第10話 大事な話――①

 この里に来てからはや一ヶ月半が経過した。

 言語の習得も進み、里での生活にも慣れ始めた頃、ジェイニルからの呼び出しを受けた。

 ジェイニルはこの里の長であり、この大樹の家に妻のケルミナと孫娘の金髪少女アルランテとの三人で生活をしている。遠夜はそこに転がり込んだ居候という立場だ。

 居候の遠夜にジェイニル達はとても良くしてくれている。言葉の分からない彼に言葉を教え、食事と寝床まで提供してくれた。

 何故ジェイニル達がそこまでしてくれているのかと言うと、「トーヤがアルランテを助けてくれたから」らしい。確かに助けはしたが、ここまで案内してくれたのはあの子だし、お互い様だと遠夜は思っている。しかし現状彼らに甘えなければ右も左もわからぬ状況なゆえ、恥を忍んで彼らの厚意を受け取っていた。


「話ってなんだろ。そろそろ出てけって言われるのかな?」

『その可能性は十分にあります。どう見てもこの里は裕福ではなさそうですし、これ以上タダ飯ぐらいのプー太郎を置いておくメリットはありませんので』

「ねえプー太郎って付ける必要あったか? てかお前それ、里にも俺に対しても失礼だと思わないの?」

『事実です』


 サラと軽口を叩きながら木の階段を降り、二階の部屋の前に辿り着いた。

 この部屋は里へ来た時初めて案内された部屋だ。ここは普段ジェイニル達が食事やティータイムの時に使っている。

 部屋の扉を開ける。


「あっ」


 先客がいた。

 椅子に座る少女がこちらに気づいて首を振ると、長く艶やかなブロンドがふわりと揺れる。

 ブルーの瞳、触り心地の良さそうなふわふわな耳と尻尾が特徴的な少女、アルランテだ。

 助けた当初は血と泥で汚れていたが、すっかり綺麗になった姿を見ると相変わらずの美少女だなと思う。

 しかしそんな少女の可愛らしい顔が、遠夜と目を合わせた途端に見事に歪んだ。

 凄まじい嫌悪と軽蔑の視線が遠夜に押し付けられる。


「よ、よおアルランテ……」

「ふんっ」


 彼女はまるで子供みたいに顔を背けた。

 遠夜は未だ彼女とまともに会話出来た試しがない。あの日の風呂場事件がまだ尾を引き摺っているのだ。勿論あれは不慮の事故であったし、何度も誤解を解こうとはしたのだが取り付く島もない。

 しかしこのままで良いはずもない。いい機会だし、遠夜としては今日こそ誤解を解いて仲直りをしたいところ。

 まずは自然な会話で流れを掴む。その後あの日の誤解を解いていく。

 よし、と遠夜は意気込んだ。


「ジェイニルに呼ばれたんだけど、まだ来てないのかな?」

「ふん、見て分からないの?」

「わかります、すんません」


 会話が終了した。


『マスター、泣かないでください』

「泣いてねぇよ」


 サラにまでバカにされる始末。このまま引き下がるわけにはいかない。


「なあアルランテ、ここで待ってるってことはお前もジェイニルに呼ばれたのか?」

「あんたに関係ないでしょ」

「は、話ってどんな話なんだろなー?」

「私が知るわけないでしょ」

「ハ、ハーブティー飲むかー? この間ケルミナにお茶の入れ方を教わったんだ」

「ふーん、あっそ」


 崩れる様に膝を着いた。


「もうダメだ……心が死ぬ」

『泣かないでください』


 しかし遠夜が項垂れてると、


「……ティ…………」


 隣で少女が何か呟いた。

 驚いて彼女の方を見やると、少女の顔が少しだけ照れくさそうに赤くなっていた。


「ハーブティー、飲みたいわ」


 それを聞いて笑顔で勢い良く立ち上がった。


「あ、ああ任せろ!」


 大急ぎで一階に駆け下りて湯を沸かす。

 ポットとカップを温めて適量のハーブを入れ、熱湯を一気に注いでいく。

 三分程蒸らして薄い黄色味が出たら静かにポットを揺らして完成だ。


「さあ、ケルミナ直伝のハーブティーだ」


 少女がカップに注がれたハーブティーの香りを嗅いで、その後ゆっくりとカップに口をつけた。


「……、」

「ど、どうだ?」

「ふーん意外、変態人間にしてはやるじゃない」

「ホントか!? それなら良かっ……てちょっと待てコラ! 変態人間って誰のことだ!」

「なっな何よ、急に大声出さないでくれる!?」

「いやだって、変態人間って」

「あんた以外に誰がいんのよ! 人の裸覗いたくせに!」

「それは誤解だって言ってるだろ! お前が入ってるなんて知らなかったんだ!」

「嘘言わないで、鼻血出して興奮してたくせに! どうせあたしの入浴時を狙ったんでしょバレバレなんだからっ! あ〜気持ち悪い」

「っお前なあ……!」

「な、何よ……事実じゃない……」

「だからそれは、」


 遠夜は少女の身体が微かに震えていることに気がついた。遠夜を見る目からも僅かながらに怯えが伝わってくる。


「ど、どうした?」

「はぁ?」

「いや、様子が変だから……」

「はあ?何それ意味わかんない、ほっといてよ……」

「いやでも、」


 しかし遠夜が彼女の肩に触れようとすると、


「触らないでッ!」


 その手は彼女によって乱暴に払い除けられた。

 遠夜を見るその歪んだ視線は、まるで他の里の人間と同じものだ。

 ここまで憎まれるようなことをした覚えは無いのだが。


「はぁ……悪かったよ。けど俺だって一応君を助けたんだ。少しくらい信用してくれたって良いだろ」

「信用……? あんた達の、一体どこを信用しろって言うのよ……」


 少し潤んだ少女の瞳を見て、思い出した。そう言えば彼女は、人間達に捕らえられ、鎖で繋がれ、あと少しで売り捌かれるところだったのだ。馬車の中で死んでいた他の少女達は全員この里の人間だ。里の人達が自分を毛嫌いするわけも理解出来る。遠夜の見た目はアルランテ達を攫った奴らと同じ人間、恨まれる理由には十分だった。信用してくれだなんて、そんなの無理に決まってる。


「何事かね」


 部屋の扉を開けてジェイニルが入ってきた。

 遠夜達の声が聞こえていたのだろう。


「ああごめんジェイニル。何でもないんだ」

「ふむ、まあ二人とも座りなさい。今日は少し大事な話をしよう」


 四つある椅子の内、遠夜の隣にアルランテが座り、正面にジェイニルが座る。

 ジェイニルがハーブティーを一口啜り、少しの間の後話が始まった。


「二人とも悪いのぉ、呼び出してしまって。話と言うのはだな、二人のこれからについての話じゃ」


 随分大きく出たテーマだ。わざわざ呼び出すくらいだから大事な話だろうとは思っていたが。

 ジェイニルの表情も真剣で、隣のアルランテもどこか暗い表情を浮かべていた。


「まずはトーヤ、お主のことから話そう」


 ジェイニルの黄色い瞳がこちらを見つめる。

 遠夜は息を飲んだ。


「トーヤ、君はとても良い子だ。ワシには分かる。それは以前にも話したな」

「ああ」


 ジェイニルは以前から言っていた。自分には人の心の是非が分かると。老人の勘みたいなものだと思っているが、余程自信がある様子だった。


「しかしお主、まだ話とらんこと、何か隠しとることなどありはせんか?」

「……」

「以前言っておったな、お主はとある異国の旅人で、事故による影響で記憶が曖昧であると」

「ああ」


 確かにそう伝えた。

 遠夜はこの世界について何も知らない。言葉も地名も常識も、何もかも。そんな人間がこんな危険な森の中で一人出歩いていたその状況を説明できる言い訳が、遠夜には思いつかなかったのだ。そこで考え出た苦し紛れがそれだ。


「この間この里が人間による襲撃を受けた話は、もうしたかの?」

「ああ」

「あの襲撃で決して少なくない命が失われた。いや、奪われたのじゃ。元より人間族にいい感情を抱いていない者が多い中で、それが起こった」

「里の皆が、俺がここにいるのを嫌がってる?」

「ワシやケルミナはともかく、そう考える者は多いらしい。早く追い出せと、毎晩ワシの所に抗議しにくるくらいにはな。珍しい格好で聞いたことも無い言葉を使い、物凄い速度で新しい言葉を覚えていくお主の姿を、彼らは気味悪がっとるようじゃ。中にはお主の話が全てデタラメで、実は盗賊団の仲間だと言い出す者まで現れた」

「つまり、俺に出てって欲しいってこと?」

「そうは言うとらん。じゃがいずれ決断せねばならぬ時が近い内に来るじゃろう。若いもの達はお主を追い出そうと必死じゃ。徒党を組まれてはワシ一人の力ではどうにも出来んからな」


 遠夜自身も何となくそうなるんじゃないかとは思っていた。もうこの里に長くはいられないだろう。


「トーヤ、ワシはお主が善人じゃと信じとる。だからこそ、まだ話しておらぬことがあるなら話してくれぬか。もしかすれば、里の者たちも理解してくれるやもしれぬ」


 それは無い。すぐにそう思った。

 真実を話したところで、里の者たちは変わらず遠夜を嫌いなままだろう。彼らと接してみて感じたのだ。彼らの恨み怒りは、物凄く根強いものだと。遠夜を、人間を憎む気持ちは、きっと消えはしない。

 だが、


「わかった、話すよ」

「ありがとう」


 ジェイニルが穏やかに笑う。


「信じてもらえるか分からないんだけど、俺は元々この世界の人間じゃないんだ」

「それはどういう……」

「そのままの意味さ。俺はこことは別の世界から来たんだ。別次元って言えばいいのかな」

「何のために、」

「別に悪さをしようってんじゃない、この世界がどんな場所なのか調査をするために。それが俺の任務だった。けどその途中事故にあって、元の世界に帰ることが出来なくなったんだ。それでこの森を一人で彷徨い歩いていた。これが俺が変な服を着て変な言葉を喋ってた理由、信じてもらえる?信じろとは言わないけど」


 しばらくの間沈黙が続いた。

 その後ジェイニルが、


「なるほど、確かにそんな突拍子もない話なら隠したくもなるじゃろうな。よく話してくれたな」

「信じるのか?」

「当たり前じゃ。さっきも言うたろう、お主を信じておると」


 彼は本当にいい人だと思う。

 遠夜がジェイニルだったら、こんな話絶対に信じないだろう。


「ありがとうジェイニル……」

「何を礼など……それにかの大国には瞬きの合間に空間を移動する者もおると聞く。有り得ん話ではないさ」

「えっ、それホントか!?」

「ああ、確か北の大陸にあるエルセニアと言う国じゃったはず」


 その瞬間ジェイニルの手を掴みとった。


「ありがとうジェイニル……!! おかげで光明が見えたぜ!」

「あ、あぁ……」


 一瞬にして空間を移動する、どのような技術なのかは分からないが、それが可能ならば次元移動も全く不可能な話ではないはず。次の目的地はそこで決まりだ。

 しかし何故かジェイニルの表情が浮かない。

 どうしたのだろう、と遠夜は思う。もしかして自分がこの里を去ってしまうのが寂しいのだろうか。けれど遠夜にも目的がある。ここはしっかりと言っておかねばならない。そう思って、遠夜はジェイにルに笑いかけるように言った。


「ジェイニル、本当にありがとう。でも、やっぱり俺が異世界から来たって話を里のみんなにする必要は無いよ、どうせ信じて貰えないし」

「しかし……」

「それに、俺は絶対に元の世界に帰らなきゃならない。だからいつまでもここにいる訳にはいかないんだ。だから俺は、この里を出ることにするよ。その方が里の皆も安心だろ?」


 遠夜の目的はあくまで地球への帰還。言葉も覚えられたのだから、一刻も早く次のステップへ進まなければならない。

 しかしジェイニルの表情が強ばっている。


「どうしたんだジェイニル?」

「ふむ……まだもう一つ話をしとらんかったな」



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