◉1章.ひとひらの罪

第1話 ヒートアイランド

 午後からの会議中、桃は、じりじりと照りつける太陽に焼けていく世界を窓から眺めていた。

会議なんて嫌だ、無意味だ、非効率だと言う声もあるが、そう嫌いでも無い。


肌寒い程のエアコンの風が、ひんやりと体を冷やして行く。

外気温との差は、きっと20度近くあるだろう。


世界に見えない層が生まれて、ふんわりと帯のように動いているような。

金魚鉢や水槽や、水底から眺めているような。

そんな感覚。


長い会議が終わり、数人とわずかな時間立ち話をして、「それじゃね」と言い、廊下に出てスマホと手帳に目を落とした時、突然にストンと静かに世界が暗くなったように感じた。

世界ではなく、自分がひっくり返った。



 数時間前の昼休憩。


桃は、オフィスの近くのコンビニに避難していた。

日本の夏は暑い。


しかし、このくらい暑い国は地球上で決して珍しい訳ではない。


問題は、この暑さで人々が普通に生活し、仕事をしなければならないと言う事。

桃はコンビニでアイスを食べて、更に追加でもう一つやっつけてから、アイスコーヒーを買って決死の覚悟で外に出た。


灼熱の外気に血圧が下がり、慌てて手元のアイスコーヒーのストローに口をつけて飲み込んだ。

救われる冷たさ。


この冷たいコーヒーに、いつでも手軽にアイスを買える環境は大変にいいものだ。


コンビニに行くと毎回何かしら新発売の商品があって嬉しくなる。


まさに、灼熱の島ヒートアイランドのオアシスという感じ。


祖父の祖国のスウェーデンではこうは行かない。


もちろん日本には無い素晴らしいものもたくさんあるが、そもそも子供時代から人生を長く過ごしたのは日本なので、やはりこの楽しさや便利さには変えられない。


ももべに・オルソンは、スウェーデンから帰国して二年目を迎えていた。


数年振りの日本の夏は、想像していたよりも、かなり暑かった。


皆、すごいなあと桃は改めて感心する。


自分より年下の可愛らしいOLさんは、暑いと言い合いながらも、きれいに装い、にこやかに仕事をしているし、学生は屋外でスポーツをしている。

屋外の建設現場の作業員は、風を発生させる服を着て働いている。


桃は、スウェーデンの大学から出向という形で日本に来ている。


祖父がスウェーデン人、祖母が日本人。


母は見た目が大分ガイコクジン寄りのいわゆるハーフだったが、自分は、目の色が多少薄い茶色に緑色のような水色のようなハッキリしない色をしているくらいで、髪は黒褐色寄りだし、いわゆる日本人がイメージするハーフ顔とは大分違う。


途中、信号待ちで日傘の陰で、シートタイプの日焼け止めで腕をそっと撫でている女性が目に留まった。


日本の女の子がきちんと日焼け止めを塗って日傘で紫外線を避けているのにも感心する。


夏の短いスウェーデンでは、皆、日差しが大好きだから好んで屋外に出ていたものだ。


しかし、この暑さでは、そうも行くまい。

桃は日陰を求めて、街路樹の下を歩き始めた。


 

 小さい頃は母の政府系の仕事の関係であちこちの国を連れ回されたため、言葉も中身もよく分からない事になっていたらしい。


そんな中、夏は毎年日本の祖父母のもとで過ごしていた。

つまりは長期休みに母に持て余されて、実家に送り込まれた形。

短期間ながら日本の小学校にも通っていた。


久々に日本に帰った時、祖父とお祭りに行き「ファルファル、私、想要一隻、ポワソンルージュ」(おじいちゃん、私、金魚1匹欲しい)と、ちゃんぽんカタコトで言った時、祖父は、さすがに危機感を感じたらしい。


第一言語を固定させなければならないとしてしばらく日本で教育を受ける事になった。


その後、スウェーデンやアメリカで仕事を続けていた母の元と行き来はあったが、十代半ばから二十歳、それから二十三歳までは日本で過ごしたわけだ。


学生時代は、居村 桃おるそん ももと言う通称で通していた。


それで誰も不思議にも思わないし文句も言わないのだから、自分はうまく環境に溶け込んで居たのだろうと思う。



 一時間ほどで会議室を出て、明日の予定を確認しようとした時、いきなり周囲がチカチカ眩しくなり、一気に周囲が暗くなった。


これは停電になったのかと思って慌てた。

この暑さで停電が起きて、空調が止まるなんて冗談じゃない!


しかし、それにしては何だか肌寒いような気がする・・・。


「・・・桃!」


と、呼ばれて、聞き覚えのある声に、誰だっけ、と考えた時、腕を引っ張られていたのに気づいた。


はっとして周囲を見渡した。


変わらぬ様子。

特に停電は起きていないようだった。


とすると、立ちくらみとか脳貧血。


何人かが、廊下の隅っこに座り込んでいる桃を心配そうにこちらを伺っているのが見えた。


「・・・あー・・・すいません・・・」


桃は謝罪の言葉を口にして、顔を上げた。


腕を掴んでいたのは、本部長の藤枝公太郎ふじえだこうたろうだった。

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