黒いキャンバス

白川津 中々

◾️

私の絵は評価されなかった。


物心ついた頃から絵を描いていた。単純に線を描き、点を落とし、色をつけていくのが楽しかった。それ以外で何を求めていたわけでもない。絵が描ければそれでよかったのだ。誰かが描いた絵と一緒に壁に貼り付けられ、「みんな上手」という言葉に満足していたし、私も、他の絵を素直な気持ちで観られていた。


少し成長してコンテストに出すようになると、描いた絵が入賞するようになった。けれど金賞は一度も取れない。悔しいと思う反面、まだ絵は好きだった。もっと描きたかったし、まだまだ描けると思っていた。想像力は無限にあって、握っている筆は豊かな色をキャンバスに映していった。それは永遠を夢想させ、これ以上の楽しみはないくらいで、誰もが私を「画家になれるよ」と褒めてくれる。だから、私もずっと絵を描いていくつもりだった。誰もが賛美する大作を描く未来の自分を夢見るのが楽しくて仕方がなかった。現実はそうはいかなかった。美術大学に入ると、「それじゃ売れない」と言われ続けた。美術は批判するものだと、描いた絵は否定されるものだと知った。私も、同じように、誰かの作品に汚い言葉を並べ立てた。それがどれだけ尊厳を傷つけるのか分かっているのに。

在学中、絶えず与えられた容赦のない寸評は私の心を削り、指の力を奪っていった。その内に、絵が描けなくなった。描いた作品に点数をつけられるのが怖くなってしまったのだ。

それでも、誰かの絵を貶す事は止められなかった。私は正しいと、それが美術だと信じていた。けれど、私が散々に切り捨てた絵が評価されると、これまで一緒になって酷評していた連中は掌を返し絶賛した。そして、私に対しては、私がかつて描いていた絵を持ち出して、酷く打ちのめした。私はもうすっかり絵が嫌いになってしまった。けれど私には絵しかなかった。描けなくなっても、絵に縋り付いて、私自身を保っていた。


今の私はなにもできず、何も生み出せない存在でしかないのに、心の中はまだ絵描きのままでいる。何か描ける、創れると諦めきれず、一端の創作論を口にしては誰かの絵を批判して、自分を慰めているのだ。


絵を描けなくなった私に価値はない。

評価されない私の絵にも、価値はない。


何もできない私は、ただ何かを否定する事しかできなくなっていた。


一番否定すべき自分は、否定できないままでいる。

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