終戦後 SIDE麻生花純
受験の準備はずっと前からしていた。だから、それなりに貯金はあるつもりだった。貯金は確かに、力になった。そうして私は志望校に受かった。なのに……。
「なぁに暗い顔してんの」
私の仲良し、
それに比べて、私は……。
「行きたい大学行けるんでしょ? それも東大!」
「うん……」
私が俯くと縁がそっと背中を擦る。
「なに? どうしたの?」
私はなんて言ったらいいか分からなくて押し黙る。
しかしいつまでも黙っているわけにも、いかなくて。
私は口を開く。
「いや、その、なんていうか、ほら……」
やっぱり、どういう風に状況を説明したらいいのか分からない。でも私なりに言葉にしてみた。
「フラれそうだから」
「はぁ?」
縁が素っ頓狂な声を上げた。
「フラれるぅ?」
それから目を吊り上げる縁。
「あのチャラ男、もしかして浮気とか……」
「違う違う」
私は懸命に否定する。
「秀平は大事にしてくれてるよ、私のこと」
去年の冬荻祭。
それが終わろうとしていた、夕方の空き教室。
私と秀平は気持ちが繋がった。
だから、その、晴れて……恋人、ということになった。
でもすぐに受験が始まって。
私と秀平は別々に頑張った。ううん、時々励ましてもらったり、励ましたり。特に私は難関校の受験だったから模試や勉強についての悩みが多く、その度にお気楽な(なんて言い方も悪いけど)秀平に慰めてもらったりしていた、のだけれど……。
「じゃあなんで秀平くんのことで悩んでんのさ」
縁ちゃんの言葉に私は応じる。
「女の高学歴は嫌だって、男子が話しているの聞いて」
私の言葉に縁ちゃんが凍る。
「MARCHくらいが可愛らしくていい、って、うちのクラスの男子が」
「はぁ?」
縁が大声を上げた。
「なんだそれ? ふざけてんのか? 女の高学歴は嫌? そんなの勉強で負けた哀れな男どもの妄言だろうが!」
縁がぷんぷん怒る。
「え? もしかして秀平の奴もそんなこと……?」
「ううん!」
私は一生懸命否定する。
「秀平はそんなこと、言わない」
「じゃあなんで……」
「わ、私のせいで」
うそ。気づけば声が震えている。
「私のせいで秀平が、嫌な思いしたり、周りの男子から変な目で見られたりしたら、悲しい」
「そんな男子どもの言うことなんて気にすんなよ!」
「私がしなくても、秀平はするかもしれない。そしたら……」
その先に、待っているのは。
「失恋、って言いたいの?」
私は黙って頷く。
「大丈夫だよ! 秀平くんそんな人じゃないじゃん」
縁のその言葉でも、私は明るくなれない。
「秀平が気にしなくても、秀平のこと変な目で見る人が増えたら、それは私が嫌っていうか……」
はぁ、と縁がため息をつく。
「あんた優しいね」
「そうかな」
「優しいよ」
と、縁はすぐに顔色を明るくした。
「でもさ! 秀平くんだっていいとこ受かってるかもしれないじゃん!」
あの子選択コースどこよ?
そう、縁が訊いてくる。
選択コース。大学進学に向けて選ぶ勉強コースのことだ。時宗院高校では高二の秋の時点で高校生の必修科目を全て終わらせ、二年冬から三年冬にかけての一年間、それぞれの進学先に合わせた勉強をするようになる。具体的には、国立理系、私立理系、国立文系、私立文系。私は当然国立理系。でも秀平は……。
「確か、国立文系」
「じゃあ東大受けてるかもしれないじゃん!」
縁が手を合わせる。
「辛い受験期を手を取り合って目標へと努力するカップル! すてきー!」
「秀平、進学先教えてくれない」
縁が真顔になる。
「どうして?」
「分からない」
「あっ、もしかしてあいつ……」
と、縁が考えるような顔になった。
「……サプライズとか? ほら、入学式で『同じ大学だぜー!』とか」
私は俯きながら応じる。
「確かにあいつ、そういうことしそうだけど……」
「……だけど?」
「最近、廊下ですれ違った時のあいつ、暗い顔してる。ううん、廊下ですれ違う時だけじゃない。私たまに秀平のクラスに様子見に行ったことある。その時も明るく取り繕っていたけど、目が暗かった。いつもの秀平じゃない」
ああ、自分で言っていて悲しくなる。
「もしかしたら受験上手くいかなかったのかも」
「う、上手くいかなかったらいかなかったでさ!」
縁が両手を広げて私を励ます。
「花純が秀平くんのこと、支えてあげたらいいじゃん!」
「私、どんな言葉かけてあげたらいいか想像がつかない……」
それに、もし浪人だったら。
そう続ける私の言葉を、しかし縁は遮った。
「辛い浪人生活もあんたみたいな可愛い彼女がいればきっと大丈夫だって!」
「ううん」
私は首を横に振った。
「『自分が浪人なのに彼女が現役なんて嫌だ』って、クラスの男子が……」
縁が眉根をぴくぴく動かす。
「もー! なんだそいつら! 揃いも揃って負け惜しみしか言えねーのか! なんだよそれ!」
と、縁が私のことを抱きしめてくれる。
「でも、あんたが知ってる秀平くんはそんなこと言わないんでしょ」
「言わない」
私は断言する。
「秀平はそんな人じゃない」
「なら、いいじゃん」
「でも、男子社会で、秀平が浮くようなことあったら……」
はぁ。
縁がため息をつく。
「それは秀平くんが考える問題で、花純が考えることじゃないでしょ?」
「それは、その通りだけど……」
「気になるなら本人に言ってみたらいいよ」
「言えないよ」
「でもさ、受験期、全然デートとかできてないんでしょ?」
うん。
私は、頷く。
「デート、行きなよ」
「でも……」
私たちは付き合ってすぐ、受験期に入った。
デートなんて、したことがない。
だからどう誘ったらいいか、分からない。
そのことを恥ずかしがりながら縁に伝えると、縁は「あはは」と笑ってから、「『一緒に遊ぼう』とか、『ご飯行こう』とかでいいんだよ」とアドバイスをしてくれた。
「まぁ、でもその前に……」
と、縁が私の顔を覗き込む。
「あたしとデート行こっか!」
「え、縁と……?」
「そ! 秀平くんとデートする前の予行演習!」
「でもそれっていつも遊んでいるのと同じじゃ……」
「それはそれでいいじゃん! 受験でお互い遊べなかったけどさ、やっと終わったんだし、パーっと遊ぼ! ついでに秀平くんとのデートの練習もするの! 大丈夫。あたしその辺の経験豊富なお姉さんだから!」
うっふん、なんておどけて見せる縁。
「じゃ、決まりっ! 今日の放課後どう?」
「きょ、今日?」
「そ! 善は急げ!」
さて、そういうわけで。
私と縁のデートが、決まった。
*
「やっば! 花純ちょー似合ってる!」
「え、そうかなぁ……」
学校近くにある、ちょっと大きな街のショッピングセンター。ファッションフロアにあるお店で、縁が私に服をあてがう。
「ちょっとこれ試着してみ! 絶対似合う!」
そういえば、前から縁の買い物に付き合わされて、その服が縁に似合うかどうかを検討することはあった。でもこうして、自分に似合う服を探すのはほぼ初めての経験かもしれない。
そんなこんなで、縁に選んでもらった服装は……。
緋色の、無地のセーター。クルーネック。
デニムのサロペット。足元がゆったりしている感じ。
白のキャスケット帽。セーターと同じ色合いのリボン付き。個人的に、これがかなり攻めていると思う。
「こ、この帽子はさすがに……」
「なぁに言ってんの! 全体的にまとまっている中で帽子だけ遊び入れるのがおしゃれなんじゃん!」
それにズボン型なら花純あれできるじゃん?
そう言われて私は首を傾げる。
「あれ?」
と、縁は拳を前に突き出す。
「空手」
「ファッションに空手の機能性は求めないかな……」
「指輪も嵌めればパンチ力アップ!」
そう、縁に手を取られる。
「結婚指輪みたいに……」
と、左手の薬指に。
金色の指輪。
「あ、これは秀平くんのためにとっておいた方がいっか!」
なんて、おどけて見せる縁。指輪をそっと外してくれる。
私はおかしくなる。
「縁、ありがと」
「いいってことよー!」
ぴーす。
縁はやっぱりすごいな。人を明るくしてくれる。
そう思って、すぐ、脳裏に浮かぶ。
秀平も、人のことを明るくしてくれる。
太陽みたいな、明るい人。
そんな彼が曇っていたら。
私が晴れに、してあげたいな。
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