第5話 かわいそかわいい
「白石さん、あなたの思惑はお見通しなの。一太を侮辱しないで」
僕と京子が体育館裏に着いたとき、既にそこにはスカートの短い金髪ショート女子が立っていた。ていうか、華乃さんだった。僕の恋人だった。
彼女が僕の姿に気づき、パァっと顔を綻ばせ右手を挙げかけた瞬間には、僕の前を歩く大和撫子の薄い唇から刺々しい言葉が発せられていた。パァっと輝きかけた空気が一気に重苦しくなった。さっきまで晴れ晴れとしていた夏空も何かどんより曇ってきた。
「え、えと」
困惑した様子で、僕に不安げな視線を向けてくる華乃さん。当然の反応だ。
能面のような表情の黒髪ロング美女が堂々とした足取りで近づいてきているのだから。ついに目の前まで来て、「一人で来たのね。それともどこかに隠れて撮影でもしているの? 言っておくけれど、それ、イジメの証拠にしかならないわよ?」と詰め寄ってきているのだから。
むしろ、戸惑い混じりに苦笑できているだけ、やはり華乃さんは肝が据わっている。普通の女子であれば、泣き出したっておかしくないほどの迫力だ。
ただ、平気であるならば、それはそれで、もっと喧嘩腰になりそうなものだけどな。
実際、今までも僕をからかっているところを京子に注意されたときには挑発的な態度で返していた。華乃さんと京子の冷戦状態というか、殺伐とした雰囲気は二年B組の教室ではお馴染みのものだったはずだ。お馴染みにするなよ、そんなもん。
まぁ、まだ完全には状況をつかみ切れてないってことなのかな?
「侮辱って、どーゆーことなのかな、橘さん。あはは、ちょっとわかんないかも。あ、おはよ、一太。今日もかっこいいね」
「え、あ、うん。おはよう、華乃さん」
怯んでいるわけでもないのに、やはりどこか控えめな様子の華乃さん。有り体に言ってしまえば、見た目はギャルなのに、マインドからギャル感が抜けている感じがする。
「白々しいわね。あなたがこの子の恋人になったフリをして、陰で嘲笑っている件よ」
『この子』呼ばわり来た。これは完全にスイッチが入ったときの特徴だ。京子が本気を出した合図とも言えるだろう。本人はそんな癖を自覚してないっぽいが。
「いや待てってば、京子。いったん話を聞けって」
「あー、だいじょぶだよ、一太」
一方の華乃さんも、ついに状況を理解したようで。京子の隣――というか一歩後ろに立つ僕に目配せし、静かに首を横に振り、
「そっか、橘さんはそう考えるんだね。うん。わかった、続けて、橘さん」
その目にはもう、動揺はなかった。浮かんでいたのは、まず、僕に対する気遣い――「心配しなくていいよ。そこで見てて」というメッセージ。そして、もう一つ。たぶんだが――同情だった。
自分のことを鋭い視線で射すくめてくる大和撫子への、深い深い、同情のように見えた。
「あなたに促されるまでもなく、私は私の言うべきことは全て言うわよ。一太が自分の口からは言えないようだしね。ねぇ、白石さん。この子を見下すのをやめてちょうだい。気のあるような素振りで純情な心を弄んで、挙げ句の果てに恋人になったようなフリまでして、最後には『からかい』という名のネタバラしで、この子の自尊心をズタズタにするつもりなのでしょう? はっきり言って、最低よ。最悪よ」
「…………」
華乃さんは、何も言わない。何も反論することなく、あの瞳のまま、京子のことをじっと見つめている。
「いえ、ごめんなさい。あなたの人間性を批判しても仕方ないわね。私は別に、あなたに反省してほしいだとか更生してほしいだなんて全く思っていないから。ただただ言いたいのは、この子にその加害性を向けるなということだけ。私の幼なじみを傷付けるな。つまりは、金輪際、この子に触るな、話しかけるな、近づくな、見るな、見せるな、嗅がせるな。それを今ここで、約束しなさい」
「…………」
「それと、念のため、昨日この子の告白を受け入れて恋人になったというのが、嘘だったと明言しなさい。謝罪はいらないわ。ただただ自分の犯した罪を認めて、証言しなさい。以上よ」
「…………以上、で、いいんだ」
堂々と胸を張って言い切った京子に対し、華乃さんはどこか残念そうに呟いた。
「何よ。反論があるなら、はっきりと言いなさい。はっきりと言えることがないのであれば、私の要求だけを、」
「謝罪して」
「……は?」
はっきりとした口調で遮られて、京子は呆けた声を漏らす。僕も、華乃さんの、京子を真っ直ぐと見据えるその面持ちに、目を奪われてしまう。決して、睨みつけているわけではなかった。ただただ、真摯に、率直に、確かな自信と信念を込めた双眸で、京子の姿を捉えている。
「一太に謝罪して。一太の決心と一太の行動を軽んじたことを謝って。一太のことを見下してきたことを反省して。対等に、正当に、評価してあげて」
「……もしかして、頭がおかしくなったフリで逃げようとしているのかしら。無駄よ。逃がさないから。一太に恋をしているという嘘でこの子を弄ぼうとしたことを認めなさい」
「ねぇ、何でそんな風に言うの?」
「はぁ? あなたがこの子を馬鹿にし続けているからでしょう。付き合うつもりなんて微塵もないくせに、」
「あるよ。あるに決まってんじゃん。わたしは一太の彼女だよ。一太はわたしの彼氏だよ。わたしたちの気持ちを勝手に嘘にしないでよ」
「な、何を言って……」
あの京子が、言葉を詰まらせている。滅多に見られない光景だ。華乃さんの、とても演技とは思えない真剣な眼差しに、京子が、気圧されている。僕も、圧倒されている。
ずっと彼女に恋してきたはずなのに、こんな顔付きは、間違いなく初めて見た。
「橘さんの口ぶりからするとさ。これまでの一太に対する態度や言動から察するにさ……要するに、一太がわたしに惚れられることが、ありえないってことだよね? 橘さんはそう思ってるんだよね? 何で? ねぇ、何で? 言葉にしてみてよ」
「は? そんなの、わざわざ言うまでもなく……」
「言うまでもなく、じゃなくて。言ってよ、橘さんの口から」
「い、いや、だって、この子は……この、子は…………」
「その『この子』ってのもやめなよ。や、ごめん。それは出しゃばりすぎか。一太がいいなら、それはいいね、うん。でも、表れてるんじゃないかな、そこにも。橘さんが一太を見くびっている証拠が」
「な、な、な……っ」
京子はもはや、体を小刻みに震わせ、目を見開き、口をパクパクとさせ――結局何か意味のある言葉を絞り出すことすらできなくなっていた。
そんな京子に、華乃さんの方も手加減する気は全くないようで。いや、手加減というか、そもそも彼女には攻撃しているつもりも、京子と争っている気もさらさらないように見える。ただただ、事実を指摘しているだけだから、手心を加える必要すらないといった態度だ。
「橘さんが言えないなら、代わりにわたしが言葉にしてあげるけど。要するに、一太には、わたしに好かれるだけの魅力がないと考えてるってことだよね、橘さんは」
「ち、ちがっ……」
「違うんだ。そっか。でも、そうにしか見えないから。一太もそう感じざるをえないから」
震える体で、僕の方を振り返ってくる京子。僕は思わず、顔を逸らしてしまった。
――否定できない。ていうか、その通りだ。それに関して、僕が不快に思っているのか、むしろ居心地良く感じているのかは別として。間違いなく、事実ではある。
僕は、京子に、見下されている。華乃さんの彼氏になる資格がないと、見なされている。
京子にそのつもりはなかったのだとしても、僕がそう感じてしまうのは事実なのだ。
「いっ、一太……っ」
弱々しく、まるで助けを求めるような声を漏らす京子。そんな彼女を見つめる華乃さんの瞳には、もはや憐憫の色が滲んでいて。
「橘さんには、一太の良いところが、見えないんだね……子どものころからずっと一緒にいるくせに……」
「かはっ……」
「京子!?」
子どものころからずっと頼りにしてきた、僕のお姉さんのような幼なじみ――そんな彼女が今、口から血を吐いて、地面に崩れ落ちていた。ええー……。スカートのポケットから黒い固まりがゴトリと落ちた。スタンガンだった。京子に寄り添うついでに回収しておいた。京子は両手で胸を押さえ、虚ろな目をしていた。乱れた呼吸で「あっ……あっ……あっ……」と唸っていた。どうしてこうなった。
「ごめんね、橘さん。そんなつもりじゃなかったんだけど、責めてるみたいな言い方になっちゃったかな。わかってるよ、わたしだって。橘さんは、一太のためのつもりだったんだよね」
この惨状を前に微塵も動揺することなく、華乃さんはとても優しい声音で語り続ける。まるで、厳しいお説教を一通り終えた後、号泣する児童を前に急に優しげな顔と生温かいトーンで諭し始める女教師のようだ。あれ、逆に怖ぇんだよな……。
「わたしが悪く言われるのはいいんだ。実際、そーゆー振る舞いをしてきちゃったのはわたしだし。でもさ、一太のカッコいい姿をなかったことにしないでよ。昨日の一太さ、ほんとは怖かったはずなのに、それでも勇気出して告白してくれたんだよ? そんなの嬉しくて、オッケーするに決まってんじゃん。一太は初めて会ったときからわたしを救ってくれてさ……まぁ、その話は恥ずかしいから秘密なんだけど……でも、そーゆー部分、橘さんにもちゃんと見てあげてほしいなーって。一太の彼女として、そう思います」
「かはっ……」
「京子、確認だけどその吐血はどこから出てるの? 口内? 食道? 胃? 救急車呼んだ方が良さそう?」
「心」
そうか、心か。じゃあ呼んでも仕方ないか……。
「わたしがこんなこと言うのはさ、橘さんが一太にとって大切な存在だって、知ってるからなんだよ? どうでもいい相手にだったら、わたしだっていちいち口出ししない。これからも長い付き合いになってくだろうからこそ、言っとかなきゃなって。やっぱ、彼氏が彼氏の大切な人に下げられてるとか、見てたくないじゃんね。……ね、約束してくれるかな、橘さん。わたしの彼氏のこと、もう馬鹿にしたりしないでね?」
「…………っ、…………うっ……うっ、うっ、うぅっ……」
「京子、なぜ今ポケットをまさぐった。そこには何もないぞ」
頼れる幼なじみがめちゃくちゃ嫌な最終手段を取ろうとしていた。しかもたぶん攻撃ではなく自害のつもりだった。マジで回収しておいたよかったぁ……! 今度から京子のスカートのポケットにはブラックサンダーを詰め込んでおこう。
「約束、できるよね?」
「うっ、うっ、うっ……………………はい…………」
そうしてついに、橘京子は陥落した。言い換えれば、僕をずっと下に見続けてきたと、認めたということだ。
いやまぁ、別に、事実は事実だけど、その事実のせいで僕が本気で困ったことなんて、今回のこれが初めてみたいなもんだったしなぁ。実際に僕は、自分ではできないことばかりで、いつも京子に頼って助けてもらっていたわけで。何かそんな、落ち込む必要とかないと思うんだけど。
「そっか! うん、そう言ってくれると思ってた、橘さんなら!」
華乃さんの表情がパァっと輝く。いつの間にか雲も消え、爽やかな青空が広がっていた。
「ほんっとーに、いい幼なじみさんを持ったね! 一太は幸せものだよ! 橘さん、これからもわたしの彼氏のことをよろしくお願いします」
「かはっ……」
深々と頭を下げる華乃さんと、またしても心の血を吐く京子。
「これはたぶん胃」
胃だった。僕はアプリでタクシーを呼んだ。京子に勝手に入れられていた数々の緊急用アプリのうちの一つがついに役に立った。
「ね、一太」
華乃さんは一歩踏み出して身を屈め、そうして至近距離から僕の両手をギュッと握り――
「わたしも、橘さんが心配しないで済むような、ちゃんとした一太の彼女になるねっ」
――まるで天使のような微笑みを浮かべるのであった。
なぜか、心がザワザワとした。そういえば心拍数測るアプリもあったな。さすが京子。
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