Episode12:再会

城に着いた。

「もう大丈夫、ありがとう。」

そう言ってミアは僕の背中から降り、大きな白い石の扉を開けた。その扉には、ミアのような少女の力でも簡単に開けられるように半自動システムが導入されていた。松明が燃え、太い柱が支える巨大な大理石の広間には、三人の豪華絢爛な衣装に身を包んだ貴族たちが、僕らを待ち構えていた。彼らは僕らのことを見ると、口を揃えてあくまでも機械的に言った。

「我ら皇帝陛下の忠実な僕。

トコシエの三賢人と呼ばれる者。」

彼らは一斉に僕らの瞳へ自分たちの瞳の焦点を合わせた。その視線の鋭さは、遠く離れていてもひしひしと感じることができた。

「私は強迫のプラトン」

「僕は分裂のカント」

「俺は失調のソクラテス」

彼らは、階段を登ったところにある踊り場から僕らを見下ろしていた。彼らの視線には、強い殺意が感じられた。僕らは、武器を取り出す準備をし、今にも戦いへと発展しそうなピリピリとした空気を吸い込んでいた。

すると、プラトンと呼ばれる貴族が言った。

「まあ、待て。私らはずっと君たちのことを待っていたんだよ。君たちが戦場を通り抜けてここにやってくることは最初からわかっていた。『宝』を狙いにくるであろうこともな。どれ、一つ取引をしないか。」

ミアはレーザー銃の照準を合わせて、

簡潔に尋ねた。

「取引って?」

すると、カントと呼ばれる貴族が言った。

「もし、君たちが『宝』を諦めてくれるなら、君たち含め貧民たちが今まで我々にしてきたことは全て水に流そう。そして、私たちは君たちと外で戦っている幽霊たちをみんな『楽園』への新たな住人として迎え入れる。君たちは、ここで永遠の安泰を手に入れるんだ。命を失う心配もない。苦労して税を貢ぐ必要もない。危険な《メタファー》に襲われることもない。どうだ?いい取引だとは思わないか?」

ミアはその提案を鼻で笑い飛ばして答える。

「ふん、そんなのクソ喰らえだね。

私は、何としてでも『宝』を手に入れる。」

それを聞いて、カントは残念そうに掌で顔を包む。まるで、本心から落ち込んでいるようにも見えた。

「じゃあ、しょうがない。君たちも僕らもハッピーになれる、素晴らしい提案だと思ったんだけどね。なら、決闘をしようじゃないか。昔からこの王室に伝わる作法に基づいてな。」

僕は貴族たちを睨む。

「作法?」

ソクラテスは頷く。

「ああ、それは実に簡単なことなんだ。

お前らと俺たちで、一人ずつ武器を使って戦う、ただそれだけさ。決闘が行われている間は、部外者は決して手を出してはいけない。お前たちが負ければ、俺たちはお前らの魂を抜き取り、『楽園』から追放する。お前たちが一人でも勝てば、俺たちが皇帝陛下の元へと案内してやろう。どうだ、今度こそいい提案だろ?」

ミアは腕を組み、顰めっ面をする。

「でも、キミたちは三人。私たちは二人。

それって不公平じゃない?そんな状況で相手を打ちのめすのが、貴族の作法なの?まだ、貧民街に住む幽霊たちの方が、マシな喧嘩をするよ。」

すると、再びプラトンが言った。

「もちろん、そんなつもりはない。

決闘は、どこまでも公正に、正々堂々と行われるべきだ。君たちには、仲間を用意しよう。さあ、出てきたまえ。」

すると、踊り場の後ろの扉が開いた。

そこから出てきたのは、リクの妹、ヒカリちゃんだった。

「ヒカリちゃん!」

「ユウくん!」

ヒカリちゃんが階段を降りてくる。

僕らは再会を喜んで抱きしめあった。

ミアは、僕らのことを微笑ましそうに見つめている。

「無事だったんだね、良かった!」

彼女は涙を流しながら、頷く。

「うん、なぜか私だけ魂を抜かれずに、ずっと城の牢獄に囚われていたの。それより、ニコたちはどうなったの?」

ミアは首を振る。

分からない、ということだ。

ミアがヒカリちゃんの手に握られたものを指差して、尋ねる。

「それって...。」

ヒカリちゃんはしばらく悲しそうに俯いていたか、すぐに涙を拭って、手に下げたトランクケースを差し出した。

「ああ、これはニコの残してくれたトランクケースよ。この中には、二人の武器が入っていて、彼らが最後に残した創造力がたっぷり込められている。まだ戦ったばかりのほやほやだから、決闘にはもってこいだよ。私たちの武器は、戦いを乗り越えると、経験値を溜め込むようにできているの。そういうシステムを取り込んでいる、ユウくんの武器と同じようにね。3人目は私が相手をする。」

すると、ヒカリちゃんは貴族たちの方へと振り返り、元気よく尋ねる。

「ねぇ!少し時間をもらってもいい?」

プラトンは頷く。

「あぁ、作戦の時間ならいくらでも与えてやる。もっとも、そんなことは無駄だと思うがな。」

ヒカリちゃんはそれを無視して、トランクケースの中からミアに武器をひょいと渡す。

「はい!ニコの二丁拳銃よ。

これを使って!

使い方は、わかるよね?」

ミアはこくりと頷く。

そして、ヒカリちゃんは僕にノートパソコンを手渡す。銀色のスチール製、とても薄いディスプレイはぴったりと折り畳まれている。重さはほとんどなく、中には普通のキーボードがついている。僕は首を捻る。これが、武器?

そんな僕の様子を察知して、ヒカリちゃんが言った。

「うん、そういう反応をすると思ったよ。

でも、これはね、こう使うの。」

彼女は画面を開き、カチカチとキーボードで文字を打った。

『Beam』

彼女がenterを押すと、空気中に黒い穴が開き、そこからミアの銃と同じようなレーザービームが発射された。ビームは、広間の床を貫通し、『楽園』の奥深く、どこまでも伸びていった。

僕は目を丸くした。

そして、自信を込めて言った。

「これなら勝てるかもしれない...。」


決闘は、僕らの大敗だった。


プラトンは、強迫観念の応用により、身体能力を極限まで高めることができた。武器などなくても、彼は僕の刀の斬撃にびくともしなかった。その腕から繰り出されるパンチは、空気すらも裂き、風圧だけで壁や地面を破壊した。彼は攻撃を何とかかわす僕に向かって言った。

「貴様は、指の皮膚が捲れるくらい何度も自分の手をゴシゴシと洗ったり、小説の1ページだけを繰り返し読み耽ったり、同じ散歩道で全く同じものを見ながらぐるぐると回り続けたり、そんなことを自分の意思でしたことがあるか?ないだろうな。なぜなら、貴様の魂にはもはや絶対的ルールが刻まれていないからだ。所詮、貴様はただの読書中毒者に過ぎないのだ!」

そう、それは確かに彼の言う通りだった。僕は、読書中毒者だった頃の「7」のリズムをすでにほとんど失いかけている。おそらく、僕の中にあった大半の創造力を老人に渡してしまったからだろう。僕はパソコンに保存されていた自動コマンドを駆使してプラトンの魂に幾種類もの攻撃を浴びせたが、それは全くと言っていいほど通用しなかった。最終的に、僕はプラトンの猛攻によって首根っこを掴まれてしまった。もう、降参することしかできなかった。

ヒカリちゃんはかなり善戦をした。

彼女は、自分の相棒の、創造力をこめると、必ず狙った場所に飛ぶ弓を使い、カントの身体に、無数の矢を浴びせた。しかし、いくら矢を浴びせても、カントの魂を破壊することができない。僕が刀を掴んで彼の殻を覗いてみると、そこにはいくつもの緑の発光体が蠢いていた。まるで、それはイワシの群れのようなスピードで身体中を駆け巡っていた。あの一つ一つを潰していくことなんて、もし全て見えていたとしても不可能だ。それでも、ヒカリちゃんは発光体の半分までを狩ることに成功した。一つ一つ、カントの逃げる動きから魂の居場所を捕捉し、着実に殺していった。だが、彼女は魂を摩耗させすぎたため、最後は弓に込める創造力が枯れてしまい、静かに地面に崩れ落ちた。

ミアの相手、ソクラテスは最も恐ろしい敵だった。彼は、自分の創造力をあらゆる形に現象させることができた。どういうことかというと、本来ならば幻覚とされてしまうような奇々怪々な出来事が現実に起こるのだ。幻想小説にしか出てこないような幽霊•怪物を行使したり、精神世界の天変地異を操ったり、狂ったような妄想を創造力に変換して武器のエネルギーにしたりできた。ミアは敵にレーザーを浴びせたが、全ての光線が立ちはだかるドラゴンの餌になり、春雷によって打ち消された。ニコの二丁拳銃は、ソクラテスの魂の位置を自動的に認識して弾丸を撃ち込むことができた。しかし、全ての弾丸はたぎるような創造力の込められた七色の剣によってかき消された。最終的に、広間にはソクラテスが発生させた旋風が巻き起こり、僕らの体はちぎれてしまいそうになった。

ヒカリちゃんがトランクの中から僕の手を取って叫ぶ。

「この中に入って!早く!」

僕らは、ミアをトランクの中に引き摺り込み、地震のように揺れるその世界で、時の流れるのを待った。


トランクの中には小さな部屋があった。

台所があり、明るい光が部屋全体をやさしく照らしていた。床のカーペットは、ほわほわとした綿羊製で暖かかった。

部屋には、ユニットバスやテレビ、ふかふかのベッドにエアコンまで設備されていた。

壁には、リトのコレクションのレコードを集めた棚が設置されていた。また、カーペットの上にはニコが読んでいたであろうファッション雑誌が散らばっていた。

だが、そんなものを満喫している余裕はなかった。僕らの周りの世界は、激しい勢いで揺れ動いた。トランクの中の世界は、キャンピングカーのリビングと同じで、少しの揺れくらいだったらびくともしないが、トランクそのものが大嵐に飲み込まれている状況では、流石に揺れを抑えることができないらしかった。僕は、口に手を当てて激しい吐き気を何とかこらえながら、その地獄のような時が過ぎるのを待った。ミアもヒカリちゃんも、激しい戦いで消耗していたので、自分の魂を正しい状態に保つことができなくなっていた。彼女たちは、よく分からない支離滅裂な言葉を叫んでいた。ミアは自分の殻を形成することが難しくなり、身長がグワングワンと変化したり、髪の色がおかしくなったりした。信じられないことだが、突然抜群のスタイルを持った大人の女性になったり、よちよち歩きの赤ん坊になったりもしたのだ。今まで見たことがないような奇妙な色(絵の具を何色も混ぜ合わせたみたいな色だ)のツインテールになったりもした。今、ミアは目を瞑って、必死に魂の落ち着きを保とうしている。そのまつ毛はぱっちりと閉じられ、豊かな涙袋が彼女の美貌を際立たせている。足はスラリと長く、胸もほどほどに大きい。耳からはピアスが垂れ、夏の縁側に下げられた風鈴のように、カランカランと爽快な音を立てている。そんなミアを見て僕は思う。うん、大人の彼女も悪くない。僕は、自分の頭がおかしくなりかけているのを感じた。この時、僕は、トイレに吸い込まれる排泄物の気持ちがよくわかったような気がした。


やがて、揺れは止み、世界は沈黙に沈んだ。

僕らはしばらく、自分の魂を鎮めることができなかった。世界はいつまでも振動し続け、しばらく揺れが止まったことにすら気が付かなかった。僕の頭の中には、意味のない記憶の断片がいくつもフラッシュバックした。

脈絡のないおかしな幻覚や気持ち悪さを通り越した快感、そんなのにはもう慣れっこになっていた。

なぜか分からないが、僕が中学生の時にノートに書き連ねていた、ポエムの一部が記憶の井戸の中から顔を出したりもした。。


やがて、僕らは魂の平静を取り戻すと、まずは台所に行ってグラスに水を注ぎ、ゆっくりと飲んだ。水を何杯もお代わりすると、三人でベッドの上に座った。そして、しばらくそのまま黙っていた。何も考えない時間が必要だった、敗北の屈辱も、これからのことも。少し経って、僕のお腹が鳴った。もはや、恥ずかしいという感情もなく、僕は反射的に台所の冷蔵庫に行って、中に入っていた冷凍食品を取り、適当にレンジであたためた。僕がプラスチックのパックに入ったままそれをテーブルに持っていくと、ミアたちも作法を気にせずガツガツとそれを食べた。ベッドの下にはたくさんのスナック菓子が入った箱があったので(おそらくニコが集めたのだろう)、僕らはそれを貪りながら、テレビで映画を観た。くだらない映画だった。くだらなすぎて、どんな内容だったかも覚えていない。あるいは、そもそも僕らは映画を見てなどいなかったのかもしれない。もっと、テレビの画面の奥に潜む暗い何かを眺めていたのかもしれない。映画が終わると、僕らは交代でシャワーを浴びて、みんなでベッドに寝転んだ。眠りはすぐに訪れ、僕らは夢すら届かない深い海へと潜っていった。


そんな調子で何日かを過ごしたら、僕らは徐々に元気になった。おそらく、貴族たちはあの旋風によって僕らが跡形もなくバラバラになってしまったのだと思ったのだろう。このトランクは今、どこにあるのだ?まだあの広間の中に残されているのか?扉を開いて確認してみても良かったが、何も起こらないのは逆に罠であるかもしれないとも考えられたので、僕らはしばらく様子を見ることにした。まあ、急いでも仕方がない。今はゆっくり計画を練ろう。


僕らが呑気にジュースを飲みながら漫画雑誌を読んでいると、誰かがトランクの扉を開けて言った。

「君たち、もう出てきていいよ。

ここは安全だから。」


その声に、なぜか聞き覚えがあった。

え、まさか...これは!?

僕は驚いてトランクから顔を出す。

「リク!」

トランクを上から見下ろすように覗いていたのは、まさにリクだった。

小学一年生の頃、トイレで出会った、僕のたった一人の親友。髪はサラサラとしたストレートヘア、瞳はぱっちりとした綺麗な二重、いつも外で運動してるはずなのに、透き通るような白い肌。僕はいつもそんな彼のルックスに憧れていたものだ。

だが、彼はキョトンとした顔で聞き返す。

「リク?それって、一体誰のこと?」

僕らの会話を聞いて、ヒカリちゃんも下から顔を出す。

「え、お兄ちゃん!?」

彼は驚いたような顔で自分の顔を指差す。

「お兄ちゃん...?俺が!?」

ヒカリちゃんはまだ驚きを隠せない様子だった。

「間違いない...その仕草、喋り方も全部リクだ...。でも、なんで、一体こんなところに?」

僕にも訳がわからなかった。

なぜリクが皇帝とその側近しか入れないはずの『幽玄城』にいるのだ?

すると、彼は相変わらず目を丸くしたまま答える。

「なんでって、俺が皇帝だからさ。」

「え...!?」

僕らは耳たぶを伸ばしたり、瞬きを止めることができない。今ここで見たり聞いたりしてるのは、きっと幻覚だ。あるいは、夢の中だ。僕とヒカリちゃんは、お互いに頬を引っ張りあってみたが、案の定、しっかりと痛かった。本当のことを言えば、肉体がないから痛みも存在しないはずなのだが...。

ミアが少しイラついたように顔を出す。

「何やってるの?出るなら早く出てよ。」

リクは、彼女を見て首を傾げる。

ミアも同じように首を捻る。

「誰、こいつ?」

すると、リクが明るい声で言った。

「まあいいや!君たち、とりあえず、早くそこから出なよ。外は広いよ!」


「良かった〜。

貴族たちが荒らした場所のガラクタを漁ってたら、このトランクケースを見つけたんだ。まさか、中に人がいるなんて。」

リクはホッとしたようにそういった。

僕とヒカリちゃんは彼のことを怪訝な顔で見つめる。これは、本当にリクなのか?いや、確かに顔や仕草、喋り方に至るまで生きていた頃のリクそのものではある。でも...。

ミアが尋ねる。

「キミ、自分のことを皇帝だって言ったけど、それは本当?とても私にはそんなふうに見えないんだけど...。」

彼は胸を張って言う。

「俺の名前はリク。

確かに、第9代幽玄帝国皇帝だよ。

君もご存知の通り、閻魔様に育てられた、二人目の皇帝さ。」

ミアは自分のことを指差す。

「私はミア。低級幽霊居住地区56番地に住んでいる。」

リクは頷く。

「うん、キミのことは知ってるよ。

閻魔様から何度も話を聞かされたからね。

まったく、あの人ったら、君のことが大好きなんだから。」

ミアは恥ずかしそうに前髪をいじる。

当たり前だ、娘のことが可愛くない親なんているわけがない。

「ところで、ここはどこ?

お兄ちゃん。」

ヒカリちゃんが尋ねる。

リクは手を広げて説明する。

「ここは王室兼俺のアトリエなんだ。

『楽園』にいても毎日暇だから、絵を描いたり、小説を執筆したりしてる。」

そこは、大きな書斎のような空間だった。壁には、いくつもの絵が立てかけられ、デスクの上には最新式のワードプロセッサーが設置されていた。おそらく、それを使って小説を打ち込んでいるのだろう。僕は思い出す。そうだ、リクは小説も読んだが、何より絵を描くのが好きだったのだ。美術の授業で書いた作品は常に県のコンクールで金賞を取っていた。しかし、僕は壁の絵を見ているうちに、あることに気がついた。壁にかけられた様々な色彩の抽象画は、まさにリクの筆致そのものだったのだ。

「間違いない、これはリクが描く絵だよ。」

「え...?」

僕はよく、絵の感想や批評をリクに求められていたのだ。だから、彼の作風なら一目でわかる。

「なんで、君がそんなこと知ってるの?

この絵は、誰にも見せたことないんだけど。」

そう言ってリクは、キャンバスの前に置かれた小さな椅子に座る。そして、筆をとり、パレットに絵の具を絞り出す。

「俺は絵を描くから、そっちから適当に質問してよ。いつも話し相手がいなくて、退屈してたんだ。」

そして、彼は思い出したようにヒカリちゃんの方を振り向いて、言う。

「そういえば、さっきから俺のことお兄ちゃん、お兄ちゃんって、君は僕の何なんだ?僕は君のことを初めて見たよ。」

ヒカリちゃんはリクの肩に思い切り自分の手を置く。そのせいで、彼はバランスを崩し、筆を手放してしまった。筆が前に飛んだせいで、絵の具がべちゃっとキャンバス全体に着いた。

「あー!何するん...」

リクの言葉を遮って、ヒカリちゃんは叫んだ。

「そんなはずない!あなたは間違いなく、私のお兄ちゃんのリクよ。何で分からないの?」

リクは困ったような顔をする。

「うーん、でも、本当にわからないんだよ。」

すると、ヒカリちゃんは涙を流しながら僕のことを見る。

「知ってた?ユウ君も小説を書くんだよ。」

それを聞いて、リクは嬉しそうな顔をする。

「え!?本当か。読ませてくれよ。」

僕は首を振る。

「それが、今はないんだ。」

リクは残念そうな顔をする。

「そうなのか...。」

でも、僕もヒカリちゃんと気持ちは同じだった。

『僕が小説を書き始めたのは、君が死んだからなんだよ。』

僕は、ヒカリちゃんと一緒に彼のことを抱きしめた。リクはキョトンとした顔で瞼をパチパチさせていた。一体、今自分の周りで何が起こっているのだろうと誰かに尋ねたいようだった。

僕は涙に負けないように声を振り絞る。

「だけど、君は確かに僕の親友のリクそっくりなんだ。今君が浮かべているその表情も、驚いた時のリクそのものなんだよ。僕には、これが偶然だとは思えない。」

彼は恥ずかしそうに頬を赤らめる。

「あぁ、それは生きていた頃の俺のことだね、多分。でも、今の俺にはその時の記憶が一切残っていないんだ。だから、君たちを見ても、懐かしさとかは特に感じない。」

それでも、ヒカリちゃんと僕は大粒の涙を流しながら、彼のことを抱きしめる。

「全く、私がどれだけお兄ちゃんと会いたかったか、君には分からないでしょ!」

僕は嗚咽を漏らしながら、叫ぶ。

「そうだ、そうだっ!」


そして、僕らは長い思い出話に耽る。

リクが僕らと歩んできた人生。

彼が僕らにとってどれだけ大切な存在だったか。今、僕の目の前にいる青年は時々小さな質問を挟みながら、それを興味深そうに聞いていた。

そして、彼はこれまで自分があの世で辿ってきた道のことを語った。

『始まりの駅』で店長に可愛がられながら育ったこと。物心がついた頃から、幽玄帝国の政治のことに興味を持ち始め、今の帝国が貴族たちの悪しき力によって支配されていることに危機感を覚えたこと。だから、自分が皇帝になって帝国をより良いものにしようと思ったこと。彼は、民のことを想い、完璧な政治システムを考案できる才能を持っていたので、すぐに皇帝の座に選ばれたこと。しかし、三賢人たちの強大な権力によって、なかなかそれがうまくいかなったこと。

僕は聞いた。

「でも、僕らが『楽園』に潜入したことで、皇帝の君が怒っているという話を聞いたけど。だから、街の警備を最高監視状態にしたって...。」

彼は、とんでもないと言うように首を振る。

「怒ってなんかないよ。あれは、貴族たちが勝手なでっち上げをしてるだけさ。全くの出鱈目だよ。それに、僕はポル•ポトなんて嫌いだ。あんなの、やってることはただの独裁者だよ。」

それを聞いて安心したのか、ミアは話し始めた。

自分たちも、この幽玄帝国を変えるためにここまで来たのだと。そして、そのためには『宝』の存在が必要不可欠なのだと。

「分かった。僕も悪しき『楽園』で暮らし続けるのには嫌気がさしていたんだ。『宝』のあるところまで、君たちを案内するよ。」

すると、彼は宝石の埋め込まれた大きな椅子のあるところへ歩き、その手すりに設置されたボタンで信号を発信した。数秒経って、椅子がガタガタと揺れ始めた。そのまま椅子は横へスライドするように動き、そこには暗い空洞が現れた。中を見ると、地下深くまで、長い長い階段が続いている。僕らは話をしながら、その階段を降りていった。


ミアがおもむろに尋ねる。

「ねぇ、キミが本当に皇帝だっていうなら、ニコたちがどうなってるか知ってるんでしょ?」

リクは首を傾げる。

「ニコ?」

ミアは頷く。

「うん、私そっくりの女の子のこと。」

それを聞いて、リクはパチンと手を合わせる。

「あぁ、あの子たちのことか。

ニコの話も閻魔様から聞いていたよ。

彼女のことなら貴族たちから僕にも伝わっているよ。」

そして、リクは神妙な顔で語る。

「彼らは、貴族たちに魂を抜かれた後、楽園を追放されたんだ。秘密の排泄路を使ってね。

不要なものは、『楽園』から排除される。パラダイス•ロストってやつだね。

今頃、幽玄帝国のどこかでフラフラしているはずさ。」

ミアがあまりにも心配そうな顔をするので、彼は笑って彼女のことを元気づける。

「大丈夫、彼らは無事だよ。

俺が、いつか『始まりの駅』へと辿り着くように、イデア技術で彼らの殻をプログラムしておいたから。」

ミアは目を丸くする。

「キミにも、イデア技術が使えるの?」

彼は何気ない様子で頷く。

「うん、簡単なやつだったら、俺にもできるよ。もっとも、魂そのものまで干渉することはできなくて、殻をちょっといじるくらいだけどね。貴族たちがやっているのをずっと見てきたから、そのくらいはできる。」

僕は疑問に思う。

「でも、君にもイデア技術を使えるなら、少しは貴族たちに対抗することができるんじゃないか?」

リクは首を振る。

「いや、俺なんかじゃ足元にも及ばないよ。やつらはイデア技術を極めているんだ。

帝国軍の兵士たちの魂を完全に手中に収めている。だから、武力じゃまず抵抗することができない。」

ヒカリちゃんが尋ねる。

「なんで貴族たちにはそんなことができるの?」

リクは両手を上に向ける。

「何でだろうね。

おそらく、彼らは兵士たちと何か契約を結んでいるんだろうね。とびっきりの餌を与えて、それで飼い慣らしているんだ。

富や、思想などを使ってね。

皇帝である俺は、そのために上手く利用されているってわけさ。」

彼は顔を歪めながら続ける。

「『楽園』の民たちは、皇帝を深く信仰すれば、虚無によって支配された二度目の死の世界から救われると思ってる。そんなこと、あるはずないのにね。無はどこまでいっても無だし、僕らはいつか必ず消えてなくなるんだ。」

僕は何故か少し悲しい気持ちになる。

やっぱり、人は死んだらどこまでも冷たい世界に行くというのか。

「やっぱり、人はあの世でもう一度死んだら、虚無の世界に行くの?」

リクは頷く。

「うん、常識的にはそう言われているよ。だって、生きている人間たちの世界でも、『死=無になること』って思ってる人が多いもんね。まったく、死んでみなきゃその先のことなんてわかりっこないっていうのに。でも一つ変わった説があるんだ。もっとも、その説を唱えたあの世の学者は、異端としてすぐに囚われたけどね。」

ミアは彼の言葉を繰り返す。

「セツ?」

リクは腕を組む。

「うん。その説によると、この世とあの世は相補的な世界なんだ。

どちらかで死ねば、どちらかで蘇る。

そう言う風にできてるということなんだ。

魂は消滅したりなんかしない。

魂は、この世で唯一不変性を持つ概念なんだ。もちろん、魂が世界を渡る時に記憶は無くなるけど、そんなのは飾りみたいなものさ。本当に大切なものは、表面上は忘れてもしっかりと魂に刻まれているらしいよ。」


リクは玉座の後ろに空いた空洞から続く長い迷路を僕らに案内した。ヒカリちゃんが入り口に頭をぶつけそうになったが、ミアが優しく手を取って彼女を導いた。迷路は、まるで病院の廊下のように真っ白な床と壁で形作られていて、たまに緑のランプの光る非常口が姿を見せた(人間の世界にあるのと同じ、走る人のシルエットがあるやつだ。)手術室のような扉が両側に常に並んでおり、その上には『使用中』の蛍光灯が赤く光り輝いていた。

「この中では、何が行われているの?」

ミアがそう尋ねると、リクは何の毛ない様子で答えた。

「あぁ、イデア技術の臨床試験だよ、

幽玄帝国中から、選りすぐりの創造力を持った研究者たちが集められて、この中で研究してるんだ。まぁ、みんな俺の意思に関係なく、貴族たちの命令だけどね。」

ミアは何かを思いついたような顔をしてリクに尋ねる。

「じゃあ、この施設を全部ぶっ壊せば、貴族たちはもう悪事を働けないってこと?」

それを聞いて、リクは「あはは。」と笑う。

「甘いね。ここで行われているのは、イデア実験のほんの一部でしかないんだ。ここ以外にも、幽玄帝国中にはたくさんの研究施設があって、それぞれ魂に関するデータが共有されている。もし、ここの施設が壊されても、実験データや成果物はすぐに他の施設に転送されるから、あんまり意味はないと思うよ。」

ヒカリちゃんは尋ねる。

「リクのいうその他の施設って、ざっとどれくらいあるの?」

彼は、指を折りたたんで数える。

「う〜ん、ざっと二、三千くらいかな。

どちらにせよ、どこも普通に探すだけでは辿り着けないように、それぞれの仕掛けが用意されてるから、皇帝の僕にだってどうやってそこに行くかは分からないさ。だから、イデア技術を根絶するなんて考えは諦めた方が気が楽だと思うよ。それよりも、腐った貴族たちを倒さなきゃ。あいつらが居座り続ける限り、国はどんどん悪くなっていく一方だ。だから、『宝』を手に入れたら君たちにも力を貸してほしい。幽玄帝国中の幽霊たちが手を組めば、あいつらを倒すことくらい造作もないと思うんだ。」

僕とミホは頷く。

「うん、約束するよ。これが終わったら、すぐに仲間を連れて、あの貴族たちをやっつけよう。」

リクは微笑む。

「うん、ありがとう。」


何度も道を曲がって、迷路を抜けた先にあったのは、泡立つ液体の詰められたガラスの筒や奇妙な形をした電子設備が甲高い機械音を上げている不思議なラボだった。そこには、照明はなく、ただ壁に取り付けられたよく分からない計算式の表示されたモニターが放つ光によって何とか周りの様子が分かる程度だった。ガラスの筒の中では、小さなクラゲのような発光体が泳ぎ回っていた。 

リクは「ちょっと待ってね。『宝』はあと少し進んだところにあるんだ。」と言って、次の扉のパスワードを入力し、僕らを導いた。

そこは、黄金に輝くいくつもの財宝が積み上げられた空間だった。童話だと、巨大な竜が根城にしているような、キラキラ輝く水がつくった深い湖だった。時々、「ジャリッ」という音と共に冠やブレスレットの山が崩れ落ちる。カラフルなデジタルランプが金銀宝石を照らし、反射した光が広大な空間全体にまるで月光のように冷たい色を放っていた。僕は、手のひらで目を塞いで驚きながら、リクに問う。

「この宝物は何なの?

一体、どこからこんなにたくさん...。」

リクはもう慣れた、という風に微笑む。

「これは、幽玄帝国中から集められた金銀財宝さ。貴族たちは、死に持つその圧倒的な創造力で手に入れた宝物をずっとここに溜め込んできたんだ。『楽園』を維持する富は全部ここから生まれていたたのさ。でも、こんなのは僕にとってどうでも良いものなんだよ。金があれば何でもできる、なんていう人がいるけれど、いくら金があったって、世界そのものが変わらないなら何の意味もない。富で幸せになれるのは、一部の選ばれた幽霊たちだけなんだよ。」

ミアは眩しそうに目を瞬かせて尋ねる。

「ここに、あなたの言う『宝』があるの?

この世とあの世を行き来することができる...?」

リクはそれを聞いて手をパチンと合わせる。

「あぁ...それね。

いや、僕の言う『宝』はここにはないんだ。

ちょっと、ついてきて。」


リクがそう言った瞬間、僕のスマホに、闇市場の老人から着信が届く。《メタファー》で軍を呼びだす前に、いつでもブルジュハリファを上る手順の確認ができるようにと、連絡先を交換しておいたのだ。彼はいつもと同じように、しわがれた声で尋ねた。

「お主、今どこにいるんじゃ?」

僕は答える。

「もうすぐ『宝』のある場所へと辿り着くところです。」

彼は大きな声を上げる。

「皇帝と話はついたのか!?」

僕は口からよく分からない音を出して頷く。

「なるほど...それは丁度いい。

ついさっき、こっちの戦いにも決着がついたところじゃ。結果は、我々の圧勝。

お主らの仲間である、ミホとかいう女も無事じゃ。もっとも、ギターの酷使で、ものすごく魂をすり減らしているがな。きっと、敵の軍曹はおそろしく強い相手だったのじゃろう。彼女は、早くお主らに会いたがっておる。ワシらもすぐにそっちに向かうから、そこで待っとれ!電話は、このまま繋げたままにしてくれ、ナビゲートしてもらいたいからな。」

ミアは心配そうな顔で僕を見つめる。

「ミホ、大丈夫かな。」

僕は笑って頷く。

「彼女なら大丈夫さ。

なんて言ったって、君の髪の毛を触るためなら、何度でも立ち上がるよ。」

それを聞くと、ミアは照れくさそうに髪をいじる。彼女の髪は、黒髪のショートヘアだった。それは初めて見る髪色だったが、びっくりするほど彼女によく似合っていた。おそらく、ミアはあの世に来る前、こんな感じの素敵な女の子だったのだろう。もしかして、どこかで僕もすれ違ったことがあったかもしれない。彼女の姿からは、そんな少し懐かしい雰囲気が漂った。


彼が次のゲートを開けて、僕らを導いた場所、そこは湿った香りの漂う森林だった。岩にびっしりとこびりついた苔から天井まで届きそうな大木など、幾種類もの不思議な植物が群生していた。蕨のような形をした巨大な渦巻き型の草や奇妙な色の果実をつけた小さな木。水滴をつけたギザギザのシダ植物や花粉を飛ばす箒のような形の花。生暖かい温室の空気と黄色い照明。天井は高く、吹き抜けのようにも感じられた。そして、僕が何より驚いたのは、緑の植物の間を小型の恐竜が走り回っていたことだった。あれは確か...スクテロサウルスだ。ジュラ紀前期のアメリカに生息していた最も小柄な装盾類。

おもむろに、リクが口を開いた。

「見ての通り、ここは《メタファー》たちを飼育する庭なんだ。イデア実験によって創り出した《メタファー》を100%イデアの環境に適応させるためにこの場所はできた。前は色々な種類の恐竜たちがいたんだけど、貴族たちが既に下界に放ってしまったから。」

ミアは目を丸くして叫ぶ。

「貴族たちが、《メタファー》をばら撒いた?それじゃあ、私が狩り続けてきたのは、幽霊たちが自分で生み出した実験道具に過ぎなかったってわけ?」

リクは頷く。

「ああ、貴族たちは、幽霊たちをみんな幽玄帝国という箱庭に閉じ込めるために、人間の世界と接する下界に《メタファー》を放ったんだ。恐竜たちが、あの世の環境に適応できるようなったからね。」

「...っ!」

淡々と話すリクに激昂して、ミアは彼の襟首を掴む。彼女は、ものすごい目つきでリクのことを睨みつける。ヒカリちゃんがミアを離そうとしたが、ミアは怒りを込めて続ける。

「キミ、貴族たちがそんなことをしてるのを知ってたのに、ずっと黙って見ていたの!?《メタファー》のせいで、何千人という罪のない幽霊たちが殺されたのか、分かってるの!?私の仕事仲間だって、もう一人も残ってないんだよ!」

リクは悲しそうな顔をする。

まるで、世界に存在する悲しみは、すべて自分に責任があると思っているかのように。

「やめて、ミア!お兄ちゃんの力ではどうにもならなかったのよ!それはさっき聞いたでしょ!」

ミアは、それでもリクの胸ぐらを離さず、ぶるぶると身体を震わせている。彼女の瞳からは、小さな涙が流れていた。きっと、今まで殺されてきた仲間たちのことを思い出していたのだろう。

リクは彼女の涙を見て、弱々しく首を振る。

「いや、ミアの言う通りだ。罪のない大勢の幽霊たちが死んだのは、全部俺の責任だ。俺が貴族たちに立ち向かう勇気さえ持っていれば、俺さえ上手くやっていれば、(あいつにも支配されずに済んだのに...!)」

彼は最後に小さく何かを言ったが、僕は聞き取ることができなかった。

そして、リクは地面に座り込む。

その目には、圧倒的な無力感と行き場のない怒り、悲しみが黒い水面を浮かべていた。なぜか分からないが、彼は全てを諦めているかのような顔をしていた。今までは必死に何かに抗おうとしたのに、彼の中で今その最後の力が途絶えてしまったかのように。ミアは、ようやくリクの胸ぐらを離し、次のドアがあるところへフラフラと向かった。ヒカリちゃんは、兄の背中の上で声もなく涙を流し、リクはぼんやりと苔の生えた地面を眺めていた。電話の向こうの老人も黙っている。彼も、遠い昔の日々に思いを巡らせているのだろうか。長い沈黙、それはまるで魚のいない湖のように静かで冷たい時間だった。


やがて、リクが突然すっくと立ち上がる。

彼は無言のままミアのいる扉の方へと歩き、パスワードを入力して、次の場所へと進んだ。ミアはまだ怒ってリクに一切目を合わせようとしないが、彼の跡を追ってゆっくりと扉の中に消えていく。僕は眉を顰める。何か様子がおかしい。リクの表情には、どんな感情もこもっていなかった。自分に対する怒りも、ミアに対する負い目も、そこにはすでに存在しなかった。感情という感情が虚無に吸い込まれ、何か大きな力に自我すらも委ねているように見えた。僕は彼のことを警戒して腰の刀を握りしめながら、ヒカリちゃんの手を握って真っ暗な闇の中へと歩を進めた。


真っ暗闇の空間、そこには自販機がいくつも並んでいた。ぼんやりとした淡い光が青白い色彩を撒いていたが、それはすぐに黒く塗りつぶされてしまっていた。自販機の中には、いくつものエナジードリンクの缶サンプルが置かれていた。どれもこれも種類の違うエナジードリンク...。あの世には、こんなにたくさんのエナジードリンクがあるのか、と思えるほどの量だ。禍々しく見える赤い爪痕のロゴマークや虎に翼が生えた緑色のエンブレム、殺人鬼みたいなピエロの笑った顔が缶の表面にプリントされていた。僕はそういうカフェインのたっぷり入った飲み物を飲んだことがなかったので、飲んだら一体どんな感じになるのか、想像もつかなかった。高校の友達はよくテスト前日などにそれを飲んで徹夜をしていたらしいが、本当にカフェインで眠気が吹き飛ぶのかは疑わしいところだった。リクは、宝物の保管庫から持ってきた金のコインをいくつか自販機の中に入れ、オレンジ色の鷲の姿がプリントされたエナジードリンクのボタンを押した。ガチャン!という小気味良い音が暗闇にこだまし、彼は自販機の出口からその缶を取り出した。ミアは腕を組んで怪訝そうに彼の動きをひとつひとつ見つめている。プシュッ!という音を立てて彼は缶の蓋を開け、(500mLはあっただろうか)中の炭酸飲料を一気に飲み干した。少しの沈黙。それは重苦しく、息の詰まりそうな沈黙だった。できれば、そのまま目を閉じてしまいたかったが、僕はなぜかリクから目を逸らすことができなかった。


やがて、リクが神妙な顔で喋り始める。

「来たな、ミア。我が娘よ。」

ミアは驚いてリクのことを見つめる。

だが、僕には分かっていた。喋っているのは、リクじゃない。それは、緑色に光る彼の魂が揺れていないので分かる。

「ふふふふ...。閻魔、やつは先代皇帝が死んだ時に、お前を我の元から盗み出した。我が毒をもらせて先代皇帝を殺したことに気づいたんじゃな。お前の魂が我に利用されることを、奴は恐れたのじゃ。やつはとっくに我が殺されたと思っているのであろう。二代目皇帝が殺され、旧幽玄城が民の手によって全て燃やされた時にな。だから、やつはお前のことをここまで送り出した。それが全て、お前を手に入れるための我の策略だとも知らずにな。私はお前を取り戻すために、ここまでの物語の全てをプログラムした。お前が読書中毒のそやつと出会い、『宝』を求めてここにくることを、我は最初から知っていたんじゃよ。

『宝』は我がこの長い歴史の中で貴族たちにばら撒かせた偽りの伝説だ。」

電話の向こうの老人は何かに気づいたように叫んだ。

「やめろ!其奴のいうことに耳を貸すな!

其奴は所詮、自分の殻さえ作り出すこともできない、できそこないの幽霊モドキじゃ!」

「ええい、黙れ黙れ!」

リクは激昂して僕のスマートフォンを破壊した。当然、老人からの通信は切れ、あたりは深い沈黙に帰した。

そして、彼は、自分の体が思い通りになるのを楽しむように動かし始める。手足の指を一本ずつ曲げてみたり、表情筋を動かしたり。まるで、初めてこの世に生を受けた赤ん坊のような仕草だった。やがて、リクは僕らの方を見てニヤリと笑う。

「すでにこの皇帝の魂はイデア技術によって我の支配下にある。『宝』がこの部屋にあるという嘘の情報を魂に刷り込み、お前らを導かせるために、ここまで連れてきた。我は自分の近くにいるものに、より強い支配の力を与えることができる。そして、あのエナジードリンクも飲めた。あれは、一種の毒でな。魂と肉体の結びつきを緩める働きがある。おかげで、我はこやつの魂を完全に支配することができた。この世への強い未練のせいで肉体を持たないまま下界を漂っていたこやつの魂を改造し、我は『始まりの駅』へと送り込んだ。閻魔のやつ、まんまと我の策に引っかかりおったわ。こやつを新皇帝に奉ろうと、何も知らず我の元へこやつを返してきおった。先代を除く歴代皇帝たちは、貴族を通じて全て我の支配下にあったというのに。そして、今度は我が娘、ミアが戻ってきた。」

僕らには彼の言っていることが理解できなかった。ヒカリちゃんは、兄が急にどうかしてしまったのかと心配するような顔つきで彼のことを眺めていた。

「閻魔...?店長がどうして関係あるの?」

ミアがそう尋ねた。

しかし、それを無視して、リクはドアの方へと歩を進める。彼の顔は不自然にニヤリと歪められていた。

リクは壁に掘られた手形に自分の掌を当て、掌紋認証を完了させると、分厚い鉄の扉を開いた。彼はこちらを振り向きもせずに言った。

「ついて来い。」


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