第3章 深まる闇

 夜の大坂。街は静まり返り、昼間の喧騒が嘘のように消えていた。希介は闇に紛れながら、路地裏を静かに進んでいく。


 本願寺の中に、織田方の間者が潜んでいる――その噂を確かめるため、希介は町へ潜入していた。だが、敵は慎重に動いているのか、なかなか尻尾を掴ませない。


 ――必ずどこかに痕跡がある。


 希介はそう確信していた。


 情報を探るため、彼は何日も町の裏通りに身を潜め、影となって僧兵や商人の会話に耳を傾けた。そして、ようやく手がかりを掴んだのは、ある茶屋の裏口でのことだった。


 「最近、本願寺の僧が妙な動きをしているって話、聞いたか?」


 「おう。昼は祈ってるくせに、夜になるとどこかへ消えるってな」


 「それも毎晩のように、だ。普通の坊主がすることじゃねぇ」


 希介はその言葉を聞き逃さなかった。


 ――夜になると消える僧。毎晩のように、か。


 希介は翌晩、その「僧」を探すため、闇に身を潜めた。


 人気のない寺の裏門、希介はじっと息を潜めながら待ち続ける。やがて、灯りの消えた境内から、一つの影が現れた。


 僧衣を纏った男が、慎重に辺りを窺いながら足早に歩いていく。


 ――こいつか。


 希介は音もなく後を追った。


 男はまるで迷いのない足取りで、城下の細い路地へと進んでいく。途中、何度か背後を振り返ったが、希介は既に屋根の上へと移動し、影から様子を伺っていた。


 しばらく進んだ後、男は人目につかない寂れた茶屋の裏手に入り、もう一つの影と出会った。


 「間違いないな?」


 「はい。本願寺内部の混乱は避けられません」


 僧衣の男の声は低く、確信に満ちていた。その相手は、羽織を纏った武士だった。


 「では、あの方にはそう伝えよう」


 そう言うと、武士はくるりと踵を返し、茶屋の奥へと消えていった。


 ――やはり、本願寺の内部に間者がいる。


 希介は静かに苦無を握りしめ、僧衣の男を見つめた。


 「……誰だ?」


 次の瞬間、男が急に振り向いた。


 ――気づかれたか。


 希介はすぐに闇に紛れたが、男はもう動きを止めていた。そして、鋭い目で周囲を探る。


 「そこにいるな」


 次の瞬間、男は懐から細身の刃を抜き、一直線にこちらへ向かってきた。


 キィンッ!


 希介は即座に苦無を抜き、刃を弾いた。火花が散る。僧の衣を纏ってはいるが、その動きは明らかに戦場を知る者のものだった。


 「忍びか……」


 男の目が細められる。


 「さてな。お前こそ、本願寺の僧とは思えんな」


 間者はにやりと笑い、刀を抜いた。その動きには迷いがない。


 希介は一気に間合いを詰め、低い姿勢から男の懐へと滑り込む。だが、その瞬間鋭い痛みが脇腹を襲った。


 「ッ……!」


 間者の刀が、衣を裂き、希介の肉を切り裂いた。熱い血が肌を伝う。


 「ほう……お前でも避けきれんか」


 間者が嘲るように笑う。


 ――この男、只者ではない。


 だが、痛みに構っている暇はなかった。希介はすぐに身を翻し、間者の腕を掴むと、体ごとねじるように投げた。


 ドサッ!


 間者は地面に叩きつけられたが、すぐに身を起こし、再び刃を構えた。


 希介はわずかに息を整え、冷静に間合いを測る。負傷したとはいえ、まだ動ける。だが、次に攻撃を受ければ命取りになる。


 間者は慎重に間を詰めてくる。


 ――なら、こっちから仕掛けるしかない。


 希介は一瞬だけ目を伏せ、次の瞬間、一気に地面を蹴った。


 風を切るように間者へ迫り、懐に潜り込む。


 間者は咄嗟に刀を振り下ろそうとしたが、その前に希介の苦無が喉元に突きつけられた。


 「……動くな」


 間者の表情が強張る。


 「……お前は何者だ」


 「それはこっちの台詞だ。本願寺に紛れ込んだ間者――お前の正体を聞かせてもらおうか」


 男はしばらく黙っていたが、やがてフッと笑った。


 「……遅いぞ」


 「何?」


 次の瞬間、男は懐から煙玉を取り出し、地面に叩きつけた。白煙が立ち込め、視界を奪われる。


 「――!」


 希介はすぐに体を低くし、警戒を強めた。しかし、煙が晴れたときには、すでに男の姿はなかった。


 希介は滲む血を押さえながら、周囲を見渡す。すでに人影はなく、夜の静けさが戻っていた。


 ――間者の正体は分からずじまいだ。しかし、確実に本願寺の中に敵がいる。


 希介は深く息をつき、クナイを収めた。


 頼廉様のもとへ戻らねばならない。


 本願寺が戦火に包まれる前に、内側の敵を排除しなければならない。


 希介は傷を押さえながら、闇の中へと姿を消した。

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