8話:水浸しの非常事態


 ――ドォォンッ!

 荒野の大地が割れ、巨大なゴーレムが姿を現す。全身を固い岩で覆ったそれは、どんな攻撃も受けつけない最強の敵だった。


「このままじゃ突破できない……! けど、俺がやらなきゃみんなが危ない!」


 ゴーレムが巨大な拳を振り上げる。

 逃げ場はない。覚悟を決めろ……!


「やるしか……ないっ!」


 高く跳躍し、手にした剣をゴーレムの頭部めがけて振り下ろす。


 ガキィン! 


 硬い岩盤に衝撃が走り、剣が震え――


「――はい、今日の配信はここまでー!」


 画面がブツリと途切れ、いつものように実況が終了する。

 次の瞬間、意識が薄れて、俺は机に突っ伏しそうになった。


「うわ……また微妙なところで夢オチかよ」


 配信とゲームの夢が混ざったまま深夜まで作業していたから、見事に寝不足だ。


 ここ数日はずっとこんな調子。

昼間は学校、放課後は文化祭の準備で生徒会や放送部とミーティング、夜は自分の配信者活動「ナール」でゲーム実況。


 ――さすがに体力がもたない。


「鳴海 優(なるみ ゆう)……お前、そろそろ限界じゃね?」


 自問しつつ目を覚ました翌朝、事件は起こる。



◇◇◇



 放課後。校舎裏のテラス


 今日はステージ演出の道具を取りに放送部顧問の先生に呼ばれていた。

どうやら倉庫の水道管が不調で、用具が水浸しになっているらしい。


「ほんと、なんでこんな時期にトラブル続きなんだよ……」


 ブツブツ言いながら倉庫へ向かうと、すでに青柳 翔太(あおやぎ しょうた)と三浦 紗月(みうら さつき)が中で掃除を始めていた。


 そこへ俺も合流し、雑巾やモップで必死に水を拭き取る。


「あー、なんかもうビショビショ! 靴下まで濡れちゃったよ!」


 翔太が文句を言いながら雑巾を絞る。


 三浦さんも「こんなに濡れるなんて想定外だよ……」と苦笑い。

 湿った空気のせいで蒸し暑く、制服が肌に張りついて気持ち悪い。

 扉や窓を開け放っても湿気は取れず、やたらとムシムシする。


「くそ……汗が止まらない」

「わかる。もうTシャツがベタベタ」


 翔太と顔を見合わせ、苦笑い。

 それでも放っておいたら文化祭の道具がカビだらけになるし、ここで何とかしないといけない。


 どれくらい掃除しただろうか。気づけば夕陽が差し込み始めていた。


「うわ、もうこんな時間か……。もうちょいで終わるから頑張ろう」

「はーい……って、きゃあっ!」


 突然、三浦さんが足を滑らせ、その場に尻もちをついてしまう。

 視線を向けると、水たまりの中で盛大に転んだらしく、スカートの裾や上着まで濡れてしまっている。


「だ、大丈夫!?」


 俺と翔太が駆け寄る。

紗三浦さんは「痛た……」と呟きつつ、腰を押さえている。


 幸い大怪我はなさそうだが、制服がビショビショになり始めていて、見てるこっちが気の毒になる。


「ごめん、私トイレでちょっと拭いてくる……ここは任せていい?」

「無理しなくていいぞ、俺たちだけで仕上げるからさ」

「ありがとう、助かる」


 三浦さんはそう言って慌てて廊下へ出ていく。

 うーん、しかしだいぶ濡れてたな……大丈夫かな?



◇◇◇



 さらに数十分後、ようやく拭き掃除が完了。


 翔太が「んじゃ、俺は先生に報告してくるわー」と先に職員室へ行き、倉庫には俺が一人残った。


 道具が本当に乾いているか最終チェックをして、倉庫を閉めようとしていたそのとき。


「……あ、あれ? 鳴海くん、まだいたんだ?」

 戻ってきたのは三浦さん……じゃない。


 目の前にいるのは、生徒会長の茅ヶ崎 香澄(ちがさき かすみ)だ。

 けれど、いつものクールな制服姿とは違い、なぜか体操服のジャージを羽織り、その下は……

「ち、茅ヶ崎さん!? なんでそんな格好……?」

「えっと……紗月から電話で呼ばれて。『もしよかったら着替えがあるから香澄の分も貸してくれないか』って言われたんだけど、私のサイズが合うジャージがなくて……とりあえず保健室で借りたの。ちょっと……ピチピチだけど」


 見ると、いわゆるブルマはかなり小さめで、茅ヶ崎さんの身体にピッタリ張り付いている。

 ジャージのファスナーも少し下げているから、首元や鎖骨のラインが少し見えて……正直、目のやり場に困る。


 しかも、まるで彼女の身体のラインが鮮明に浮き出ているようで、意識してしまう。


「ご、ごめん。見ちゃいけないと思いつつ目が……」

「い、いいよ! 私だって好きでこんな恰好してるわけじゃないんだけど……紗月が『今なら誰もいないから大丈夫』って言うから、倉庫へ来てみたら、まさか鳴海くんがいるとは……」


 茅ヶ崎さんの頬がほんのり赤く染まる。

 俺も気まずい沈黙に耐えられず、慌てて話題を振る。


「そ、それより、どうしたの? 倉庫に用があるの?」

「あ、うん……紗月がここの掃除を手伝ってたって聞いたから、ちょっと様子を見に来ただけ。そしたらついでに運搬の作業も手伝おうと思って。でも、まさかこんな姿で会うなんて……」


「そっか……まあ、もう掃除は終わったし、今は道具の確認してるところだよ」


 そう言いながら、俺は箱をガサガサ探る。

 が、不意に足元の水たまりに躓き、ぐらりとバランスを崩してしまう。


「うわっ、マジか――」


 そのまま、倒れそうになる俺。隣にいた茅ヶ崎さんも慌てて支えようと腕を伸ばす。

 しかし、勢いが強すぎて茅ヶ崎さんまで巻き込んでしまい、二人同時に床へ転ぶ形に……。


「いっ、痛たた……」


 勢いで重なり合うように倒れ込む。


 気づくと、俺の手が茅ヶ崎さんの胸を押さえ込む形に……

しかも、ジャージのファスナーが半開きで、見えてはいけない谷間っぽいところがチラッと視界に入り、思考が停止する。


(ま、まずい……! 顔が近い!)


 茅ヶ崎さんも驚いた表情でこちらを見つめ、頬が真っ赤。

 俺はどうしようもない恥ずかしさに襲われつつ、必死で身体を起こそうとするが、床が濡れていて足がすべり、思うように動けない。


「ご、ごめん! すぐ離れる!」

「い、いいから早く……! あっ……!」


 次の瞬間、茅ヶ崎さんの声が途切れる。

 ファスナーがさらに下にずれて、白い肌がさらに強調され――


「うああああっ! ごめんごめんごめん!」


 俺はパニックになりながら、なんとか体勢を立て直し、茅ケ崎から少し離れる。

 彼女の胸元を直視しないように、慌てて横を向く。


「……だ、大丈夫……? ケガは……?」

「うん、たぶん平気。……でも、恥ずかしい……」


 茅ヶ崎さんは顔を真っ赤にしてジャージのファスナーを急いで上げる。

 俺も混乱状態だが、とにかく彼女にケガがなくて良かった。


 視線を合わせると、二人とも気まずい沈黙が流れる。

 すぐ後ろで「ちょっと、大丈夫!?」と声がして振り返ると、翔太と紗月が倉庫の入り口で目を丸くしていた。


「うわ、めっちゃ転んでるし……何があったんだ?」

「あ、あはは……いろいろあったのよ」


 三浦さんがタオルを差し出す。

 俺と茅ヶ崎さんはそれを受け取りながら、お互い目を合わせられないまま体を拭き取り、どうにか立ち上がった。


(やばい……心臓が爆発しそうだ)


 こんなドキドキする展開、人生で初めてかもしれない。

 地味な俺が、まさか学校一の美少女生徒会長とこんな体勢になるなんて……天変地異が起こるほうがまだマシだ。


「……とにかく、ケガがないなら良かった。ごめん、俺の不注意で」

「い、いいよ。私だって急に入ってきたから……。あまり人には言わないでほしいけど……ね」


 茅ヶ崎さんは気まずそうに微笑む。

 さっきまでのクールな雰囲気は吹き飛んで、どこか普通の女の子らしい恥じらいを見せている。


 そんな姿を見たら、また胸がキュッと締め付けられそうになる。


「うん、絶対言わない。秘密にしとくよ」


 言葉を交わしつつ、翔太と三浦さんは何があったか深くは聞かずに手伝ってくれて、なんとか倉庫の始末を終わらせる。


 結局、今日のトラブルは全て片付いたけど、俺の心はまだドキドキがおさまらないままだった。



◇◇◇



 夜、自室。


 急いでシャワーを浴び、着替えたあと、配信の準備を始める。


 だけど、さっきの事故のせいで頭がまったく集中できない。茅ヶ崎さんのあの赤い顔や、チラッと見えた――


「……いかん、思い出すだけで恥ずかしい」


 せっかくの配信だけど、テンションがおかしいまま実況を始めてしまう。

 コメント欄で「ナールさん、今日なんかソワソワしてない?」とか書かれそうだな……。


「ま、こういう日もあるか。よし、気合い入れよう……!」


 自分を奮い立たせ、マイクに向かう。

 俺は“ナール”として視聴者を楽しませる義務があるんだ。


 だけど、胸のドキドキはそう簡単に消えてくれそうになかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る