第12話「クールダディ2」
「それにしても遅いな、邪魔だ。それに⋯⋯ 」
言葉にはしなかったが、怜はのんびりと走るこのオートバイに苛立ちをおぼえていた。
「それに⋯⋯、(そんな乗り方をしたら失礼だろ)」
怜は、そのCBXに翔太と彼のCBXを侮辱されたような気がしていた。そして、最近感じ始めていた遅いオートバイへの不満を言いたかったが、聞こえるわけがないし、八つ当たりだと言うことに気づいて飲み込んだ。
峠道や街道レースで頭角を現し始めた怜は、もっと速く走りたいという衝動に駆られるままオートバイ競技にのめり込んでいった。
拓人の誘いで、秦野や富士の麓にある小規模サーキットで催されるミニバイク選手権にスポット参戦するようになっていた。
同じ高校3年生の拓人は昨年シリーズチャンピオンに輝いた後、今年からプロのレーサーになるべく本格的なレース活動を始めていた。
平日は学校に通いながら、放課後に体力づくりとマシン整備、週末はオートバイをトランスポーターと呼ばれるレースを転戦する為のワンボックスカーに乗せてサーキットに向かう。
わずか1〜2時間の練習走行の中で様々なマシンのセッティングを試しながら最速のテクニックを磨く。
走り終わったら整備と気づきをノートにまとめて、陽が沈む頃には所属するレーシングチームのピットで次回に向けた作戦会議だ。
朝から晩まで、ただ早く走るためだけに全ての時間を費やす拓人の生活を、怜は羨ましく思っていた。
レースにはお金もかかった。
地方にあるサーキットで開催される大会への遠征費やコース利用費り燃料、様々な潤滑オイル、走行毎に交換する消耗部品は数え切れない。
大会で勝ちたければ改造パーツは速さに比例した値段になる。
拓人のように、スポンサーが付けばそのサポートも受けられる。
そのためには、まず表彰台に上がる必要があった。
そんな思いで取り組む練習走行では、遊び感覚で走る遅いオートバイは邪魔な障害物でしかない。
本気で速くなろうとすればするほど、速くなればなるほど、零コンマ1秒の重みが増していく。
怜はその入口にいた。
この地元朝市のアルバイトは、レース仲間が紹介してくれたものだ。レーサーを夢見る者は皆、様々なアルバイトをしながらいつかプロを目指す。
既に成績を上げレースに専念する環境を掴み取った拓人やその仲間たちと過ごす時間の中で、怜はプロレーサーを目指す楽しさと厳しさを感じ始めていた。
真剣に取り組むほどに「オートバイ」という「スポーツ」に魅了された怜は、速く走ること以外のオートバイの愉しさを忘れさせた。
「こいつ、遅いなぁ。邪魔なんだよ⋯⋯」
この先の住宅街に入ったら、道が狭くて追い抜けない。
ここはレース場ではないのはわかっていた。
しかし、怜の中で渦巻いていた色んな焦りが、カーブの前に抜かなきゃという判断の誤りを招いた。
「『突っ込み』で抜こう」
直線の終わり、怜はアクセルを開けてCBXを追い抜いた。S字カーブにさしかかったときに、速度メーターの針は文字盤の120を超えていた。
制限速度40Kmの住宅街の路地で出すスピードではない。それでも今の怜のテクニックなら十分に曲がりきれた。
ブレーキを遅らせた分、S字カーブ入口をややオーバースピードで侵入。
1つ目のカーブを曲がりながら上手く減速して2つ目のカーブへ軽やかにVTを切り返した。
「突っ込み」で抜く。サーキットで覚えた追い抜きのテクニックだ。
カーブ侵入時の減速を遅らせ、先行車を抜き去るテクニックだ。
超過速度を曲がりながら制御するのが難しい技だったが、最初のカーブで十分に曲がりきれるラインに乗せられた事で、怜は僅かに油断した。
そして、それは突然現れた。
歩道のガードレールの隙間から、茶色の塊が車道に飛び出した。猫だ。
「ほっ⋯ よっと」
飛び出してきた猫を、怜はヒラリとかわした。
このくらいのアクシデントは、今の怜にとっては想定内の想定外だった。
怜は猫の無事を見ようとバックミラーに目を向けた、その瞬間だった。
歩道の生け垣からさっきの猫を追うように、黒い影が怜の前に飛び出した。
「え!? あっ! 危なっ⋯⋯っ!!」
怜は反射的にブレーキレバーを握った。
猫は追いかけっこが好きなことを、怜はこのときまで知らなかった。
時速80Km近いスピードでさらに加速しようと加重が抜けた前輪は、いとも容易くグリップを失った。
「ギャッ ダバダバダバッ」
暴れるVTを抑え込み、転倒を堪えながら軌道修正する怜のテクニックは、狭い公道で仇となった。
転倒を堪えたことでサーキットには決して無い、センターラインに埋め込まれたキャッツアイに前輪を乗り上げてしまった。
「ガッ バシュ! ギャッ!!」
キャッツアイの上で滑ったタイヤが再びアスファルトでグリップすると、車体は大きく
怜はニーグリップで懸命にコントロールを試みたが、何度目かの車体の
(キィキィぃぃぃーーーッ ガッ シャァッ ゴッ ガッガガガガガーーー!! ガッ ーーードサッ)
「ドスン!⋯⋯⋯⋯⋯ ぐっ はっ⋯⋯ ぁ」
怜は歩道に飛ばされ、身体とヘルメットを叩きつけられた。履いていたジーンズは足の付根からヒザ下まで大きく裂け、お気に入りの白いシャツはボロボロに破れた。
VTは対向車線を飛び越え、植え込みに刺さって停まった。
「だ、大丈夫ですか!?」
CBXのライダーが仰向けのまま動かない怜を助け起こした。
「あっ、ああ⋯⋯ 大丈夫です」
怜はスッと立ち上がったが、すぐにストンと歩道にヘタリ込んだ。
付近の住民が騒動を聞きつけて集まってきた。恥ずかしさとバツの悪さですぐに立ち去りたかったが体が動かない。
全身を駆け回るアドレナリンで意識は冴え渡っているが、身体は反応できないほどダメージを負っていた。
そうしている内に何処からか現れた大人の男たちが、植え込みに刺さっているVTを引き抜いて歩道に横たえた。
タンクからガソリンが漏れているのが見えた。
テールカウルとメーター周りは、見る影もないほどグシャグシャだ。
チカチカした視界で怜が見ていると、CBXの男は家まで送ってくれると申し出た。
怜は壊してしまったVTを連れて帰りたかったが、身体は言うことをきかない。
我に返って自分のダメージを確認する。
助け起こされた時にチラッと見えた自分の四肢は血だらけだ。
特に右の股から膝下に大きく裂けたジーンズから見える膝小僧には、大量の血が流れていてその真中に不自然に白いものが見えた。
周りの赤黒い血とのコントラストが鮮やかな純白のそれは⋯⋯たぶん骨だ。
その白さのヤバイさを怜の本能が告げていた。工作をしていて勢い余ってナイフを足の甲に突き刺した時よりも、古材木から突き出た五寸釘を踏み抜いた時よりも。
「ヤバい。骨はヤバい。絆創膏では治らない」
怜は男の言葉に甘えて、家まで送ってもらう事にした。VTは後で引き取りに来よう。
「ごめん、VT⋯⋯」
怜はCBXのタンデムに乗せてもらい、アスファルトに血の道標を残しながら、何とか家にたどり着いた。
家には誰もいなかった。
男に礼を言って見送ると、怜は廊下に血痕を残しながら、なんとか二階の自室にたどり着いた。
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