第10話

 なんか久しぶりによく眠れた気がする。


 なんでだろ。わからないんだけど、理由を考えるなら、あんずがいたからってことになる。でも、それが何を意味するのか見当がつかなかった。


 一華いちかさんの抱き枕にされなかったからなのかなあ。でもそうだとしたら、一華さんのすさまじい寝相の犠牲になったのはあんずってことになって、それはそれで可哀想かわいそう


 で、目覚めてすぐ一華さんを探してみたんだけど、布団には胎児たいじのようにまるまってるあんずの姿しかない。


 扉の向こうからはパンの焼けた香ばしい匂いが漂ってきていた。一華さんはもうすでに起きていて、朝食をつくってるらしい。


 充電器に差しっぱなしのスマホにいずりよって、時刻を確認する。午前八時半。いつもだったら遅刻もいいところだけれど、今日は日曜日だ。


「あんず」


 布団へ戻って、あんずに声をかける。でも、なかなか起きない。たぶん、寝れなかったんだろうなあ。好きな人の家で、それも隣で寝てたんだから。


 近寄り、その肩に触れようとして、どう触ったらいいのかわからない。セックスしてる時だって、わたしからは何もしないし。


 だから、ふわりと広がった黒い髪に手を伸ばす。さらさらとして心地よいあんずのトレードマーク。そこにかわいらしいパジャマが加わって、心の奥底がむずがゆくなってくる。


「こうしてたらかわいいのに」


 髪をすいていたら、あんずの目がゆっくりと開いていく。思わずドキリとしちゃう。


 わたしを見つめる真っ黒なひとみはトロンとしていてまだ夢見心地。


「ん……」


「おはよう」


 わたしは挨拶あいさつ。あんずは舌足らずな返事をし、寝ぼけまなこでわたしのことをじっと見つめてくる。


 急に焦点が定まって、パッと驚きがひろがった。

 

「い、一華さまっ!?」


「そう言うと思った。わたし、恵梨香えりかだよ」


「恵梨香……? アンタがなんでアタシんちに」


「いや違うから。そっちが来たの。うちでお泊り会してるの」


 あんずはいまだに寝ぼけてるらしい。キョロキョロとハムスターみたいに瞳が動いてる。


 ようやくあんずが正気になったのは、30分が経とうとしたころ。


「そうだったわね……」


「眠そうだね」


「かなり。昨日は寝れなくて」


「もしかして、一華さんが迷惑かけなかった?」


「べべべべつにっ!」


 あんずは手と首をブンブン振って、否定する。


 なんだその反応、わかりやすすぎる。


 やっぱり何かあったんだ。


「からだとか大丈夫? 激しかったでしょ」


「……朝っぱらから何言ってるのよ」


「え?」


 寝相のことを言ってたつもりなんだけどな。ほかになにか迷惑をかけてしまったのか。


「うちの姉がごめん」


「いやいやいやいやっ。むしろ謝るのはこっちというかその……」


「はあ」


 わたしとあんずは布団の上で見つめ合う。


 なんだこれ。どういう状況なんだ。


 困り果てていたら、キッチンの方から一華さんの声がする。


「ごはんできたよー。まだ寝てるのかな、休みだからっていつまでも寝てたらウシになっちゃうよ」


 トットットと足音が寝室へと近づいてくる。


「行こう」


「あ、ちょっと」


 わたしはあんずの手をとり、立ち上がる。振りかえると、なに、とばかりに睨まれた。


「今ハサミがあったら絶対、わたしに向けてきてたよね」


「アタシをなんだと思ってんのよっ」


 げしっとキックが飛んでくる。


 それが妙に新鮮で、わたしの心臓はとくんと跳ねた。






 リビングへ向かえば、すでに朝食がテーブルに並べられていた。


 いつもより1人分多い料理。


 つくってくれた一華さんは、腰に手を当てわたしたちを見てくる。


「2人ともおねぼうさんなんだからっ」


「でも、一華さんだっていつもよりも遅いよね」


「言い訳はいいから。さ、ごはんにしましょ」


 わたしは頷く。いつもよりもたっぷり寝たからか、おなかはいつにも増して空いている。今にも腹の虫が絶叫しそうなくらいに。


 席に座ろうとして、一華さんの視線に気がついた。


「仲良くなったんだねえ」


 なんで、そんなことを言われたのか。一瞬、わけがわからなかった。でもすぐにつないだ手が熱くなってすぐにわかった。


 バッとわたしは手を離す。いや、向こうの方が速かったかも。


 ――別にそんなんじゃない。


 一華さんへ発しようとした言葉は、出ていかなかった。


 口の中はカラカラだった。


「そのままでもよかったのに」


「か、からかわないでください」


 代わりにあんずが言いたいことを言ってくれた。そうだそうだとわたしも頭の動きで同調しておく。


「そんなつもりじゃなかったんだけど。そう思わせちゃったのなら、ごめんなさい」


 一華さんってばホントあんずには甘いよね。わたしにもそのくらいの配慮はいりょを見せてくれたら嬉しいんだけど。


 通学路で抱きしめてきたりとかお風呂に突入とかはやめていただきたい。


 わたしたちはテーブルについて朝食にする。


「あのさ、一華さん」


「どうかした? もしかして、昨日お風呂、一緒に入らなかったから寂しかったとか――」


「違う。断じて違う」


「じゃあなにかな」


「昨日の夜さ、途中でどっか行った?」


 証拠があるわけじゃなかった。わたしはこれでも眠りは深い方、というか小さいころから一華さんの抱き枕にされてたから、深くならざるを得なかったというか。


 だからこの質問はひっかけでカマかけ。反応してくれたらうれしいんだけど、一華さんはいつもの笑みを浮かべてるだけ。


 だよなあ。


 でも、今日はもう一人いる。


 そのもう一人は、すかっすかっと白米のない空中をはしでつまもうとしてる。明らかに動揺していた。


 やっぱり。


 一華さんとあんずは何かしら話をしたらしい。


 そこで何があったんだろう。気になる、気になるけれど、わたしは聞くことができなかった。


「……気のせいだったらいいよ」


 わたしが言えば、珍しく、一華さんはからかってこなかった。


 あんずは、そうよそうよと呟いている。


 これもまた新鮮だけど、これはちょっと求めてない。


 いつものごはんも、あまり味を感じられなかった。






 ごはんを食べ終わり、垂れ流しにされていたニュース番組をぼけーっと見ていたら、視界の端にソワソワしてるあんずが目に入った。


「トイレにでも行きたいの?」


「ちがうわっ」


「エリちゃん、たぶんあんずちゃんはね、おうちに帰りたいんじゃないかな」


「ああ、なるほど」


 時刻は10時で、お泊り会はすでに終わったといえる。あんずの家族だって心配してるかもしれないし、帰りたいに決まってるか。


「いつまでもいてくれてもいいんだけどね」


「か、考えておきます」


 考えるな考えるな。


 そういうわけで、あんずは寝室に行って着替えとかをまとめ始めた。


 わたしはそれを手伝うことはせず――というか向こうから拒否きょひされてしまった――テレビを見続けていた。


 なんて聞こうか。


 今なら、一華さんに聞くことができる。


 わたしが寝てるときに、あんずと何をしたんですか。そう聞くだけでいい。


「エリちゃん」


 声がして、勢いよく振りかえる。なんてタイミングだ。こっちから話しかけようと思ってたのに。


 質問が宙ぶらりんになっちゃった。


「……なに」


「お見送りしてきなよ」


「はあ、なんで?」


「いいから。女の子を一人で帰らせちゃいけないんだよ?」


 それは彼氏から教わったことなのか、と突っこみたくなったがやめた。あんずが聞いたら大変なことになっちゃうから。


 そんなことをしてしまえば、何のために、あの時、あんなことを口走ったのかわからなくなる。


 わたしは寝室へと向かえば、ちょうどあんずが出てくるところだった。


「どうしたのよ、そんなに慌てて」


「ちょっと待ってて。着替えてくるから」


「なんで、アンタが着替えるのよ」


「一華さんが見送りしてこいって」


「別にそんな……」


「わたしもそう思うんだけどね。フリでもしてないと納得してくれないから」


 わたしは背後の一華さんをちらりと見る。腕組みして仁王におう立ちする姿は、まるで子どもがはじめてのお使いするのを見守っている親みたいだ。


 あんずが「なるほど」とつぶやいた


「わかったわよ。でも早くしてね」


「待つこと嫌いだもんね」


 うるさいっ、という声を背後に聞きながら、どんな服を着ようかと考える。いい感じのがいいんだけど、レパートリーとかないしなあ。






 マンションを出ると、春の陽気な日光に包まれた。あくびが出ちゃうくらいにのどかな空気だ。うーんとひと伸びするだけで、生まれ変わった気がする。


「荷物貸して」


 わたしは手を差しだす。あんずは意図がわからんとばかりに首をひねっていた。


「いや、持つから」


「な、なんでよ。もしかして、アタシのもんを盗むつもりでしょっ」


「そんなことするわけないでしょ」


 ギュッとボストンバックを抱きしめるあんずに、わたしは言う。というか、その中に入ってるのは着替えとかそんくらいだろ。それをって何になるって言うんだ。


「だって、アンタがにおいフェチのヘンタイかもしれないじゃない」


「だったらセックスのときにいでるから」


「ああもうわかったわよっ!」


 両手で抱えたボストンバッグが押し付けられる。受け取りはするけれど、なんで怒ってるのかがいまいちよくわからない。見送りだからやってるだけなんだけどな。


 あんずはわたしを睨んできてる。


「うれしくないの?」


「別に? ちっともうれしくないけど?」


「そっか」


 でもまあ、一度持ったからには最後まで仕事をつとめることにしよう。


 それに、バッグがなくなるとあんずの格好がよく見えた。


 見慣れた制服じゃなくて、私服。どこのブランドかもわからないロンTにパーカーをすっぽり羽織はおってる。スカートの下にはニーソックス、そしてバスケで使えそうなほどごついスニーカー。


 うん、すごく似合ってる。


 それに比べてわたしはなんだ。制服じゃないだけマシって感じの退屈な服装だった。あんずの隣にいて浮いてないだろうか。


「こうやって朝から歩いてるのってなんか新鮮だね」


「前にもあったでしょ。……アンタに驚かされたの忘れてないからね」


「あれは別に歩いてたわけじゃないじゃん」


「それはそうだけど」


 モゴモゴとあんずが口ごもる。


 会話が止まっちゃった。


 とはいえ、ほかに何を話せばいいのやら。天気の話は流石によそよそしすぎるし、エッチなトークに花を咲かせる時間帯でもない。


 わたしたちは黙々もくもくと脚を動かす。


「「あの」」


 いたたまれなくなって口を開けば、向こうも同じタイミングで声を発した。


「えっとそっちからでいいよ」


「いやアンタから話しなさいよ」


「……じゃ、わたしからね」


 で、何を話そう。といっても、最初から決めてたんだけどね。


「告白は……した?」


 聞いた瞬間、後ろを歩いていたあんずが立ち止まった。振りかえったら、目をまんまるに見開いてびっくりしてる。感情が態度に出やすい人だなあ。


「起きてたの?」


「そういうんじゃないけど。やっぱり夜に何かあったんだ」


「ってことはあの質問ってそういうことだったの? あたし、ぜんぜんわからなかった」


「一華さんが口を滑らせてくれないからって思ったんだけどね。それでどうだった?」


 わたしはできるかぎり明るく言った。あんずが気にしちゃったら申しわけない。


 仮にあんずが一華さんと付き合ったとしても、ピエロみたいに笑いつづけるつもりだった。


 どんなに心が苦しくても、顔が痛くなっても。


 それがあんずの判断ならしょうがないし、どうしようもない。


 当の本人は顎を撫でたり、キョロキョロしたり、明らかにおかしくなってる。


 でも、わたしをじっと見つめてくる。


 その視線を、わたしは受けとめる。


「してないよ」


「――――」


 思わず息が止まった。呼吸だけじゃなくて、世界が、時間そのものが停止したみたいに思えた。


 何も音が聞こえないみたいだった。あんずの言葉以外なにもかも。


「ホントに?」


「本当に。なんで、アンタにウソつかなきゃならないのよ」


「一華さんにそう言い聞かせられたとか」


「まさか。一華さまなら、いの一番にアンタに言うようにすすめると思うけど」


「そうかなあ」


 むしろ、隠しておいてとっておきまで隠しておくんじゃないだろうか。そのとっておきってのはわたしにもわからないんだけど。


 っていうか、ホントに告白してないの?


 あれだけ好きだったのに?


 ……やっぱり、わたしがあんなことを言ったからなんだろうな。


 だとしたら、かなり申しわけなくなる。と同時に、これでよかったという気もした。


 一華さんと付き合って真実を知るよりかは、たぶんいいはず。


 そう思わなきゃやってられない。


 今すぐ死にたくなる。


 そんなことを考えていたら、あんずが目の前に立っていた。


 その顔にはなにか必死なものが見え隠れしていた。なんでそんな顔をしてるんだろう。


「あたし、ホントにしてないから。ウソだったらこのハサミで死んであげる」


 あんずは瞬く間にパーカーからハサミを取りだして、自らの喉元に突きつける。


 こんな道の往来で。そこここを人が行きかってるっていうのに。らしいっちゃらしいけれど、視線がめちゃくちゃ痛い。


 でも、この刺激は嫌いじゃなかった。


「わたしを殺すんじゃないんだ」


「だってそれじゃ、おどすことになっちゃうでしょっ」


 たぶん、その行為すらわたしを脅迫きょうはくしてるとは気がついてないに違いない。仮に脅してるつもりだろうが、わたしは同じ言葉を答えるつもりだ。


「信じるよ」


 わたしの言葉に、あんずが目をまるくさせ、そして笑った。


 控えめだけどきれいな笑顔。


 はじめて見た表情は、陳腐ちんぷだけど今まで見てきたもののどれよりも美しくて。


「アンタはさっきのしけた面より、そっちの方がずっといいわ」


 その言葉の意味も、笑みの意味もわからない。


 でも、どこかから湧き出る気恥ずかしさが、わたしを行動に駆り立てた。


 思わず顔を背けて歩き出す。どこにあんずの家があるかは知らないけれど、いつまでも見つめられるとちょっと困る。


 顔が熱いのは春の陽気に当てられたからだ。きっとそうに違いない。

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