人殺しの少女がお嬢様を拾った

汐 ユウ

Ⅰ.人殺しの少女が美少女を拾った

 わたしは人殺しをナリワイにしている。


 そうするしかなかったということもあるし、わたしにとって殺しが天職だったこともある。

 わたしの性質以上に殺しが向く人間はいないって……言われなくても思う。

 そう、教えられてきたのだし。

 殺しを行う上で精神的な問題は避けられないが、こちらはどうにでもなる。最終的に全て壊してしまえばいい。簡単な話だった。血が吹き出しても骨が砕ける音がしても、あぁ……どんな叫び声がして命を乞われても。

 わたしの場合は肉体的リスクがほぼゼロという点で適性は満点であった。

 わたしがこの体質を持ったのは生まれた時だ。サラブレッドということらしいが、詳しいことは聞かされていない。ただ、わたしにとって死はそこにあるもので繰り返されるものだ。だからきっと根本的に他人とは違う。周りとは違うからこんなことができる。

 彼女に出会ってわたしの中の何かが徐々に変わりつつある。その変化は心地よく、恐ろしいものだった。


 仕事を終え、知らない人間の血がついた手袋を外そうとして手間取る。緩いと戦闘で支障が出てしまうからきつく締めるから仕方ない。あまりにも取り外せないので歯を使う。こうゆうことをしていると怒られるから本当はやりたくない。

 今までなら汚いまま帰るのだが、

「先輩まだ終わんないんですか?」

 ひょっこりと血生臭い部屋に戻ってきたのは、清楚なワンピースに高そうなコートを重ねた金髪碧眼の美少女。こんな血なまぐさいところには似合わない可憐さ。

「ちょっとー、まだ終わってないんですか。着替え取ってきましたから早く脱いじゃってくださいよ。あと、面倒くさいからって口を使うのはよくないですよ」

「わたしはこのままでもいいんだけど……」

 どうせ帰ってから着替えるんだし……。今着替えても後で着替えても同じだよ。

「血なんて触りたくないんですから! それに車のシート汚れたら嫌なんですよ」

 彼女は心底嫌そうな顔をする。それなら来なければいいのに。

「……わたしの車でも君の車でもないんだけどね」

 細い指に硬めの手袋を外すのを手伝ってもらい、汚れた上着とともに持ち帰り用の袋に突っ込む。ズボンはさすがに面倒くさいのと、彼女が触れてくるわけでもないのでこのままにする。

 いくら心が死んでいようと死体の真ん中でパンツをさらけ出すことにはわたしですら抵抗があった。

「じゃあ帰りましょう。ねぇ、帰りにホットドッグ買ってください」

 愉快に、柔らかい手でわたしの手を掴んで、踊るようにそのまま腕を引いてくる。力はそこまで強くないのに、なぜだか身体がそちらに揺れる。

「ホットドッグは買わないよ。わたしお金持ってないし」

 わがまま少女を少し引きずるように車へと歩を進めていく。

「お金なら私が預かってるから平気ヘーキ。先輩、いいでしょう?」

「何でシャルが……」

 先月から行動をするように、というか子犬のようについてきたシャルはわたしと同い年か少し上くらいなのに、なぜかわたしのことを「先輩」と呼ぶ。未だにその呼び方に慣れなくてちょっとこそばゆい。

 黒塗りの車にわたしたちは乗り込む。

「ちゃんとシートベルト締めてくださいね」

 可愛い顔をして、おそらく貴族出身のくせに、彼女は車の運転もお手の物だった。バイクの他にも船や飛行機も操れるらしいが、どれも免許証を見たことはない。

 そもそも生きてきた国が違う。

「シートベルトするとすぐ動けないんだけどな……」

「わたしが事故ったら死んじゃいますよ」

「そうだねぇ」

 わたしは生返事をしてシートベルトを締めない。

「事故死っていうのは好みじゃないんですよね」

 シャルがつまらなそうにつぶやく。彼女はハンドルを握って性格が変わるわけではなく、元から少し捻れていた。倫理観がゆがんでいるというか……変態的なところがあるというか。まぁ、普通だったらわたしみたいなのと一緒にいないと思うけどさ。

「連絡はしたの?」

「えぇ、ばっちり。ホットドッグ食べ次第帰って顔見せろだそうですよ」

「ほんとに言われた?」

 結局、街の外れにある潰れかけのパン屋でホットドッグを一つ購入し、目を輝かせているシャルに手渡す。血でシートが汚れるのは嫌でも、パン粉が溢れるのはセーフらしい。分からない。

「先輩も一口どうぞ」

 小さな食べかけを無理矢理口元まで持ってこられた。マスタードのツンとしたにおいが鼻をさす。

「……どうも」

 あまり大きく持っていくと後でうるさいので、同じくらい小さな一口で食べた。ケチャップがはみ出て着替えた服が汚れた。

「よく仕事の後に食べられるよね」

 いくら直接的にはなにもしないからと言って、足元に臓物が転がっていたのによくソーセージなんて食べられるものだ。臓物を見て普通にしている時点でおかしいのだが。

「? だって今日もフツーに仕事終えちゃうんですもの。こちらからしたらつまんないの一言につきますね」

「どんな教育されてきたんだか」

 指についたケチャップまで丁寧に舐めてから、シャルは長い脚で再びアクセルをふかした。

「先輩のところよりずーっとまともな教育だと思いますよ。テーブルマナーなんて毎食うっさく言われますし、行きもしない国の言葉覚えたり、楽器もやったし、勉強はもちろんでしたねー」

「お嬢様だ」

 目的地到着まで少しかかりそうだったので、リクライニングを後ろへ倒す。今日も働いて疲れた。

「ちょっと先輩、わたしに運転させといて寝ちゃうんですか」

「シャルを信用してるから寝るんだよ」

「つまり寝てる間にイタズラされても許すってことですか?」

「そうゆうことじゃない」

 車の揺れが心地よい。

 どこでも眠れる特技はあるが、彼女が運転する車が最近では一番のお気に入りだった。

「ほんとに寝ちゃうんですね。目覚ましに何されてもしりませんからね」

 頼むからスカート下にある拳銃で頭をぶち抜くのはやめていただきたい。


「先輩」

 甘い声と唇への柔らかい感触でわたしは目を覚ます。

「着きましたよ。私は片付けして部屋で待ってますから」

 急に身体にだるさが増す。彼女の手がどうしてか恋しくなる。

「なんですか、そんな顔して。襲いますよ」

 あやすようにわたしの頭を撫で、早く上へ行くように促してくる。

「大丈夫ですよ。瀕死状態で戻ってきたとしたらちゃんと看取ってあげますから」

 全然大丈夫じゃない。


 ◆  ◆  ◆


 ノックをきちんと三回してから呼ばれた部屋に入る。彼女は部屋の奥にあるお偉いさんが座るようにデスクではなく、来客用のソファで横になって本を読んでいた。

 他にはこのフロアを含めて誰もいない。わたしたち姉妹だけの空間だった。それなのに異常な緊張感が場をおさめていた。

「おかえりなさい。問題なかったみたいね」

 彼女はほんの数瞬だけわたしに視線を向け、再び本の世界に戻った。わたし自身にまるで興味はなさそうだ。

「あの子が来てから順調そうね」

 たぶん嫌味ではない。心からそう感じたことを彼女は発しているだけだ。それでも身の毛が逆立つプレッシャーを感じる。

「報告書上がってきたけど見る?」

 わたしと同じ翡翠色の目が、空に面したデスクへ向く。

「結構です」

 わたしが内容を知ったところで何も変わらない。そしてわざわざ知るべきものでもない。

「そう。まぁ知らない方がいいこともあるものね」

 なによりも姉がオーケー出したのならそれでいいのだから。

「私としては仕事してくれればどうでもいいのだけれど。戻っていいわよ」

 特に恐れるような出来事はなく、機嫌のいい姉に小さく会釈をしてから風通しのいい廊下に出た。「はぁ」と小さな溜め息が漏れて一気に手汗をかく。

 ここで一度死んでしまった方がきっと楽。

 楽、なんだけど。


 少し軽くなった足で階段を降り、わりと下の方にある自室に戻るといささか乱暴な包容が迎えてくれた。ちなみにわたしが汚いままだと包容はなしになる。今日はズボンが汚れていたが見逃してもらえたようだ。

「おかえりなさい、先輩。ご無事なようで」

 シャルはあまり歓迎ムードじゃない様子。

「何で残念そうに言うかな」

「まぁまぁ。まずはシャワーを浴びてきてください。ちょっと、いや少し臭うので」

 本当に臭うみたいですぐにシャルが離れて行った。仕事柄仕方ないとは言えなんか悲しい……。

「……」

 わたし自身の臭いじゃなく他人の死臭だ。シャルが勝手に用意してくれた着替えを持って小さなシャワールームで悪いものを流す。外から「お背中流しましょうか?」とふざけた提案がくるが無視する。

 わたしが出てくるなり、シャルは手際よくドライヤーとブラシを用意し、なにやら楽しそうに話してくるけど耳元の暴風で毎度聞こえない。ドライヤーを止めて、髪をブラッシングしてから改めてシャルが口を開く。

「先輩、このあとはお暇ですか?」

 朝仕事を片付け、ここに戻ってくる頃にはもう時刻は昼過ぎ。予定は存分に寝るだけだった。

「仕事入ってないですよね」

 先月からわたしについて回ってる彼女がわたしの予定を把握していないわけがなく、

「デートに行きましょう」

とわたしの赤髪をいじくる。

「いや、眠いんですけど」

 同じ時間の間起きていた――むしろわたしより早く起きて活動していたはずのシャロの方が元気そうなのはなぜだろうか。

「では夕食デートに出かけましょう」

「えぇ……」

 食に興味を持たぬわたしは外食に惹かれない。パン一つ腹に入ればなんとかなる。

「実はもう予約取ってるんですよ。行きましょうね」

 わたしの意見は元から求められていなかった。

「わたしテーブルマナーとか知らないけど」

 ベッドに横たわると「大丈夫です」と言いながら同じベッドに潜り込んできた。いつものことで、いつもの台詞を返すのも正直かったるい。

「君の部屋は他にあるでしょうよ」

 至近距離に綺麗な碧が映った。

「ありますね。でも先輩と寝た方が温かいですし」

「……シャルはなんでわたしにひっついてくるのかな」

 温かさが眠気を増幅させあくびがもれる。シャルの身体が柔らかくて心地よい。

「もう何度言わせるんですか。好きだからに決まってるでしょ」

「や、だからなんで」

「一目惚れというやつですよ。偶然とは言え、救世主みたいな感じでしたし。あの時の先輩めちゃくちゃかっこよかったなー」

 彼女は正直者だが、わざと言葉足らずになる悪癖がある。

「だから私は先輩の横にいたいんです」

「あぁ、そう」

 慣れた問答を子守唄にすーっと意識が遠のく。

 夢は見ない。

 そんなものは遠い昔に捨ててきた。


 ◆  ◆  ◆


 人手なしなことをしているわりに人間らしい寝顔を見せる彼女と、私が運命的な出会いを果たしたのはつい最近のことだった。

 私は貴族の生まれということもあり、今まで身代金目的の誘拐に何度か出くわしたことがある。そのたびにここで死ぬのかと思い繰り返し、なんだかんだと今を生きている。

 あの時も外で買い物をしていたら攫われた。親が動いてすぐあの家に戻れるのか、はたまたここで殺されるのかと考えていたところいつもと話が違うことに気づく。

 どうやら恨みを買ってる方向から依頼があって黒スーツの男たちは私を攫ったらしい。そうなると生存率は絶望的。このまま依頼主のところに引きずり出され、憎しみをぶつけられて惨殺されるなり売り飛ばされるなりされるのだ。

 不思議と怖さはなかった。

 生きていても意味がないことも、親が必死に未来を託そうとすることもどうでもよかったから。

 ただし、殺されるだけならいいけどなぶられたりするのは本意ではない。どうにか上手いこと殺されやしないかと考えている時だった。

 突然、目の前で起きたことは例えるなら奇跡。

 銃声がして、騒ぎだけが聞こえてきて、数人の男が私の見張りに残り他はどこかへ消えてしまった。そして、そのまま帰って来なかった。

 次に私の目の前に現れた者こそが全身黒ずくめの彼女で、大きなナイフと拳銃を両手に抱え迫りくる銃弾に戸惑うこともなく部屋にいた男全員を殺し終えた。

 まさに圧巻。ここまでくるとショーの一環だ。男たちは彼女に一撃も加えることなく、流れるように頸動脈を切られたり、額を撃ち抜かれたりしていた。

「私のことは殺さないの?」

「……」

 口元は布で隠れていて見えなかったけれど、多分私の言葉が通じていない。一瞬悩んで次は英語で聞いてみる。通じた。

「君を殺せとは言われてないから」

 言われていればすぐに殺すわけだ。話してみた第一印象は人形みたいな人だった。

 こんな現場を見てしまったからには、明日命を取られるかもしれない。

 まぁ、いいかなと思う。

 よく分からないけど、少女の声をした目の前のやつになら殺されても楽しい気がして。

 なんて感傷に浸っていると、これまたいきなり入口で倒れていた男がこちらに向けて弾丸をぶっ放して。黒ずくめの彼女の胸のあたりを貫いた。

 話していた彼女は、そのまま私に倒れかかる。

「え、ちょ……!?」

 大人しくしていたからか、私の両手は自由の身だった。彼女を抱きかかえるようにしながら首元に触れる。脈はまだあった。

 視界の奥で男が立ち上がろうとしているが、片足が吹っ飛ばされているようで時間がかかっている。

「……刺して」

 漏れてきた声は小さくも強い声で、右腕を動かす。

 そのナイフで殺せと言われているらしい。

「いいんですか?」

 わけも分からず同意を得ようとする私。全然状況は分からない。彼女が死んだところで私の命が助かるわけじゃないのに。

「早く」

 強めの声で急かされる。

 私にも人として欠けている部分があるんだと思う。

 私は迷いなく、彼女の腕ごとナイフを操作して頸動脈を掻き切った。

 とても鮮やかな赤だった。生温かくて、普通なら顔面に被ったら気持ち悪くて仕方ないのに。

 不思議と鮮やかな光景に目を奪われていた。

 命を一つ奪っても実感はやはりなく、……今回に限ってはこの後の出来事のせいでもある。

 私が知っているよりも彼女の身体は早く冷たくなり、そしてすぐに温かみを取り戻したから。

 珍しく私だって目の前の現象に驚いたし、例の男もせっかく立てたのにすっ転んでいた。

「あぁ……やるつもりなかったのに……」

 喋ったと同時に“生き返った”彼女は男の胸を打ち抜き、血反吐を飛ばしてゆらりと立ち上がる。

 彼女の隣にいた私の服にはべったりと血がついていて、黒くて分かりづらくても彼女にもついていた。死んだ、けど生き返った……?

「不死身?」

「不死身じゃないよ。死んだでしょ」

 少し不安そうに彼女は先程の男の頭を足で潰した。

「……つまりあなたは死ぬと生き返るのかしら」

 自分でもおかしなことを言ってると思う。人間は死んだらそのまま。終わるだけ。

 でもこの手で確認した。彼女は一度死んで、そして再び生き返った。

「ねぇ、こうゆうこと知ったら殺されちゃうの?」

 保身に走ったわけではない。世の中そんなものなのかな、と素直に疑問に思っただけ。

「どうだろ」

 思っていた返事とは違い、明日の天気を聞かれて「知らない」と返したようなものだった。

 先程の台詞からして彼女は自身の思考ではなく、誰かの指示を忠実に守って行動しているのだろう。

「姉さまに確認しないと」

「ねぇ。それなら私をそこに連れて行って」

「えっ」

 人形みたいな人間からも、戸惑いは雰囲気から伝わってきた。

「家に帰りたくないの。……私、ある程度何でもできるし役に立つと思いますよ?」

 誰かにもらった重たい髪飾りを汚れた絨毯に投げ捨て、歩き辛くて仕方ないハイヒールも脱ぎ捨てた。それから足元に転がっていた男のポケットからライターを取り出す。

「……あなたに惚れました。ぜひ近くに置いてください」

 火を放ち、彼女に向かって赤く染められた手を差し出す。

「……」

 黒服の彼女は半分以上意味が分かっていないようだったけど、颯爽と私の手を引いて炎に飲まれる前に外へ連れ出してくれた。

 また彼女の命を感じたい。腕の中でなくなった命。腕の中で蘇った命。あの瞬間の高揚感は何に例えればいいのだろう。

「生きていてよかった」

 きっとそれに尽きる。


 ◆  ◆  ◆


 いつもわたしの方が起きるのが遅い。わたしが目を覚ますとシャロはニマニマしながらこちらを見ている。付け加えるなら顔も近い。よくよく考えるとわたしはシャルの寝顔をちゃんと見たことがないかもしれない。

「おはようございます」

「おやすみ」

 布団をかぶり直す。まだまだ眠い……。温かい布団が恋しい。

「ちょっと! 先輩! これからご飯ですから寝ないでくださいよ」

 ぐわんぐんと肩をゆすられて頭痛がする。

 痛い。わたしが死んでもすぐ生き返るからと彼女は乱暴な面が多い。

「外食なら一人で行けばいいじゃん……」

「これでもか弱い乙女なんで、ボディーガードは必須じゃないですかー」

 か弱い。か弱い? 躊躇いなく初対面のわたしの喉を切ったのに?

「いいですか、私はご飯に行きたいんじゃなくて先輩と行きたいんですよ」

 掛け布団を剥がされ、無理矢理引きずり出される。腕力も見た目よりある。ボディーガードなんていらないと思う。

「今は時期的に出店も多いですから。楽しいですよ、きっと」

 またもや彼女の手がわたしを掴む。シャルはやたらとわたしの手や腕を取ることが好きなようだった。


「乾杯」

 値段に見合った美味しさであるかは分からなかったが、シャルが予約した店は不味くなかった。店の雰囲気もわたしに気を使ってくれたんじゃないだろうか。少なくともシャルの好みではなかった。

 この国では私もシャルもお酒を飲んでいい年齢であるが、わたしは普段からお酒を嗜まないのでシャル一人での乾杯である。わたしはアルコールに免疫がないわけではないが、飲んだ後の浮遊感がどうしても得意になれなかった。いざという時にすぐ動けないのもネックだ。

「先輩、このお肉食べますよね?」

 シャルが牛肉のステーキを一口サイズに切って、わたしの口元に差し出してくる。もう慣れたものなので、わたしはそのままあーんされる形で食べた。それを見るシャルは満足そう。

「先輩」

 シャルが自分の口元を指でさす。え、わたし口になにかついてる?

「違いますよー。わたしにもあーんしてくださいよ」

「自分で食べられるでしょ」

「食べられません」

 平気で嘘をついてくる。手に持ってるフォークとナイフは飾りか。

「シャル、酔ってるの?」

「これくらいじゃ酔わないですよ」

 急に真顔になられても困る。シャルは「もういいですよ」とふてくされてワインを煽った。

「先輩は私の気持ち全然汲んでくれませんよね」

「そもそもあーんをされたい気持ちが分からないよ」

「好きな人にはあーんされたいものなんです」

「好きじゃないから分かんないや」

「ここで振ります!? ひどい」

 大袈裟にショックを受けたアピールをしているから、そこまで深刻に受け取ってはいなさそうだ。

「まぁいいですよ。これから惚れさせてやりますから」

「……好きってどんな気持ち」

「あーそこからですか」

 シャルはため息を大袈裟についてから、わたしの手を取って握る。

「手を繋ぎたいとか、キスしたいとか、そもそも一緒にいたいとか思う気持ちです」

 一緒にいたいは分からなくもない。正確に言うといたくないわけではない。シャルといるとなんだかんだ新鮮な気持ちになる。でも、それはシャルの言う好きとは違う気がする。

「シャルはほんとにどうしてわたしのことなんか好きになったのかな」

「前にも言ったじゃないですか。あんな助けられ方したら惚れますって」

「助けたわけじゃないけどね」

「またそういうこと言う!」

 乱暴に手を振り払われる。

「でも先輩、わたしが突然いなくなったら心配しません?」

「そりゃするけど……。でも今でもシャルには普通の生活をしてほしいと思ってるよ」

「一度命を狙われた身ですよ? それに先輩の秘密を知っちゃったし。もう後戻りできないんですから一緒にいさせてくださいよ」

 シャルがおかわりできたワインも飲み干す。いつになく飲んでいるけど大丈夫?

「先輩、好きですよ」

「はいはい、ありがと」

「もう! 私は本気で言ってるのに」

 キスだって普通にしてくるのにこれ以上何を求めるって言うんだ。一緒にお出かけもするし、彼女が何をしてほしいのかわたしには分からない。

 「まったく先輩は」とぶつぶつ呟きながら、残しておいたアヒージョを一人でかっさらっていくシャル。わたしまだエビ一つしか食べてないのに。バケットもまだこんなに残っているのに。

「何か頼みます?」

 アヒージョがなくなったところでシャルがメニューを見せてくる。あと残っているのはシャルが切り分けたステーキだけだ。お腹はまだ空いているけれど、

「シャルの食べたいものでいいよ」

「ほんとに主体性のない人ですね。私の前でぐらいもう少し自我を主張させてください。はい、選んで」

 そんなこと言われても困る。好きなものとか特にないし……シャルは何が食べたいのかな。メニューに目を落とすが、ピンとくるものはない。ソーセージも頼んじゃった後だし、軽いものでいいか。

「じゃあ生ハムで」

 これならワインにも合うだろう。

 わたしが素直に選んだことに満足したシャルは近くの店員さんに注文をする。がやがやした店の中なのによく通る声だ。

「シャルまだ飲むの?」

 注文ついでに飲み干すグラス。わたしがこれだけ飲んだら間違いなく酔うだろう。酔っても死ねば冷めるけど。

「生ハムなんて頼むからですよ」

「ほどほどにしておきなよ……」


「美味しかったでしょ?」

 結構たくさん食べたけどどれも美味しかった。

 とりあえずシャルが嬉しそうなので良しとする。

 忙しいのにいったいいつ店のリサーチなんてしているんだろうか。

「先輩、もう少し散歩していきましょ」

 もしかしてお酒を飲んだから陽気なだけではないか。シャルは温かくなった手でわたしの手を握る。

 引っ張られるまま人で賑わう大通りを歩く。食べ物屋から雑貨店までさまざまな店が立ち並んでおり、冬の訪れを祝福しているよう。見回すと家族連れやカップルが多く、わたしたちは少し浮いているようにも見える。

「この国は賑やかですね」

「シャルのところはそうでもないの?」

 そんな貧しい国のイメージはない。

「たまにしか街には出なかったですけど、こんなに賑やかな催しは見たことないですね。わーホットドッグある!」

 故郷の影響のためかシャルはソーセージが好きらしく、それが挟まっているホットドッグはお気に入りだ。しかし食事したばかりでよくもまぁ興味を示す。

「先輩はほんとに周りに興味なさそう」

 ないものはないんだから仕方ない。なにかを想う心は昔に剥ぎ取られている。

 わたしは言われたとおりに殺しをしていくだけ。豪華な夕食にもキラキラしたアクセサリーにも興味はない。

「見て見て。古本屋さんもありますよ」

 わたしには並んでいる本の価値が分からない。一部の本はわたしの読めない言葉で書かれていて、シャルが手に取った。

「先輩、読めないでしょう」

「読めないね」

 母国語すら最低限の読み書きレベルしか教えられていない。人を殺すために必要なものしか今まで与えられなかった。

 ……たぶん目の前の彼女もそうなんだと思う。生きるために必要なことだけを与えられてきた。

「今度、私が教えてあげますね」

 シャルは何冊か本を買い込み、そしてわたしに持たせる。重い。

「シャルって何ヵ国語話せるの?」

「そうですね。五ヵ国語くらいですかね。挨拶レベルならもう少しいけますよ」

 なにやら呪文を唱え始めた。近隣諸国の言葉かもしれない。まったく分からない。どうせくだらないことしか言ってないということだけは分かる。

「なんて言ったの?」

「先輩愛してます」

「そう」

 純愛だろうと不純であろうと違いなんて分からない。彼女がどんなに言葉を尽くしてくれても響かない。

 ただそれでも、

「可愛くないですか? 元から可愛いんですけど」

 そろそろ賑やかな空間も物理的に終わりが近づいていて、静かな露店でシャルが何かを手に取り自身にかざして見せた。

 どこかで見たことあるような花型の髪飾り。

「こっちの方が可愛いと思う」

 何度か助けられた彼女には、それなりのものを返すべきなのだと思うこともある。わたしは一番輝いているように見えたソレを指さす。

「蝶ですか? お洒落なところを選びますね」

「それでいいなら買うよ」

「珍しい。お財布持ってるなんて」

 仕事中は持ち歩かないだけで、普段はちゃんと持っている。使うことはほとんどないが。

「えへへ、初めてのプレゼントですね」

「……」

「なんですか? ぼーっとして」

「いや。シャルでも照れることあるんだなって」

 ほのかにシャルの頬が赤い。

「アルコールのせいですよ!」

 手を振り払われる。どこかの言葉で文句らしきことを吐き捨てながら、綺麗な金色の髪に前よりも安っぽい髪飾りが留まった。

「似合うよ」

 率直な感想で他意はない。姉さまたちが着飾った時に綺麗と思うのと同じことで、彼女は美しかった。きっと少し不貞腐れたように目線を合わせてこないところが可愛いというやつだ。

「もう! 先輩にもなにか選びますからね!」

 投げ捨てた腕を取り直し、まるでわたしが逃げないようにと拘束を固める。

「先輩の薬指で周囲いくつです?」

「いくらわたしでも指輪は重たいし、なにより仕事で邪魔」

「最低ですね。指が抜けなくなって壊死すればいいのに」

「こわっ」

 シャルをなだめつつお返しは今度選ぶからと出任せを言って、オフィス兼自宅へと歩を戻す。

「デートになりましたね」

「そう?」

「先輩から選んでくれた時点で満点です」

「おお」

「その後の対応でマイナス五十点ですが」

 ちなみに十点満点ですと付け加えてくる。算数は得意でないが、絶対的に足りない。

「点数低いわりにはずいぶん嬉しそうに見えるけど」

「先輩の目が節穴だからじゃないですか。仕事失敗しないでくださいよ」

「失敗してほしいんじゃなかった?」

「それはもちろん。ただ難しいですよね、私は死ぬわけにいかないので」

「抱きつかれたら歩き辛い」

「お姫様抱っこでもいいんですよ。ほら、初めて会った時みたいに」

 あれは彼女が自らの靴を投げ捨ててしまったから仕方なくであって、底が厚めの靴を履いている今必要性は皆無。

「……シャルはいつでも楽しそうだね」

 わたしにはその感情がいまいち分からなかった。一般的な考え方においても、殺人鬼と並んで歩いて、仕事があれば血生臭い現場に立ち会うなんて、一体どこに楽しむ要素があるのか。世間のお嬢様ってこうゆうものなの?

「先輩がいてくれれば楽しいんですよ」

「そうゆうものか」

 分からない。

「なんて言うんですかね、世界が色づいて見える的なアレです」

 それは赤一色だったりしないかな。

「あともう一つ気になってたんだけど」

 家が見えてきたところで思い出したように聞いてみる。

「なんでわたしのこと先輩って呼ぶの?」

 わたし、名乗ってなかったっけ? 名乗ったよね?

「仕事中は本名で呼ばない方がいいじゃないですか。それならどこでも通用するものがいいと思って」

「シャルの方が年上だと思うんだけど違う?」

「さぁ。乙女の年齢詮索はNGですよ。まぁ大して変わりませんけど……いいじゃないですか、仕事では私が後輩なんですから」

 いいか。いっか。

 あまり名前で呼ばれるのも得意でないし。

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