CASE3:YOU
僕はユウ。
本を読むのが好きだ。
そう一言でいえたなら、どれだけ楽だったのだろうか。自己紹介の時に、「趣味は読書です」などと軽く言えたらどれだけ良かっただろうか。ずばり、僕と本の間には、とても拗れた関係が存在している。僕は、本を読んでいるのではない。本に「読まされている」のだ。
僕はその本の最初のページを開いた時、文字通り心を掴まれた。それは比喩でも、美しい誇張でもない。本のページから伸びてきた見えないがっしりとした手が、物理的に僕の心を掴んだのだ。それ以来、僕は読書中毒者となった。家でも、学校でも、ずっと本を読む生活。身体は読書をするためだけに機能し、僕の脳みそは本から常に情報を取り入れていないと誤作動を起こすようになった。具体的には、不思議な幻覚が見えたり、動悸が速くなったりした。当然、生活のリズムも読書を第一優先とするものに変化した。本を読む体力をつけるために充分な睡眠をとると、僕は朝ごはんも食べずにすぐに家を出発した。
僕は基本的に朝ごはんを食べない。ご飯を食べると、胃の中の異物を気にしてしまうので、読書に集中できないのだ、昼ごはんも自分がまともに立っていられるくらいには食べる。だが、どれだけの量ならば読書の障害にならないのかを常に計算して食事をしているので、味など分かったものではない。夜ご飯だってそうだ。食卓に並べられたのが寿司だろうが、牛肉のステーキだろうが、僕の舌はそれらと精進料理の見分けすらつかないだろう。僕にとって、本を読むこと以外の快楽はこの世に存在しないのだ。
学校に登校する、そんな簡単なことでさえ、今の僕には大変な苦行である。当然、歩きながら本を読んでも集中できるわけがないし、余所見をして車に撥ねられたりしてしまっては、元も子もない。だから、おかしな幻覚と遊んだり、フラフラする体を精一杯コントロールしながら駅まで歩かなければいけないのだ。僕は、自分の体をうまく操るために独自のダンス•ステップを生み出した。側から見たら、かなり奇妙に見えたかもしれないが、僕はクルクルと回ったりしながら駅までのアスファルトの坂道を下った。
電車の中では読書ができる。でも、周りから誰かの話し声が聞こえたりすると本に没頭することができない。だから、寡黙な車両にたどり着くまで、僕は電車の中を歩き続ける。そして、ようやく目当ての座席に辿り着いた時、僕は本の世界に入り込む。
本を読むと、僕の周りの世界は全て消滅する。まるで最初からそんなもの存在しなかったかのように。その世界は繊細でとても美しい場所なので、保つのにとても労力がいる。些細な刺激でも僕は現実に引き戻されてしまい、元の場所に戻るのはとても疲れる。だが、本の世界はとても心地の良い場所だ。一度その魅力に気づいてしまえば、もう離れることはできない。
また、読書中毒の僕の肉体には、特殊なルールがある。それは「ラッキー7」と呼ばれている。僕にとっては、法律や校則よりも厳しいルールだ。僕は、いかなる時にも「7」を意識して行動することを心がけなければいけない。例えば、トイレットペーパーは「ガガガガガガガ」と7回引いてから使わなければいけないし、横断歩道は7歩で渡らなければいけない。何かを決める時は7秒以内に決断しなければいけないし、貧乏ゆすりをするなら、7回ごとに区切って足を揺らさなければいけない。なぜそんな面倒なことをしなければいけないのかというと、常に本を読めるような状態に自分の体を保っていなければいけないからだ。おそらく無意識的に、僕の体は「7」のリズムを強迫観念として利用し、本を読んでいない時でも自分の体を読書状態にすることに成功したのだ。僕の脳みそは常に物語の中の空想世界に旅立っており、本の中に出てきた景色を辿っていた。
学校でも、おそらく僕はおかしな奴だと思われているだろう。会話する時は毎回7秒きっかりしか喋らないし、暇があれば「1234567...1234567...」
というカウントをぶつぶつ唱えているのだから。
そんな僕でも、ある日突然、本が読めなくなってしまった。それは、外部からもたらされた強烈なショックにより、僕の読書中毒を、めちゃくちゃに破壊してしまったのだ。簡単に言えば、昔からずっと仲の良かった友達を失くしたのだが、その話は持ち出したくない。
その期間、僕の周りの世界はまるで夢のようだった。妄想とか幻覚とか、そういう次元の話ではない。本当に奇妙な世界に身を置いていたのだ。まず最初に起こった変化。道路の色がおかしくなった。普通、アスファルトでできた道路は黒か、黒みがかった灰色のはずだ。だが、僕の目に映る道路は、ピンク色になったり、明るい水色になったり、透明になったりした(もちろん土が見えた。)
そして、さらなる問題が起こった。
読書をやめてからというもの、事態は、どんどんおかしな方へと進んでいく。
僕の身にどんな変化が起こったのか?
簡潔に言おう。
『僕の身には、不思議なことが起こるようになってしまったのだ。』
言葉にすると「何だそれだけか」みたいに思われるかもしれない。今までは、たまに道路の色が変わるくらいだったが、今は夢の中で起こるようなことがそのまま現実でも起こるようになってしまったのだ。例を出すとキリがないが、ここではその一部を紹介する。
•イワシの群れが空を泳いでいる時がある
•重力がなくなる時がある
•突然、視界が暗闇に包まれる時がある
•瞬きをすると、一瞬だけ全く知らない異国にいる時がある
•時間が1分ほど逆流する時がある(時計の針を見て気づいた)
•季節が反転する時がある(春は秋に、夏は冬になる)
•地面が、突然傾く時がある
挙げ出したらキリがない。
とにかく、世界がめちゃくちゃになってしまったのだ。まさに「ワンダーランド」という表現がピッタリだ。他の人間がその変化に気づいていたのか、本当のところは僕には分からない。だが、周りの人々は、いつもと同じように生活していたから、おそらく気づいていなかったのだろう。
僕は少しでも楽観的にならなくてはいけなかった。友を失った、本も読めない。そんな状況の中で、僕の心は壊れる寸前だった。不思議な現象なんて気にしなければ(別に僕に直接大きな危害が及ぶわけではないのだから)普通に生きていけるだろう。僕は、そう考えることにしていた。
しかし、そんな僕に追い討ちがかかる。世界はどんどんおかしくなっていくのだ。あるよく晴れた日の朝、僕は自由気ままに散歩をしていた(もちろん道路はチカチカと変色していたが、そんなことを気にしてはいられない。)ある時ふと気づくと、道路の上に翼を広げた何かの影が落ちていた。きっとワシかトンビの影だろう。そう思い、空を見上げた瞬間。僕は驚いて腰を抜かした。
そこには、巨大な翼竜がいたのだ。図鑑で見たことがある。白亜紀に住んでいた、『プテラノドン』だ。その翼竜は、翼をバタバタとはためかせ、クァー、と大きな鳴き声を発すると、どこかに飛んでいってしまった。
それから、僕の目には恐竜たちが見えるようになった。普通の住宅に、紛れ込んだ異端。家屋を、ティラノサウルスが跨ぐ。トリケラトプスが道路をのっしのっしと歩く。公園の池には、巨大な太古の亀がいる。家の中では、小型の恐竜が走り回っている。学校で授業を受けている時も、パキケファロサウルスが激しい頭のぶつけ合いをしていた。もちろん、僕以外の人間には見えていない。親も友人も、先生も、誰も違和感に気づかない。僕だけが、白亜紀にタイムスリップしてしまったようだった。熱帯の森が茂り、巨大な火山が火を噴く、太古の時代。そんな世界が本当に存在していたなんて。僕は、今まで図鑑で恐竜を見ても、それはただの創作物にしか思えなかった。確かに、骨は見つかっているが、それが実際に地球で生きていた恐竜たちの骨だとは、どうしても思えなかったのだ。でも、恐竜は今こうして僕の目の前にいる。これは僕の勝手な予測だが、恐竜は絶滅などしていなかったのかもしれない。ただ、別の次元に移り住んだだけなのかもしれない。
ある日、家族で海に行った。
両親が、僕の精神状態を心配して、気晴らしにと連れて行ってくれたのだ。僕は、できることならなんでも試してみたかったので、海に行くことにした。ざあざあという音とともに波が打ち寄せる海岸線、僕はそんな景色を見ながら、ぼんやりと本を読んでいるような状態に陥った。なんだろう。どこか懐かしいような気分だ。そこで、僕は昔読んだ小説のワンシーンを思い出す。波打ち際での、青春活劇。もしかしたら、本を読まなくても、本を読んでいるような状態に近づくことができるのかもしれない。記憶を有効活用するのだ。そう思うと、僕の心に希望の光がやさしく灯った。もちろん、僕の目にはいつもと同じように恐竜たちが映っている。海岸線には、小型の肉食恐竜が群れを作って集まっている。岩場には、プテラノドンたちが巣を作って、海の上を餌を求めて飛び回っている。一匹のプテラノドンが沖に飛び立つ。風に乗って、羽をパタパタとはためかせながら。すると、その瞬間、巨大な影がプテラノドンを捕える。波が大きな飛沫をたて、プテラノドンごと海中に引き摺り込んでいく。僕は目撃した。はるか昔に行われていた、狩りの瞬間を。あれは、なんだろうか。確か...そうだ。『モササウルス』だ。古代の海に生息していた、大型の肉食生物。
どうすれば、この奇妙な恐竜世界を抜け出せるのだろう?このままでは、僕は現実に立っていることすらままならなくなってしまうだろう。
ある日、僕は理解した。それは、おやつに昆布納豆豆乳ヨーグルトを作っている時に閃いたことだった(昆布納豆豆乳ヨーグルトとは、昆布の出汁と納豆、豆乳とヨーグルト、砂糖と蜂蜜をミキサーでよく混ぜ合わせたモノだ。何故そんなものを作っていたのかは覚えていない。きっと、すでに僕の頭は狂っていたのだろう。)この狂った恐竜世界を抜け出すためには、僕はまた何かの「中毒」にならなければいけないのだ。読書は僕にとって、このおかしな現実から目を背けるための「蓋」の役割をしていたのだ。その「蓋」がなくなった今、僕の意識はこの世界に対して開かれてしまった。現実の見なくてもいいところが見えるようになってしまったのだ。
それでは、一体何の「中毒」になれば良いのか?何でも良いというわけではない。酒や薬物中毒になったら僕の頭は今よりもおかしくなってしまう。食事やスポーツもだめだ。それらには限界があるし、何より一時的に集中しているに過ぎないからだ。何か、直接脳を使う行為でなければいけない。芸術的行為、という表現になるかもしれない。それに適しているのは、やはり「創作」か「吸収」だった。僕は色々なものにチャレンジをした。書道、美術、漫画、写真、映画、ゲーム...。
どれも楽しいと言えば楽しかった。ある程度、時間を忘れて集中することもできた。だが、どれもいまいちピンとこなかった。何かが足りないのだ。その不足感を、どう表現すればいいのか良いのかは分からない。あえて言うなら、漫画を読んだり、ゲームをしたりしても、脳の中心まで届いている感じがしないのだ。脳内にある「核」のようなものを使っている感じがしないと言った方がいいかもしれない。それらには刺激が不足しており、中毒性がなかった。本が与えてくれたような幻想を彼らは僕に授けてくれなかった。きっと、夢の中にいるような感覚が必要なのだ、と僕は思った。本を読んでいる時のあの居心地の良さ、身体がふわっと浮かぶような高揚感。でも、今の僕にはもう本を読むことはできない。
しかし、僕は大事なことを見落としていた。
僕は今まで、一方向を向いて生きてきた。
そんな僕には、重大な盲点があったのだ。
そう。
「インプットがダメなら、
その反対のアウトプットをすればいいのだ。」
つまり、何をすれば良いのか?
読書がダメなら、小説を書けばいいのだ。
思った通り、小説を書くことは僕に多くのものを与えてくれた。読書が与えてくれたものにも負けないくらい、たくさんの魅力的なイデアが僕の中に生み出されていった。まさに、小説を書くのは起きながら夢を見ているようなものだ。物語の主人公が辿る運命を、僕も同時に体験し、現実と非現実が僕の頭の中で混ざり合う。読書とは、また違う夢の中に僕を誘う。
こうして僕は、恐竜世界から抜け出すことに成功した(不思議な現象も起こらなくなった。)今振り返ってみれば、あれは夢の中での出来事のようにも感じられた。そうだ。普通に考えれば、恐竜なんて、もうこの世界に生きているわけがない。しかし、そうではないことは僕には分かっている。全ては、このおかしな現実で起こったことなのだ。現実こそが、今も恐竜たちが生きる、不思議な世界なのだ。
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