ホームシック
譜久村 火山
マイホーム
夜の2時。今日も
やって来たのは住宅街の端にある公園だった。桜の木が一本植えられているので桜公園という名前である。だが季節は冬。ましてや夜。桜の木は美しさの欠片もない。暗闇に浮かぶのはただの木の枝である。友也は生まれてから鮮やかなピンク色の桜を見たことはなかった。写真では見たことがある。でも肉眼ではない。なぜなら友也が活動しているのは光のない時間だから。赤ちゃんの頃からそうだったのかは分からない。あの時は外の明るさに関わらず寝られるだけ寝るのが普通だ。だったらあの頃はまだ友也は普通だったのか。そうは思えない。両親によると赤ん坊の頃、友也は一度も泣かなかったらしい。それは異常だ。そうして物心ついた頃には、日が上ると眠りにつき日が沈むと目が覚めた。それが友也にとって自然なライフサイクルだった。
東屋の椅子に座ってスマホの明かりで本を読んでいると、目の前に誰かが座る。この時間に酔っ払ったサラリーマンか不良に憧れた学生の集団以外がやって来るのは初めてのことである。年は友也と同じ高校生くらいだった。暗くても目の前の彼女が美人であることは分かる。ストレートの黒髪が夜の闇になびいていた。
「もしかして君もホームシック?」
「名前は?」
「ミサト」
「ホームシックってどういうこと」
「夜、寝れないんでしょ?」
ミサトが公園前にある家を指差した。
「毎夜、毎夜、ここで本を読んでる」
「見てたの?」
「私も夜の時間を持て余してたから」
春の手から本がスルリと抜ける。
「ねぇ何かしようよ」
「何かって何?」
「君……名前は?」
「友也」
「友也、スポーツ経験は?」
「昼間寝てる奴にそんな経験があると思う?」
「私と一緒だ。ちょっと待ってて」
数分するとミサトが家からバトミントンのラケット二つとシャトルを持ってきた。
「オリンピックに憧れて買ったんだけど、昼は寝ちゃうから使う機会がなくて」
ラケットの一つを手渡される。二つは色違いのようだが暗さのせいか違いはあまり分からない。
「ルールは分かる?」
「ネットもないのに、ルールがあるの?」
東屋を出ると適当に距離をとってミサトと向かい合う。
「じゃあ行くよ」
ミサトがシャトルを投げてラケットを振る。見事に空振りだった。それからもやり方を変えて何度も何度もラケットを振るが、友也の方までシャトルがまともに飛んで来ることはなかった。
「僕にも楽しませて欲しいんだけど」
上手くいかなかったせいか面白くなかったようで、シャトルを友也に投げつけてきた。
友也は、シャトルを手から離すとラケットで高く打ち上げる。シャトルは勢いよく打ち上がり、ゆっくりと落ちてきた。それをさらに打ち返す。数回ほど繰り返すと、ミサトが邪魔をしてきた。そのせいでラケットは空を切り、シャトルが友也のおでこに当たって落ちる。
「なんでそんなに上手いの?」
「才能ってやつかも」
「もしかして友也はこの星の人?」
友也が眉を顰める。
「僕は当たり前に地球生まれ、地球育ちだけど」
「そう言う事を言ってるんじゃない。普通の人間みたいに朝起きて、夜に寝る。友也はそういう生活をしている人で、最近はたまたまちょっと寝れないから桜公園に来てるだけなんじゃないの?」
ミサトが、疑い深い目で友也の顔を覗き込んでくる。どうやらミサトはいわゆる普通の人に少なからず敵意を持っているようだった。
溜め息をつくと友也は東屋に戻って本とスマホを取ってくる。ライトを点けると本のタイトルを照らした。
「『科学が証明。最強の睡眠法10選』」
ミサトがそれを読み上げる。
さらに友也は、スマホの検索履歴を見せた。
「『夜 寝れない 異常』『社会不適合者 生きる道』『普通 定義』」
「こんなことで悩んでいる人間が君の言うこの星の人だと思う?」
「なんだ。友也もちゃんとホームシックじゃん」
ミサトがホッと胸を撫で下ろす。心底安心したようだった。生まれてから初めて仲間に出会えた。その喜びが友也にも伝わってくる。
「私とか友也にとってこの星はホームじゃないと思うの。皆んなが寝ている間に私たちだけが起きていると、『なんで自分は寝れないのだろう』って思うでしょ?そしてそれを考えていたらイライラして、自分がなんだか分からなくなって、物にあたって、涙が流れてくる。それはきっと私たちが安心して暮らせる世界は別の場所にあるからなんだよ。私たちは生まれてくる世界を間違えた。だからホームシックに陥っているの」
「言いたい事はわかるよ。でも僕はそれを受け入れたくない」
「どうして?」
「ホームシックはいずれ治る」
「治すにはホームに帰るしかない」
「この星をホームにすることも出来るかもしれない」
「どうやって?」
「家族、恋人、友達。どんな形でも良いから人と関わりを持つんだ。相手のことを知って、自分のことを知ってもらう。時に刺して刺されながら、少しずつ距離を縮める。そうして相手のことを受け入れ、自分のことを受け入れてもらっていると感じたならばそこがホームだ」
「うまく行ったの?」
「これからさ」
「私は信じない。そんな綺麗事、上手く行くはずがない」
「ミサトはずっと夜の中にいるの?」
「もちろんよ」
「じゃあさよならだね」
「こっちこそ。あんたの顔なんて二度と見たくないわ」
ミサトがソッポを向き歩いていく。
「おやすみ」
背中に向かって声を掛けたが、返事は返って来なかった。
その日、家に帰ると友也はぐっすりと眠りに落ちた。そして朝8時。眩しい朝の光と共に目を覚ました。
リビングに行くと、両親が見たことないほど目を丸くしていた。母親は1分ほど口を開けたまま硬直し、ソーセージを焦がしていた。その後慌てて友也の分を加えて作り直した。
「久しぶりに学校に行こうと思うんだ」
新聞を読んでいる父親に友也がスマホ画面を見せる。そこにはグループラインのトーク履歴が表示されていて、クラスメイトからのメッセージが届いていた。
「良い友達を持ったな」
それから数ヶ月して春がやって来た。日光が輝く時間に桜を見ようと桜公園に足を運ぶ。すると公園に植えられた桜の木の根元にいくつも花束が置かれていた。中にはメッセージカードらしきものもあり、『ミサト』という文字が見えた。
友也は、美しい桜の木を見上げた。
「ミサトは結局、別の世界へ帰ることを選んだんだな」
桜の花びらが、ひらひらと舞い落ちてきてバトミントンのシャトルのように春の額に落ちた。それを摘むと、薄紅色の花弁が優しく笑っているように見える。
「君がそっちの世界でホームシックじゃなくなったのなら、僕は嬉しいよ」
いつの間にか流れていた涙を拭うと、花弁を木の根元に置いて友也は手を合わせた。爽やかな風が吹き、花びらが舞う。
やがて目を開けると、ちょうどスマホに通知が入った。クラスメイトから遊びのお誘いである。
友也は最後の桜の木を目に焼き付けると、桜公園を後にした。
ホームシック 譜久村 火山 @kazan-hukumura
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