xx01 狂人と善人

 嵐蛇巡風あらしだじゅんぷう――本名、広井淳子ひろいじゅんこの性格は、破綻している。


 倫理を踏み越えた研究、実験を求め、自らが死亡したと偽装し、全世界でテロ組織として名指しされているEQ、イコライザーの門を自ら叩いた。人体実験をスナック感覚でしたいから、という理由で。ノーベル賞受賞後にそんなことをするのは、後にも先にもきっと、彼女だけだろう。


 だがタチの悪いことに彼女は破綻した性格の中で、一貫した倫理を保ち続けている。


 すなわち、面白さだけが善である、と。


 そしてさらにタチの悪いことに彼女は――あらゆる頭脳系異能ブレインの中でも、最も優れた知性の持ち主だ。




「さて、博士。何か弁明があれば聞きますが。裏切り者とはいえ、あなたは功労者ですから」

「弁明? そんなもんはありゃしないさ」


 イコライザーの本拠地、その研究室の中で、二人の女が向かい合っていた。


「あの坊やを今のキミに使われたらまずい、そう思ったから逃がした、ただそれだけだよ」


 小さな体を白衣に包み、大きな丸眼鏡をかけた、中学生かそこらの少女にしか見えない女――嵐蛇巡風は、なんの罪悪感も感じられない声で言う。そう言いながらも、視線はデスクの上、ディスプレイを見つめていて、手元はただひたすら、タイピングを続けている。


「そうですか……そういうことで、いいんですね」


 そんな嵐蛇を見下ろしているのは、対照的に長身の女だった。百八十以上はあるだろう大きな体を、きっちりとした、飾り気のない黒いスーツに包み、長い黒髪を肩口辺りで揃えている。太陽が言ったように、美女だった。それも一度見たら一生、記憶に残ってしまうだろう、というほどの。


「そうだな……キミのことは裏切った。だが、イコライザーは裏切っていない。そんなところじゃないかな」


 美女の眉がぴくんっ、と跳ね上がる。


「……あなたに、これを言う日が、来るなんてね」


 少しだけ悲しそうに息をつくと、それでもまだディスプレイに集中している嵐蛇に美女、雨咲紫子あまさきゆかりこ、イコライザーの指導者は告げる。


嵐蛇巡風あらしだじゅんぷう……いえ、広井淳子ひろいじゅんこ。あなたに人権を」


 言葉と共に雨咲が右手を上げる。

 中指でシンプルな指輪が光り、そして。


 嵐蛇がタイピングの手を止め、雨咲を見上げた。

 それだけで、雨咲の言葉は止まってしまった。


「なあ……ユカ」


 それまでの、どこか他人事めいた口調が消え、穏やかな声。


「こうしてキミと、二人きりで話せるのはこれが、最後かもしれない。だから言わせてくれ。今のキミは間違ってる。そして、そのことを誰よりもよくわかっているのは、キミ自身……そうだろう?」


 雨咲は少し、自分が言葉を止めてしまったことに戸惑いつつも、それに答える。


「……今さら命乞いですか。あの少年を生み出したのは、あなたなのに」


 イコライザーが拉致した、なんの罪も無い一般人たち。

 それを巡風は嬉々として、使い潰していった。


 十人をさらい、百人を潰し、千人を煮た。それで新たな異能を作った。理論の上でしか証明できていなかった彼女の研究を、なんのためらいもなく実証していった。そうして作った異能をイコライザーの実行部隊に与えた。雨咲に説得オルグされ、イコライザーの理念に心酔するようになった、元は多様、無能の人間たちに。


 そして最後に、一万人を溶かし、混ぜ、あの少年に与えた。


 百万人に一人の多様系因子保持者の中でもさらに特異なあの少年――通常の無能でもかけらばかりの異能因子があるはずのところ、彼は完全にゼロ、肉体的にはほぼ、戦前の人類に等しいという、探し求めていた適格者の少年に。 

 そうやって失われたはずの概念系異能コンセプトを再び、この世に生み出し、名付けさえした。〈三つの願いモンキー・マジック〉などという、ふざけた名前を。


「ああ、そうだ。その気になれば街を一つ消せるヤツや、十年単位で拷問し続けられるような、そんな連中がしっかり、見守っていてくれたからね」

「そんな環境に飛び込んで、喜んでいたのは、あなたでしょう?」

「それもそうだ。だが……」


 少しだけ口ごもり……しかし、巡風は続けた。


「……イコライザーは、石を投げられ魔女と呼ばれたキミのような異能を持つ者、あるいは、生まれ落ちた瞬間に被差別者となる多様系因子保持者たちが、当たり前の暮らしを送れるように……そういう組織だったんじゃないか? 私は、無差別殺人が趣味の快楽殺人者組織に身を寄せた気はないんだ」


 雨咲の整った顔が、僅かに崩れた。

 それを見て巡風は、少し笑った。


「いや、倫理をどうこう言う気はないんだ。それを言ったら私なんて、二万五千人は研究のために使い潰したんだからね。ふふ、個人の殺人スコアで言ったら、最高クラスじゃないかな」


 少し、ため息。そして続ける。


「……今、異能がすべて消えたら、どうなると思う? 賭けてもいいがね、次の戦争が起こるよ。あらゆる資源、リソースは今や、集積も保存も異能がなければ成り立たない。すぐに奪い合いが始まり、今度は第四次世界大戦――ふふ、異能ナシ大戦だ。ま、無能も多様も同様にかりだされ、公平に死んでいくだろうから、平等にはなるだろうが、ね」


 どこか、子どもに諭すような顔の嵐蛇。


「それがキミの理想だったのか? イコライザーの目的だったのか? 次の戦争を起こすことが? 違うんじゃあないか? なあ、虐げられた者たちを導く、自由と平等を闘う、偉大なる指導者、雨咲紫子どの」


 少しだけ、雨咲の唇が震え、開く。


「目的のために手段が選べるようなら、その目的はたいした目的ではない……昔、あなたが言っていたことですよ、博士。イコライザーは市民団体やNPOではない。現存システム、異能主義ヒロイズムの破壊と、人間主義ヒューマニズムの復興を目的とする、狂気と暴力に満ちたテロリスト集団。私たちイコライザーは、人権のために人を殺す狂人の集まりです。あなたもそこに惹かれてここに来たのでは?」


「うん。まあ、それはそうだがね。研究には倫理がいると思ってるアホが多すぎるからな」


 少し笑い、巡風は立ちあがった。


「……やれやれ、説得はどうも苦手だな。では、実演と行こう」


 そう言うと巡風は右の掌を、雨咲に見せる。

 そして、そこに火が灯った。青い、不思議な色の炎。

 異能社会にあってはなにもおかしなことはない光景だろうが……雨咲は息を呑んだ。


「ふふ、自分で打ち立てた原則を自分で打ち崩すのは、なんとも、妙に爽快だよ」


 異能研究が確立した原則の数々は、そのほとんどが嵐蛇――広井淳子博士によって確立された。だが彼女は今、自らその原則を破っていた。異能因子排他性、因子不変性とも呼ばれるそれを平たく言えば――。


「異能は一人一つで、変化しない、か。ふふ……時々私はこの世界が、本当に誰かか何かによって、目的……青写真を元に作られたんじゃないか、と思うことがあるよ。アホすぎるからね。ま、実際そうだったのかもしれんよ。一人のアホに異能があって、そいつがきっと、こう願ったのさ。異能の溢れる面白い社会になりますように……ってね」


「……博士、それは……」

「ふふ、どうかな、これでも私を殺すかい?」


 そう言うと手を振り、火を消す嵐蛇。雨咲はただ驚愕したまま首を振る。


「そんな……手品で」

「異能を進化させる方法を、私は発見した。早速自分で実験してみたわけだが、上々だね。四種異能免許にくわえて、一種異能免許もとらなきゃならんな」


 楽しそうに笑う嵐蛇は、さらに続ける。


「キミの〈雨に歌えシング・イン・ザ・レイン〉も、進化させられるだろう。たとえば……最大の弱点である、洗脳した相手は異能を使えなくなってしまう、というところなんかも、消してしまえるかもしれないね。あの坊やが見つかる前に進めていた計画も、それなら簡単に実行できる。そして、イコライザーは本来の意味で、自由と平等のために闘う組織に戻れる。リセットボタンなんか、押さなくて済む」


 そして、雨咲に抱きついた。


「……ユカぁ……私から、おもちゃをとらないでよぉ……」


 身長差でそれはまるで、母親に抱きつく娘のようにしか見えなかったが……抱きつかれた雨咲の顔は、母親のようには見えなかった。むしろ、彼女が子どものようだった。


「……サイエンスチームに検証させます。検証可能なデータを提出してください。その結果次第で、あなたの進退を通達します。以上」


 数十秒……あるいは、数分だっただろうか、そっと体を離した紫子は、事務的にそう言うと、研究室を後にした。その肩がわずかに震えていたのを、巡風は見逃さなかった。


 一人研究室に残され、しばらく所在なさげに佇んでいた彼女は、やがて椅子に戻り……そして、またキーボードを叩き始めた。やがてそれが一息ついたのか、大きく背筋を反らし、天井を見上げ、呟いた。


「…………ま、少しは時間が、稼げたかな」


 その顔はにやにやと、まったく、悪戯好きの子どもじみた顔だった。


「せいぜい面白くしてくれよ、少年……」


 くすくすくす……と、彼女の笑い声がしばらく、研究室に響いていた。




 嵐蛇巡風の性格は、まったく破綻している。

 彼女はただ混沌を、カオスを、面白いことだけを望んでいる。

 イコライザーも、そして自身の研究さえも彼女にとっては、手段に過ぎない。

 だが彼女は、世界の破滅を望んではいないのだ。

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