第2話 払暁の音 玉響の光

「“鳴呼メイコ”」

 きん、と響く金属音。それと共に澄んだ声が広がる。

 縒り合わさった二つの音。その余韻が鼓膜に残るのを感じつつ、双劍そうけんは瞼を開けた。

 双劍の眼前に立っているのは一人の少年。赤茶の短い髪、筒袖の上衣に袴。腰に刀を佩いているのが眼を引く。子どもでは扱いに困るだろうという大きさの刀だ。鍔には花の紋、柄には凰の模様。左手で鍔を押し上げて鯉口を切っていた少年は、そっと刀身を鞘に戻す。召喚の儀式が終わったことを示す仕草だった。

 双劍は少年の前に片膝をついた。幼いながらも彼こそが双劍の主人。刀の付喪神である双劍を使役する、旺家当主。少年の名は黎明と言った。

「着いたのか?」

 双劍は尋ねる。

「もうすぐだよ。この村を抜けた先だ」

 黎明が双劍の手を引く。双劍は一つにくくった長い髪を僅かに揺らし、立ち上がった。腰に佩いた刀がきらりと夕焼けの光を弾く。刀は黎明の腰にあるものと同じだ。ただ、柄の模様が鳳であることと鞘がないことだけが違っている。

 切れ長の瞳をすぅ、と細め、双劍は黎明の背後を窺った。

 大木が二本、聳えている。大人が二人がかりでも腕を回しきることはできないだろうと思われるほどの太さの木だ。向かい合うそれらの木の根元には注連縄が巻かれ、下げられた紙垂が張り出した枝の葉と共に風に揺れていた。

「弾きの帳が用意されてんな」

「うん。でも、双劍なら問題ないでしょう?」

 黎明の、信頼に満ちた眼差しに苦笑する。

 大木に巻かれた注連縄は、この先の村へ邪なものが入り込まないようにする結界を支えている。それは余所者であれば付喪神でも弾いてしまう術だ。しかし、妖刀である双劍の力は強い。この程度の結界であれば、無効化することができるほどに。

「もちろんだ。さァ、行くぞ」

 黎明と手を繋ぐ。二人は村に向かって歩き出した。

「社は森の中か?」

「うん。村の端に祠があって、そこから繋がっているんだって」

「巫女がいるんだったよな」

「そう。代々、主人を務めてくれている」

「後回しにできたのもそのおかげか」

 村人は畑に出ているからか、村は無人だった。飼われているであろう犬の姿すらもない。双劍たちは誰に誰何されることもなく村を突っ切り、祠を発見した。

 石を積み、空間を作っただけの小さな祠だ。中に何が祀られているでもない。

 祠の横には獣道と見間違うほどの細い道が、森の中に向かって伸びている。下生えは一応は打ち払われている様子があった。定期的に人通りがあるらしい。

「どう、双劍?」

 尋ねられ、眼を細めて小道の先を見遣る。村の結界は祠のところで途切れており、剥き出しの森の霊力を感じる。その奥に禍々しい気配を嗅ぎ取った。暴れる獣が押さえつけられて呻いているような危険な禍々しさだ。

 そのことを伝えると、黎明は硬い顔をして頷く。

「行こう」

 小道へと足を踏み出す主人を双劍は追った。

 双劍と黎明が目指すもの。それは社にて保管されている一振りの妖刀である。

 黎明、すなわち旺家当主には使命があった。

 ──各地に散らばった妖刀を破壊すること。

 この国には数々の刀工がおり、旺家もまた名高い刀匠の一つだった。妖刀の製作に取り憑かれるまでは。

 十五代前の当主が、付喪神の力を引き出す妖刀を生み出した。通常、丹精込めて作られた刀に取り憑く付喪神は、刀の強度を上げ、主人に幸運をもたらす、その程度のものだ。しかし、旺家が生み出した妖刀は、付喪神に人型を与えるほどの力を持っていた。

 心正しき所有者の手に渡れば、妖刀は穏やかなまま主人を保護する。対して、ひとたび悪しき者の手に渡れば、妖刀は変質する。血を求め、争いを引き寄せる災厄となる。

 双劍と黎明はこれまでに、四振りの妖刀を破壊していた。代々の旺家当主が破壊した妖刀とあわせて十八振り。各地に散らばる悪しき妖刀は残り二振り。

 そのうちの一振りが、この先の社に保管されている。この度の妖刀は専属の巫女が代々主人となり、力を封印してきていた。

「破壊するだけだから、多少気楽だな」

 双劍は呟く。黎明がそれに振り返った。くすりと笑みをもらす。

「この深い森を抜けるのは、重荷じゃないんだね?」

「そりゃ、付喪神と戦うよりはな」

 倒木を跨ぎ越し、黎明に手を貸す。ぴょんと倒木から飛び降りた黎明は辺りを見回した。

 道が二つに分かれている。どちらも同じだけ緑に飲まれ、木々が行く手を阻んでいた。目印となるものはなさそうだ。

「これじゃ村の連中も迷うだろうに」

「多分、どっちを進んでも社には着くんだよ。でも、正しいほうを選べたら、『社の中』に招かれる」

 黎明が腰の刀に手を添えて鯉口を切る。きん、きん、と鍔を鳴らした。眼を閉じ、耳朶に手を添えて反響を聞く。

「こっちだ」

 黎明は左の道を指差した。

 下生えを足で踏み倒し、二人は森を進む。時折行く手を阻む枝を切り、顔にかかる蜘蛛の巣を木の枝に巻き付けて払った。

 しばらく同じような景色が続いた。と思うと、足に細い糸が絡まった感触がした。ちりん、と鈴の音が微かに鳴る。

 瞬きののち、眼の前がさあっと開けた。

 見上げるほどの大きさの社が姿を現した。重厚な黒塗りの瓦、全体には黒々と古びた木材を使ってある。屋根に乗る千木や鬼板といった装飾は金。庇を支える柱は丹色。前面の屋根が長く伸びて影を作る、流造の建物である。

 正面の入り口には注連縄が下げられていて、紙垂が風に不規則に揺れていた。

 社の周りには落ち葉が吹きつけて溜まっており、枯葉が分解される時の独特の匂いがまるで香を焚き込めたかのように香っている。

「随分立派な建物だな」

「今でも村と交流があるから、こんなに綺麗なままなんじゃないかな」

「言うほど綺麗か?」

「え?」

 双劍は社をしげしげと見つめた。辺りの景色は靄が掛かったように霞んでいて、社もどこかくすんで見える。豪華さが嘘くさいもののように思えるのだ。むっとする枯葉の匂いがそう感じさせるのだろうか。

「どうされました?」

 突如声を掛けられて、双劍はばっと振り向いた。右手を刀の柄に添えたのを黎明が押し留める。

「大丈夫だよ、双劍。多分、ここの人だ」

 声を掛けてきたのは、一人の少女だった。純白と紅の巫女装束に身を包み、艶やかな黒髪を後ろでくくっている。控えめににこりと笑う彼女は、困ったように眉尻を下げて、双劍と黎明を交互に見つめた。

「あの、僕は旺黎明と言います。旺家当主として、こちらに保管されている妖刀を破壊しにきました」

 黎明は腰の刀を少し持ち上げ、告げる。刀に付けられた旺家の紋を証拠として見せたのだ。

「まあ」

 巫女は眼を見張った。

「わたくしの代で当主様がいらっしゃるだなんて、思ってもいませんでしたわ。そちらのお連れの方は……?」

「僕の妖刀の双劍です」

 黎明が胸を張って言う。「僕の」という言葉に双劍の胸が温かくなる。思わず笑みが溢れそうなのを堪え、双劍は踵をつけ、軽く頭を下げた。

 黎明の言葉を聞いた巫女は、なるほど、というように頷いた。

「妖刀はどこにあるんですか?」

「このお社の」

 と巫女は指差す。

「奥の小殿でございますわ。ひとまず、お二人をご案内いたしますわね」

 巫女は双劍たちを追い越して歩き始めた。黎明がまず続き、双劍はしんがりを務める。

 辺りの地面は所々草が枯れて、草履が砂を噛む音がする。一歩一歩、歩くごとに木々が騒めく。双劍は油断なく辺りの気配を探った。妖刀の濃厚な妖力が辺りを包み込んでいるようだ。進むごとにどろりとした空気の抵抗を感じる。粘性のあるものが肌にまとわりつくような、そんな気配だ。

(歓迎されてねえみてえだな)

 封印されているというのに、漂う妖力は大きなものだ。妖刀は、自らを破壊しに来た者を察知しているらしい。寄せつけまいとして妖力を放っている。だが、双劍や、その守護を受けている黎明に影響はない。この妖力の中にあって巫女も平然としていることから、耐性がついているのだろう。

 巫女は社をぐるりと周り、裏へと向かった。社の裏には小殿に続く道があり、その手前に小屋がある。小屋といっても、人が住むのに充分な広さのある平屋だ。

「こちらへ」

 巫女は小屋へと上がっていく。木でできた階段を黎明が音を立てながら進み、双劍は軋む音すら立てずに上がった。

「粗末なところで申し訳ございません。直ぐに湯を用意いたしますわね」

「お湯?」

 巫女の言葉に黎明が首を傾げた。

「巫女様よ、俺たちは妖刀に会いてえんだが」

 双劍が続けると、巫女はふわりと笑みを浮かべた。どこか陰りのある笑みだった。

「妖刀を持ち出すのは直ぐにできることじゃございません。錠を開き、封印を解いて、お鎮めになってからのことでございますわ。もうじきに夜になります。わたくしはこれから準備をいたしますので、妖刀を破壊するのは朝になってからになさいませ」

 要するに、今晩はここで休めということらしい。黎明が視線を向けてくるのに肩を竦める。休息など良いからさっさと不気味な妖力を放つ妖刀を片付けてしまいたい、というのが本音だったが、封印を解く必要があるというのもわかる。準備に時間がかかるならば、ここで待たせてもらうしかないだろう。

 頭ではそう思うのだが、体の奥底がぞわぞわと落ち着かない心地がしていて、素直に頷くのは躊躇われた。

 そんな双劍の葛藤を知らずに、黎明は巫女に告げる。

「では、お言葉に甘えてこちらで休ませてもらいます」

「それはようございます。お食事もご用意いたしますわ」

 巫女が口許に袖を当てて笑い、そそとした仕草で立ち去った。

「なァ、黎明」

「なぁに?」

「いや、なんでもねえ」

 自分が感じている違和感とでもいうべき感覚を伝えようとしたが、うまく言葉に表せず、諦めた。

「食事を用意してもらうだなんて、迷惑だったかな。布団も持ってきてくれるみたいだし。一人しかいないのに。手伝ったほうがいいかな」

「いや……、待ってたほうがいい」

 立ち上がり、部屋を出ようとする黎明を止める。主人を一人にさせてはいけない。そんな予感がしたのだ。だが、なぜそう思うのか、わからない。

 もやもやとしたものを抱えたまま、双劍は夜を迎えた。


(なんだッ?)

 首元をちくりと刺されるような感触。双劍は眼を開けた。

 双劍は、巫女が用意した部屋で、黎明と並んで布団に包まっている。

 部屋の中は小さな灯り一つなく、漆黒の闇に覆われている。あまりにもその闇が濃厚なので、手で触れたら持ち上げることができそうなくらいだ。

 薄く開けた口の端から静かに息を吐き出す。胸が騒ぐ。全身がちくちくとしたものに刺されているような、そんな気がする。

(殺気)

 警戒に体が強張る。眼を上げて、枕元に置いた剥き身の刀を意識した。

 ぷん、と何かの匂いがした。思わず顔を顰める。

(獣の匂い)

 土と油と汚れが混ざった獣臭さだ。

(紛れ込んできたのか?)

 部屋の扉一枚を隔てて獣らしきものがいる。それも一匹ではない。息を殺して気配を薄くしている者が何匹も。

 獣避けをしてある村とは違い、この建物は森のただ中にどんと建っている。獣が忌避する人の匂いもほとんどついていないだろう。灯りをたく習慣もないらしく、建物全体が暗闇に溶け込むようだったから、尚のこと、獣を避けることができない。

(なんだか様子が変だな)

 双劍はそろりと身を起こした。音を立てぬよう呼吸を殺して刀の柄を指先で探り当てる。柄は手のひらに吸い付くように見つかった。

「黎明」

 押し殺した声で主人に声を掛けた。穏やかな寝息を立てて深い眠りについていた黎明は、もぞりと身動ぎする。

「黎明、起きろ」

 再び声を掛ける。黎明が瞼を開けたのが気配でわかった。

 目覚めた黎明にも異変は感じ取れたらしい。

「どうしたの?」

 静かな声で尋ねてくる。

「囲まれている。普通の獣じゃねえな。外に出るぞ」

「わかった」

 黎明が起き上がり、刀を腰に差した。双劍は黎明を小脇に抱え、辺りの気配を探る。

 暗闇の中、視界は効かない。耳をそばだてれば、しゅうしゅうと獣の呼吸音が響くようだ。

 右手に刀を構えて、腰を落とす。深く沈み込み、床を蹴った。扉を蹴破り、外へ飛び出す。ごろりと転がり、地面に着地した。

 空が雲と木々に覆われた闇の中、双劍の手にした刀の刀身がきらりと煌めく。その光を受けて辺りにひしめくものの影が落ちた。

「猿!」

 黎明が声を上げた。

 風が吹き、雲が流れる。厚く垂れ込める雲の隙間から、細い月の明かりが射し込む。

 赤い眼がいくつも闇の中に光っている。金属の硬い反射光もちらちらと見える。

 刀を構えた猿だった。無数の猿が小屋の周囲を取り囲んでいる。それらはくるりと首を動かし、双劍たちを見つめた。

 ぷん、と獣の匂いが漂う。その中に鉄臭い匂いも感じられる。よくよく見れば猿の持つ刀には錆がある。

「妖か? 刀持った猿の噂なんざ、聞かなかったが」

「双劍、このままじゃ巫女も危ない。なんとかしないと」

「あァ、そうだな」

 双劍は黎明を地面に下ろした。しゃん、と澄んだ音を立てて黎明が刀を鞘から引き抜く。それを合図に猿たちが駆け寄ってきた。

「一人で大丈夫だな?」

「うん!」

 双劍は刀を上段に構え、腰を落とす。刀を大きく振りかぶった猿を引きつけ、ざん、と袈裟懸けに斬り捨てた。猿の体から血が噴き出る。と、猿は霧散してしまう。からんと幽けき音を立てて刀が地に落ち、それすらも溶けるように消えた。

 そのことに覚えた疑問を深く考える暇もなく、次の猿が攻撃を仕掛けてくる。双劍は刀を縦横に薙ぐように払い、攻撃を弾く。

(体に対して刀身が長え。腕の動きも人間とは違う。やりにくいな)

 眼を細め、微かな明かりを頼りに、一匹、また一匹と猿を消していく。

 双劍から少し離れたところでは、黎明が危なげない手つきで猿を順調に屠っていた。

 ぎゃあ、ぎぎ、と猿が声を立てる。それを目印に双劍は猿の元に駆けつけ、首を刎ねる。肩の付け根から腕を削ぎ落とし、足を払って動きを止める。

 ちらりと黎明に視線をやれば、彼は小屋の周りを巡るように動いていた。巫女が寝ているであろう部屋を目指しているのだ。この騒ぎの中、目覚めた巫女は怯えているだろう。一刻も早く救出にいかなければと考えているのがよくわかる。

 ちりん、鈴の音がした。

 猿の叫びに掻き消されるほど微かなもの。手足に細い糸が巻き付くような感覚がする。冷たいもので背筋をなぞられたかのように、ぞっと腹の底が冷えた。

「黎明、しゃがめ!」

 咄嗟の大声に黎明が従う。黎明の向こうから風を切る音が響いた。双劍は刀を横にして持ち上げ、構える。途端、がきん、と手のひらに衝撃。びりびりと空気を震わせるその衝撃を受け止め、弾く。重い一撃だった。

 大きな影が宙を舞い、張り出した木の枝の上に降り立つ。ぬらりと長い手の影が地面に落ちた。その手の先には刀が握られている。

「太刀! 妖刀⁈」

 黎明が驚きの声を上げた。双劍にもそれは感じ取ることができた。

 新たにやってきた刺客、その手にある刀からは妖力が迸っている。その妖力の気配は双劍の肌を粟立たせる。この社に訪れた時から感じているものと同じ種類だった。すなわち、刺客が手にしているものは、封印されていたはずの妖刀なのだ。

「なんであれがここにある?」

「持ち出されたのかもしれない! あの子が危険だ!」

 黎明が叫び、猿の包囲を抜けた。小屋の中へと駆け寄っていく。双劍はそれを追った。

 追撃を退け、小屋を探る。だが、巫女の姿はない。人の気配すら感じ取ることができない。

「ここにはいねえ。社の中だ、きっと」

 双劍の言葉に頷いて、黎明は小屋を出ていった。

 移動する二人を猿が追う。太刀を持った者が影を落として佇んでいる。

 きざはしを駆け上がり、双劍たちは社の中へと入った。

 ちりん、と鈴の音がした。手足に粘りつくような感触。眼の前でぐにゃりと黎明の姿が歪む。咄嗟に手を伸ばすも届かない。黎明の姿が掻き消えると同時に、どこかに体が引っ張られた。勢いよく投げ飛ばされ、双劍は宙で一回転して体勢を整える。音もなく地面に降り、立ち上がった。

「社の廊下?」

 何の変哲もない廊下に双劍は立っていた。黎明の姿はない。気配を探ろうとするが、粘性のあるものが体の周りを覆うようでそれもうまくいかない。獣臭い匂いが社の中にまで漂っていて、双劍は顔を顰めた。

 眼についた扉を引き開ける。その先には立っているのと同じような廊下が広がっている。さらに先の扉を引き開け、廊下を発見する。

「術が仕掛けられてたってのか? それか、侵入者避けか」

 どうやらこの社の中には、入ってきた者を惑わせる術があるようだ。双劍は、そして黎明はそれに囚われたことになる。

 迷宮の術から逃れるためには、正しい道を探し当てることが必要だ。双劍は試しに空間を斬ってみた。斬撃が空間にくっきりと残り、布を裂いたように向こう側の景色が見える。外の景色だった。風が空間の傷口から流れ込んでくる。その傷はみるみるうちに塞がってしまった。感じていた風も止んだ。

「随分厳重に張り巡らされてんな」

 外に向かうべきか、中へ中へと進むべきか。考えていると、ドドド、と背後から音がした。振り返れば猿の大群が押し寄せてきている。飛び跳ねて進む彼らは、まるで茶色い高波のように見える。双劍は刀を構えた。

「とりあえず、全部斬ってみりゃわかるか!」

 ちゃき、と音を立てて刀を横にする。襲い掛かる猿が振り回した刀を交わし、胴を薙いだ。

 刀を右へ左へ、上下へ、きんきんと攻撃を受け止めて火花が散る。双劍が進む背後には猿の骸が重なって、時間を置いて消えていく。

 猿の相手をしながら、出てきた扉を斬って捨て、中の空間に飛び込んだ。風を感じたかと思えば、見慣れた廊下に出ている。

「随分手の込んだ迷宮だな」

 双劍は刀身についた血を払い飛ばし、呟く。

 迷宮と化した社からは、強く妖刀の気配が漂っている。清らかなものは感じ取れない。であればこの術は、妖刀が放ったものなのだ。

「封印が解かれて、妖刀が暴れ出した?」

 双劍は眉をひそめる。野良の妖刀であれば、人を惑わせる力を発揮してもおかしくはない。だが、ここの妖刀は巫女が主人となって管理されている。巫女の意思に反して術を仕掛けることなどできないはずだ。

「おかしなことが起きてやがる。黎明は無事だといいが」

 主人の身を案じた。黎明に剣術を仕込んだのは双劍だ。刀を使うとはいえ振り回すしか脳のない猿如きに遅れをとるわけがない。双劍が心配しているのは、黎明がこの迷宮から逃れられるか、ということだ。もっとも、双劍とは違って刀に鞘を持つ黎明は、鍔鳴りをさせることでその反響音から正しい方向を探り当てることができる。心配するほどのことではないのかもしれない。

 考えていると、双劍の背後からぎゃあと声がした。猿がまたやってきているのだ。

「……入ってきてるっつうことは、そっちに入り口があるってことだよなァ? 多少礼儀知らずかもしれねえが、そこから出させてもらおうか!」

 ぶわり、双劍の体から闘気が迸る。それは白い炎となって刀身を覆った。

 肩の高さに刀を構え、双劍は猿の群れに向かって突っ込んだ。

 地面を蹴り、宙に舞う。飛び上がった猿を斬り、その体を踏み台にして群れを飛び越える。刀を振り上げたものだけを斬っていき、双劍は猿と逆行するように進んでいく。

 時折、眼の前を遮るように扉が現れる。それらも斬り、空間に残った傷口を手で広げて中に滑り込む。

 二度、三度とそれを繰り返していくうちに、体にまとわりつく気配が薄れていった。

 きん、きん、と鍔鳴りの音が聞こえる。黎明の気配を感じる。着実に外に向かっている。

「あと一枚……!」

 眼の前に飛び上がってきた猿を蹴り倒し、扉を裂いて双劍は外に転がり出た。

 体を丸めて地面を転がる。勢いを殺し、立ち上がった。

 細い月明かりが辺りを照らし、双劍の頭髪が光を弾く。

 しゃらん、鈴の音が響くと同時に、ぱっと篝火がともされた。突然の明かりに双劍は眼を細める。腕を上げて顔を庇った。

 ざっ、ざっ、ざっ、足音がする。猿のものとは違う、だが、人とも違う、砂を裸足が噛む音だ。

 しゃらん、と鈴が鳴る。べん、と響くは琵琶の音。ぱちぱちと爆ぜる篝火が揺らめき、不気味な紫に色を変える。

 足音が止まった。双劍は腕を下ろす。

 聳えるように立っているのは、狒々だった。迷宮に囚われる前に現れた大柄な猿だ。太刀をぶらりとぶら下げるように構え、黒々とした虚ろな眼で双劍を見ている。

 狒々が一歩進む。しゃら、と鈴の音がする。狒々の腕には何かが巻き付けてある。細く黒い糸を編んだもので、鈴が通してあるのだ。両腕にその紐を巻き付けた狒々は、双劍を見るとにたりと唇を持ち上げた。

「テメェが元凶か」

 どうやったのかはわからない。だが、狒々は妖刀を奪い、その力を使っている。社を迷宮化したのも、猿を引き寄せたのもこの狒々だ。

 狒々から発せられる気配は、妖刀のものと馴染んで差がない。たった今、妖刀を手に入れたというわけではなさそうだ。

「巫女もここも、結界なんざ張られてなかったからなァ。全部テメェが見せてた幻覚だったってわけか」

 双劍が低く言えば、その通りとでも言うように狒々が笑った。

 ゆらり、狒々が体を揺らす。双劍は刀を構えてぐっと足を踏ん張った。

 鋭い踏み込み。と同時に一撃を繰り出す。突きの攻撃を狒々が受け止め、弾く。双劍はすぐに腕を前に戻し、その勢いを使って袈裟懸けに斬りつけた。切先だけが狒々の毛を裂く。毛が散り、狒々が退いた。

 狒々が腕を回すように振り上げる。重たい一撃を受け止める。ぐっと足が地面に沈む。

 左下から上へと刀を振り上げる。太刀を跳ね飛ばし、手首を斬る。掠り、血が流れ出る。

 激しく剣戟が繰り広げられる。狒々の攻撃は大振りで、しかし隙がない。型もなく繰り広げられる攻撃は、本能に従ったものなのか的確で、攻め入る隙を作らせてはくれない。

 べべん、琵琶の音がした。双劍は狒々から視線を外さぬようにしながらも音のほうを探る。

 琵琶を持った猿がいる。それは社の屋根に乗って、淡々と琵琶を弾いている。

 狒々の周りに猿が集まってきた。めちゃくちゃに刀を振り回す猿を双劍は斬っていく。どの猿も手応えを感じない。

「幻影……、あいつが生み出してんだな」

 琵琶を弾く猿の元から妖力が流れ出し、狒々を守るように猿を生み出す。これでは埒が明かない。

 双劍は地面を蹴って木の上に飛び上がった。

 琵琶を持つ猿に攻撃を仕掛ける。狒々がそれを追ってくる。双劍は攻撃を防ぐ。琵琶を持つ猿が逃げる。彼らの剣戟は屋根の上に場所を変えて続けられた。

 きんッ、かきん、がきんッ。火花が散り、それに遅れて音がする。激しい剣戟、双劍の手のひらに汗が滲む。

 剣の音に合わせるように、琵琶が弾かれる。

 迫り来る攻撃を後ろに飛んで避け、双劍は瓦を踏み抜いた。そのまま屋根に穴を開け、落下する。

 双劍は慌てずに着地の体勢を取った。

 落ちた途端、粘り気のある気配が体を包む。また術中に囚われてしまったのだと悟る。だが、出方は知っている。焦るものではない。

 落ちた部屋には所狭しと書物が並べられていた。双劍が落ちてきた衝撃で積み上がった草子が倒れ、頁が開かれている。中にはおどろおどろしい絵が描かれていた。妖について描いたものらしい。そんな本が他に何冊も落ちている。

 狒々は落ちた双劍を追ってこない。閉じ込めたと見て追うのをやめたのだろう。

 双劍は部屋を出た。空間を斬り、その中に入り込む。

 乾いた鉄の匂いが広がった。土蔵のような場所に双劍は立っていた。

 暗い部屋の片隅に何かが佇んでいる。双劍はそれに近寄った。

 白くざらついたものが散らばる。千切れた布がそれに雑に掛けられている。

「骨、か……?」

 白骨化した死体だった。布はくすんで汚れているが、よくよく見れば白と紅が元々の色だったのだとわかる。死体のそばには三つ編みにされた髪が並べられており、一部が無惨に切り取られていた。近くには神楽鈴が壊され、打ち捨てられている。

「そういう、ことか」

 ぴんときた。

 狒々が妖刀を扱えた理由。

 狒々は、巫女を殺して妖刀の主人に成り代わったのだ。それだけでなく、この社に掛けられていた術を利用してもいる。巫女の髪を編んで神楽鈴をつけて手首に巻き付け、結界を扱えるようにと準備をした。

 単なる狒々がそれだけのことをできるわけがない。狒々はおそらく、人間が妖に成り果てたものだろう。先程見つけた草子は、人間であった頃の狒々が集めたものだ。妖に取り憑かれ、妖刀を求め、そして自身が妖になってしまった。

「結界を残して社を存続させるだけの知恵がある。黎明が危ねえ。急がねえと」

 双劍は刀を振り上げた。


 双劍が迷宮化した社から出た時、黎明は狒々と渡り合っていた。

「黎明!」

「双劍!」

 双劍は駆け寄り、黎明に振り上げられた攻撃を代わりに防ぐ。

「悪い、遅くなった」

 攻撃を跳ね上げ、狒々を退かせた。黎明は首を振り、刀を握り直す。

「あっちにもう一匹いるのが見えるな?」

 双劍は狒々を見据えながら黎明に言う。

「あれが他の猿の幻影を生み出している。黎明はあっちをやってくれ。こいつは俺が引き受ける」

「わかった」

 黎明が去っていく。双劍は柄を握り直した。

「さァ。化け物。もう一回俺と闘ろうぜ」

 睨み合い、ぐるぐると回る。先に動いたのは狒々だった。

 だらりと太刀を下げた状態から真上に振り上げる。異常な角度から繰り出される攻撃を双劍は身を横にして躱す。ぴたりと体に刀をつけて狒々の懐に飛び込む。ざん、と一撃。狒々から血が迸る。

 狒々が防御に回らざるを得ないほどの鋭く素早い攻撃を繰り広げる。

 双劍が戦う一方で、黎明もまた琵琶を持つ猿に近寄っていくのが見えた。屋根に上がり、駆けつける猿を斬り倒していく。

 べべん。琵琶の音が鳴る。ぴたりと黎明の足が止まった。異常を察知して双劍は振り向く。

「黎明、どうした、黎明!」

 黎明は刀の構えを解いて傍に下げ、よろめきながら琵琶の猿に近寄っていく。

「黎明! 黎明!」

 双劍の呼ばわる声は聞こえていないようだ。黎明の手から刀がするりと落ち、屋根の上を弾んで、地面に刺さった。

「母さま…………?」

 黎明の呟きが聞こえた。

 双劍は眼を見張る。と同時に狒々に背を向けて走り出した。黎明は幻覚を見せられている!

 双劍は黎明が落とした刀を回収して屋根へと飛び上がった。そこを狒々が追いかける。振りかぶった刀の影が双劍に落ちる。振り向く双劍。避ける暇もなく、ざんッと衝撃。双劍の左腕が吹き飛んだ。

「チィ……!」

 双劍は盛大に舌打ちをもらす。右手に持っていた刀を咥えると、力を失って落ちていく左腕を掴んだ。よろめいた足に力を込めて前へと飛び上がる。左手の中から刀を取り外すと、大きく振りかぶって黎明へと投げた。口から刀を話し、叫ぶ。

「黎明! 斬れ!」

 ひゅうう、と刀が風を切り、進む。その音に黎明がはっとした。飛んできた刀を掴み、勢いに任せて琵琶の猿を斬り捨てた。ばきんと音を立てて琵琶が割れる。猿ともども、琵琶は煙を上げて消え去った。

「双劍! 腕!」

「問題ねえ、この程度! 霊力を込めろ!」

 双劍は刀を取り上げ、千切れた腕を肩に押し付ける。黎明が握った刀に意識を向ける。双劍の肩からとろりとした光が広がり、千切れた腕を包み込んだ。眩い光に追撃を食らわせようとしていた狒々が動きを止める。

 光が収まると、双剣の腕は元通りにくっついていた。

 拳を握り、開き、動きを確かめる。問題ないことを確認し、双劍は刀を構えた。

 睨み合う間もなく、双劍は宙を舞った。狒々が顔を巡らせる。細い月明かりを背負い、双劍は攻撃を繰り出す。狒々がそれを受け止める。

「双劍! これも!」

「ああ!」

 黎明が投げてよこした刀を受け取った。

 鋭い踏み込み。狒々の体の下に踊り込む。

 下から斬り上げる、弾かれる、右手を突き出す、防がれたところを左手で薙ぐ、攻撃を頭上で受け止める、がきんと火花が散る、刀を滑らせる、切先を弾き上げる、太刀が跳ね上がる、狒々の懐が空く、左手で腕を突く、引き抜く、貫かれた肉から血飛沫が上がる、右手で狒々の腕を斬り落とす、左手で足首を斬りつける、狒々が太刀を離した、双劍は狒々の体を駆け上がる、右手と左手を揃え横に薙ぐ、ぶんと風を切り裂く音、真空の刃が宙を飛ぶ、狒々の首が落とされた!

「黎明、止めを!」

 しゅううと音を立てて消え行く狒々の体を蹴り、双劍は落ちていく太刀を追う。投げ飛ばした刀を黎明が受け取った。鞘に納めて素早く鍔を鳴らす。

「“ヒビキ”!」

 黎明の澄んだ声と鍔鳴りと。それと同時に双劍が太刀を真っ二つに破壊した。

 双劍は地に降り立ち、黎明が隣にやってくる。

 真ん中から折れた太刀は、白い刀身を地面に晒す。

 東の空が白んで、太陽の光が射し込んだ。陽の光を受けて、太刀はどろりと溶けて地面に焼け跡を残して消えていった。

 跡形もなく太刀が消えたのを見届けて、双劍は黎明を見る。

「終わったな」

 柔らかく微笑みかけると、黎明は頷き、瞼を細めて太陽を見上げた。


「これでよし、と」

 社の裏手に作った塚に花を添え、双劍は立ち上がった。黎明は隣で手を合わせている。犠牲となった巫女の遺体を葬ってやったのだった。

 黎明が手を下ろして顔を上げる。堪らないように顔を歪める黎明の頭を、双劍はくしゃりと掻き回した。

「んじゃ、行くか」

「うん」

 双劍と黎明は刀を佩いて、社を後にする。二人は山道を降り、村へと降りていく。

「双劍」

「なんだ?」

「また、稽古つけてくれる?」

「いいぜ。今日の宿に着いたらな」

 双劍の言葉に黎明は頷いた。それから、はっと顔を上げる。

「妖刀の気配だ。北東」

 黎明が示した先を二人は目指す。

 二人の旅はまだ続く。

 残る妖刀はあと一振り。

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剣光閃き暁招く 兎霜ふう @toshimo_fu

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