女神の供述。

音佐りんご。

レイ・シチハラ。

 十五年前。

 七原しちはられいという少年が、ある交差点でトラックに轢かれる寸前、幼馴染である冠木かぶらぎ明花あきなという少女の犠牲によって命を救われた。

 しかし、少年は大切な存在を亡くした失意を抱えることしかできず、屍のような日々を送っていた。

 事故以来、件の交差点に立ち寄ることが習慣となっていた男は、ある時偶然にもトラックに轢かれそうになっていた、ある少女を助け、命を落とす。

 そして――


「気が付いたようだね。」

 と、真っ暗な空間の中に浮かんでいる彼に声を掛けた。

 あの時失われた筈の冠木明花の姿をしたが。

 恋焦がれた、幼馴染との感動の再会。


「ああ、ここは天国なんだ……!」


 と、彼がそう呟き、抱き締めた瞬間。

 冠木明花カブラギアキナは液体となって彼の腕から溶け落ちた。

「感動の再開に水を差す。とはこのことかな?」

 と、その背後に浮かんでいた僕は声を掛ける。

 彼が振り返ると、その瞳に映ったのも、やはり冠木明花の姿だったろう。

 困惑する彼に僕は告げる。

「私は冠木明花、ではない。では何者か。平たく言えば、神だよ。あ、平たいと言っても、ペーパーの紙じゃないので悪しからず。舌のぺらぺら翻ること神の如しなんて自分で言うのもなんだけれどそれはさておき、立体的に言えば創造主……では残念ながらないんだけれど、まぁ、早く生まれた方が偉いなんてのは神の世界も同じ事で、上から何番目かは忘れたけれど、とりあえず僕は世界の管理者とかそういうのを押し付けられて、いやいや、嫌々って訳でもないけれど、まぁ任されてる、感じかな。超立体、超次元構造体的に言えば第十七号特異点、なんて呼び名もあるんだっけかな。なんて、誰が呼んだか、別次元の僕さ。かっこいいだろう? ああ。ちなみに今のは七割がた適当にそれっぽいようなことをひらひら喋っただけの冗談さ。だってだって、本当のことを言っても、君たち人間程度の下等生命体に理解できる訳など無いのだからね。それでも、まぁ、なんだ。下等だろうが、上等だろうが、適当だろうが。どうやら僕の声を聴く程度の能力はあるらしいし、僕と口を利く権利はあるんだよね、君。えっと、七原玲……レイ・シチハラ? なんだかダブルオーセブンみたいな名前だね。いや、オーセブンオーで、携帯番号みたいな名前なのかな? まぁ、何ハラでもいいけれど、というか、さっきから君は何を黙っているんだい? 僕を前にして沈黙とはいい度胸だ。いいや、度胸は無いのかな? ああ、ちなみに今、僕の胸の有無のことをとやかく言うつもりなら、君の来世での名前はセクハラに収束されるから、注意しなよ? まぁ、そんな度胸はさておき、興味もないだろうけど、君、幼馴染以外マジで他人に興味無いらしいし、性欲とかも無さそう……じゃなくて、あぁいやいや、無いのは言葉だったね。ついでに命も。ゴッド・ジョークが過ぎるけれど、口が過ぎるのは許して欲しいなんて、人間風情に許しを請う僕でもないけれど、あぁでも考えてみれば僕って女神だからゴッドじゃなくてガッデス・ジョークかな、さておき僕の出現に泡を食って言葉を失うなんて、もしかして君は人魚姫か何かかな? どうだい足は手に入った? 或いは願い叶わぬ失望の中で泡と消える準備はした? 安心しなよ、所詮、人の生なんてものは泡沫さ、人魚姫でなくたってね。それ以前に君はありふれた人間のくせに、自分の足で歩く意思が無いらしい、なんていうとタクシーばっかり乗ってる奴みたいに聞こえるけど、比喩だよ。比喩と言えば、かの有名ななんとかって哲学者は言いました。『人間は考える葦である』。それも良し悪しだけれどまぁ、君ときたら葦のように根を張るともなく流れ流されるまま生きて、生き永らえてきたくせに、これまでずーっと、その人をひとえに人たらしめる思考ってやつも止めてきたのだろう? 水を得た魚は活き活きするけれど、鰓呼吸するにはちょっと空気が澄んでて溺れちゃった? それか或いは、人魚姫でもない君は感動の再会に水差されて腐っちゃったかな。だとしても、それはもうとっくに腐っていたのかもしれないけれどね。性根ってやつが。とは言ってみたけれど、気にしないでいい。僕はそれを咎めるつもりなんてないよ、神だからね。それくらいは加味してる。っと、そしてそんな君に朗報だ。さもなくば労働だよ、強制的に。まぁ神としては合法だ。なんて冗談さ、平たく言えば、お仕事だ。立体的に言えば神託、それか神命、神勅かな? まぁ、そこまで言えば分かるよね? 分かってほしい、分かれよ。というわけだ。こうしてわざわざ出向いてやった理由は、そう、君ってば、見ず知らず死の危険に晒された女の子を助けて死に晒したんだよね。あはは、ガッデス・ジョークだけど、それってなかなかできることじゃないからね、その点に関してだけは、神に誓って偉業さ、僕に誓ってね。そう、立派なものだと思うよ。おめでとう、君の人生。なんて、君自身はそんな風には思えないかもしれないだろうけれど。それでも、言わせてもらうよ、こんぐらっちゅれーしょん。神ってるぅ~! って死語かな? でも死後のことだから大目に見てよ? 代わりに僕は見落とさなかったんだから、その君の偉業を。そもそも何がすごい、どうしてすごいってそれは君、彼女、浜白はましろ七瀬ななせは、本来ならあそこで死ぬ運命だった――らしいからね。それをまさか偶然とはいえあの交差点で死に損なった君が捻じ曲げるなんてすごいよ、すごい偶然さ、あぁ、すごすぎてちょっとキモイというか、それって恰も運命と運命が折り重なった交差点で起きた奇跡みたいじゃん、そんなの、神か天使か、そうでなければ、悪魔にしかできない。ということは、必然君は悪魔に近い訳で、そう考えればキモくて当然だね。偉業ならぬ異常かな。ともあれ、変わり者の君が彼女の掛け替えのない命を、命に代えて救ったことに変わりはなくて、たとえそこにどんな思惑や意志があるにせよ、無いにせよ。信賞必罰は世の習いってことさ。上司ならざる上位者の神として頭を傾ける程では無いにせよ、最低限、最大限、行いを加味して傾けなければならない、天秤を、世界を傾ける。いっそ歪なほどの不正かもしれないけれど、バランスをとるためにはそれが正しい秩序というもので、故に、僕は褒美として、耳を傾けることにした。君の望みに。君の願いに。君の思いに。さぁ、応えよう。何が望みだ? まさか、こうして在りし日のあの子の似姿を拝む、神である僕を拝むだけで満足する筈も無いだろう? 僕としては満更でもないけれど、正直ちょっと楽しくなってきている僕がいないでもないけれど、ああ、分かっているとも、レイ・シチハラ? さぁ、どんなに歪で狂った醜いものであろうとも、この僕が聞き入れてあげるよ、受け止めてやるよ、無理難題、どんとこい。さぁ、言いなよ、吐き出せ、どんな願いでも叶えようじゃないか、神掛けて。僕だけど、神は」


 そう、微笑みかける僕を真っ直ぐ見つめる彼は、その虚ろな瞳に僕を映していなかった。

 神である僕を全く素通りした視線を向ける彼は、虚無の中にたった一つの蝋燭を妄執のように灯して、呟いた。


「冠木明花とまた会いたい」


 その言葉に僕は嗤った。

 そしてこう言ってやった、僕は――否、私は。

「久しぶりだね、れーちゃん」

 再会というのなら「今しているよね?」と言う顔でれーちゃんに説く。

「分かるよね? 私は冠木明花。お化けじゃないよ? ふふっ、やっぱりお化けかも? でも、お化けになってもまた会えてよか――」


「――黙れ殺すぞ」


 と、れーちゃんは静かに言った。

 今までの腑抜けはどこに消え去ったのか、神殺しでも為すが如き形相で冠木明花ぼくの首を絞めながら。

「かひ……ほ……ら、記お……く、だけ、じゃない、首、絞め……、た感触だ、って……、アキその、もの、だよ? あはは……っ?」

 れーちゃんの手に更に強く力が入る。

 この抜け殻の幼馴染は一体どんな気持ちで、愛する幼馴染の似姿を縊り殺そうとしているのかと考えると、冠木明花ぼくの口角は自然に上がってしまう。或いは、冠木明花ぼくの肉体がそれを、れーちゃんとの再会を悦んでいるのかもしれないが。

 さておき、このままでは笑い事ではなく、先刻の冠木明花カブラギアキナのように身体が殺されて液体に戻ってしまう。

 と、僕は降参したように両手を上げると、揶揄うのをやめることにした。

「じゃあ、冠木明花って何かな?」

 首を絞める手に再び力が入る。

「それはもう死んだ人間だよ。そして消え去った人間で、だから冠木かぶらぎ明花あきなの魂はもう失われている、彼女とまた会うことは――」


「――黙れ黙れ黙れ! 願いを叶えるんだろ! 俺は! 俺はただ、彼女に、アキに会いたいんだ……!」


 涙が落ちた。

 だが、どうでもいい。

 僕はその彼女ではない。

 彼女を取り戻す術もない。

 神とて、万能ではない。などと言うつもりも無いが。

 そう説明しても彼は納得しなかった。

 それでも彼は、譫言うわごとのように言った。


「なら、冠木明花の魂は今どこに……いや、違う。魂はどうなったんだ?」


 と。

 それは予想していない問いだった。

 七原しちはられいが何を願うかなど分かりきっていた。

 そして分かりきった願いの答えは「冠木明花ぼくの身体で妥協しろ」だったのだが、彼は、妄執の為せる業なのか、それとも例の偶然性の産物なのか、正しい問いに、願いに手を伸ばしていた。

 ならばこそ、正しい行いには、正しい報いがあるように。

 僕はあっさりと、

「転生したよ、とある世界にね」

 そう、答えを告げた。


「転生……?」


 彼の瞳に、また火が灯った。

 おかしなことに、今度はより温度を増して、しかし一段暗くなって。

 緩んだ彼の手の縛めから逃れると、僕は首の状態を確認するように手を当てながら言った。

「そう、君の願いには応えられないというか君にとっては、僕の用意したであろういくつかの選択肢が、再会の定義には当て嵌まらないというだけの話で、要するにただの君の我が儘なんだけれどね。さっきも言ったけれど、最低限、最大限、僕は君の願いを叶えるつもりさ? だから、一応言っておくと、すでにあれは冠木明花ではない別の魂であって、会ったところで――」


「――それでも。俺は」


 会いたい。

 という、彼のその答えは流石に予想していた。

 神である僕には、まるで理解できないが、思考回路も定かではない虫が、どんなものを好んで食べるのか予想するのと同じくらいの精度で、思考ならぬ嗜好を読み解くくらいはできた。

 僕は問う。

「君の願い。それは、無理を通すか運命に導かれなければ到底叶わない。そして、その手の物は大抵が過酷な運命か、悲惨な末路をとなるかだよ。それでも――」

 ――望むのか。

 と。

 そして僕は彼を、彼の魂を送り出した。

 彼女の魂だった物が行き着いた世界に。

 予定通り。

 ああ、予定通りだったとも。

 僕は最初からあの世界に彼の魂を送ることになっていた。

 だから、彼が何を選び、何を望んだとしても、結果は変わらない。

 残念ながら、幸いにして。

 ただ強いて言うならば、僕がこの邂逅を楽しめたかどうかだけは、確かに変わった。

 僕は存外に楽しかった。

 だから、過酷な運命へ臨む彼への餞別であり、これは僕の私情から出た助言、或いは神託だ。


「旅の終わりに出会うものこそ探し人。それを努々忘れるな?」


 転生したら基本的に、記憶なんてものは全部きれいさっぱり忘れることになるのを敢えて口にはしなかったが。

 そうして、かつて失った大切な幼馴染み、冠木明花と再会するために七原は転生した。

 その後の彼が一体どうなってしまうのかは。


「他の神には内緒にしている僕だけの娯楽さ?」

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女神の供述。 音佐りんご。 @ringo_otosa

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