ロジェ・レドーネの残影
白沢悠
半端者たち
重い扉を押すと
朝の光が細く差し込む石の床は赤い
彼が連絡役として所属していた抵抗勢力の隠れ家はたった一晩で全滅させられた。
「――遅かったか」
扉の方から、吐き捨てる声がした。外からの光を遮った影は暗い部屋の中へ踏み込んでなお黒かった。角がないから人族だろうか。黒髪に黒
「あなたは?」
「キール、でいい。あんたはイオ・エニングスの
若い男の声が
「止めておけよ。第一
態度こそ
「味方とは言わないんですね」
「それはあんた次第だな」
青年が短剣を下ろすとキールは隠れ家を
「何をするんですか」
「アデッサの地下には隠し通路がある。この隠れ家からあいつが
どうやらこの旅人は思いのほか事情をよく知っているようだ。青年は回らない頭で
「出口で待ち伏せされる可能性は?」
青年は尋ねた。確かに彼は地下通路の構造を把握している。その出入口の一つがこの隠れ家にあり、別の一つが円形劇場にあることは確かだ。しかし共通の敵がいるという申し出を信じて見知らぬ旅人を招き入れることには抵抗があった。特に待ち伏せを警戒する理由はない。ただ、決断が怖かった。
キールは
「泥人形どもが正面からしか来なかった時点であり得ない」
扉は壊されていた。キールの推測どおり、泥の兵隊にこじ開けられたのだろう。青年はここに来てようやく隠れ家の惨状を直視する。数えるだけでも吐きそうになるが――
「場所を変えないか。あんたの顔色、見ていられないよ」
こちらを
「――ハイエリグネ・イオ・エニングス。あなたも知ってのとおり、先のアデッサ筆頭、第一等魔術官ニードゥルデン・イオ・エニングスの息子です。魔族の姓が長いならハイネと呼んでください」
この王国には二つの種族が共に暮らしている。頭に
初めて目を合わせたキールは種族の差もあってかハイネより少しだけ背が低く、髪や服と同じ夜空の色の
先に向かわせたキールに続いて
キールの様子を見ると、彼は壁に体を預けて何かを食べている。
「それって」
「ハイネも食うか?」
空いた片手で差し出してきたそれは干し肉の
「干し肉は、ちょっと」
たった三年前まで平和なアデッサで共に暮らしてきたひとびと、父と話すところをよく見かけた魔術官や書記官、隠れ家へ
「悪いな」
手を引いた気配がしたのでキールの方を見ると、今度は
自分の食事を済ませたキールはその場で目を閉じる。
「あのままあそこに置いておいたって腐るだけだ。だったら生きている奴が食った方がいい」
そういえば彼は隠れ家で食糧庫を漁っていた。空腹だったのだろうか。ハイネがそんなことを考えている間、キールは目を
ハイネが最後の一欠片を飲み込んで息をつくと、キールは壁から体を離して地下通路を歩き出す。ハイネは慌てて灯りを拾い上げると、彼を追い抜いて前に出た。明かりの届かない暗闇に足音が二つ吸い込まれていく。
沈黙に耐えかねてか、背後でキールが
「――シェズムーガロ・ロジェ・レドーネ。人呼んで、
この王国は代々書物の民の王が治めていたが、三年前に人族の若者が彼らの国を求めて声を上げた。人族の多くは戦いを覚悟していたようだが、書物の民の王はこれを受け
しかし結果的に、人族たちの
「あのひとがここまで残虐だとは思っていませんでした」
ハイネは振り向かないまま呟く。ロジェ・レドーネが操る泥の兵隊は人族と人族に味方した書物の民を皆殺しにした。人族の王が向かわせた兵までも壊滅させること三度、やがて何かが狂ったのだろう、もはや種族も思想も区別せず虐殺を繰り広げている。
「あいつの人族嫌いは有名だったんだろう? ハイネの親父さんもどこかでこうなることを恐れていたから隠し通路を教えなかったし、だから隠れ家はあの場所に造られたんじゃないのか」
キールが指摘したとおり、ロジェ・レドーネはもともと人族への強い差別意識をまるで隠さないことで知られていた。特に名門の出ではない彼がいかにして第二等という高位の魔術官になれたのか疑問に思う者は後を絶たなかったが、ハイネがかつて見た彼には、ただの人族差別主義者というわけではない何かがあったと思う。
古い魔術師の家系に、しかも高位魔術官の子として生まれていながら、ハイネはいくら努力しても魔術を使えるようにならなかった。アデッサの危機にそれどころではなくなった今でも、あの聞くに耐えない噂話のいくつかはよく覚えている。
「イオ・エニングスのご
「不出来な子ほど可愛いというが、一言もお責めにならないとは」
「奥方がご健在であればまたお子を望めたものを」
言葉でも態度でも父に責められたことはない。それどころか多忙の合間を
「まだ二十かそこらのお歳でしょう。焦ることはありません」
そう言ってくれた
ハイネがロジェ・レドーネと
「子供がなぜここにいる」
「イオ・エニングスの子ですよ。あの、二度も指南役を辞めさせた」
伝統的な仕立ての
「――強い魔力を持っている。殻を破れば優れた術者になる」
射抜くような
あの官舎は他でもないロジェ・レドーネが破壊したはずで、おそらく父もそこで
遊ぶ子供のような調子で後ろからキールが尋ねてきた。
「俺はあいつを殺しに行くけど、ハイネはどうする? 脱出した仲間を探しに行っても、ここで待っていてもいいぜ。戦いを見届けてくれてもいい。どれが安全かは分からないが――」
「ついて行きたいです」
振り返れば、黒い眼にかすかな
「――理由を聞いてもいいか?」
「彼がどう変わってしまったのか、僕は見ていない」
返事はない。ハイネは梯子を登って出口の鍵を開けると、また降りてキールに先を譲った。この旅人に魔術の
「あなたは何のためにロジェ・レドーネを追っているんですか」
沈黙に耐えられず発した問いは
この王国には二つの種族が共に暮らしている。頭に角のある書物の民と、角のない人族、両者は交わり子を成すことができた。半魔族、あるいは
言葉を失ったハイネを
「――親子喧嘩」
つまり、彼もまたロジェ・レドーネなのだ。
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