第2話 かつての少女
レオフォードはすぐさま持ち前の運動神経の良さでササジよりも俊敏に体勢を変えると、右方向の茂みの中に逃げ込む。
茂みに入ると全速力で走りながら頭の中でどこへ逃げたら暗殺されないか考えた。が、まだ幼いレオフォードでは足を動かすだけで精一杯だった。
はぁはぁ、と呼吸が荒くなっていくにつれて背後から来る追手の足音が近づくのがわかる。
しかも追手の数が増えているように思った。
―ササジだけではない。
絶望に塗りつぶされそうになる感情を必死に掻き消して、この騒動自体が何者かによって企てられたものではないかと推測した。
おそらく、現王妃となったエミアンであろうと悟る。
彼女は最初から自分へ敵意の目しか向けてこなかった。実の母親があっけなく亡くなりその後母となった女性は敵意どころか殺意を向け、それを実行してくる。
それも計画は完ぺきに…―。
おそらくは自分の実の子であるエナを王にしたいのだろう。しかしエナが王になることはない。何故ならばこの国には王位継承権は男のみという決まりがあるからだ。
そのあたりをエミアンがどう考えているかはわからないが、あの人ならばどんな手を使ってでもやるだろう。
その上で自分は邪魔な存在であることは明白だった。
足の動きが鈍くなってきたとき、何かに躓いて転んでしまった。
地面にたたきつけられた顔面と膝にジンジンと鈍い痛みが広がっていくのがわかる。
「逃げ足が速いですね。さすがです」
ササジの声が聞こえる。
口の中に砂利の味がする。転んだときに入ったのだろうか。
自分ではすぐに立ち上がったつもりだったが既に三人の追手に囲まれていた。その中の一人はササジだった。きっとエミアンの側近の一人だったのだろう。
「お前たちの目的は俺の命か」
「はい、そうです」
目を細めてまるで何か明るい話題でもしているようなそんな顔をしてササジはレオフォードに剣を向ける。その目は何の感情も宿っていないように思えた。
それがレオフォードの心を更に壊した。
自分も剣を腰にさしてはいる。ただ、それを振り上げたところで敵うはずがないのだ。
ササジのほかにあと二人もいるのだから。
ちょうど見上げた先にはササジの顔とその背後に白い光を放つ美しい満月が浮かぶ。
―あぁ、今日は月が美しい。
そう思ったその時、声がした。
「逃げようっ…」
その声はその場の誰よりも通っていて、その場の誰よりも存在感のあるものだった。
ササジたちの目がレオフォードの背後に移る。そしてその目が大きく見開かれていた。微かに開いた唇から何かが発せられる。
レオフォードのすぐ背後に立っていたのはレオフォードと同い年かそれよりも若干幼い少女だった。
発せられた声と、月夜に照らされた際にフードを被っていたから顔は見えないが長髪が見えたから幼いながらに“少女”だとわかったのだ。
何故こんなところに子供がいるのか、しかもフードを深く被り、顔を絶対に見せないようにしているその様相も含めておかしなことばかりが起こっている。現実で起こっているとは思えない。
レオフォードも自分の目を疑い「誰だ」と疑問を口にしていた。
そんなことを口走っている状況下ではないのにも関らず、だ。
その少女はレオフォードの手を取るとぐいっと引っ張り迷うことなく走り出す。
少女の手はとてもあたたかく、冷え切ったレオフォードのそれと対照的だった。
訳も分からず見ず知らずの少女についていくレオフォードだったが、追手は直ぐに追いついてくる。
俺を助けてもまとめて殺されるだけだというのに、何故この少女は手を差し伸べてきたのだろう。
殺される絶望感よりもそっちの方が気になって脳内を埋め尽くす。
「お前っ、一体何者だ、」
「いいから!」
しかし、ササジたちが直ぐに追いついてレオフォードの肩越しに剣を振りかざすのを見た。
この少女だけでも逃がしたい、そう思ったのに何故かその少女は足を止めるとレオフォードを少女の力とは思えないほどの力で吹き飛ばし、レオフォードは茂みの中に消える。
ササジが「余計な手間をかけさせやがって」と叫ぶのが聞こえる。
ドサッと地面にたたきつけられ、砂埃のせいでむせた。
―逃げて
という少女の声が聞こえると同時にササジたちの悲鳴に近い声が聞こえる。
何だ、何が起こっているのだろう。
混乱する中、レオフォードはササジたちの声がした方へ目をやる。
すると、そこには何故か赤い炎のようなものが見えた。
何故かわからないが、急に火災が起こったようだった。
しかし次の瞬間、ギャーっという悲鳴が聞こえた。
あの少女の声だ。
レオフォードは逃げてと言っておそらく逃がしてくれたはずの少女の元へ走った。
先ほど殺させそうになった場所には、うつ伏せ状態で倒れる少女の姿があった。
見ると、背中を大きく切られているのがわかった。
周囲は炎に包まれており、ササジ以外も炎が体に巻き付いているように見えた。
無論、熱さでレオフォード暗殺どころではないようだった。
少女はその間、ピクリとも動かない。レオフォードは自分の腰にさしてある剣を手にしてササジに立ち向かった。
少女が息をしているかどうかが一番に気になるが、おそらく自分がこの場で大人相手に、しかも近衛騎士団に所属しているササジたちを相手に勝てるとは思ってもいなかった。
驚くほどに冷静に剣を握っていた。
―この少女が命を懸けて助けてくれたのだから少しでも敵を…。
そう思ったのだ。
レオフォードはササジに果敢に立ち向かう。
ササジは剣を構えながらも周囲の炎が気になって仕方がないのか、目を白黒させている。
その隙をついて、レオフォードは高く飛ぶとササジの背に剣を振り下ろす。
ぐわ、という鈍い声がしてもう一回、今度は急所を狙おうとしたが、ササジの方が早かった。
「う…っ、」
ササジの剣がレオフォードの腹を貫いた。
呼吸が苦しくなり、手足がしびれてくる。
「ようやく、か。これでいい報告が出来るぞ、エミアン様には 」
ササジも負傷しているから、語尾が震えている。
炎のせいでこの一帯は既に熱さと煙で負傷していなくとも身の危険を感じる。
ササジは他の2人が既に絶命しているのを横目で確認すると、既に意識を失いかけているレオフォードを残して走り去る。
レオフォードは自分の腹に手を当てる。
ドクドクと全身の血流を感じながら、短い自分の人生よりもあの少女が最後まで気になっていた。
あの少女の元へ何とか体を動かしたいのに、もう指先一つ動かすことが出来ない。
目線だけで確認しようとすると、先ほどまでいたはずの少女の姿がない。
何かの間違いかと思い、目を見開くとレオフォードの顔を覗き込むような体勢をしている少女を視界に捉えた。
少女は濃紺のフードを深く被ったまま、レオフォードに手を向けた。
「お前は…何で、」
「喋らないで。この、ことは…内緒ね」
目元は全く見えない。故意に隠しているからだ。
しかし、彼女の呼吸音がおかしい。やはりあの時ササジに怪我を負わされていたのだろう。
少女はレオフォードに手を翳し、するとどこからかふわっと風が舞う。
その瞬間、レオフォードの体の中に熱を感じ、今まで感じたことのない感覚に包まれる。
ちかちかとするのは、目の前に金色の柔らかな光が見えるからだ。
それは目の前の少女が放っていた。
明らかに人ではない。おかしい、そんなことが出来る人間などこの世にいない。
その光がもっと輝きを放つとき、少女の目が一瞬だけ見えた。
―その瞳は薄く緋色に光っている。
「生きること、諦めないで。大丈夫、大丈夫だよ」
瞼が強制的に閉じられ、真っ暗な中、その温かい声だけがレオフォードの中に落ちていく。
目が覚めると、レオフォードは別邸ではなく王宮の自室に寝かされていた。
数日寝込んでいたというのだが、レオフォードは驚いていた。
何故なら自分の体には擦り傷一つなかったのだ。
―あれは夢なのだろうか。
そう本気で思ったほどだった。だが、違った。
ササジは背中を酷く負傷していたし、他の護衛の人間も死んでいた。
その後のエミアンの態度を見ても明らかに自分は暗殺されそうになり、確かに死の間際を彷徨ったはずだ。
「俺を助けたのはあの女の子だ」
寝台の上でレオフォードは自分が刺されたはずの腹部を見て、あの少女は普通の人間ではなくその不思議なまるで魔法とも呼べるその力を殺されかけたレオフォードに使った。
そう、推測した。
あの少女が生きているのか、既に亡くなっているのかはわからない。
一切の手がかりもなく、消えた少女をレオフォードは探していた。
何年、何十年と時が経っても、レオフォードはずっと探していたのだ。
―あの時の、少女を。
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