傾向の口径
小狸
短編
「先生の著作に登場する『家族』は、どれも壊れていることが多いように見受けられるのですが、どのようにして描かれていますか?」
とある文藝雑誌のインタビューを受けた際、そんな質問がされた。
「そうですね、大半は経験です」
とは、流石に言えなかったので「全くの想像で書いています」と回答したことを覚えている。
小説家は、人々に夢を見せる職業の一つである、と、私は勝手に思っている。
聞かれたことを素直に答えるだけではいけないのだ。
インタビューが終わり、出版社から自宅まで帰る最中、私はふと思った。
家族が壊れている、ね。
そういうものしか書けないのは、機能不全家族しか知らないから、というたった一つの確固たる理由に尽きる。
幸せな家族とか、恵まれた環境とか、そういうのは実在しないと思っている。
皆辛くて、皆死にたいのを我慢して生きているのだ。
そうでも思わなければ、私は私の人生を肯定することができない。
下手に話をすると「誰の家が一番大変」だとか「誰の家庭は誰のより楽だ」とか、そんな論争に発展するのだろうが、そういう話を度外視して言うと、私の家は、どちらかというと大変な側の家だった。
父はとても偏差値の高い大学の出身であり、母は地方の短大卒であった。
今から考えれば母は『自分の遺伝子のせいで子どもの学力の責任を取らされる』ことを危惧していたのだろうと思う。だからこそ、私に勉強を強要した。めちゃくちゃ勉強ばかりさせられた。確かに中学時代は学年首位を何回か取ったし、高校も進学校に入ることができたのはそのお蔭だけれど、母のその若干狂気じみた勉強信仰は、ちょっと意味が分からなかったし怖かった。
そうすることで、自分に責任はないと暗に主張したかったのだろう。
遊びもゲームもマンガも何もかも禁止され、友達の家ですることも許されなかった学生時代だった。
そんな中で、小説家になろうと思ったのは、軌道に乗せようとして来る母への唯一の反抗だったのかもしれない、と今なら思う。
大学時代、比較的母の束縛が軽くなったそのタイミングを狙って、私は小説の執筆を始めた。
なかなかどうして難しいものだった。
書くのに1年掛かった。
その後1年、推敲した。
そうして投稿した小説が、新人賞を受賞した。
この辺りは、もう奇跡とか偶然とか、そういう言葉でしか言い表すことができない。
幸いなことに、大学三年の――就活が本格化する前に色々と決まった。
両親には、本が出版されてから報告した。
途中で反対されても困るからである。
打ち明けた時の母の表情は、もう忘れてしまった。
あまり喜ばれなかったと思う。そんな職業で食べていけるの? とか、そんな現実的なことばかりを言われて、食傷であった。
反対に父は信じられないくらい喜んでいた。本を5冊は購入し、サインをくれとか要求された。
この差が、もう家族としての
そして大学を卒業して、未だ私は、小説を書くことを生業としている。
今の夢は、学生時代最も禁止されていたマンガの原作をすることである。
空いた時間にネームを作る練習をしている。
これが中々難しい。小説とは違って、マンガは視覚的に魅せることが必要である。
それでも、楽しい。
こうやって。
そうやって。
私はあの頃許されなかった何かを、一生追い続けるのだろう。
(「傾向の口径」――了)
傾向の口径 小狸 @segen_gen
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