第7話 見慣れない世界02

翌日、目が覚めて店の方に向かうと、もうすでにアラタさんは起きていて朝食の準備をしている所だった。

「おはようございます」

「おはよう。もうすぐ朝食が出来上がるよ」

 カウンターの一番端の席に座り、出された食パンを頬張る。

「穏界についての勉強は順調?」

アラタさんが自分の食パンにバターを塗りながら尋ねてきた。

「そうですね。と言ってもまだまだ知らなきゃいけないことが多そうです」

「全部を知らなくてもいいじゃないか。生活する中で少しずつ、知っていけばいい」

確かにそうだ。これから何回も穏界に行く機会があるから、その時に体験しながら学んでいくのも悪くない。でも、

「一つ、聞きたいことがあるんです」

「何?」

「穏界には、個人の能力によって階級があると知りました。ただ、具体的な説明がされていなかったので、詳しく知りたいんです」

アラタさんは腕を組んで、少し考える仕草をした。

「そうだなぁ、階級がないと言ったら噓になるけど、一人一人が意識しているものでもないんだよね」

「そうなんですか?」

「うん、昔は人を支配・コントロールできる能力が一番階級が高いとされていたんだ。でも、どうしても悪用する奴らが出てくる。だから一時期は階級が廃止された時があったんだ。でも、やはり統率が乱れる。だから、世界を引っ張っていくトップの人間にだけ、階級が設けられるようになったんだ。僕達のような一般人にはあまり関係のないことになっている」

「へぇ……。でも、能力に対する優劣は出てきますよね?」

「ああ、だから、なるべく優劣がつかないように、個人の能力が一番発揮される場での仕事をすることが求められる。あと、他人をコントロールできるような能力の場合、悪用しないための監視システムが個人に内蔵されるように決められているんだ」

感心して聞いていて、ふと疑問に思った。

「私の能力は何なんでしょう……」

「え?」

「父からも、兄からも聞いたことがありません。ハーフだということはわかったけど、だからと言って私に能力が現れるという確証はありませんよね?」

「重要なことを言ってなかったね」

「何ですか?」

「僕たちの『目』についてだ」

「『目』ですか?」

「僕たちはそれぞれ違った瞳の色を有している。僕は深い緑色に見えるだろう? 同じような能力の場合、似た色になる傾向があることがわかっている。それを踏まえたうえで、アオイちゃん、君の目は、光が当たる角度によって緑色に見えることがある。これがどんなことを意味しているか、分かるよね?」

もしかして、私には

「能力がある、ということでしょうか……」

「そう、そして、僕と似た能力を持っている可能性がある」

「え、瞳の色が変わって見えるというのは、他人から言われたことがあるのですが、父も兄も同じような色だから気にしなくていいと……」

「君が、穏界で過ごすことになるなんて想像していなかったからかもね。ある意味優しさからの言葉だったんじゃないかな」

「で、でも、私は自分に能力があるとは思えません。だって、今まで何も起こったことがないから」

「おそらく、穏界の人間のように幼少期からの鍛錬がなかったことが原因かもね。能力はあるけれど、コントロールの仕方がわからないから現れない」

「なるほど……」

「でも同時に、コントロールができない故に、能力の暴走が起こってしまう可能性もあるということだ」

それは困るなぁ。でも、私にはどんな能力が秘めているのだろう。

「能力は遺伝する。一度、お父さんかお兄さんに聞いた方が良いだろう」



**



「なんだ、碧が来てほしいって言うから来たのに、こいつもいるのかよ」

私の隣のカウンター席に座った兄が、カウンター内の丸椅子に座っているアラタさんにため息がちに言う。壁にかかった時計は昼の三時を示している。

「当然だろう、ここは僕の職場兼家なんだから」

「お兄、仕事もあるのに来てくれてありがとう」

「いや、今日は特段急ぎの仕事もなかったからな、いいんだ」

「突然ですが、お兄さんは何の能力を?」

アラタさんが椅子から立ち上がって兄にぐっと詰め寄る。

「なんだよ、急に近づいてきやがって。お前に話す義理なんてないだろ」

「お兄、教えて」

「なんだよ碧まで。その前に何があって俺を呼んだのか説明しろよ」

 私たちは朝食中の会話について兄に伝えた。私がどのような能力を持っていて、これからどのようにしていけばいいのかを知りたいのだ、と。

「俺の能力は簡単に言うと『未来予知』だな。そんな大層なものでもなく、精度もオヤジより低い。俺は穏界で働き始めてすぐ鍛錬を始めたから穏界人よりも発現が遅く、コントロールもまだ不十分だ」

「お師匠さんがいるのですか?」

「ああ、いる。中学を卒業した後、身一つで穏界に来た俺を育ててくれた」

「じゃあ、アオイちゃんにも同じような能力が?」

「あると言えるな。オヤジは俺たちに何も言わなかったが、目を見ればわかるだろ?」

確定と思っていいだろう、と兄は付け加えた。

 となれば、私も能力のコントロールができるように練習を積まなければいけないわけだ。まず何から始めたらいいかもわからない。練習してもうまくいかないかもしれない。

「そんな不安そうな顔するなよ、碧」

隣に座る兄が立ち上がる。

「一朝一夕でコントロールできるようになるものでもないが、努力は実を結ぶ。絶対にだ。能力の指導は、能力を持つものであれば誰でもできる。俺でも、こいつにでも頼めばいい。今度、コントロールについての本も持ってくる」

「ありがとう。でも、二人とも仕事が……」

「大丈夫だ。こいつ、暇そうだろ?」

兄がアラタさんを指さす。

「僕の仕事を何だと思ってるんだ? 君だって今日は暇だとか何とか言ってたじゃないか」

「今日『は』だ。一緒にするな」

「何だとこのシスコン」

「なんだよお前こそ碧と馴れ馴れしくしやがって。碧が気を許してるからって傲慢になるなよ」

「なんだと」

「なんだよ」

まただ……。この二人の組み合わせはよろしくないのかもしれない。

「ストーーーーップ‼」

カウンター越しでいがみ合う二人の間に割って入る。

「二人ともすぐ喧嘩するじゃん。やめてよ、仲良くして‼」

「俺は碧のことが心配なんだ」

「僕は誠実だぞ」

「自分で誠実だというやつが信用できるかっ」

「僕にアオイちゃんを託しておいてよくそんなことが言えるね‼」

「勝手に言ってろ」

口喧嘩がヒートアップして止まらない。私が割って入ってもこのザマだ。

「お兄‼」

私が大声を上げると、兄は光の速さでこちらを向く。

「すぐにアラタさんに突っかからないで!」

「でも、碧……」

「私はアラタさんのことを信用してるの!」

兄の目をしっかりと見る。私と同じ茶色。でも少し緑色。

「わかったよ……。碧が言うなら、認めてやる。だが、定期的にここに来るからな」

私の眼差しに折れた兄が少しため息を吐く。

「ありがとう」

「話はこれだけか?」

「うん」

おそらくまだ納得していなさそうな顔をして、私たちに背を向けて歩き出す。

「また来る」

ドアの鈴の音を鳴らして、兄は店を出た。

「すいません、兄がまた」

私は振り返って、アラタさんに頭を下げる。

「まあ、心配になるのも分かる」

アラタさんの手が私の頭をそっと撫でる。

「心配なんだよ」




 兄が帰った後、自室にこもり自分の能力について考えた。もしうまくコントロールできなかったら? 能力が暴走したらどうなる? 私の能力は何の役に立つ? そもそも穏界でうまくやっていける? 

 考え出すとすべてのことが不安に思えて、今までなぜこんなに能天気に過ごしていたのだろうと、自分を責めたくなった。兄もアラタさんも私に指導する時間を確保できるのだろうか。それ以前に私が私の能力について理解できていないではないか。

「どうしよう……」

 アラタさんが言っていた。穏界の人々は幼少期から能力の鍛錬をするのだと。私はもう手遅れなのでは? 十五歳から穏界にいる兄だって、コントロールが不十分だと言っていた。じゃあ私は? 今からでも間に合うの? 

 布団にくるまってずっと同じことを考え続けた。寝返りをうったら、ベットの端に置いていた本の山が崩れて床に落ちた。もっと、穏界について勉強しなくちゃ。もっと、もっと。

 不安がぬぐえなかった。

コンコン

アラタさんが自室の扉をノックした。

「夕食できたよ。なんだか大きな音が聞こえたけど、大丈夫?」

お腹など空いていなかった。薄暗い布団の中でケータイを開いて兄との会話を表示させる。『私はこれからどうしたらいい?』と打って、送信ボタンが押せなかった。兄もこんな不安を抱えて穏界で生活を始めたのだろうか。弱音への返信が怖くて、打った文字をすべて消した。

「アオイちゃん?」

アラタさんの声がすぐ近くに聞こえる。部屋に入ってきたのだろう。

「今日は、ごはんいらないです。ごめんなさい」

聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声でそう伝えた。

「そうか……、あまり、心配しすぎないで」

私はぎゅっと目をつぶって薄暗い布団の中で思考を続けた。



 いつの間にか思考は止んでいて、次に目が覚めた時、時計の針はほぼ頂点を指していた。

 裸足に運動靴を履いて、明かりの消えた廊下を歩く。鍵のかかっている店の扉を開けて外に出て、店の前に備え付けられているベンチに腰掛ける。

 夏の夜の匂いは大好きだ。日中の日差しで温まった草木が、夜風と混ざり合って少しひんやりとした空気に変わっている。

 私はベンチの上に足を乗せ、両ひざを抱える体制を取って顔をうずめる。心地よい風が露出した腕や脚を撫でていき、自然と瞼が落ちていく。


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