天使のお嫁さん
朱雪
第1話
「天使って本当に居るんだ」
帰宅途中だった僕の口から、こんな非現実な単語が飛び出すとは職場の仲間だってきっと夢にも思わないだろうね。
『これはお珍しい。私の姿を目視できる方がいらっしゃるとは、大変驚きました。初めまして、私見た通りの役職は天使、名はアメルと申します』
アメルと名乗った青年は、僕の目線より少し上の高さから、ふわふわと宙に浮き背中には一対の白い翼を生やしていた。
「えーと、申し訳ないけど宗教の勧誘ならお断りしているので、どうか他所へ」
関わりたくない一心で目を逸らした僕を追いかけるように、くるっと目の前に回り込んだアメルさんは再び僕の視界に入る。
『宗教の勧誘ではございません。ほら、私元より天に使えると書いて見た通りの天使ですよ。ここへはサボ……見回りに来ただけなのでそう邪険に扱わないで下さいませ』
今サラッとサボるためって言おうとしなかった。何より天使であることと勧誘しないってことは関係がないと思うのだけど、アメルさんの中ではそうでもないのかな。
『ところで、いかにも仕事帰りな様子の貴方様はどなたですか?』
「今更だね。僕はこの近くの駅で働いているカイト。一応お察しの通り今は帰宅途中だけど」
昨夜から続いた長い勤務を終えてへとへとになりながら帰るところを、アメルさんが目の前を通過したことで中断していた。
だって翼を生やした人型の生命体が目の前を通ったら普通は驚くでしょ、これが風船とか紙飛行機ならここまで反応しなかったと思う。
『おや、それは失礼致しました。しかしカイト様と仰いましたか。これはなかなか……運が宜しいことで』
「え? なに怖いよ、アメルさん」
最後に小声で呟かれた時、背中にぞくっと寒気が走ったように感じて思わず逃げ腰になった。
これはきっとなにか面倒なことに巻き込まれると察した新人駅員の勘だろうか。
『カイト様、どうか私を助けると思ってしばしの間お側に置いてくださいませぇ!』
「な、なんでぇっ」
突然ガバッと腕に抱き付かれたかと思ったら今度はトンッと軽い音を立てて地面に着地し、うるうると僕を上目遣いで見つめてきた。
『実は私、下界へ来たのはいいのですが、帰るための相棒と逸れてしまいまして。あの子がいなければ私』
「いやいや、自分と同じ成人男性に泣きつかれても嬉しくないから。頼むなら他の人にしてよ」
巻き込まれたくない一心で腕を振り解こうとするが、アメルさんは僕の発言に何を思ったのかニコッと人好きのする笑みを浮かべたかと思えば自身の胴体を背中の翼で包み込んだ。
『なるほど。一理あります。カイト様は健全な成人男性なのですから、お願いするならこちらの姿の方が喜んで頂けますね』
再び翼が開かれた瞬間、僕の目に映ったアメルさんの身体はしなやかな四肢とほっそりとしたくびれに、控えめだけど男の胸板とは違う感触……!
「うわあああぁぁっ」
僕はさっきよりも必死に腕を振り解こうと躍起になった。
腕、僕の腕に触れてる、明らかに先ほどとは違うこれは女性特有の……ダメだ! 考えたら最後アメルさんのペースに乗せられる。
『そ、そこまで拒絶されるほどおかしいでしょうか』
「え……?」
今までとは違う沈んだ声に思わずピタリと動きが止まった僕は、俯いてしまったアメルさんの顔を恐る恐る覗き込む。
『貴方様にとってご迷惑なのは承知しておりますが、もう他に頼める人がおりません。どうか私の相棒を見つけてくださいませ! お礼は必ずします』
懇願するアメルさんは僕の顔を見上げたまま抱き付いている腕に力を入れる。
僕は心の中で白旗を上げると同時にため息を吐いた。
「分かったよ。手伝うから、腕離して」
『そこまで嫌ですか。しかしご協力感謝します』
交渉が成立したことで、アメルさんはあっさり僕の腕を解放してくれた。
やっぱり作戦だったか。
でも一度引き受けた以上は、最後まで付き合うつもりだ。
「それで、その相棒はどんな姿をしてるの?」
『はい。あの子は、強いて例えるなら仔犬ですね』
「え、仔犬なの。それならまずは警察に捜してもらった方が……いや、なんでもない。ごめんなさい」
仔犬なら人より特徴がはっきりしているし、すぐ見つかると思った僕はアメルさんを改めて見てそれは難しいと判断した。
うっかり普通に会話ができているから忘れるところだったけど、アメルさんは天使なんだ。警察に聞ける筈ない。
『はい、警察の方も含めてこの都会で私の姿を見ることができたのはカイト様だけです』
目に見えてがっくりと肩を落とすアメルさんが、見た目より幼く見えてしまった。
胴体は変わっても顔はそのままだけど。
「あの、胴体を変えられたなら顔も変えることはできたり」
『こ、この顔は生まれつきですので変更不可能でございます!』
わざわざ翼を使って飛んだ後、両腕で顔を庇おうとまでするのだからよっぽど大切なのだろうことは理解できた。
胴体とのアンバランスで、少しむず痒い気持ちが湧いてくるけど。
「分かったから降りて来てよ」
『はい、ご理解頂けたのであれ、ば……ヒイ!』
降りようとしたけど、すぐにまた上昇してしまった。
今度はなんだ?
『イヌぅ――! 私、以前犬に追われて以来苦手にございます! は、早く追い払ってください!』
「それって懐かれただけじゃ」
現に今僕の足下でアメルさんを見上げている犬は嬉しそうに尻尾を左右に振っている。
というか、相棒も仔犬なのにそこはいいんだ。
『カイト〜!』
「もう呼び捨てなんだ。はいはい、ちょっと待って。ごめんよ彼、いや彼女今は取り込み中だからまた今度ね」
犬と目線を合わせながら説得してみると、向こうの方から飼い主らしき人が呼んでいた。
声を聞きつけた犬はアメルさんや僕に興味を失ってさっさと走り去ってしまった。
「これで良かったよね」
『バッチリです。さあ早く探しに行きましょう。出発進行!』
さっきまでの泣き虫キャラが嘘のように颯爽と犬が向かった方角とは逆へ進むアメルさんを少し可愛いなと思った。
「ねえ、アメルさんも電車好きなの?」
『えぇ、それはもちろん。私は時間さえあればこうして電車を眺めに下界まで降りてくる程大好きでございます。しかしながら上には電車が不要なのです。この背にある翼で事足りますからね』
電車の話は嬉々としていたが、自らの翼を見つめる時の眼差しは哀しみを含んでいるように見えた。
本当に電車が好きなのだろうな。もし可能なら明日にでも一回くらい電車に乗せてあげたい。
きっと喜んでくれるだろうな、って僕は何を考えているんだ。
「アメルさん、まずは……あれ」
僕はそこでやっと気付いた。
アメルさんの翼、透けてない? いや、羽根の端から徐々に黒く染まっているのか。
いったい何のための機能なんだ。
「あの翼が黒くなっているけど、大丈夫なの」
『はい、まだ大丈夫です。仔犬さえ見つかれば間に合います』
「そう、なんだ?」
その時の僕はアメルさんが言った、間に合うの意味をもっとよく聞いておくべきだったと後悔することになる。
アメルさんと仔犬が逸れたのは、隣町にある空き倉庫だった。
予想はしていたけど、もうとっぷりと暗くなってしまった今の時刻で仔犬を見つけ出すのは、少し身構えてしまう。
見つけ易いだろうけど、問題は急に出て来られた時の対処の仕方だ。
新人駅員が空き倉庫に現れた仔犬一匹に悲鳴を上げた、なんて明日の記事に載ること間違いなしだ。
僕だけではないだろうけど、ゴシップを撮りたがる記者はどこにでも潜んでいるものだ。
「そういう意味ではアメルさんが天使で良かったかな。写真撮られないし」
『カイトは今回のお礼は写真が宜しいのですか? 撮れなくもありませんよ。私こう見えても優秀な』
「いいから、早く見つけよう。翼の黒化も進んでいるし」
ここに着いてから半分は黒く染まってきている。
仔犬を見つければ戻るのだろうけど、僕と一緒にいるせいなのか、なかなか姿を見せてくれない。
気配はある。その証拠にここへ踏み入ってからというもの、誰かに見られている感覚が拭えない。
たぶん、アメルさんの仔犬に僕が警戒されていると考えていい。
だって天使と一緒にこの世とあの世を行き来できる仔犬っていくら犬でも、なかなかできることじゃないと思うし。
「アメルさん、僕は向こうを見てくるからそっちは」
『はい、お任せください』
アメルさんも相棒が近くにいると気配で察していたのか、頷いてから高く積まれた段ボール箱を飛び越えるまでの反応が早かった。
「さて、僕はこっちで」
『アーク! ようやく見つけましたよ。いったいどこへ行っていたのですか、私心配で』
すぐに発見できたみたいだ。
――というか、僕必要だった?
『カイトッ、アークが見つかりました!』
「良かった。これで帰れるよね」
『えぇ、ご協力ありがとうございます! このご恩は決して忘れません』
アークは翼の生えた真っ白い仔犬だった。
でも気のせいかな、アークが見つかったのにアメルさんの翼が黒いままだ。
いやむしろさっきよりずっと黒くて、ほとんどあの白い翼の面影がない。
これで本当に帰って大丈夫なのか。
僕がアメルさんの翼をジッと見つめていると、彼女……いやいつのまにか元の胴体に戻していたみたいで、アメルさんは翼を折り畳んでアークと手を取り合う。
『それと、お礼ですね。今回の貴方様の働きに対するご褒美は何が宜しいか仰ってくださいませ』
「あ、えーと、別にいいよ。だってあまり役に立ててないから」
『……では先ほどの姿でお写真を撮るというのは』
「それだけはダメ、いろいろ誤解を生むから」
こういう時はすぱっと言い切った方がいい。アメルさんの翼が黒いのも気になるし、少し残念だけどまた次回会えた時に改めて電車に招待すればいい。
『しかし私にも天使としてのプライドがあります。犬を追い払って頂いた恩もまだです』
「ああ、そのことならもういいよ。それに、今はアメルさんの方が心配だし。せっかく綺麗な白い翼だったのに」
本当に残念だと思っている僕の発言を聞いた瞬間、アメルさんの顔が真っ赤に染まった。これはタコもびっくりの赤色で思わずギョッと二度見してしまった。
「ちょ、え、なななんで?」
『見ないでください! 今絶対見せられない顔してますから』
僕の視界をアメルさんがアークで塞いだから何も見えない。
「え〜と、僕としてはそんな、酷い顔には思えなくて……逆に可愛いかなぁ〜、なんて」
『貴方の目は節穴ですか。私たち今は男同士でしょう! 男の顔がタコのように赤くなってるなんて』
「そうだけど、うん。じゃあ、もう一回見せて」
『ふぁい? え、なに……』
アークを押し付けていたアメルさんの腕を掴んで下ろし、ずいっと顔を近づけて至近距離でもう一度観察する。
僕の行動に驚いた後、アメルさんは視線を忙しなく動かして遂には俯いて目をぎゅっと閉じてしまった。
(え、なにこれ、可愛い……! 持って帰りたい)
何度も繰り返すけど、自分と同じ男なのにアメルさんがするとどうしても可愛く見えてしまって、僕どうしたのだろう。
やっぱり疲労困憊でおかしなテンションになっているのかな。
『か、カイト、もうよろしいですか? 私そろそろ恥ずかしくて溶けそうです』
「あぁあっゴメン。うん、大丈夫」
手を離したら、アメルさんもずっと持っていたアークを解放していた。
アークはずっと挟まれて苦しかったみたいだ。警戒するように少し距離置かれてる。
でも、おかげで僕のお願いが決まった。
一応言うだけ言ってもいいよね。
「アメルさん、やっぱりご褒美欲しいです。お願い聞いてもらえますか」
アークから距離を取られてしゅんとするアメルさんへ向き直って頼んでみると、ぱあぁっと嬉しそうにこちらへ振り向いてくれた。
(やっぱり、可愛いな)
『えぇ、もちろんですとも。これで私、堕天しなくて済みそうです。さあさあ、どうぞ遠慮なく仰ってくださいまし!』
今、すっごいカミングアウトされた気がするけどそれは後でゆっくり説明してもらうとして、まずごめんね。まだ貴方を返すことはできそうにない。
「アメルさんを僕に頂戴」
『え?』
予想通り固まったアメルさんの腕をグイッと引っ張り、逃げないように抱き締める。
「他のお願いはないから、貴方をください」
『ダ、ダメです! 私は天使、貴方は人間、一緒にいられるはず』
「でも僕の願いが叶わないと君は恩知らずな天使として堕天するでしょう? それに僕と一緒なら毎日好きな電車に乗れるよ」
『毎日……電車に』
良くないかもしれないけど、こうなればこっちだって必死だ。
「それにこの世界には他にも面白いものがあるから興味があればいくらでも付き合ってあげられるよ」
『面白いもの……いくらでもですと……!』
決まった。
体を離して確認すると、アメルさんは目をキラキラ輝かせていた。
『し、仕方ありません。アーク恩返しの為にしばらくは下界に滞在致しましょう』
『くぅ〜ん……』(まぁた始まったよ)
何か言いたそうにこちらを見るアークをスルーして、僕は心の中でガッツポーズをした。
『約束、忘れないでくださいね、カイト』
「うん、もちろんだよ!」
僕の未来のお嫁さん、これから宜しくね。
天使のお嫁さん 朱雪 @sawaki_yuka
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