なんとなく

あるたいる

雨の月に傘を差す


「いらっしゃせー」


 そんな妙にこなれて短くなった挨拶が、店内に響く。


「……レギュラー満タンで」


「畏まりましたー!レギュラー満タンでーす!」


 ピタリと給油口近くに止まった軽トラの運転手から鍵を受け取った大学生の夕陽は更に大きな声で元気よく言った。


 そこからはいつも通りの作業を繰り返すだけである。給油口を開けて、ガソリンを入れて、手が空いたらフロントガラスを拭いてキレイにする。


 偶にゴミを受け取ることもあるが、大抵の客は近くのコンビニでゴミを捨てるので、受け取る事は少ない。とは言え、だから聞かないのかと言われれば違う。


 この店でアルバイトをして早二年になるが、しっかりとした接客をしなければ普段は仏の様な店長から厳しい説教を受けるため、接客とサービスと笑顔に手を抜くことは無い。


「鍵と、こちらにサインお願いします」


「……いつもご苦労さん」


「ありがとうございます!」


 観光客が増える夏以外はそこまで客の流入が多くない店ではあるものの、常連と言える客は居るため、こうして労いの言葉を受けることは多々あった。


 因みに今礼を言ったぶっきらぼうな緑の作業服の中年も常連に当たる人物だ。


「ありがとうございましたー!またのご来店をー!」


 笑顔で軽トラを誘導した後、頭を下げて大きな声を張り上げた夕陽は軽トラが道を曲がって見えなくなると、休憩室に入った。


「はい、お疲れ様」


 休憩室に入って、少しだけ一息をつこうとした夕陽の首元に冷えたスポーツドリンクが当たる。


「あっ、店長!ありがとうございます!」


 優しい笑顔でスポーツドリンクを奢ってくれた、物腰柔らかそうな(次いでに身体も熊みたいで柔らかそうな)店長に一言お礼を言った。


 パキッと音を立ててキャップを開けると、ゴクゴクと小気味よい音を立てながらソレを飲む。


「今年の夏は特に暑そうだね。まだ梅雨前だって言うのに、お日様が張り切ってる」


「今年も夏は大忙しでしょうね〜」


「町田君は今年も毎日入るのかい?去年も行ったけど、私は夏休み位は遊び呆けるのも学生の責務だと思うよ?」


「あはは、こっちじゃ友達もあんまりいないんで」


「……町田君なら友達の一人や二人だけじゃなくて、彼女の一人二人位は出来るだろうに。こっちに気を使わず、もうちょっとシフト減らしても良いんだよ?」


「彼女は二人いちゃ駄目ですよ」


 見た目も、性格もさっぱりとした好青年の夕陽を見て、少し茶化した店長は後に「お店としては毎年手が足りなくて泣きべそかいてたからありがたいけどねー」と付け足してから、事務室へと戻っていた。


「よし、もうちょっと頑張るぞ!」


 家族の反対を押し切って、地元を離れて早二年。


 そこそこ充実した毎日を過ごす夕陽は飲みきったスポーツドリンクのペットボトルをゴミ箱に入れると、再び店先へと立ったのだった。



 ☆☆☆


 バイトが終わり、店が完全に閉まった後、店長の家でご飯をご馳走になった夕陽は満足気に帰り道を歩いていた


「ふいー、腹一杯」


 そんな気の抜ける一言を言った夕陽は、すっかり黒に染まった空を見上げながら腕をクルクルと回すと、背中をパキパキと鳴らす。


「……うんうん、今日も綺麗な海だ」


 夕陽はバイトを終えると、いつも砂浜を歩きながら帰るのが週間になっていた。ソレは大雨や強風、台風の日以外の週間で、バイト終わりの日はどんな時でも欠かさず行っている。


 梅雨入りすれば、ここも少し暗い雰囲気になってしまうが、それもそれで夕陽は趣があって嫌いではなかった。


 荒ぶる激しい波音も、ゆっくりと優しい漣も、全てが彼にとっては聞き馴染みのある音だ。


「よっよっ、と」


 石の階段飛び乗って少し高いところから夜の海を眺めた夕陽は堤防に座って居る人影が目に入る。


「……あっ、帰った」


 こんな夜更けに海を眺めていることに少しだけ不安になった夕陽だったが、そんな彼の予想とは裏腹に人影は立ち上がってフラフラと道の方へと消えていく。


(確か、ここら辺の高校の制服……だったけ?)


 詳しく見えた訳では無かった為、断定は出来なかったが「帰ったのなら安心だ」なんて思いつつ再び鼻歌を歌いながら家に向かって歩き出したのだった。


 ☆☆☆


「__ねっ、夕君と朱里ちゃんはあの噂は知ってる?」


「噂?」


 大学の学食にて夕陽に聞いてきたのは、同じ学部の先輩である、霧山 霞だった。


 彼女は気立て良く親切で、成績も優秀、それでいて美人と見事に三拍子が揃った人気者。そんな彼女が夕陽の様な皆と仲良くするタイミングを逃してしまったものの、「面倒臭いし、まぁいっか」と考える能天気な男と仲良くなる事など誰に予想が出来ようか。


 それだけなら霞の男の趣味が悪い、の一言で済ませられる事態ではある。しかし、つい最近まで万年ぼっちだった「可愛いけど何か怖い」と有名人の黒野 朱里もこのグループに所属している。それがより一層このグループの異質度合いを高めている。


 こんなチグハグな目を引く三人がこうして集まって食事を取るようになったのは、それはもう多くの事情がある訳だが、それはまた別の話。


「__ゆ、夕ヶ浜の亡霊、ですか?」


「そうそう!何でも夜の夕ヶ浜の砂浜に昔亡くなった女の人の幽霊が出たんだってさ!どう?気にならない?」


「き、気になります……!」


 オカルト話には目が無い朱里が、普段は光が灯っていない瞳を輝かせて食いつく。見た目通りと言うべきか、彼女は根っからのオカルトマニアであり、その性で周囲から孤立気味である。


「いや、その噂デマですよ」


「かー、あいも変わらず君には浪漫が無いねぇ!こんなに瞳を輝かせる可愛い美女が二人もいるんだから、場を盛り上げる為に乗ってくれても良いんじゃない?」


「うぇっ!?わ、私も、ですか?」


「二人が美人ってことは同意するにしても、デマはデマって否定しますよ僕は。嘘は苦手ですし」


「お、お前もよく平然とそういうことが言えるな……」


「だから嘘は苦手なんだって」


 嘘が苦手なことと、恥ずかしげも無く目の前の女性を褒める事が出来るそのメンタリティに朱里はドン引きである。


 しかし、夕陽からすれば美人を美人と認める事は何も恥ずかしいことではなかった。


 夕陽は小学生の時に自分の嘘が下手くそだと言うことを思い知った上、嘘がバレると面倒な事になると言うことも学習したのだ。


 以降、嘘はあまり付かないようにしている。


「まぁ、私と朱里ちゃんが可愛いのは置いといて、さっきの話がデマだって言える根拠頂戴よ、根拠。根拠プリーズ」


「だってそこ、俺の毎日の帰り道ですから」


「あぁ、そう言えばそうだったね」


「で、でも、町田が見てないだけで、居るかもしれないだろ」


「そりゃあ居るかもしれないけど、偶に見かけるのはビール片手に散歩してるおじさんか、若いカップルだぞ?そんな所に幽霊なんて出るか?昨日も__」


 そこまで言って、夕陽の脳裏に制服を着た少女の姿が頭に浮かんだ。


「あっ、今明らかになんか考えてたぞー!言えー、昨日何に会ったんだー!」


「いや、そう言えば昨日は近くの高校の女の子が居たんですよ」


「ゆ、幽霊か!?」


「いや、どう見ても生きてたよ。普通に家に帰ってったっぽいし」


 目をキラキラさせながら夕陽に詰め寄った朱里が途端にガクりと肩を落として溜息を吐く。


「いやいや、実はそれも演技だったり幻だったりするのかもよ?」


「何の為にそんな事するんですか?」


「それはね__」


 したり顔で笑った霞は少しだけ言葉を貯めたあと、いきなり驚かせるように手を上げる。彼女の行動に朱里がビクッと肩を震わせたが、夕陽は気にせずにますペットボトルの蓋を開ける。


「__人は怯えさせると味が美味くなるからさ!」


「へー」


「せ、先輩、いきなり動かれると、その……びっくりする」


「……私だけはしゃいでるみたいで恥ずかしい!」


「周りを少し見渡して見れば、その通りだって分かるんじゃないですか?」


「……」


 周囲の視線に気がついた霞は目を瞑って、いつもの冷静で可憐な『霧崎 霞』に戻り、何事も無かったかのように腰を下ろした。


 夕陽と朱里は彼女の耳が少しだけ赤くなっているのをしっかりと目撃して、お互いに顔を見合わせて吹き出した。



 ☆☆☆


「いらっしゃいませー!」


「ハイオク満タンで」


「かしこまりましたー!」


 霞と朱里から、自分がよく知る噂について聞き流しては、曖昧な頷きを繰り返していた夕陽だったがそんな無気力でたるんでいる彼は終わり。今日も今日とてバイトが始まった。


「フロントガラスお拭きしますねー」


「頼む」


 常連さんが多いこの店ではオフシーズン以外ではあまり言わない質問ではあるが、今日は違った。


 なにせ、ガソリンスタンドに入ってきたのはこんな古臭いガソリンスタンドには似合わない黒塗りの高級車。


 海沿いの田舎のガソリンスタンドには些か不釣合いだと言うのに、運転主は後部座席に乗る制服の少女とは違い服装が執事っぽい少年だった。


 目つきは鋭く、顔つきは凛々しい。きっと、異性からモテるんだろうな、なんて少しだけ羨ましく思いつつも夕陽はそつなく仕事をこなす。多分、年下だろう、なんてちょっと失礼な検討をつけながら。


「車内にゴミ等はございませんかー」


「あぁ」


「はーい、こちらにサインお願いしまーす!」


「あぁ」


 やけにぶっきらぼうな背丈の低い少年からサインを受け取った夕陽は、笑顔のまま何時ものように黒塗りの高級車を誘導する。


「はーい、おっけいでーす!またのお越しをお待ちしておりまーす!」


「……あぁ」


 少しだけ手を挙げるのを躊躇った少年だったが、夕陽の対応に少しだけ気不味く思ったのか、軽く手を上げると、そのまま道の先へ消えて行った。


(そう言えば、あの制服は……)


 車が出ていった後、夕陽は少しだけ空を見つめると自分の記憶を辿る。


(やっぱりそうだ。あの後部座席に乗ってた女の子制服、昨日の女の子と一緒だ)


 少し離れたこんな場所に一体なんの用で来たのかと思った夕陽だったが。


(やめやめ。どうせ、関わり合いなんて出きっこない相手の事なんて考えるもんじゃない)


 直ぐに思考を切り替えると、次に入ってきた車への接客を開始したのだった。



 ☆☆☆



 現在の時刻は午後十時。毎度の如くながらバイトが終わり、すっかり暗がりが溢れる時間帯。しかも天気は雨模様で、月明かりも無い。そんな一層酷い暗がりの中でも、夕陽は日課の散歩をこなしていた。


 余程の大雨や風の日以外は、雨の日であっても傘をさして砂浜を歩くのは夕陽の日課だ。幸いにも今日は殆ど降っていないと言っていいほどの小雨だった。


「あれ……?」


 砂に足跡を付ける感覚を楽しみつつ、歩いていると、昨日と同じ場所に同じ少女が膝を抱えて座り込んでいた。


 傘もささずにこんな夜更けに少女が一人……少し奇妙な光景ではあったが、暗がりとは裏腹に不気味さを感じなかったのは、僅かな光に照らされる少女の姿がとても幻想的で美しかったからだ。


 金髪、しかも藍色の瞳。夕陽にとっては見慣れないその容姿は妙にこの静かな海によく嵌っていた。それこそ、夕日が僅かに見惚れてしまうほどに、だ。


 しかし、大学の友人二人のお陰か少しは美人耐性がついていたのか、夕陽は自分でも驚くほど早く我に返ると、砂浜から堤防の先へと近付く。そして、出来るだけ足音を鳴らしながら歩くと、少し距離を離して少女に声をかける。


「ねぇ、君。ここら辺は暗くて危ないから帰った方がいいよ」


「……」


 残念ながら、夕陽の声は少女の耳には届かなかったのか、彼女はピクリともしないまま暗闇の水平線を眺めている。


「風邪引くよ?」


 仕方が無いので、少女の方へと近付いた夕陽は座り込んでいる彼女の頭上に傘を差す。


「……余計なお世話です」


「そう?」


「えぇ、とても」


 少女は心底嫌そうに夕陽を睨み付けると、そのまま夕陽の手を払い除ける。


「私は好きで此処で濡れてるんです。貴方が他の人を変な同情で助けて一人で気持ち良くなるのは勝手ですけど、私には余計なお世話でしかありません」


 そ無機質な瞳で夕陽を一瞥した彼女は、嫌味がかった言い方でそう言うと夕陽から視線を外す。


「そっか。じゃあ、この傘置いとくね」


「分かったのなら良い__待って下さい、貴方話聞いてました?」


 そんな彼女の言葉を無視して無理やり彼女に傘を渡した夕陽は、困惑する彼女を他所に鞄を漁り始める。


「うん、聞いてたよ」


「なら、さっさと帰ってください。正直、初対面の人にそこまで親切にされても気持ち悪いです」


 立ち上がって傘を突き返す少女は苛立ちを隠そうともせず夕陽を睨み付けている。


「あっ、これ、タオルね。別に安いやつだから返さなくていいよ」


「話聞いてます!?」


 鞄から柔軟剤の匂いがするタオルを取り出した夕陽は、彼女が傘を突き出している手の上にタオルを乗せると、そのまま彼女に背を向ける。


「聞いてるよ。じゃっ、僕の家すぐそこだから。__ここら辺お巡りさん見回りくるし、出来るだけ遅くならないようにねー」


「__はぁ!?あの、だから、人の話を__!」


「気を付けてねー」


 彼女の言葉を最後まで聞くこと無く、走り出した夕陽は雨が肌を叩く感覚を少しだけ楽しみながら自宅へと急ぐのだった。

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なんとなく あるたいる @sora0707

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