第10話

アールヴィク城へと向かう道すがら、私は隣を歩くアニカ・ベルグリンド小隊長の横顔を盗み見た。


すっと通った鼻筋と、意志の強さを示すように結ばれた唇。

その整った横顔は、彼女の真面目さそのものを表しているようだった。

騎士として鍛え上げられたその身体は、鎧の上からでも壮健さが伝わってくる。

真っ直ぐに前を見据えるその銀灰色の瞳は、一体何を捉えているのだろうか。

これまで彼女と二人きりになる機会などほとんどなかったせいか、妙な気まずさが私達の間に漂っている。


何か話した方が良いのだろうか?


そんな考えが頭をよぎり、私は当たり障りのない話題を口にした。


「そういえば、アニカ小隊長。貴殿とアニー小隊長が話しているのを見かけたが・・・。そういえば貴殿達は同じベルグリンドという家名だったな?」


私の言葉に、アニカは少し驚いたように目を向け、そして穏やかに微笑んだ。


「はい。アニー小隊長とは、先日初めてゆっくりお話しする機会がございまして」

「出身も同じエイキルンドル女爵領だと聞いた。何か特別な繋がりがあるのかと、つい気になってしまってな」


私の問いに、アニカは何かを納得したようにふわりと微笑んだ。

その笑みはどこか故郷を懐かしむような色を帯びていた。


「ふふ、そうでしたか。いいえ、中隊長殿。スタルボルグに姉が一人おりますが、それだけです。ベルグリンドというのは、エイキルンドルではありふれた家名なのです。エイキルンドルは森が深く畑も少ない痩せた土地でして。冬を越すのも楽ではありません。ですから、若い者は出稼ぎに王都へ出て、給金の良い兵士になる者が多いのです」


"出稼ぎ"という言葉が私の胸に小さく突き刺さった。

私にとって、兵士になるとは貴族としての責務を果たす事であり、ハイザ家の娘として当然の道だった。

貴族の娘である私は金銭に困った経験など、当然一度もない。

彼女はただ生きるために、お金のためにこの危険な道を選んだのだ。


「そうか・・・。いや、すまない。貴殿があまりに聡明だから、つい平民の出身である事を忘れてしまう」


言った瞬間、私ははっとした。

しまった、失言だった。

平民は聡明ではない、と。

そう聞こえかねない、あまりに配慮のない言葉。


「申し訳ない、アニカ小隊長!今の言葉に他意はない。ただ、その・・・」

「まあ、中隊長殿。何故、謝罪なさるのですか?」


アニカはきょとんとした顔で私を見つめている。


「いや、その・・・。平民を、賢くないと言ってしまったように聞こえただろうから・・・。私の配慮が足りなかった」


私が頭を下げるとアニカは慌ててそれを制した。


「滅相もございません!どうか、お顔を上げてください。それに、お気になさらないでください。むしろ、中隊長殿に頭を下げさせたとあっては、私の立場が危うくなります。それこそ、配慮が足りないというものです」


そう言って、彼女は悪戯っぽく微笑んだ。

その屈託のない笑顔に、私は少しだけ救われたような気がした。


「それに、私を賢いと仰いますが、私などよりよほど聡明な平民が貴女様のすぐそばにおりますでしょう?」

「ヨレンタの事か?」


私の聞くまでもない問いに、アニカは深く頷いた。


「はい。彼女も私と同じ平民の出身と聞きましたが、とてもそうは思えません。あれほど知的で、物事の本質を見抜く女性を、私は他に知りません」


「ああ、全くだ。彼女は誰も見ていない所で、血の滲むような努力をしている。私は、その努力にいつも甘えてしまっている。彼女が努力しているのは、私の為だというのにな・・・」


私の自嘲気味な呟きに、アニカは心配そうに優しい眼差しを向けた。


「中隊長殿。ご自身を、あまり責ないでください。貴女様がヨレンタ曹長を深く信頼している事、私達部下は皆、理解しております。それもまた、指揮官としての大切な資質ではないでしょうか」


『私は軽い神輿の方が性に合っています』

ヨレンタの事を口にした途端、昨日の彼女の言葉が脳裏に蘇った。

そうだ、あの時は意味が分からなかったがアニカならあるいは。


「そういえば、アニカ小隊長。貴殿は『軽い神輿』という言葉の意味を知っているか?」

「軽い神輿ですか?」


アニカは不思議そうに眉を寄せたが、少し考えると「ああ」と納得したように頷いた。


「ええ、存じております。主に南方諸領で使われる比喩表現ですね。あまり、良い意味では使われませんが」

「ほう。詳しく聞かせてもらえるか?」

「はい、その。『担ぐ神輿は、軽くてあまり頭を使わない方が、担ぎ手にとっては都合が良い』という、皮肉を込めた言い方です。つまり、上に立つ者は、あまり賢すぎない方が部下としては扱いやすい、と・・・」


そこまで説明した瞬間、アニカははっと息を呑む。

そしてその顔はみるみるうちに青ざめていく。


「ま、まさか、中隊長殿!それを、ヨレンタ曹長に言われたのですか!?」

「ああ、そうだ」


私が悪戯っぽく笑って肯定すると、アニカの額からだらだらと冷や汗が流れ始めた。


「よ、ヨレンタ様は、そ、そのような深い意味で使われたわけではないのかもしれません!!ええ、きっとそうですとも!言葉の綾というか、その、なんというか・・・!」


必死で弁明する彼女の姿が、あまりに真面目で可笑しくて、私は思わず声を上げて笑ってしまった。


「はははっ、分かっているさ。ヨレンタは口がとても。いやかなり悪いからな。それが本心ではない事くらい、付き合いが長ければ分かる。それに、彼女の言う事も一理ある」


そう言って笑いながらも、私は内心でその言葉を改めて噛しめていた。

なるほど、軽い神輿か・・・。

確かに、今の私はそうなのかもしれない。


そんな話をしているうちに、私達はアールヴィク城の城門へとたどり着いていた。

そこには、既にアールヴィク女爵イングリダ・ヴァルスケールが、涼しい顔で私達を待ち構えていた。


「お待ちしておりました、ハイザ閣下。して、そちらの方は?」


女爵の鋭い視線が、私の隣に立つアニカへと注がれる。


「我が特務中隊が誇る第一小隊長、アニカ・ベルグリンド騎士爵だ」


私がそう紹介すると、女爵は値踏みするようにアニカを上から下まで眺め、どこか探るような口調で尋ねた。


「ほう、騎士殿でございますか。失礼ながら、爵位は騎士爵のみで?」

「そうだ。彼女は今年の初め、過激な貴功派からアシュワース家を守った誉れ高き騎士。その功績を認められ『第二王妃ヘンリエッタ殿下』から直々に賜った騎士爵だが、何か問題でも?」


私はあえて「第二王妃」の名を強調して言い放った。

女爵の眉がぴくりと動く。だが、彼女の関心はそこにはなかったようだ。


「貴功派の襲撃、と仰いましたか?」


私が頷くと、女爵の視線が私の隣に立つアニカへと鋭く注がれた。

その瞳に一瞬、氷のような敵意が宿った。

殺気というほどではないが、明確にアニカを敵視していた。


だが、女爵はすぐさま何事もなかったかのように表情を消すと、「子爵がお待ちかねです」とだけ言い、重々しい音を立てて城の扉を開けた。


城の中へ入ると、背後で扉が閉まる。

その閉鎖的な響きが、ここが敵地である事を改めて私に認識させた。

頃合いを見計らい、アニカが私の耳元で囁く。


「中隊長殿。ミズスレットル子爵家は、貴功派の筆頭貴族にございます。おそらく、あのアールヴィク女爵もそうなのでしょう」


なるほど、それでアニカに対して思う所があったのか。


ん?え?は?

待てよ?


アニカが騎士爵を賜ったのは、アシュワース家の夜会を襲撃した貴功派を撃退したからだ。

その貴功派の筆頭貴族がミズスレットル子爵家なら、アニカは子爵にとって不倶戴天ふぐたいてんの敵ではないか?


私は交渉の席に、とんでもない火種を抱えてきてしまったのではないか・・・・?


私は驚きと焦りで、アニカの顔をまじまじと見つめた。

彼女の秘策とやらは、本当にこの状況で通じるのか?

交渉の余地など、もはや欠片も残っていないのではないか?

私の内心の動揺など露知らず、アニカは「お任せください」と自信に満ちた笑みを浮かべるのだった。


城の中は、外観の武骨さとは裏腹に静かで洗練された空気に満ちていた。

私達を出迎えたのは若い男性の執事だった。

その涼やかな美貌に私は一瞬、現実逃避しかけた。


こういう男性に紅茶を淹れてもらえたなら、さぞ幸せだろうな。


流石は諸侯ともなれば、執事まで美男子揃いか。

私達は昨日と同じ部屋に通された。

壁には異国の風景を描いたであろう巨大なタペストリーが掛けられ、床には幾何学模様の絨毯が敷き詰められている。

部屋の中央には黒檀で作られたであろう重厚なテーブルが置かれ、その上には寸分の狂いもなくティーセットが整えられていた。

調度品の一つ一つは決して華美ではないが、すべてが一流の職人の手によるものである事が、私のような素人目にも明らかだった。

そして、その部屋の主は、窓から差し込む柔らかな光の中に静かに座していた。


ミズスレットル子爵、ヘルミナ・シルヴァーヘスト。


齢六十を超えているとは到底思えぬ、妖艶な美貌。

銀糸を編み込んだような髪は結い上げられ、その白い肌はまるで磨き上げられた陶器のようだ。

彼女が纏う深い紫色のドレスは、その場の空気を支配するような静かな威厳を放っている。


「ようこそお越しくださいました、ハイザ中隊長殿。そして、お連れの方も」


「昨日に引き続き、お時間をいただき感謝する、子爵閣下。此度は無理を言って申し訳ない。こちらにおられるのは、我が特務中隊が誇る第一小隊長、アニカ・ベルグリンド騎士爵」


私が説明を終えるとアニカは恭しく一礼し、子爵をまっすぐに見据えて口を開いた。


「ミズスレットル子爵閣下におかれましては、ご壮健の事とお慶び申し上げます。私は先の夜会にて、アシュワース家の方々をからお守りした功績を認められ、ハイザ家のご推薦を賜り、第二王妃ヘンリエッタ殿下より直々に騎士爵を拝命いたしました」


なななな、なにをいきなり言い出すんだ!


いきなりアニカが舌戦を仕掛けた事に、私は心臓が跳ね上がるのを感じた。

何を考えているんだ!?

さてはアニカも、見た目に反して本能的にはアラウネと同じ猪武者なのか?


だが、子爵は少しも表情を崩さなかった。

ただ優雅に微笑むと、執事に目で合図を送った。

執事は静かに一礼し、部屋を後にする。


「まあ、そう固くならずに。立ち話もなんですわね。どうぞ、お掛けになって」


促されるまま椅子に腰を下ろすと、子爵は自らの手で私達に紅茶を注ぎ始めた。

貴族が、それも子爵ほどの身分の者が、自ら客に茶を淹れるなど、極めて異例の事だ。

その優雅な手つきに見惚れていると、彼女もテーブルの向かいの椅子に座り、静かにお茶を一口含んだ。


「アシュワース家襲撃事件。実に痛ましい事でしたわ」


予想外の言葉に、私は思わず息を呑んだ。

もっと攻撃的な、あるいは皮肉に満ちた言葉が返ってくるとばかり思っていたからだ。


「功績を焦る若い方達の過激な思想には、私も頭を悩ませておりますの。貴女のような方の活躍が、彼らを諫める良い薬となれば良いのですが」


子爵はまるで他愛のない世間話でもするかのように、あっさりと自らの派閥の非を認める。


「特に私の娘、シレイナの行動は目に余ります。貴女やアシュワース家には、大変なご迷惑をおかけした事、この場を借りてお詫びいたしますわ」


そう言うと、子爵は私達に向かってゆっくりと頭を下げたのだ。

私は、自分の目を疑った。

隣に座るアニカが、息を呑む気配が伝わってくる。


ありえない。


このユサール王国において、目上の者が、ましてや諸侯である子爵が一介の騎士爵に頭を下げるなど。

騎士爵は平民の女性に与えられる最高の称号ではあるが、その地位は世襲貴族である女爵よりも遥か下。

子爵との間には、天と地ほどの差がある。

その常識を覆す光景に、私は椅子に座ったまま、身動き一つできなかった。


「か、顔をお上げください、子爵閣下!」


アニカが慌てて声を上げる。

その声は上ずり、明らかに動揺していた。

子爵がゆっくりと顔を上げ、穏やかな笑みを浮かべるのを見てアニカはようやく落ち着きを取り戻したようだった。

彼女は一度、ごくりと喉を鳴らしてから、意を決したように口を開いた。


「子爵閣下。お許しいただけるのであれば、その事で少し踏み入ったお話を」


アニカが切り出すと、子爵は目で「続けて」と合図を送った。


「私は先日、ようやくアシュワース家にミハイル様との婚約を認めていただきました。」


「それはおめでとうございます、ベルグリンド騎士爵」


「それ以来、次期当主であるクラリッサ様とお話をする機会も増えまして」


ヘルミナは興味深そうに目を細めた。

「ほう。次期当主と、ですか。それは頼もしい限りですわね」


「その中で、子爵のお嬢様であるシレイナ様のお名前をよく耳にするのです。ミズスレットル子爵家の名代として、王都でご活躍されていると。ですが、クラリッサ様はシレイナ様を快く思っておられないご様子で・・・。お伺いしたところによりますと、お二方が王立学院にいらした頃、恋愛を巡っての対立があったとか。そして、その個人的な確執がそのままアシュワース家とシルヴァーヘスト家との対立に繋がってしまっている、と」


初めて聞く話だった。

なるほど、若い貴族の令嬢が男を取り合うというのはよくある事だと聞く。

それに、若い男というのは思わせぶりな態度をとって、こちらを勘違いさせるものだ。

もっとも、私のその知識は愛読している騎士物語から得たもので実体験に基づいているわけではないが。

だからだろうか、私はアニカの話をどこか他人事のように聞いていた。


「クラリッサ様とシレイナ様の確執は、個人の問題に留まらず、両家の、ひいては王国の未来にも影を落としております。私はミハイル様との縁を通じて、その架け橋となれるかもしれません。憎しみからは何も生まれませんわ。未来を担う私達が、過去のしがらみを断ち切り、共に歩む道を築く事こそ、真の功績となるのではないでしょうか」


「 興味深いお話ですわね。ですが、そのご提案が今回の事と何か関係があるのですか?」


子爵の問いは私の疑問そのものだった。

一体、何の関係があるというのだ?


「アシュワース家は、ご存じの通りスタルボルグの商業のほとんどを担う大商人貴族」


いや、ご存じないのだが?


大商人貴族、その存在はもちろん知っている。

領地を持たず、諸侯の許しを得て都市で市場や商館を経営し、平民の商人達から商品を買い付けて富を築く特殊な貴族達の事だ。

だがアシュワース家が、その大商人貴族であったとは知らなかった。


そういえば、以前アシュワース家の方々が我がソルトランの屋敷を訪れた際、やけに食卓が豪華になったり、見た事もない異国の調度品が増えていたりした事があったな。

あれは、我がハイザ家が彼らから購入した物だったのだろうか。


「スタルボルグの商人達の多くが、この南方街道を利用しております。そして、その商人達はアシュワース家と取引しています。ミズスレットル子爵はクヴィータヴァトン子爵領以外の商人を妨害しておられると街では噂になっておりますが、それが事実かどうかを私は存じ上げません。ですが、事実とすれば、そのような愚かな行いよりもっと良い方法があると私は提案できます」


「言ってみてください」


「アシュワース家と親密な関係を築き、このトロン市とスタルボルグを結ぶ街道を共に発展させる方が、子爵領の未来にとって、より大きな利益となるのではないでしょうか?そもそも、子爵が商人達を妨害するなどという卑劣な手段をお使いになるのは、公爵街道の存在があるからなのでは?公爵街道は現在、ビャルナルヴィズル伯爵領で止まっています。あの険しい山を越える街道を造るには莫大な資金がかかるからです。アシュワース家はそこに投資し、公爵街道をラウザサンドル伯爵領、ひいてはトロン市まで伸ばそうと考えている。だからこそ、子爵は私達を妨害し、ラウザサンドル伯爵領をより混乱させようとした。違いますか?ですが、そもそもアシュワース家が公爵街道に出資しなければ、公爵街道は伸びないのです」


アニカはそこで一呼吸おくと、さらに言葉を続けた。


「その手段として、私を、アシュワース家との交渉の窓口としてお使いいただきたいのです。私は先ほど申し上げたようにクラリッサ様に顔が利きますし、ミハイル様と婚約を結んでおります。ミズスレットル子爵領に対し優位に働くよう、お二人に働きかける事ができます。クラリッサ様とシレイナ様の関係改善にも手をお貸ししましょう。その事を、私の爵位に誓います」


「その代わりとして、私達を通していただけませんか?これは子爵閣下にとっても益のある話です。私が今度のトロン市での暴動でさらに功績をあげれば、私の発言権はさらに強まるでしょう。その為にもトロン市の暴動は一刻も早く鎮圧せねばなりません。どうか、我ら先行部隊の通行をお認めください」


アニカが言い切った瞬間。

子爵は持っていたティーカップを、カチャン、とわざと音を立ててソーサーに置いた。

そして、深いため息をつく。


「ベルグリンド騎士爵。貴女は、あのアシュワース家のご子息を婿に取るのですね?」


その声、その表情は先ほどまでの穏やかな貴婦人のものではなかった。

酷く冷たく険しい、まるで氷のような眼差しがアニカを射抜く。


「は、はい。その予定でございます」


アニカの声が、わずかに上ずった。


「クラリッサ様と我が娘の仲を取り持つというご提案、結構ですわ。ですが、それだけでは足りませんね。実に惜しい」


子爵はわざと、演技がかった仕草で首を横に振る。


「貴女はご自身の価値を、まだ半分もご理解なさっていないようですわね。良いですか、ベルグリンド騎士爵。我がユサール王国では、女が男を婿に迎える。その逆、つまり嫁ぐなどという事は、他国では当たり前でも、この国ではあり得ない事。何故なら、この国は我ら女性が優位に立つ社会なのですから。そして、そんな社会における貴族の息子とは、酷い言いように聞こえるかもしれませんが、家と家とを結ぶための、ただの政略の道具です。アシュワース家という大商人貴族のご子息を婿に迎えるという事は、貴女もまた、好むと好まざるとに関わらず、この貴族の世界の理に組み込まれるという事。平民の出である貴女には、まだ少し荷が重いかもしれませんわね。もう少し、政治というものを学ばねば。残念ながら、貴方の提案はままごとと言わざるを得ません」


ヘルミナの言葉は静かでありながら、アニカの提案を木っ端微塵に打ち砕いた。

そして、その冷徹な視線が今度は私に向けられる。


「そして、シグリッド・ハイザ中隊長」


びくっ、と私の肩が跳ねた。


「貴女は、あのソルトラン公爵、ハイザ家の三女。貴女が持つ影響力が、どれほど計り知れないものか、ご自身で理解していらっしゃらない」


私とアニカは、困惑して再び顔を見合わせた。

一体、何の話をしているのだ?


「貴女方の交渉カードは、決して多くはない。ですが、私を説得するには十分すぎるほどです。むしろ、私はそのカードが喉から手が出るほど欲しい。だというのに、貴女方はその価値に気づいてすらいない。言葉も、力も足りていないのです。ですから・・・」


子爵はそこで一度言葉を切り、悪戯っぽく微笑んだ。

その笑みはまるで悪戯を思いついた子供のようでもあり、獲物を見つけた狐のようでもあった。


「今回は、この私が貴女方に教鞭をとりましょう」

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