死闘

 戦えないハイネを観客席にひそませ、キールは舞台へ降りていく。地下の暗闇に慣れた目には曇り空すら眩しく、風は砂埃を巻き上げて不快だ。外套の前を掻き寄せ空いた片手で剣の柄を握る。

「久しいな、キルヴィール」

 巨兵将シェガロが、ぶたいやぐらの上から彼を見下ろしていた。

「そんなところだけ父親面かよ」

 円形劇場にかけられた魔術が距離を超えて親子の言葉を届ける。姓で呼びあう魔族の文化で、人族風の通称でもなく名を呼ぶことは親の特権、さもなくば最大級のぶじょくだ。キルヴィール・ロジェ・レドーネ――魔族式の名を与えられた半魔族にとってもこれは同じことだが、シェガロの意図が前者でないことは彼にも分かっていた。

「害獣のぶんざいで二度と私の前に現れるなと言ってやったはずだ。道理をわきまえられないのなら、殺してやるしかあるまい」

 金灰色の伸び切った髪を振り乱し詠唱する、歪んだその声に応えて地中から次々と泥の兵隊が立ち上がる。兵たちは舞台の中心で積み重なりけ合って巨大な人型を形作る。アデッサ市街で虐殺を繰り広げたものとは違う、外へ向けて振るわれる力、人族の軍勢を三度薙ぎ払った泥の巨兵。これを従える魔術師を将になぞらえて、巨兵将と人族は呼ぶ。廃墟を守る孤独な将だ。

「一応その害獣の王様から手紙を預かったんだけどな」

 キールはふところから書簡を出して空高く放る。抜き放った剣の先が術式を描き、超高速の詠唱が終わると同時、結句と共に巻紙を指す。

「――消し飛べ!」

 剣先からほとばしった極大のはくえんは人族の王の親書をあとかたもなく焼き払うとそのままどろきょへいの胸に直撃した。うごめく泥が焼かれて固まる。動きをはばまれた巨兵の向こうでシェガロが鼻を鳴らす。

「大した威力だ。第四階位――光と炎と雷の複合だな」

「――砕け散れ」

 続くキールの魔術が黒い衝撃波を呼び、乾いた泥を吹き飛ばした。胸部に空いた大穴はしかし見る間に周囲の泥がふさいでいく。散らばった破片も巨兵が触れれば合流して元通りだ。

「闇も使うか。六つのうち四つの力を意のままにするとは。獣と言えど我が息子、褒めてやろう」

 キールが使う魔術は攻撃魔術と呼ばれるものだ。地、炎、氷、雷、光、闇、六属性いずれかの形で魔力を放出するだけの比較的に単純な術式は魔術師の基礎教練として扱われている。しかしこれは四つの階位のうち第三階位まで、属性も一つか二つに限った話で、四属性以上の第四階位を使う彼は異端中の異端だった。

 泥巨兵の腕がキールを叩き潰そうと振り下ろされる。彼は剣で足元を指し、地面を隆起させたその勢いで跳躍する。

「五つ目もあるぜ。見物料はあんたの首でどうだ?」

 黒い外套をひるがえして着地した彼が、少し前まで立っていた地面は大きくえぐれていた。命の危険をかえりみるふうもなく、地の魔術と身体強化魔術による曲芸めいた回避を披露して、獣と呼ばれた魔術剣士は首を掻き切る手振りを見せた。

「褒美として私自らり潰してやる」

 シェガロが詠唱を再開する。膨れ上がる魔力の見えない揺らぎが円形劇場を満たして泥の流れが激化した。質量と速度と精密性を兼ね備えたその従魔は、出し惜しみするだけのことはある無機創造のおう、魔族の魔術の、一つの到達点だ。

 戦闘は加速する。泥の巨兵はその大きさに見合わない速さでキールを追い、彼は地面の隆起と身体強化を駆使して円形劇場を跳び回る。巨兵の隙を突いてはこうえんを放って泥を焼き固め、続けざま闇色の衝撃波で爆破するが、泥巨兵の再生速度はキールの破壊力を超えていた。試しに術者を狙撃してみても当然に泥の巨体が阻んでくる。

「底が見えたな。しょせんは獣の子、我ら書物の民のせいな術式は扱えないようだ。その強化術とて害獣どもの真似事よ」

 父は息子をあざわらった。彼の無機創造を含む八系統のいずれかを極めることこそ魔術師の本分であり、基礎教練に過ぎない攻撃魔術にどれだけ習熟しようが半端者というわけだ。まして身体強化魔術は魔族ではなく人族がけんげきによる戦いの補助として編み出した術式、シェガロがこれをどう見るかなど聞くまでもない。

 キールの白炎が巨兵の頭部を焼いた。胸部、腹部、両腕と両脚、順に焼き砕いた部位はとうに再生してしまっている。ただ頭を吹き飛ばせば曇天にそびえる舞台櫓と、その上に立つ敵がよく見えた。

「幼い貴様に魔術を教えてやった日を覚えているぞ。仕込んだ芸を繰り返し見せてびてくる様はこっけいだったな。しまいには魔力を使い果たして丸一日寝込む始末だ」

「――そうか」

 見上げた相手の表情は遠すぎて分からない。分かる必要もない。

「魔力を放つだけの術は消耗が大きい。それだけの乱発は今の貴様にもつらかろう。そろそろ複合魔術はてなくなる頃か」

 泥の両腕がキールをけて落ちてくる。白炎ならその動きも止められるが、第四階位を三つ重ねるだけの魔力がもう無い。地の魔術で高く跳び上がった彼は観客席に飛び込みひざをついた。

「――キールさん!」

 駆け寄ってくるハイネは当然シェガロの目に留まる。

「イオ・エニングスの息子だな。父を真似て害獣にくみしようと、お前があれに似ず無才であることには変わりない。そこの害獣を始末した後でいかにしてここまで来たか吐かせてやろう」

 うわぜいのわりに細い肩が跳ね、震えるめいりょくの眼が巨兵を見上げる。彼が何を考えていたのかはあえて聞いていない。ただ、シェガロがハイネを追い詰めるその間は、キールが動くに十分な隙だった。

「――止まれ」

 鞘へ戻した剣の代わりに指輪をした手を泥巨兵へ向ける。円形劇場の魔術は舞台上の声を広く響かせるが、観客席の声を舞台へ届けることはない。ひそかに完成させていた詠唱は氷の魔術のものだ。六属性の最後、キールにとって最初の一つは、泥に潜ませた彼の魔力をつたい内側から巨兵の全身を凍らせる。

「あんたが昔のことを忘れていてくれて良かった」

 この呟きもシェガロには届かない。

「そうか、氷の魔術か! 無策で泥を吹き飛ばしたのではなく私の制御から引きがした隙に貴様の魔力を織り込んだわけだ。だがこれを凍らせて何になる? いよいよ尽きたその魔力が戻るよりも泥巨兵が融ける方が遥かに早いぞ! 所詮は獣の浅知恵――」

 そもそも言葉が届いたところで何だというのか。ろくな手入れもせず伸び放題の髪とひげをして何事かわめき散らす、あの様子ではどちらが獣か分かったものではない。キールは思いのほか冷めた心を自覚する。実の息子でありながら、目の前の彼ほどにも動揺できないとは。

「ハイネ。あんたには俺よりも強い魔力があるよ」

 彼の肩を軽く叩いてこちらを向かせる。わずかに視線を上げて緑の眼を覗き込む。こんなことをしなくても見て取れはしたが、確かめずにはいられなかった。魔術師だけがその精神に感じる不可視の波、ハイネのそれは乱れ揺れ動きながらまるで底が知れない――信じられないほどの魔力だ。

「魔術は精神だ。世界を変えたい、誰かを、自分を変えたいと願う力だ。ハイネが強い魔力を持っていても魔術を使えないのは、何かを壊したいと思っていないからだろう」

 波がいでいく。彼はそれでいい。わらべうたのような短い詠唱をして手を差し出す。シェガロの喚き声はもう聞かない。

「だから今は、俺が代わりに戦う。力を貸してくれ」

 迷っていたハイネはややあってうなずき、キールの手を取った。キールが使った魔術は同意した相手から魔力を譲り受けるものだ。魂にまつわる古い術式が築いたつながりから透明な力が流れ込んで、一度は尽きた彼の魔力に変わる。

 キールは巨兵を見上げた。変わらない曇り空の下、凍らせた泥は蠢くこともなく、いつの間にか風は止んでいる。黒い剣を再び抜いて魔力を込め、八度目になる術式を描く。魔族語とは違うことばで歌うようにしかし感傷に浸る真似はせず、過剰なほど繰り返した詠唱の末、すべての魔力を叩きつけざま結句を叫んだ。

「――夜空には星、ちてぜろ!」

 ぜっしょうに似た高い響きと共に視界を白く塗り潰した輝きは、凍った泥を一息の間もなく砂に変え、舞台櫓の過半を融かす。支えを失った櫓は倒壊して、もろく重い音を円形劇場に響かせた。



 戦いの行方は決した。人族の王を拒む魔族の将は、彼が人族との間に成した子の手で打ち倒された。舞台櫓から転落した彼は捨て置こうともいずれことれる。魔族の王国は亡き先王が夢見たとおり、今度こそ半ばほどが人族に委ねられるのだろう。

 だから、この先にあるものは一つの家族の結末だ。

 再び魔力を使い果たしたキールは戦いの緊張がれてもうろうとする意識を繋ぎ止めながら、観客席から舞台へと降りていく。ハイネが黙って彼を見送った。

 少し前まで駆け回っていた舞台はそこかしこに彼と父の魔術が穿うがった穴が空き、流れ落ちていく砂に足を何度も取られかける。

「あんたのこと、憎んではいないよ」

 告げた言葉が響き渡る。円形劇場の魔術はまだその効力を残していた。しかし返事はない。もはや意味を成さないうなり声に、役者の台詞を遠く届ける魔術は及ばない。

「あんたはひどい親だったけど、ずっと酷かったわけじゃない」

 血の臭いがした。苦くい不快な味が口に広がる気がした。今は父が倒れて、彼の足取りは重い。魔術の炎が残した熱に誘われてのうに浮かぼうとする記憶にはしかし重いふたがされていた。

 舞台櫓のざんがいうずもれて、魔族の男がひとり横たわっている。

「一つ違えば、こんなことにならないで済んだかもな」

 ねじれた暗灰色の角は片方が折れ、伸びてもつれた金灰の髪はれて血に汚れ見る影もない。せこけた体は地に墜ちたあげ残骸に潰された。赤黒いぬかるみに横顔を沈めた彼は近づく気配をうつろに見上げる。キールの息が詰まる。あの目は果たして迫り来る影を我が子と認識しているのだろうか。

「でも後戻りはできないんだ。そうだろう?」

 うるさい鼓動を押し留めて、杖代わりにしていた剣を握り直す。散々振り回していた剣が今はひどく重い。しかしこのままでは苦痛を長引かせるだけだ。呼吸を二つ。笑うべきか、そうでないのか。

「――今、楽にしてやる」

 叩きつけた黒い刃はただ首を潰して、キールはにぶい音を聴いた。

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