あの頃に戻れたら。
渡貫とゐち
昔の我が家へ。
「もしもあの頃に戻れたら……」
久しぶりに同級生と再会し、その流れで「飯いこうぜ」と向かった居酒屋でそんな話になった。もしもあの頃に戻れたら――なにをする?
「じゃあ聞くけどさ、いつに戻りたい?」
「やっぱ小学生かなー。部活がなければ勉強も難しくなかっただろ? 家庭によっては習い事もあったかもしれないけどさ、俺んちはなにもなかったし。学校が終われば寝るまで自由だったんだ。あの頃はひとつのゲームを何十時間とやり続けて……やり込み要素までとことんやってたんだよな……しかも全クリしてからデータを消してもう一回、なんてな。今考えると時間の無駄だったなーとか思っちまうぜ。あの頃の俺からすれば楽しんでいたんだろうけどな」
今にして思えば、だ。
あの頃は時間がたくさんあったけれど、使い道はくだらないことばかり。大人の今言えることは、「勉強をしろ」もしくは「映画を見ろ」だ。
同じ経験を繰り返すよりも洗練されたメッセージ性を読み取る方が有意義なのだが、それは子供を通り過ぎた大人だからこそ分かることだ。
当時の子供に気づけるわけもない。そして、今のおれがあるのは無駄な時間を過ごした子供時代があったからだ。となると、あれは無駄ではなかったんじゃないか、と思えるようになる。
「オレは中学時代だ。好きな子に……告白すればよかったなあって、後悔しててさ……」
「え、誰だ、同じクラス!?」
「同じクラスだよ。クラス替えもしてるし、別クラスの子って逆にいない気もするけどな……」
誰なんだ!? と隣の友人と一緒に対面の友人を詰める。
口に出したのだから今更隠す気はないようで、同級生の女子の名前を教えてくれた。
「マジかよ、あの時好きだったんだなあ……」
「まあな。でも、その時は気づかなかったよ。後になって、あいつのことが好きだったんだなあって気づいたんだ。気づいた時にはもう高校生だったし、高校も別だったしな。それに、告白なんかできるわけもなかったからな、仕方ない失恋だ」
フラれたわけではないが、当人からすれば失恋のようなものだろうな。
告白して断られるだけが失恋ではないのだ。相手に恋人がいた、想い人がいた――それを裏で知って告白を諦めるのだって、立派な失恋なのだ。
「だからさ、あの頃に戻れたら告白すると思う。
断られてもいいんだよ、告白するだけで充分だ」
「それ、お前がスッキリしたいだけじゃん」
「ああそうだ、なにが悪い?」
悪いとは思わないが……、相手の子が可哀そうな気もする。
未来から過去へやってきた、中身が大人な同級生が、後悔を晴らすために本気で付き合いたいわけでもないのに告白してくるとか。……事実を知ったらショックだろう。
ショックどころじゃないかもしれないが。
「たとえばOKが出たらどうすんの? 付き合うの?」
「もちろん付き合うけど」
「ロリコンめ」
不可抗力だが、ロリコンだろう。
他にどう言えばいいのか分からないが……、まああり得ない話だ。
もしもあの頃に戻れたら――その中で「たとえば告白してOKが貰えたら」、なんてたとえばの話は今からすれば遠過ぎる。
回想シーン中に始まる「数時間前のこと――」みたいな感じだ。
回想中に回想を入れるべきではない。
「で、お前はどうなんだよ?」
「ん、おれ?」
もしも、戻れるとしたら……。
「……小学生かな」
習い事があったので自由だったわけではないし、好きな女の子がいたわけでもない。つまらない話だが、ごく普通の小学生だった。
一年に二回だけ親が買ってくれるゲームソフトを遊んで、休日は友達の家までいって遊びに誘って、公園ではしゃぐ。そんな小学生だった。
駄菓子屋にいけば安いお菓子で腹を満たし、十円でできるゲームを楽しむ。そんな、当時はありふれた光景。
もちろん、今ほどハイテクだったわけではない。小学生が携帯電話を持っているわけでもなかったのだから。
今ほど公園での遊び方に厳しかった時代でもなかった。夏も今ほど暑くはなかったのだ。猛暑なんて珍しかったはず……というかなかった? あって真夏日か。そんな少年時代だ。
なにもなかった、と言えばその通り。
だけどおれの中では美化されている。楽しかったのだ。一日が。
一週間が、一ヵ月が、一年が。楽しかったし、充実していた――早く大人になりたかったけれど、一年が長く感じたのはやっぱり小学生の時だった。
戻りたい……戻れるのなら。
あの時の空気感を、少しだけでいいから、また味わいたかった。
「……あれ?」
居酒屋で飲んでから後の記憶がなかった。
酔って……家に帰れたのか……?
まあ、天井があるから家には辿り着いたのだろうけど……ん?
でも、待て、知っている部屋じゃない。
じゃなくて、知っている家ではあるのだけど、今はもう住んでいない家のはずだ……懐かしい……そして、当時飼っていた犬がおれの周りを歩いている。
「…………なんでいるの?」
わふぅ、と鳴く犬だった。
一度も、わんっ、と鳴いた声を聞いたことがない。
大きな声では滅多に鳴かなかったのだ……ほくそ笑むような、わふぅ、という声が懐かしい。
テーブルの上には少年ジャンプがあった。
随分と前に完結した漫画がたくさん載っている。
そもそも日付が昔だった……今日は――――。
「戻ってる……」
分かってはいたけどちゃんと認めよう……、酔った勢いで過去にきているらしい。
……まさか、マジで「もしも過去に戻れたら?」――だ。
家には誰もいなかった。
壁掛けのカレンダーを見ると、今日は夏休みか。家には溜まっていた宿題があり、一日ごとに何ページを終わらせるか書いている。予定を立てていたらしいけど、まったくその通りにいっていない。初日から計画がずれていたらしい……おれらしいぜ。
小学生にとっての宿題なんて邪魔でしかないからな。
「さて、ひとまず部屋を物色だな」
懐かしいものがどんどん出てくる。今や高値がついた箱ありのゲームソフトだ。
なぜ、おれは箱を捨ててしまったのだろう、と後悔していたが、これをこの先、十年以上も大切に取っておくとは、当時のおれが思うとは思えなかった。
おれに限らず、子供が箱を大切にするとは思えない。この時代はまだパッケージではなく、箱なのだった……、既に箱は劣化していた。早いなあ。
テレビを点ける。そう言えば番組表は雑誌じゃないと分からないんだっけ……?
テーブルの下の雑誌を見ると、当時見逃していたテレビ番組が今日の夜に放送されるらしい。ちょうどいいし、見るか。
視聴予約、と思ったけどそんな機能はなかった。そもそもデジタル放送ではない……懐かしいな、赤と黄色と白の配線がある。
テレビも薄型じゃない……時代を感じるぜ。
そりゃそうだ、だって今年は――――。
冷蔵庫に入っていた昼食を食べ、冷房が効いた部屋で寝転がる。
今日のおれはぐっすりと眠っていたみたいで、眠気が一切なかった。
近づいてくる飼い犬の頭を撫でながら……、無意識に片手がスマホを探していた。
あー、そっか、ないんだったな……そう言えば。
なにもない。あれ? 当時、おれはなにをしていたんだっけ……?
昼間なのでテレビはドラマの再放送をやっていた。
家にパソコンはなく、スマホも携帯電話もなかった。
ゲーム機もかなり前のもので、最新ゲームに慣れた目だと昔のグラフィックにはすぐ飽きてしまう。懐かしいけど、やっぱり物足りない……。そしてゲームだけではなく、静かな部屋でまったりとしていると……つまらないことが発覚した。
休日、やることに困ることなんてなかったのに……。
小学生の時のおれの家って、こんなになにもなかったっけ??
近づいてきた飼い犬が、ねだるように、「わふぅ」と鳴いた。
退屈するおれを見かねたのかもしれない。誘ってくれる。
「……散歩いく?」
そう言えば、当時のおれはこいつの散歩をめんどくさがっていた。結局、片手で数えられる程度しかいけていなかったかもしれない。
……後悔、ではないけれど(だって今の今まで忘れていたし)、せっかく過去に戻ってきたのだ、こいつの散歩をしてやろう。
リードを付けてやり、最高気温が三十度もない涼しい外に出る。
すると、ちょうど仕事から帰ってきた母親とばったり出会った。
「散歩にいくの?」
「うん」
「そう……珍しいわね。暑いから気を付けてよ?」
「え、暑い……?」
「暑いでしょ、今日は二十八度よ?」
と、言うけれど、まったく暑くない。
母親は汗だくだけど、今のおれは外に出ただけで滲んでくるじんわりとした汗がなく……未来とは違い、湿度がないからか。
からっとしていて、過ごしやすい暑さだった。
「大丈夫だよ、子供は暑がらないんだから」
「寒い時に言うセリフでしょ。
まあ、大丈夫ならいいけど……じゃあお願いね。いってらっしゃい」
「うん、いってきます」
足下ではしゃぐ犬っころと一緒に、マンションを出た。
あの頃に戻れたらなにをしたい?
別に、なにもしなくとも、その時の空気を体感するだけでもいいんじゃないか?
宝の持ち腐れだが、なにも望まない人間にこそ、チャンスがやってくるのかも?
それとも――――
「お前が望んで、おれを連れてきてくれた……のかもな」
返事のつもりか、足下の犬っころが、わふぅと鳴いたのだった。
…おわり
あの頃に戻れたら。 渡貫とゐち @josho
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