リバース
主人格は僕だ。
「亜樹」という別人格は補佐でしかない。
彼と―――海という存在と接する時にだけ出る予備人格でしかない。
「解離性健忘」という病気を患った、海の昔馴染。そういう設定である僕の別人格。
別人格と言っても、姿も変わる。だから操り人形という表現の方が正しいかもしれない。
僕は……亜樹は、存在しない。
架空の存在であると気付いたのは、いつだろう。
海の想像上の友達―――一言で言うならイマジナリーフレンド。
海が生み出して、思考さえも持たせてくれたこの存在。
海と話して、いつも笑いあった。
海とだけ話す、海だけの、友達。他の人とは話せない。というか、僕は海の中にしか居ない。
感受性豊かな海にだけ見えている存在。
そんな存在がこうやって考え、感じることが出来るようになったのは何故なのだろう。
海と話して、沢山のことを感じた。喜び、悲しみ、怒り、安らかな気持ち。
感情を感じる度、最早普通の人間になれたのでは、実体を持てたのではと期待した。
だがそんなことは絶対にない。
そんな奇跡は無い。
海は気付いただろうか。僕が存在しない、君だけに見えるものだってことを。
あの日、海の両親が殺された日、僕は殺してはいない。
殺せない。
存在しないのだから。
殺したのは、海。
でもそれを伝えてしまえば、海が全て壊れてしまうと思って、僕がやったと見せかけた。
亜樹の両親、もとい海の引き取り手は、自分で用意した移動先だと、海は気付いただろうか。
君には別人格が居るだろう。
大崎まひろ。
彼によって、全部、行われていたと……気付くのだろうか。
僕は今、海の先を走っている。
君を絶望させないために。
君を死なせないために。
亜樹の両親―――否、海を引き取った夫婦の家の扉を通って中へ入る。
するとそこには、赤黒い血を流して倒れている夫婦の惨殺死体があった。
ズタズタに引き裂かれ、四肢が切断されている。
僕がその凄惨な状況に思わず呆然としていると、玄関の扉が開く音がした。
いつもより早い帰宅に少し慌ててしまうも、僕は覚悟を決めて、その場に背筋を伸ばして立つ。
玄関に入れば一瞬で目に付く位置だ。恐らく、腰を抜かされるか、叫び声を上げられるかだろう。
どちらにせよ、僕は悪者になる。海さえ無事なら、それでいい。僕は、海を守るために生まれたんだから。
が、尻餅をつく音も、叫び声も、いつまで経っても聞こえなかった。
代わりに聞こえてきたのは冷たい声だった。
「何やってんの」
それは海の声でありながら、海のそれではなかった。
僕は衝動的に振り向いていた。
そこには、いつもの海とは思えないほど冷たい目をした海が立っていた。
いつか、両親を殺した時にも見せた目。
「……まひろ、だな」
「そうだけど、何? 存在しない人形のくせに何か言いたいことでもあるの?」
表情ひとつ動かさずに、彼は首を傾げる。
「っ、お前が、やったんだよな、これ」
「うん。海を守るために、殺した」
悲しんだり悔やんだり、曇った表情を全く見せない。
むしろ、楽しんでいるように聞こえる。
「お前は、なんてことをしたんだ。知ってるだろ、海は、ここを居心地がいい場所だって感じてた」
「でも海は君とオレがいれば十分生きていけるよ。他は要らない」
「なんで……っ、そんな、極端なんだ」
「極端じゃない。一番手っ取り早い方法を取ったまでだよ。だって面倒じゃん、ここを出たいですって話し合うの」
「だからって殺すことはないだろ! 殺したら、それこそ海の未来は保障されない……最悪、一生刑務所の中かもしれないじゃないか」
僕が怒りを顕にすると、まひろは更にきょとんとしてわけが分からないという顔をする。
「……っ、分かった。お前と僕は相容れない。お前はもう出てこないでくれ。海に、全部、決断してもらう」
僕がそう言うと、まひろは、
「お前は何なの?」
「は?」
突然問われ、一体何の話をしているのか分からなくなる。
「イマジナリーフレンドで、存在しない。そんな奴が、どうしてオレに指図出来るの?」
「……それ、は」
「オレは君より海と一緒に居るし、海を悲しませたりなんてしない。君は海と離れるし、海に寂しい思いをさせる」
「……違う、僕は……」
「居ない方がいいよ。君も殺そうか? その方が海のためになるんじゃないの」
「―――っ! なんでそう、極端なんだ! 僕は君より海と一緒に居たさ! 時間は短くても、距離は一番近かった! お前よりも、絶対に!」
思わず叫んでいた。
このまひろの身勝手さが、海をどれだけ苦しめているか分からない、その鈍さに腹が立っていた。
お前は海の何を分かっている。分かっているつもりになったただの狂人だ。
「……オレより、近かった」
言い返されるかもと身構えていたが、返ってきたのは小さな震えた声だった。
「……そうだよ。僕は絶対に、どんなことがあっても意味もなく人を傷付けて海を助けたりしない」
少し驚きつつ、僕は慎重に言葉を返す。
「オレより、海のことを、考えていた」
「そうだよ。お前よりずっと。お前は人を傷付けることでしか人を守れない。そんなの、海は喜ばない」
まひろの目が虚ろになり、聞こえる言葉も力ないものになっていく。
「海をちゃんとした道で生かせるのは、お前じゃない。少なくとも、それは間違いない」
僕が彼の考えを否定する度、彼から何かが抜け落ちていった。
しばらく沈黙しているまひろを見て、少しは分かってくれただろうかと思っていると、不意にまひろが動いた。
驚いて何かされるのではないかと咄嗟に後ずさりすると、まひろが両手を広げ僕の方へ手を伸ばしていた。
「じゃあ、君が海の隣に居てあげてよ」
「……え?」
「オレがそっちに行く。だから、お前がこっちに来いよ」
「え、待って、一体どういう……」
言っている意味が理解出来なかった。
僕がそっちへ行って、まひろがこっちへ来る?
何を言っているのか。
「ちょ、ちょっと待って。え、何言ってんの? 意味が分からない」
「つまり、君がこの海の人格になって、オレが君の……亜樹の人格になる」
「あ……え、でも、そんなの、出来るわけ無いし……わっ」
僕がぐでぐでと迷っている間に、彼は僕の腕を掴んで引き寄せた。
「どっちも海から出来てるんだから、移し替えることぐらい出来るよ」
「えっ、ちょ、分かんないって……え、ていうかそんなことしていいのか? 海だってそんなの分かってないだろうし」
「知らない。でもオレは海にとって居ない方がいい存在だって分かったから……」
最後に寂しそうな顔をしたまひろが見えて、僕がそれは違うと言おうとして、意識がプツリと途絶えた。
それ以来、僕は―――ボクは、「
僕だったもの……亜樹を別人格として持つ「
入れ替わりが本当に出来たことが、不思議で仕方がない。
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