第2話

 電車のドアが開くと、少女は人の流れに紛れ、吸い込まれるように車両の奥へと進んでいった。彼女は電車の揺れに合わせるように小さくバランスをとりながら、つり革にも手を伸ばさず、ただ静かに佇んでいる。


 ES-222FX-Bもまた、流れに逆らわずに電車に乗り込んだ。人工生命体である彼女にとって、密集した空間も、漂う人々の温度や湿度の違いも、すべてが数値として認識できる。しかし、その数値に意味を見出すことは、今の彼女にとってそれほど重要ではなかった。


 二人の距離は、電車の中で少し遠かった。


 ES-222FX-Bは静かに彼女を観察した。


 車内の温度センサーが作動し、電車内の温度の低下を感知する。自動制御システムが作動し、エアコンディションの電気系統が微細な調整を開始した。わずかに強まる温風が、車内に漂う冷気をかき混ぜる。


 だが、それでも少女は少し寒そうだった。


 彼女はゆっくりと両手を丸く合わせ、息を吹きかけるようにして温めている。その仕草にはどこか幼さがあり、同時に、それを他人に悟られたくないという意志も感じられた。


 ES-222FX-Bは無意識に、彼女の手の温度を正確に測った。


 30.2℃。


 寒さでわずかに低下しているが、危険なほどではない。だが、彼女の体温調節機能は十分に働いているようには見えなかった。おそらく、疲れているのだろう。人間の体温は、心の状態によっても変化する。


 その事実を認識すると、ES-222FX-Bの唇の端が、ほんのわずかに動いた。


 微笑んだのだ。


 その表情が何を意味するのか、彼女自身もまだ理解していなかった。


 ES-222FX-Bは「吸血鬼」として生み出されたが、今は血を必要としない存在だった。だが、本能の奥底には、他者の生命の温度を感じ取る何かが宿っている。それが「渇望」とは違うことを、彼女は知っていた。


 電車が揺れる。


 金属の軋む音が響き、車両の光がわずかに明滅する。誰もが無関心にスマートデバイスを覗き込み、世界とわずかに距離をとる。けれど、その中で、あの少女だけが異質だった。


 寒さをこらえながら、それでも静かに前を見つめるその姿は、まるで——


 外の世界から切り離された存在のようだった。


 ES-222FX-Bは、目を細めた。


 ——この少女は………。


 そして、自分は………?


 ただ、彼女は思った。


 ——もう少しだけ、この距離を縮めてみよう。


 静かに、電車は進んでいく。

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