第29話 追憶④

 ――🦊まったりお散歩雑談配信🦊 in雨龍ダンジョン地下67階


 日曜日、わたしは家で巡葉恵ねえさんの配信をリアルタイムで視聴していた。

 ねえさんは魔物に遭遇するたびに魔法を使って蹴散らしながら、いつものように器用に雑談を続けている。


『最近ハマってることですか? そうですね〜……やっぱりこの時期って、雨が多いじゃないですか。だから、綺麗な模様の傘をウィンドウショッピングすることですかね〜……』


〈いや買わないんかいwww〉

〈見るだけなの!?〉

〈俺が買ってやるよ(イケボ)〉

〈イケボニキいて草〉


『え、だって、傘っていっぱいあっても困りませんか……!?』


〈それはそうだけどwww〉

〈まさか俺たちがめぐめぐに常識を諭されるとは〉

〈そんなところもかわいい〉

〈めぐめぐかわいい〉


 流れていくチャット欄を見ながら、わたしはそっと口角をつり上げる。


(……やっぱり、ねえさんはわたしなんかと遊ぶんじゃなくて、ダンジョン配信をしてた方がずっといい。その方が、沢山の人間がねえさんの価値に気付く……)


 そう、考えていたときだった。



〈なんかめぐめぐ、元気ない?〉



 そんなコメントがチャット欄に表示されて、わたしは目を見開いた。


〈それ自分も思ってた〉

〈今日ちょっと疲れてるよな!?〉

〈めぐめぐどうしたのー〉

〈低気圧にやられた?〉

〈何かあった?〉


 画面の向こうのねえさんも、驚いたようだった。

 それから、寂しそうにふふっと微笑う。


『あはは、バレちゃいましたか〜……実は昨日、リアルでちょっと、大切な人と喧嘩しちゃったんです』


「大切な人」――それが誰を指すかは、すぐにわかった。


〈大切な人!?〉

〈もしかして……彼氏!?〉

〈ぐぎゃあああああああ!〉

〈うごごごごごごご〉

〈ギギギギギギギギギ〉

〈ガチ恋勢悲鳴上げてて草〉

〈悲鳴の多様性〉


『か、彼氏〜!? そんな訳ないですよ! わたし、自慢じゃないですけれど、彼氏いない歴イコール年齢ですよ〜!』


〈本当に自慢じゃねえな……〉

〈ホッ〉

〈ホッ〉

〈ホッ〉

〈ガチ恋勢が安心し出した〉

〈まあめぐめぐ嘘つけないしな〉

〈エイプリルフール配信でバレバレな嘘つくめぐめぐかわいかった〉

〈それな〉


 温かいチャット欄に、ねえさんの狐面の奥の表情が緩んだようだった。


『なので、決めました……今日家に帰ったら、ちゃんと謝ろうと思います〜!』


〈めぐめぐえらい!〉

〈同居してるってことは親かな?〉

〈おじいちゃんとかおばあちゃんかもしれん〉

〈きょうだいいないもんね〉

〈素直なめぐめぐ、やはり推せる〉

〈一生推し続けます!〉


 嬉しそうに笑って頬を掻くねえさんに、わたしは昨日のことを思い出して、胸がずきりと痛んだ。


(……わたしも、謝ろう)


 そう、心に決めたときだった。


 ――突然、ねえさんの身体がダンジョンの壁に勢いよく打ち付けられた。


 大きな音が響いて、わたしはひゅっと息を吸い込んだ。

 ねえさんは何が起きたかわかっていないようで、頭から血を流しながら、呆然としている。


〈え!?!?!?〉

〈今何が起こった!?〉

〈魔物の奇襲!?〉

〈何で……いつもならすぐ気付くのに〉

〈めぐめぐのユニークスキルって「索敵」じゃないの!?〉

〈合ってる〉

〈でも索敵って、強すぎる魔物には効かないって〉

〈ここ地下67階だぞ!? その魔物って地下90階以降レベルじゃないのか!?〉

〈めぐめぐ早く起きて!〉


 ねえさんは狐面の奥の瞳に殺意を滲ませて、ダンジョン・リングに手を添える。


 ――でも、間に合わなかった。


 魔物の牙が、ねえさんの首を突き破った。鮮血が舞う。チャット欄が阿鼻叫喚に包まれていく。

 首の長い、麒麟のような魔物だった。顔は奇妙な仮面と一体化しているようだった。脚は細かく分かれていて、数百ほどもある。


 ずれた狐面からねえさんの桜色の唇が見えて、動いた。



 ――和歌ちゃん



 言葉はなかったけれど、そういう風に動いたのが、わかった。


 そうして、ぐたりと動かなくなったねえさんを、魔物は食べ始めた。ごちゅり、ごちゅりと咀嚼音が配信される。ねえさんの身体が真っ赤になっていく。


「え……う、嘘、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ、嘘だよね、」


 わたしはスマホを壊れてしまいそうなほど力強く握った。

 視界が滲んでいく。


「や、やだやだやだやだ……た、食べないで、ねえさんを食べないでぇッ! やめてぇッ!」


 何度も何度も何度も叫んだ。

 でも、わたしの叫びは画面の向こうに届くことはなかった。


 ダンホが壊され、配信が終わりを迎えるまで、わたしは悲鳴のような泣き声を上げていた。


 *


 ねえさんの葬式は、数日後に行われた。


 ハンカチで涙を拭き続けているおかあさんの隣で、わたしは沢山の後悔を思う。


(……わたしが、ダンジョン配信なんて好きにならなければ)

(ねえさんがダンジョン配信者になるって言ったとき、止めていれば)

(ねえさんの誘いを断らずに、カフェに行っていれば)



(…………最後に、ねえさんに、優しくしておけば)



 遺影の中のねえさんは無邪気に笑っている。

 和歌ちゃん、って呼ばれている気がした。


 *


 それからわたしは、巡葉恵ねえさん以外のダンジョン配信を見なくなった。

 ねえさんの配信を見ることはやめられなかった。

 画面の向こうで生きてくれている姿に、縋っていたかった。


 ねえさんの死は瞬く間に拡散され、一時の話題を攫い、やがて段々と風化していった。

 インターネットから消し去ることのできないねえさんの死に、わたしはダンジョン配信という媒体を深く恨んだ。

 昔は自分も、「話題にする側」だったというのに。



 ――ダンジョン配信になんて、もう最低限しか関わらないつもりだった。



 それなのに。

 あの日。


『……実は、うち、貧乏で。でも、妹が私立の高校に行きたいみたいで……だから、妹の学費を、ボクが稼ぎたいんだ』


 妹に優しくしようとする遠川詩を、ねえさんと重ねてしまって。


 ……わたしは贖罪のように、遠川詩へと優しくしてしまったのだ。

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