竜の夢の果てまで

城峰

口当たりの良い名前



竜は眠る深き地の底。

竜が夢見る。その夢は、形を持ちて人の世に。

時に悪事をなそうとも、竜を憎むことなけれ。

その眠りを妨げることなかれ。

我らもまた、その夢の中に生きているのだから。





「…と、言う訳であんたは見事今年の生贄に選ばれたわけだが…」

「待って待って、何がと言う訳なんです?話がまったく読めないのだが?」

「じきに世話役の娘が来るのでな、そしたら準備をして一緒に山に登っていただきたい。そこにアレがおりますので、立派に喰われていただいて…」

「いや聞いて。私の話聞いて。いったん止めて」

「おっ。世話役が着きましたな。じゃ、わたしらは帰りますぞ」

「いや帰るな。おい。帰るなって。戻れ、くわしく説明しろ。おーい」



 

女がその村の入り口にふらりと現れたのは、短い秋が盛りを過ぎ、厳しい冬の足音が遠くから聞こえ始める、そんな時期のある日の昼下がりだった。


「まったくなんだってんだよ!この村の連中は…!」

と、彼女は呟くというにはかなり大きめの声で言った。


「村があったから宿でも聞こうかと通りかかりの人に話しかけたら「こいつは丁度いい!」なんて言われて気づいたら大勢に囲まれててぇ…そんでここに閉じ込められてて、村長っぽいおっさんが言うには何か?いけにえ?になって化け物に喰われてほしいって。…は?何?これで来年もこの村は安泰?知らんが?なんでよそ者の私が?誰も説明してくれないしさ。ねえ、この際あんたで良いから説明してよ。説明してよ。説明説明!」


とめどなくあふれだす言葉は最初は独り言のようだったが、途中から傍らでなにやら作業をしている少女の方に顔を向け、詰め寄るような語調となっていった。


「……」

 

「ねえ!無視しないで!生贄ってさあ!もしかして死んじゃう可能性もあるって

こと!?そういうこと!?」


「…もしかしなくても死ぬと思いますが」


少女は渋々作業の手を止め、冷ややかな声で女の質問に答えた。年の頃は十四、五歳というところ、長い黒髪を肩の所で二つに束ね、前に垂らしている。色白で顔立ちは整っているが、痩せた体つきは女らしい丸みが足りず、髪を短くして黙っていれば、少年といっても通るかもしれなかった。


「やっぱりぃ!?…喰われるって言ってたもんなあ。くっそー!」


女は少女の返答を受けて頭を抱えた。…こちらは二十をいくつか過ぎたあたりだろうか。うなじで無造作に束ねられた藁色の髪は、金髪と言えば言えなくもなく、容姿も美人といっても良い部類なのだが、この地方特有の年中吹く冷たく乾いた風にさらされたうえ、長旅の中まともに手入れがされていなかったのか、髪も肌も傷みが目立つ。しかしそのような外見の印象は、彼女が一旦喋り始めると途端に薄れてしまった。


「喰われるっていってもいったいどんな風に喰われんの?やっぱり頭から踊り食いかしらん?それとも足から?この場合どっちがマシなのかしらね?頭からだったらまさに自分をガブリとやろうとしてる化け物の口と見つめ合わなけりゃならないわけでしょ?考えただけで震えがくるわね。かといって足からだとかじられてもなかなか死ねなさそうで苦しそうね。どっちもごめんだわ!そもそもなんで私が喰われなきゃならないわけ?」


このような調子なのである。一度口を開くと流れる水のように早口でさらに一文が長い。それに加えて話しているあいだの身振り手振りが異常に大きい。


(うるさい人だな…。声がってだけじゃなくて、なんだか存在そのものが…。)


女に対する少女の第一印象はそれだった。


「ねえ教えてよ!なんで村の人間でもない私が生贄なんかに選ばれて死ななきゃならないの!?」


「…そうですね。確かにあなたにとっては納得できないことでしょう。でもこの村にも事情があって、」

「あ、その話長くなる?」

「は?」


(なんだこの女は突然…。)


「長くなるんならその前にひとつ聞いときたいことがあるだけど」

「な、なんですか」

「たぶん私あんたの話の途中でつっこんだり質問したりたくさんすると思うからさ。名前訊いとこうと思って。わからないと不便でしょ?」

「名前?なんの…」

「あんたのに決まってるでしょお!?」


当たり前のことのように答える女を見て、少女は不気味な気分を覚えていた。この女はさっきまで突然遭遇した自分の災難に怒り混乱していたはずなのだが、一瞬後には急に落ち着いてこちらの名前を効いてくる。


(もしかして恐怖で頭が…?)


そうだとして、もしも急に暴れだされなどしたら危ないかもしれない、と少女は思った。今、少女と女は村の奥まった場所にある小屋の中に二人きりでいる。しかも小屋の唯一の出入口は、女をここまで連れてきた村人たちによって固く施錠されていた。


(あまり刺激しないほうが良いか)


ここは素直に女の言うことを聞いておこう。少女はそう判断した。それに、考えてみればもっと早く、女と対面した時に名乗っておくべきだったのだ。今までここで一緒になった人達は少女にとって、名前を名乗る必要はなかった。しかし、この女とは今日初めて会ったのだ。それなのにいきなり、に巻き込んで、そして、村のために死んでもらおうとしている。


“申し訳ない”という感情は、ある。しかし、それを上回る強さで少女を突き動かすものがあった。


(なんとか無事にをやり遂げないと…。じゃないと、村が…)


それは「義務感」


この村は今、滅びるかどうかの瀬戸際に立っており、それは少女が今夜の儀式を成し遂げることができるかどうか、そして、女が見事に『生贄』となって死んでくれるかどうかに懸かっている。



そういうことになっていた。



「私は、」


少女は女の顔を真っすぐ向いて、自らの名を名乗った。


「“マホロ”、という名です。よろしくお願いします」


これから死地へ連れていく相手に「よろしく」と言うのも変な話だ、と思いながら、少女は…マホロはぺこりと頭を下げた。


「マホロ…マホロかあ。マホロ…ホロ…ホロ…」

「…?」

「なんだか口当たりの良い名前…。この地方の伝統ある名前なの?」

「口当たり…?いえ、そんなことは聞いたことありませんが」


女はマホロの響きが印象に残ったのか、何度も口の中でもごもごとその名を呟き、そしてうんうんと頷いた。


「変わってるけど素敵な名前じゃなーい。好きだな、私は」

「はあ…。あ、ありがとうございます」


(そんなに良い名前だろうか…。自分では意識したことないけれど…)


そう考えながらもマホロは、名前を褒められて嫌な気分ではない自分に気が付いた。


(何だか、気に入らない)


「じゃ、マホロ。早く事情を説明し」

「待ってください」

「あ?なに?」

「あなたの言う通り、私は名を名乗りました。ですから、次はあなたの番だと思うのですが」

「私の番?何の?」

「あなたの名前に決まっているじゃないですか」


マホロは意趣返しのつもりで、先ほどの女と同じ言い方をした。


「私の名前…。え、聞きたいの?」

「それは…ええ、はい」


(こちらだけ名乗らせておいて話を進めるつもりだったのか、この女は…)


「もうすぐ死なせる予定の人間の名前知ってどうするの?」

「うっ…!」


痛い所をつかれて思わず言葉がつまらせたマホロを見て、女がニヤリと笑った。


「うふふ、なんて顔してんの。冗談だよ」

「なっ…!わ、私をからかって…」

「ライカ」

「え…?」

「ライカ。それが私の名前」


このあたりでは聞きなれない響きの名前だ。けれど、どこがどうとは上手く言えないが、目の前の女に似合っている名前だ、とマホロは思った。


しかし、それを女に、ライカにそう伝えることは止めた。早く話を進めたかったことと、先ほどライカに揶揄われたことが心に引っかかっていたからだ。


(これから死んでもらう人間の名前を知ったところで…)


だからただ一言、


「今夜はよろしくお願いします。ライカさん」


とだけ言った。








 

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