7話:迫るトラブルと焦る二人


 ――再び暗闇に閉ざされた世界。

 そこに佇む白いローブ姿の女性が、ゆらりと踊るように魔力をまとっている。


「大丈夫、私を信じて」


 優しい声が耳元をくすぐる。

 見上げると、その女性の瞳はどこか悲しげだった。

 何かを言いたそうに唇を震わせているが、言葉は紡がれていない。


「どうしたんだ? 何か言いたいなら……」


「……言えないの。だって、私にも秘密があるから」


 ドクン、と胸が高鳴る。

 その声が、まるで茅ヶ崎さんの声に似ているようで……。


 ドワッと周囲の闇が押し寄せ、思考がかき消される――



◇◇◇



 翌朝、俺はまたもや寝ぼけ頭で登校した。

 昨夜は茅ヶ崎さんに頼まれた配信用の資料を作っていたら、つい深夜までかかってしまった。


 オンラインで検索した情報と自分のVTuber経験を照らし合わせて

 いかに「初心者でも安全にやれるか」をまとめるのは地味に面倒だった。


「ま、でも茅ヶ崎さんの役に立てるんならいいか……」


 そんな弱音混じりの独り言をつぶやきながら、教室に入る。

 すると、翔太がいきなり目の前にやって来て、気まずそうに言った。


「なあ、優……ちょっとやばい噂が出てるんだけど」


「え? やばい噂?」


「昨日の放課後、お前と香澄ちゃんが二人きりでイチャついてたって話が

なぜか広まってて……“あの地味男子が生徒会長を口説いてるらしい”とか言われてるぞ」


「はぁぁ!?」


 声が裏返ったまま固まる。何だそりゃ、マジで迷惑な噂だ。

 とはいえ、昨日廊下で顧問の先生っぽい人に見られてたし、それが変な形で伝わったのかもしれない。


「マジかよ……最悪だ。茅ヶ崎さんに変なイメージついたらどうすんだ」


「でも、男子の間では“あいつ意外とやるな”“うらやましい”みたいな声もあるぞ? お前、ヒーロー扱いだ」


「いらんわ、そんな扱い……」


 頭を抱えてうずくまる。

 確かに、茅ヶ崎さんは学校中の憧れの的だからな。

 とはいえ、ちょっと話しただけで「すげえ」とか言われるのも変な話だ。

 これでさらに先生や周囲に目を付けられたら、配信企画どころじゃなくなる。


「どうするんだ? 否定してまわるのか?」

「うーん……むしろ堂々としてたら自然に収まるんじゃね?」


 翔太はニヤニヤと笑うだけ。

 でも、いつ爆弾が爆発するか分からない状況で、かなり精神的にキツい。


(ああ、文化祭が終わるまで波風立たずにいられると思ってたけど、甘かったな……)



◇◇◇



 その日の放課後、茅ヶ崎さんと三浦さん、それに俺と翔太は生徒会室に集まった。

 噂のことを聞いた紗三浦さんは苦笑いし、翔太が代わりに説明してくれている。


「で、優と香澄ちゃんが二人でイチャイチャしてたって噂になってるんだけどさ、どう思う?」

「……ええ?」


 茅ヶ崎さんの表情がパッと固まる。

三浦さんは「それもう流れちゃったの?」と困った顔。


 俺も目を逸らして気まずい。

完全な風評被害だ。


「確かに昨日、鳴海くんと廊下で二人きりにはなったけど……普通に企画の相談をしてただけだから」

「それが変な形で伝わったっぽいな。しかも、顧問の先生がちらっと見てたみたいでさ……大丈夫かな?」


 翔太が心配げに言う。

 茅ヶ崎さんは唇を引き結んで小さくうなずいた。


「先生には、私が“鳴海くんに文化祭の編集・配信関係を手伝ってもらうことにした”って話してあるから、不適切なことは何もないはず……だけど、学校側がどう見るか……」


「最悪、生徒会長としての品位を疑われる、なんてことにもなりかねないよね」


 紗月の言葉に、茅ヶ崎さんの顔が曇る。

 そうなったら文化祭企画そのものが中止の危機だってあり得る。


「……ごめん、鳴海くん。私のせいでこんな噂が流れちゃって……」

「いや、茅ヶ崎さんが謝ることじゃない。

俺の方こそ、変に見られるような状況を作って悪かった」


 お互いに頭を下げ合って、しょうもない空気が流れる。

 翔太が肩をすくめて言った。


「まあ、とりあえず堂々としてりゃ収まるだろ。二人が公の場で“企画の打ち合わせなんです”ってアピールすりゃ、誰も勘違いしなくなるさ」


「そうだね。あまり隠そうとすると逆に怪しまれるかも」

 

 三浦さんも翔太の意見に同意する。


「うん……わかった。しばらくは噂なんか気にせず、企画を最優先でやるよ」


 俺がそう言うと、茅ヶ崎さんも少しだけ笑顔を見せて「ありがとう」と頷いた。


 だが、その瞳にうっすら不安が残っているように見えるのは気のせいじゃないだろう。


 彼女にはほかにも悩みがあるはずだ。

家庭のこと、生徒会長の責務、そして――ネット配信への強い興味。


(俺がもっと力になれればいいんだけど……俺自身も隠しごとだらけだからな)


 胸をざわつかせながら、俺たちは文化祭に向けた作業を再開した。



◇◇◇



 夜。自宅のPCを開くと、見慣れた配信通知が飛び込んでくる。

 人気VTuber「CAS」のゲリラ配信が始まるらしい。

 俺は少しだけ見ようか迷ったが、結局クリックしてしまう。


「こんばんはー! CASだよー! 

今日は急に時間ができたから、ちょっとだけ雑談するね!」


 ハイテンションな声が響き、コメント欄が一気に活気づく。

 その明るい声を聞くだけで、不思議と疲れが軽くなる気がするから、ほんの少しでも見たいんだ。


(ああ、もしもCASがリアルで同級生だったら……なんて思うけど、そんな展開ないよな)


 笑いながら画面を見つめ、コメントを追っていると――配信中、CASがふと意味深な言葉を漏らした。


『みんなは、誰にも言えない“秘密”とか抱えてる? 

実は私、リアルの方でちょっとした壁があってね……

でも、配信してるときはそれを忘れられるから助かってるんだー』


 一瞬、心臓がドキリとした。


 まさか……まさかね。そんな偶然あるわけない。

 でも、その言葉がどこか茅ヶ崎さんの姿と重なって、頭から離れない。


「秘密、か。俺も、人のこと言えないけど……」


 思わず呟く。

 画面越しのCASは、歌を口ずさんだあと、明るい笑顔で話を続ける。

 その笑顔が、学校での茅ヶ崎さんのクールな表情とどこか混ざり合って――


「……まさか、そんなわけないよな」


 無意識にそう呟いた自分の声が、妙に耳に残った。

 背筋にかすかな寒気が走り、同時に心拍数が上がっていく。


 もし、本当にCASが茅ヶ崎さんだったら?

 そんな考えを振り払おうと頭を振るが、一度よぎった妄想はそう簡単に消えなかった。


「やばい……変な想像してる暇ないのに……」


 画面の向こうでは、CASが明るくおしゃべりを続ける。

 俺はそれを見届けるうちに、次第に視界がぼやけてきた。

 睡魔と混乱が混ざり、思考がうまくまとまらない。


「もう……寝る……文化祭まで……がんばらなきゃ……」


 意識が遠のく中、最後に聞こえたのはCASの楽しそうな声。

 その声がまるで茅ヶ崎さんの声と同じに思えて、心臓がバクバクと鳴る。


 ――これ以上深く関わったら、俺どうなっちゃうんだろう?


 不安と期待の板挟みのまま、意識が闇に落ちていった。

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