第3話 最終話ならよかったのに
放課後になってしまった。華乃さんに何も言えぬまま、今日だけで七回もからかわれ、その度に京子から鋭い視線を浴び、それでもやはり何のアクションも起こせぬまま、タイムリミット目前まで来てしまった。
「くそぉ、華乃さんめぇ……!」
夏の夕日が差し込む教室で自席に座り、一人頭を抱える僕。
そもそもとして今日一日、僕は華乃さんにガツンと言ってやろうとすらしていなかった。端から無理だと諦めていた。そんなことをするよりも、やはり京子に華乃さんの本質を理解してもらうことこそが最善なのではないかと言い訳し続けていた。
でも。それは言い訳なのか? 間違ってなくないか? 僕と華乃さんの問題を根本的に解決する道ってそれしかなくないか?
「……いや、それも、違うよな……それこそ言い訳で、言い逃れだ……」
一日中、必死に考え続けて、ついに今、ある結論にたどり着いてしまった。
京子に理解してもらうために、白石華乃という女の子の何が素晴らしくて、彼女の「からかい」という行為が、イジメなんかではなく、僕にとってどんな意味を持つのかを言語化しようとした結果、見えてしまった事実がある。試行錯誤の末、不要な装飾を取り除き、無駄な鎧を剥ぎ取ってみたら、自然と浮き上がってきてしまったのだ。あまりにもシンプルすぎる、その答えが。
まぁ、たどり着いたところで、何ができるわけでもないのが、僕という人間なんだけどな!
「だーれだ♪」
「ふ……っ!?」
そんなときだった。後ろから飛んでくる、弾んだ声。こういうとき、定石では僕の目を両手で覆い隠してくるものだと思うが、いま僕に当てられているのは肩に押しつけられた柔らかい双丘だけだった。また、大きくなったのか……!?
「ちょ、華乃さん……ダメだってそういうのは……ふぇ?」
「ん♪」
おずおずと振り返った僕の唇に、華乃さんは、ちょんっと口を当ててきた――まぁ、ぬいぐるみの口なんだけど。ええー……。
「あはっ♪ ざーんねーん、正解はうさぎちゃんとちいかわちゃんでしたーっ」
意地悪スマイルを浮かべる白ギャルさんは、右手に黄色くて丸っこいうさぎのぬいぐるみを、左手にやはり白くて丸っこい何かのぬいぐるみを掲げていた。ええー……。
「いやいや、正解じゃないか。その、背中に押し当ててきてたのは、華乃さんの、その、華乃さんだったわけで」
「ぷ。なに言ってんの、一太ー? わたし、うさぎちゃんとちいかわちゃんの頭をギューッてしてただけなんですけどー?」
「え」
「一太くんはー、何と勘違いしちゃってたのかなー? うぷぷー♪」
「ぐ、ぐぐぅ……! またからかったな……!」
いつも通り、恥ずかしさで体中が熱くなってくる。
え、いや、でも。ホントにぬいぐるみか、今の。あの重量と柔らかさと温かさは……いやいや、それこそ考えすぎか……。
「えろえろ一太はえろえろ勘違いしちゃってさー、うさぎちゃんが可哀想じゃんねー、一太が取ってくれたやつなのに」
「あ、ああ、そうだったね」
改めて見てみれば、その右手のぬいぐるみは、僕が以前、ゲームセンターで華乃さんにせがまれて取ってあげたやつだった。直前に初めて女子とプリクラを撮り、そのことをからかわれまくりながらという精神状態で一発成功した自分を褒めてやりたい。このうさぎというキャラクターは自由奔放・天真爛漫、欲望に忠実で、でも実はとても仲間思いってところが、どこか華乃さんに似てると思っていたから、プレゼントできてよかった。
「てことで、はい♪ 遅れちゃったけど、お返し♪」
「え。マジで?」
左手の方、ちいかわのぬいぐるみを僕の胸にズイっと差し出してくる華乃さん。僕はそれを抱きしめるように受け取る。
「うん、昨日の帰りに頑張って取ってきた♪」
「あ、ありがとう。嬉しすぎる……!」
「でしょー? この子、一太と似てると思ってさ♪ ちっちゃくて可愛いところが……♪」
「どこの話してる?」
身長はまぁ、平均よりはちょい下だけど、華乃さんだって女子の平均くらいだし、今まで華乃さんに身長をイジられたことはないはずなんだけどなぁ……! むしろ華乃さんと出会ってから始めた筋トレの成果を、半分褒めつつもからかってくるというのが常だった。ボディタッチがどんどん増えてきて、めちゃくちゃ筋トレのモチベーションになる。
「しかも頭まですっぽりお洋服被っちゃってるレアものだし……お手々で着脱可能だし……♪」
「どこの話してる?」
「すぐにぴゅっぴゅって泣いちゃうとこも一太とそっくりだし……♪」
「何の話してる? 泣いちゃう擬態語にぴゅっぴゅが使われることなんてある?」
持続時間はまぁ、平均よりだいぶ下だと思うけど。すぐ涙目になってすぐ号泣ぴゅっぴゅしちゃうけど。だから京子の心配は杞憂だ。昨日送られてきたPDFは不要だ。
「それと、」
華乃さんは、相変わらずニマニマと口角を上擦らせ、しかし目は柔らかく細めて、
「健気で優しいところも、ね」
指先で、僕のほっぺをつついてくるのだった。
「華乃さん……」
至近距離で見つめる、小さな顔。常に僕の頭の中から離れないその小悪魔フェイスだけど、現実で見ると、想像よりもずっと不敵で嗜虐的で挑発的で、ずっとずっと素敵で蠱惑的で魅力的だ。
僕はこの人と、このままの関係を続けたい。でも、このままの関係はきっと、続けたくてもあと一年半しか続けられない。面白おかしくからかい、からかわれる関係のクラスメイトでしかなければ、卒業後、定期的に会うことなんてなくなってしまうだろう。何の口実もなく、僕から連絡を取り続ける勇気なんて持てるわけがない。
そんなのは、困る。
思い出は美化されるものだとか言うけれど、華乃さんの魅力を、華乃さんのからかいの中毒性を、頭の中のそれが超えるなんてこと不可能なのだから。
僕はずっと華乃さんにからかわれ続けるために、からかわれるだけのクラスメイトのままでいてはいけないのだ。
そう、だから。僕には、この人に伝えなくてはならないことがある。
「んー? どったの、一太。そんなにわたしの顔見つめてー。おかず保存中なのかな……♪」
「ち、ちげーし。既に保存済……じゃなくて! 華乃さん。実は、京子に昨日、言われちゃったことがあって」
「……橘さん、に?」
華乃さんの顔に、なぜか不安げな色が差す。彼女には珍しいことだけど、そういえば、僕が京子の話題を出すと、こんな態度を見せることが度々あった気もする。
あった気がするっていうか、あった。うん、確実に言い切れる。
だって、この子がそんな態度を見せる度に僕は、「もしかして」と期待を持ってしまっていたのだから。だけどその度に、そんなわけないと否定してきた。自信がないから。期待を裏切られて傷つくのが怖いから。惨めな思いをしたくないから。
「うん、華乃さんと縁を切れってさ。僕が君にからかわれて、自尊心を削られていくのが見るに堪えないんだって」
「え……」
大きな両目が見開かれる。絶句したように立ち尽くす彼女に、とりあえず最後まで説明を続ける。
「だから、はっきり言ってやれってさ。もう僕をからかうなって。近づくなって」
「い、一太……」
華乃さんの手からぬいぐるみがポロッと落ち――僕は反射的にそれをキャッチして、持ち主に差し出す。
「華乃さん、だから、その」
「わ、わかった! わかったから!」
「え?」
ぬいぐるみを弱々しく受け取った華乃さんは、大きな声で、僕のセリフを遮ってきた。
想定外の反応であった。今から僕がやろうとしていることが、必ず上手くいくだなんて自信があったわけじゃない。でも、
「わかったから、それ以上言わなくていい! ううん、言わないで! 聞きたくないから! 一太の口からそんなこと言われちゃったら、もう立ち直れないし!」
「え、え、華乃さん……?」
でも、あの華乃さんが、こんなにも取り乱すだなんて、考えもしなかった。予想できるわけもない。だって、意味がわからないし。
「ごめんね、一太……一太がそんなに嫌な思いしてるだなんて、わたし思わなくて……ごめん……」
「え。え。え」
華乃さんは、もはや涙目で。俯いてしまって。その体もその声も、どんどん震えていって。
「でも、もうわかったから。自分から身を引くから。もう話しかけないし、絶対からかったりなんてしないから……」
「え。いや。華乃さん。ちがくて」
「今までありがとう……楽しくて、嬉しくて、わたし、勘違いしちゃってたみたいで……ホントにごめんね? 一太は、橘さんと幸せになってね?」
あ、やらかした。さすがに気づく。やらかしたっぽい。
完全に、誤解させてしまっていたみたいだ。
「華乃さん」
「このぬいぐるみだけ、このまま大事にしててもいいよね? ……とか、あはっ……バカみたいだね、なんか、わたし……ごめん、忘れて全部。うん、バイバイ、一太」
「華乃さん! 違うんだ、華乃さん!」
俯いたまま背を見せ、駆け出そうとする華乃さん。その肩をとっさにつかんで引き留める。表情は見せてくれないけど、白い頬に滴が伝っていくのが見えてしまった。細い体もやはり、小刻みに震えている。
泣かせてしまった、華乃さんを。
その事実に罪悪感を覚えるとともに――僕は、嬉しくもなってしまった。
僕と離ればなれになることに、華乃さんは涙を流してくれるのだ。それほどまでに、僕のことを思ってくれている。その思いが、どういう類いのものなのか、それは断言できないけど……でも、断言できないからといって、ビビって日和って、逃げてばかりじゃ、何も手に入れられないまま終わってしまう。
せっかく、こんなにも魅力的な女の子が、僕をからかってくれてきたというのに!
「一太」
背中を向けたまま、彼女は弱々しい声を漏らす。
「やっぱ優しいね、一太は。でも、だいじょぶだから。もうわたしたち赤の他人だし、無理に優しくしてくれなくても、」
「そうじゃないって! 逃げずに聞いてくれ、華乃さん! 僕も逃げないから!」
「一太……?」
僕は勇気を振り絞って、華乃さんを後ろから抱きしめた。いや、しめてはないか。でも、背中から両腕を回して、そっと包み込ませてもらった。本当に、これが精一杯で。顔を直視なんてできないから、背中越しで助かったくらいで。
でもとりあえず、ちゃんと言葉を伝えられる状況だけは整えることができた。
もう逃げられない。華乃さんも、僕も。
それでもなお足踏みしそうになる僕を、脳内で京子の言葉が叱責してくる。
――ただ言うだけではダメよ? はっきりと、キッパリと、ガツンと、自分の気持ちを、自分の要望を、余すことなく伝え切って、しっかりと頷かせる。そこまで出来ると言うのね?
――先延ばしは許さないから。一日でも先延ばししたら最後、永遠にやらないんだから。明日中に完遂すること。
文脈は全然違ったような気がしないでもないけど、本質的には同じことだ。僕はいつだって臆病で、自分の気持ちを言葉にすることから逃げ続けて。そんな自分が嫌いだった。それなのに、変わろうともしなかった。
今が、変わるときなのだ。
だって、僕は……!
「好きだ。好きなんだ、華乃さんのことが!」
「…………? ん? え。え……ええ!?」
しばらくの間の後、華乃さんはバッとすごい勢いで、体ごとこちらを振り向いてきた。見開いた目で僕を凝視し、
「え? え? 一太? あれ? 思ってたのと、」
「好きなんです! ずっと君に恋していたんです! 僕の恋人になってくれませんか!?」
そして、一歩も引く気のない僕の決死の表情(のつもり)を目の当たりにして、ついに状況を解してくれたのか、
「え、あ、あ……」
その整った顔をカーッと真っ赤に染め上げていくのだった。可愛い。
だが、ここで止まる気はない。
「お願いします! 僕と付き合ってください!」
「~~~~っ!!」
そう。そうなのだ。僕は、華乃さんのことが、好きだったのだ。
いろんな言葉で取り繕ってきてしまったけど、そんなもんは全部不要だった。意地とか見栄とか予防線とか全部剥ぎ取ってしまえば、残ったものはとてもとてもシンプルで。ただただ純粋な、華乃さんへの恋心だった。華乃さんに恋しているから、華乃さんにからかわれることが幸せだった――そんな何の意外性もない事実だけが、そこに残されていたのだ。
だから、そんな単純な幸せを、華乃さんとの「からかい」を、手放さないために。君と特別な関係になりたいのだ。ならなくちゃいけないのだ!
「一太……っ、え。ま、マジなの……?」
未だ真っ赤な顔で、もはや目をグルグルと回しているようにすら見える華乃さん。
彼女らしくもない、この反応……正直、予想だにしていなかった。全く脈がないとは思っていなかったけど、断られる可能性だって十分あると覚悟していた。だからこそ、怖かったのだから。
だけど、これは……まさか、もしかして……! いや! そのとろけたような顔付きは、湯気が出るくらいに火照った体は、ちょっとさすがに動揺しすぎじゃね? ってくらいに取り乱しているその態度は……!
そういう、ことだよね……!?
「マジに決まってるじゃないか!」
「一太……」
「返事を……返事を聞かせてくれないか……!」
「あ、はい。お願いします。わたしも一太のことが好きなので。彼女にしてください。彼女になります」
「え」
「え」
思わず、お互いポカンとした顔で見つめ合ってしまった。
いや確かにこれはオーケーもらえる流れだと期待はしちゃっていたけど、こんなあっさり頷いてもらえるとは……
「え、えと、一太? あれ? わたし、何か間違えたこと言っちゃったかな……? あ、あはは、ごめん、ちょっと驚きすぎちゃってて……」
「あ、いや! そんなことないよ! 僕も驚きすぎちゃってて……!」
戸惑う華乃さんを見て、我に返る。
何やってんだ、マジで。僕の人生における最も大切な場面で、僕の人生における最も大切な人を、不安にさせてどうすんだ。
僕はこれから華乃さんを、世界一幸せにできるよう頑張らなければいけないというのに! 華乃さんの! 彼氏として!
「そ、そか。じゃ、じゃあ、一太。よろしくね。うふふ……初めて彼氏、できちゃった」
「あ、やばい。好き。絶対守る、この笑顔」
こうして僕は華乃さんと付き合うことになったのだった。え? マジかよ、え。
マジなんだよなぁ……!
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