0-4. 答えのない会話


          *



 警備部隊が本格的に乗り込んでくる前に、さっさと大統領府の敷地を抜けた。

 金髪の男なら、大統領府内の隠し通路がどこへ繋がっているか知っているはずなのに、そこに現れなかった。


 思い出したくもない顔の男から、温情を差し向けられた事実に、反吐が出そうだった。

 だが、今はそこに頼るしかない。


 大統領府の周辺には、入り組んだ路地が点在している。

 破壊されるたびに、修復と同時に新たな通路が作られて、自然に網目状の道が出来上がったのだ。

 

 その路地に入って、キーをつけたまま停められている黒い欧州メーカーの車に乗り込む。諜報担当が用意していた、予備の車両だ。


 女は、大統領府で「クソが」と呟いて以降、何も喋らなくなった。

 ただ黙ってついてきている。

 足手まといにならないように細心の注意を払いながら必死でついてくる様は、教官に見捨てられないように必死で訓練に食らいついていたころの自分を思い出して、仄かに苦い気持ちになった。


 カーステレオにはチャイコフスキーの全曲集が入っている。再生を始めると、ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.35が流れ出す。

 こんな状況でなければ、任務後の徒労感を癒してくれた音楽だったはずだ。それが今や、逃亡シーンのBGMになった。


「寝たければ寝たら良い」

 助手席の窓に頭をもたげて、外を見ているように見せかけている背中に声をかける。

 女は眠いわけでもなく、眺めているものは外の景色よりももっと遠く、虚ろだ。


 この車は、舗装されていない道をさっきから走っている。申し訳程度に立つ標識は落書きされていた。

 

「いっぱい人が、死んでましたね」

 少しかすれた声なのは、久しぶりに声を発したからだろう。女が言っているのは、大統領府を抜け出すときに見た光景のことだ。

 

「戦場の方がもっと死んでいる」

 自分の返事に、女は決まりが悪そうに唇を噛んだ。

 

 この女は、武器商人だ。

 そのくせ、戦場で人を殺しているのは、自分たちが売る武器だとは一ミリも思っていなそうだ。


 女は膝の上で緩く組んだ手の指先を、何度もぎこちなく動かす。その指先が、リズムを取るような動きにも見えた。

 

「質問しても?」

 軽く息を吸い込んだ後、女が会話を振ってきた。

 

「答えを持っているとは限らない」

 女が何を質問しようとしているのか見当もつかないが、かといって質問を拒む理由もなかった。


「あなたは……軍の人、ですよね」

 その質問には答えなかった。

 戦闘服姿の自分を見て、そう思ったのだろうとは思う。

 正解だが、それを答えてどうなる、という気持ちの方が強い。

 

「誰をターゲットにしていたんですか?」

 女はこちらに体こと向けて尋ねてくる。

 

「あなたと、あの金髪は、同じ戦闘服を着ていた。……仲間?」

 おそらく、この女の母親を殺したのは金髪の男だ。そして金髪の男は、自分と同じ部隊の同僚だった。

 

「冗談じゃない。あの金髪は裏切り者だ」

 仲間、という表現がどうしてもしゃくに障り、リアクションする気がなかったのに、口を出してしまった。

 

「だとしたら、あなたは、誰の味方ですか」

 女の黒い眼は、こちらを射抜くように強い。

 

「誰の味方でもない」

 思わず鼻で笑う。

 少なくとも、この日ばったり現れた、この女の味方にはなれないだろう。

 

「国のために、この戦争に勝つために、最善の策を選んだはずだった」

 国軍総帥は、そのために今日、この任務を自分たちに命令してきた。

 それなのに。

 

「国のために、って言う以上、ターゲットは大統領と国軍総帥だった……ということになりますよ」

 女は、自分が口を滑らした単語から、あの出来事がどうして起きたのか、思い当たってしまったらしい。

 

「クーデターを起こそうとした、で間違いない?」

 女から、「クーデター」と言われて、苦々しいものが胸に落ちてきた。

 自分にとっては正式な任務だったのだ。だが、傍から見ればこれはただのクーデターでしかない。

 

「……クーデター未遂。金髪の男のせいで、大失敗した」

 こちらの返答に、隣に座る黒い眼はゆっくり瞬きを繰り返して、小さく呻いている。

 

「あなたは、クーデター未遂した側の人?」

 クーデター扱いには不服だが、説明する気にはなれなかった。

 

「俺が逃げないとヤバい理由はわかったか」

「下手すれば私の身も危ういですね」

 物分かりが良くて助かった。

 女が呟いた通り、運が良くて逮捕で、悪ければ名前も知らないクーデター実行犯と一緒に射殺されるか、だ。


 そして、運が良くても悪くても、自分は真っ先に殺される。

 

「お前が誰だか知らないが」

 日本から来た武器商人、という肩書しか知らない。

 この任務の実行計画説明のミーティングで事前に確認していた名前も、今や薄っすらとしか記憶にない。

 

「とりあえずクルネキシアに行って、日本大使館に保護してもらえ。政府軍と反政府勢力との戦闘に巻き込まれたとか、適当に言えばいい」

 日本大使館、と聞いた女は、眉間に皺を寄せて聞き返す。

 

「なんで日本人だと?」

「今から乗り込みに行こうと思っている相手が、その時どこの誰と会うか調べずに行くわけがない」

「あぁ……そりゃそうか」

 女のよそ行きのキャラクターが崩れて、そこだけ日本語だった。

 

「クーデターが起きた、って言わない方が?」

「それはこの国が一番漏らされたくない情報になる。お前の一言で戦況が変わるから一言一言、慎重に振る舞え」

 自分は日本語も喋れるのだが、いまさらだと思って英語で話し続ける。

 敵国であるクルネキシアに、こちらの政情が不安定だと知られるのはまずい。

 本来の予定であれば、今日この時点で大統領の手から国軍総帥へ指揮権が移っていて、政治の空白などなく、政権が代わっていたはずなのに。


 どうしてこうなった。


 ハンドルを握る手に、思わず力が入る。

 

「クルネキシアに寝返るとか、情報を売って戦況を変えるとか、考えてないんですか?」

 女の言葉は、神経をざらざらとヤスリで削ってくるようだ。


 どう見ても年下で、いかにも平和な国で生きてきたのがわかる。それを責めるわけにもいかず、何も言わずにただ耐える。

 

「俺は、リエハラシアに害を及ぼすことはしない」

「あなたを追ってくるのに」

「それでも故郷は故郷だ」

「愛国心が強いんですね」

 女の言葉はどこまでも神経を逆撫でした。

 煙草が吸いたくてしょうがないが、手元には一本もない。


「今の軍や警察に、国境越えてまで追ってこられるような余力はない。お前がここから離れれば離れるほど有利になる。わざわざクーデターの話を持ち出す必要もない」

「この国って、お隣と延々揉めてますよね」

 何を言わんとしているのは大体わかっている。

 次に来る質問は、クルネキシア以外に逃げた方がいいのではないか、だ。

 

「それなら他に地続きの国があるじゃないですか」

 想像通りで、言い終えられる前に首を横に振る。

 

「クルネキシアの国境検問所の係員は買収に乗ってくれる。うちからクルネキシアに出ていく国民もいるし、その逆もしかり。他は難民問題が起きると面倒だから、なかなか受け入れない」

「あぁ……なるほど」

 この相槌も日本語だった。

 

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