第17話「壁の向こう側4」
(チーチッチッ アッコー カァッコー カッコー ザァァァアーーー)
国道413号線。道志の山中でVTに寄りかかりながら、怜は記憶の探索から戻ってきた。
「あれ、⋯⋯だったのか」
マシントラブルが続き、満身創痍で苛立っていたあの時、遥への八つ当たりをキッカケに偶然出くわした全能感が、雨のレースで体験した力だとわかった。
もしあれが、全てを捨てることで得られる自分の中に眠っている力だとしたら、怜にとって最後の拠り所が遥だったのだ。
遥を失い、朝から晩まで狂ったように走り、抜け殻になった怜に最後に残ったものは、半身を失ったような喪失感だった。
心の底が抜けてしまったような憔悴無垢な怜の心は、「ただ速く走る」という願望を叶えるだけの器になった。
それが雨のレースで、それでも届かない自分の無力さを受け容れたとき、リミッターが外れ解放された。
怜は見えないもの見つめ、肉体の限界を超えてマシンと融けあった。
遥は本当に怜の半身だったのだ。
遥を失ったことで、怜は初めてこの世界と自分に真摯に向き合った。
自分には何も無い。
肉体すら借り物に思えた。
その絶望的な無力さと孤独に、怜は笑った。
そこには武勇や覚悟などという潔さは欠片もない。
絶対的な絶望を前にしても尚、残影にすがるように走る事をやめない自分の滑稽さが、ただ可笑しかった。
怜は自分がちっぽけな人である事を、ただ受け容れた。
その瞬間、怜の心の中に充満していた艶消しの
艶消しの真っ暗だった空間は、影もできない光に照らされた世界に代わり、闇は足元の小さな黒点に成った。
そんな心の中のイメージが、怜に全てを伝えた。
「ああ、そうだったのか⋯⋯」
怜はただ納得した。
突然現れたその明るい世界は、いつも怜の傍らに在った。
そこにたどり着く答えは、怜の中にあったのだ。
きっと、光に包まれたこの安らかな世界は、遥と紡いだ時間。
真っ暗な孤独の中で生きていた怜は、遥に出会って人を思いやる優しさを知った。
手作りの贈り物、記念日を祝う気持ち、幼く気恥かしい想い出。
誰かを想い胸を締め付けられる夜。
遥はささやかな想いを紡ぐ幸福を、怜に教えてくれた。
大切なものが出来る度に、同じだけ募る不安に戸惑いながら、大切なものを守りたいと思う優しさを怜は受け容れていった。
そして怜は、大切なものを失うことを怖いと思った。
いま足元にある黒点は、大切なものと同じだけの恐怖が詰まった不安の闇だ。
マシントラブルは怜の意思に関せず襲ってくる。増え続ける身体の傷はいつか、この身体を不自由なものにしてしまうかも知れない。
すぐ隣いたライバルたちが、半身不随や帰らぬ骸になっていくのを見送る度に、心の中の温かな光は陰って行った。
この遥との温かな時間を、自分が終わらせてしまう不安は黒い闇となって怜の心を支配していった。
怜は生まれて初めて本当の恐怖を知った。
そしてあの日、遥への苛立ちが怜の不安を爆発させた。
しかし遥も怜と同じ不安を抱えていた。
二人はひとりだった。
怜は「オートバイ」をやめられない。
遥も「オートバイ」に乗らない怜を見ていられない。
この先に進むには、「壁の向こう側」に行くしかなかった。
それには恐怖を知って尚、それを乗り越える強さが必要だった。
そのためには、生きるために全てを投げ出す覚悟が必要だった。
怜は自分の身を守るリミッターを外し、限界の先に踏み込んだ。
怜は自分が何を犠牲にし、何を得たのか、ようやく腑に落とした。
あの時、遥も気づいていたのだろう。
怜が光を失くすことを恐れ、艶消の闇に支配されていたことを。
その闇を振り払うために必要な、最後の代償が彼女だったことを。
だから、彼女は怜の元を去った。
怜は、遥の願った通りに限界の外にいる。
ライバルたちがいる「壁の向こう側」の世界に。
山鳥の鳴き声と沢のせせらぎしか聞こえない、この静かなこの場所が、遥の願いを怜に教えてくれた。
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