
シャツのボタンを留めながら、狐は歯を見せて笑う。狐にとっては他人事なので、笑って見ていられる。
『くだらない』
電話の向こうの男は、淡々と吐き捨てる。これを無意味なやり取りだとうんざりしているのだろう。
狐はベルトを締め直してから、ベッドの上の女の方を見る。
女はつまらなそうに髪を手で撫でつけている。すっかり機嫌を損ねてしまったようだった。
そんな女に向かって、狐はニコッと微笑みかけたが、顔を背けられてしまう。
狐は電話を続ける。
「わかった。とりあえず物件探ししてみるよ。……あと、折り返しが遅くなった詫びに、一つ。フチノベ母娘が武器屋だった頃の在庫、まだ保管されてるみたいだよ。ミシェルに、取りに行ってもらえば?」
電話越しに、すぅ、と息を吸い込む音が聞こえてくる。
煙草を吸っているのか、それとも思いがけず、いい話を聞いた、と思った時の反応か。
『とりあえず……お前は、午前中に全部終わらせて、終わったら連絡してこい』
電話口の男は、淡々とした口調で言い放つ。
「午前中……っておい! 無茶を」
狐が言い終わる前に、電話は勝手に切られていた。
電話口の男は、いろいろ細かい。午前中で終わらせろ、と言ったら正午ぴったりまでには終わっていないと、何を言われるかわからない。
現在、朝七時。正午まで五時間。
狐は、そこから女に謝り倒し、ホテルをチェックアウトする。
そして、物件探しから契約まで終わらせた。持てるコネクションのすべてを注ぎ込んで、なんとか用意した物件だった。
そこまで終わったのが、午後三時過ぎだった。関係各所へ電話をかけまくり、スマートフォンの充電は10%を切っていた。
残り少ない充電の中、依頼主である男へ完了報告の電話を入れた狐は、開口一番「遅い」と冷静に淡々と
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