貴方への歌
朱雪
第1話
『貴方と 出逢えた 私は 忘れはしない
貴方が 私へ 与えてくれた 私は ずっと 大切にします
だからどうか 遠い未来 逢える日を夢に見て 今は鎮まり そして眠り あの日々へ 還ると 願いましょう』
楽器はどうしても苦手だった。でもその分歌うことは得意だ。
森でも山でも、ちょっと歌えばすぐに動物も人も寄ってきた。
生命に限りがある分、その一時だけ歌に酔いしれるのも乙なものだ。
あんたもそう考えたからこそ、聴いてくれたのだろう?
「あたしは歌が得意。楽器はちまちましてて性に合わないの」
「クヒヒッ、女のくせになんとさっぱりした奴だ」
愉快に笑う声が木の影から聞こえる。声からして男だろうが、あたしの観客に人も動物も、男も女も、何なら老人や子どもも関係ない。聴いてくれるなら誰であろうと大事な観客だ。
「旦那からみればこんな歌い手はご不満かい?」
試しに尋ねてみれば、拗ねたような声が返ってきた。
「抜かせ。歌の良し悪しに性格など関係ない」
「……旦那、良いこと言ってくれますね! あたしも旦那のような観客はより大歓迎です」
自由な発想を持つ人だと思った。あたしの歌に惹かれて来た、名も姿も知らぬ男。ただ一つ、お互いを繋ぐのは声だけ。
「また聴きに来てやるからせいぜい精進することだな」
相変わらずの傲慢な口振りで言い残すと、男の気配は消えた。
直感的に人のようで人ではない何かと判ったが、私の歌を聴く奴は人でなくとも観客だ。
それからあたし達は何度となくこうして会っては他愛もない話に花を咲かせた。
男は興が乗ったとかで、あたしに不思議な力を教えていった。
更に歌の駄賃だと言って、富も与えられた。
屋敷を構えて一族がこの先も安泰だろうと思い、一度御礼も兼ねて再び森へ行こうと腰を上げた瞬間だった。
何でもこの辺一体を支配していた妖しが討伐されたという噂を使用人から聞いて、不思議とモヤモヤした。
虫の知らせってのかねぇ〜、あたしは思わず屋敷から飛び出していった。
何事かと、驚き戸惑う屋敷の者には目もくれず、ひたすらに森の中を突っ切った。
いつも歌っていた場所に、文が置かれていた。
恐る恐る手を伸ばして読んでみれば、やはりあの男からだった。
手紙を届けたのは彼の配下のようだが、その姿すら今は確認できない。
――お前がこの文を読んでおるということは、奴は無事に勤めを果たしてくれたようだな。だが、湿っぽい別れなど俺は好かん。よって要点のみ伝える。小娘、お前の歌は実に良かった。短い一時であろうとも聴けた日々は俺の数少ない喜びの一つとして数えてやらんこともない。歌え、小娘。舞わずとも楽器がなくとも、ただ貴様が歌えば俺は観客としていつだって聴いてやろう。当然これは嘘ではない。天空の吟遊詩人よ、地上より離れるその日まで歌い続けよと、我は願う。
一枚にしたためられた文面は、あたしには詞に見えた。
あの男の願いが、あたしの歌だってんなら、地上の人間に聴かせてやるもんか。
これは神様への賛美歌だよ。そして、あんたへの鎮魂歌さ。
ゆっくりお眠り。あんたの元へいずれ行くあたしの歌声をよく覚えていきな。今ここで。あんたとあたしは歌い手と観客。それ以上でもそれ以下でもありはしない。あんたはあたしをすぐ忘れるだろうさ。でもあたしはあんたを忘れない。そんな事はできっこない。最初で最後のあたしの友人さん。
「…………あんたと巡り会えた事に感謝して、今はゆっくりおやすみ」
校舎の屋上のフェンスにもたれかかり、口ずさむ。
「なんだか、物悲しい話ですね、先輩」
「それね〜、私の遠い親戚が昔よく話して聴かせたものだけど。一応友人に当てたものらしいよ」
飴を口の中で転がし、昔話を聴かせていた女生徒はフェンスから体を起こす。
「あんたなら、どう解釈する? この歌い手、その人のこと友人と見てる? それとも恋」
「話にもあったじゃないですか。きっと観客として特別だった。ただそれだけですよ」
はっきりと言い切った後輩らしい解釈に、思わず笑みが浮かぶ。
「あんたのそういうとこ、ホント良いって思うわ!」
「ありがとう、先輩。ところで作者は誰ですか?」
「ん〜、それがね作者不詳なんだって。でも作られたのは平安時代らしいよ」
「平安時代、ですか。……あ、そろそろ予鈴が鳴りますよ」
後輩が試しに検索してみようとスマホを開いたところ、昼休みが終わる二分前だ。
「ヤバっ、走るよ!」
「はーい!」
慌てて屋上から出て行く先輩に続いて後輩もスマホを片手に握ったまま走る。
以降二人の間で歌の話題が再び挙がることはなかった。
こうして作者不詳、タイトルすら分かっていないこの歌は人々の記憶から徐々に忘れ去られていった。
作者である彼女の願った通り。
『あいつの願いが、あたしの歌だってんなら、地上の人間に聴かせてやるもんか。――聴いてくれたかい? あたしからあんたへの葬送曲』
貴方への歌 朱雪 @sawaki_yuka
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