TSしたので親友(♂︎)を誘惑する。
森野きの子
第1話
浅川玲は、生まれてから十六年間、男性だった。しかし、三日三晩の全身の痛みと高熱にみまわれ、一億人に一人といわれるTS症候群を発症した事により、彼は、女性となった。
そして、トランスフォーム後真っ先に浮かんだのは、幼なじみの、門田彰悟だった。
門田は小学校の頃からバスケの少年団に入っており、ずっとスター選手だった。インターハイも、スポーツ推薦も、プロリーグも期待されていた。しかし去年の春、県大会に向けた練習試合への移動途中に、信号で曲がってきたよそ見運転の車に接触され、自転車ごと倒され、左足首骨折、及び膝の靭帯断裂により、その全てが閉ざされてしまった。その事は学校でも話題になったし、熱狂的に息子を応援していた門田の母はショックのあまり躁うつ病を発症し入院した程だ。
しかし、門田は玲にだけ打ち明けたことがある。
「本当はおれ、こうなって良かったって思ってる」
ギプスが取れ、正式にバスケチームを退部した彼は玲の部屋でモンスターを狩るゲームをしながら、ポツリと言った。
「おれ、ぶつかってきた相手に感謝してるんだ。相手は死にそうな顔して何度も謝りに来たけどさあ」
ほんと、気にしなくていいのに。と続けて、薄く笑いながら、安い水色のアイスキャンディーを齧った門田から玲は目が離せなくなった。
誰もがバスケを失った彼に同情し、彼自身がこの現実を一番悲しんでいると信じて疑わなかっただろう。彼はバスケを愛し、その為に生きていると彼を知っている人間はそう信じていた。口にはしなかったが玲もその一人だった。
そんな中、門田は玲にだけ真実を告げた。この瞬間、彼は玲の特別になった。
同じ幼稚園に通い、家が近所で、母親同士が仲が良く、本人たちも気が合うので仲良くなった。長期休暇にはキャンプに行ったり、互いの家だけでなく、祖父母の家に泊まりに行ったりするほど交流があったし、兄弟のような近さに他人である気安さがあり、一緒にいるのがあまりにも自然で、空気のような存在だと思っていたが、この時から門田の存在が強い輪郭を持ち、焼けた鉄を押しつけたように玲の心に印象をつけた。
門田は少しだけ左脚を引きずるようにして歩くようになった。背が高く、体格のいい彼がそうして歩く度に、手負いの野生動物を見たような、崇高な侘しさを感じる。離れたところから彼の後ろ姿を見つけると、玲は思わず見とれてしまう。そして、胸がしめつけられた。
ストイックなスポーツマンだった門田は、飄々とした何も持たない少年になった。勉強はそこそこできる。彼の父親がバスケを続けるなら成績も落とさないようにと条件をつけていたからだ。
門田のバスケほどではないが、玲にはピアノがあった。門田がバスケを辞めてほどなくして玲もピアノを辞めた。ピアノを弾くのは好きだったが、講義中はずっと楽しくなかったし、なによりピアノ講師が嫌いだった。辞めてから気に入った曲を好きなだけ自由に弾くのが楽しい。ヒステリックに怒鳴り、少しのミスを詰る甲高い声や、絡みついてくる粘っこい視線や、肩や腰に置かれる不快な他人の体温に耐えることもしなくて良いのだ。それはとても快適だった。
男子高校生にしては華奢な体つきと足りない身長、そして甘ったるい顔立ちは、トランスフォーム後にコンプレックスから長所となった。少女となった自分は、少年だった自分が好ましく思っていた美少女と呼ぶに相応しい姿だったからだ。しかし、未熟な胸だけは不満だった。
そして玲がトランスフォームしたことにより、日本初、世界に数十人しかいないTS症候群発症者という話題性から、周りの関心は玲に集まり、ありふれたどこにでもありそうな門田の悲劇は一気に隅へと追いやられた。
それも一年ほど経つと落ち着きを取り戻し、玲は普段通り、学校に通えるようになった。玲が時の人となり、テレビや新聞や雑誌取材などに追われている間、門田には彼女ができていた。クラスメイト伝てにそれを知ったとき、玲は女性化した時よりショックだった。
門田は父親が単身赴任で、母親が入退院を繰り返し実家で療養しているため、ほとんど一人暮らしである。玲は人目を盗んで彼の住むマンションへ押しかけた。
トランスフォーム後、初めての対面である。
一年と少しぶりに訪れた門田の部屋は、バスケ関連のものがなくなり、ずいぶんと閑散としていた。
「つーか、マジびっくりした。久しぶりじゃね? むしろはじめましてくらいの勢いなんだけど」
門田はよそよそしく玲を迎え入れながら言った。
「なにがはじめましてだよ。ラ×ンしてただろ。お前は全然返してくれなかったけど」
「だってレイ忙しそうだったし」
「嘘つけ。ラ×ンがめんどくさかっただけだろ。そんなんでカノジョと上手くやってけんのかよ」
玲が苛立った声で言うと、門田は驚いた顔で一瞬固まった。
「なんでそれ知ってんの?」
「クラスの女子が言ってた」
「女子の情報網ってヤバいな」
「女子校の子って聞いたけど」
「そこまで知られてんの? 怖」
苦笑する門田を横目で見ながら、玲は傷ついていた。自分勝手というのはわかっていたが、噂であって欲しい。彼女なんていないと言って欲しいと思っていた。しかし門田はあっさりと認めたのだ。
「……付き合ってどのくらい?」
「二週間経ったか、そんくらい」
「キスとかした?」
「は?」
「キスとかエッチとかした?」
「いや、まだそんな……って、なんだよいきなり」
「ひどいよ……、彰吾」
「なんだよ。おれに彼女ができて先越されたから焦ってんのかよ」
門田の白々しい笑い声が静寂を引き立てる。
「僕が女の子になったのに、どうして他の女の子と付き合ったりするの?」
「……は? いや、それ、関係なくない?」
門田の声は動揺していた。玲が顔を上げて門田を睨みつけると、彼は口を噤んだ。
「……だっておまえとはもう、今までみたいに一緒にいられねぇと思ったから……」
「なんでそう思ったの?」
「ずっとテレビとか雑誌とか出てたし、芸能界デビューするって噂もあったし……」
「そんなわけないじゃん! 僕は僕だよ? 女の子に身体が変わったからって、芸能界デビューできるような性格だと思う?」
「……思わねぇ」
「そうだろ?!」
「うん」
門田ははにかみながら頷く。
「彰悟、僕が女の子になって離れていくと思って彼女作ったの? 彰悟からその子に告白したの?」
「いや、たまたまあっちから告ってきた」
「僕がいなくなると彼女作るほどさみしいんだ?」
玲の質問に門田は即答しなかった。じっと玲を見つめ、怒ったような傷ついているような顔をした。そして、ぽつぽつと話し始める。
「おまえが検査入院して、そのままテレビとか新聞とかに出るようになって、しばらく学校にも来れなくなったじゃん。そん時、おれ、本当にうちとけて付き合える友達って玲しかいなかったんだなって気づいてさ。周りのヤツら、どっかおれに遠慮してるっていうか、気ぃ使ってくれてんのわかるんだよ。そういうの地味にキツくて。でも、相田さんは学校違うし、おれがバスケやってたことも知らないし、積極的におれに関わってくれようとしてくれるんだよね」
その話を聞きながら、玲は少しずつ怒りを覚えていく。
「彰悟、それ全部僕にも当てはまるのわかってる?」
玲の言葉に門田がハッとした顔になり愕然と玲を見つめる。
「彰悟には彼女ができて、僕は? 彰悟がいなくなった僕は、どうしたらいいんだよ」
「……や、だって、おまえは……」
「僕さ、女の子になってすごく可愛くなったとおもわない?」
「……ん、まあ、すっげえ、思う……」
門田の頬が赤く染まる。見知らぬ彼女への勝利を確信する。
「芸能界入りのオファーもあったよ。話題性も十分だしね。でも、スカウトしてきたプロデューサー? って奴にベタベタ触られて、すごく怖かったんだ。まあ、服の上からだし、ちょっと行き過ぎたボディタッチで終わったけどね。男だった時にピアノ講師に触られたときよりずっと怖かった。不快感や嫌悪感は変わらない。でも、体の底から湧いてくる恐怖が今までと違うんだ。そういう時に彰悟のこと思い出してた。彰悟に助けて欲しい。彰悟に傍にいて欲しいって」
そこで言葉を切り、改めて門田を見つめる。そして、感情が昂る。目が潤む。
「なのに、彰悟は僕から離れて別の女の子と付き合うの?」
答えは言葉ではなく、行動だった。門田は玲を抱き寄せた。腕の力強さに驚いたが、厚い胸から響く鼓動や門田の匂いが玲を安堵させた。
「……彰悟」
玲が呼ぶと門田は咄嗟に玲から離れた。
「ごめん。怖かった?」
「ううん。安心した。でもこれって、彰悟は僕を選んだってことだよね?」
「引いた?」
「当然だと思う。でも、彼女はどうするの?」
門田は、スラックスのポケットからスマホを取り出し、操作して耳にあてた。
「……あ、相田さん……? ごめん。あのさ、今からちょっと会えねえ? や、おれ、そっち行くし。うん。あ、大丈夫? じゃ、着いたらまた電話する」
と、通話を終わらせ、玲に向き直る。
「……おれ、嫌な奴になったわ。自分が嫌だ」
「僕のせいだよ」
「おれの判断だよ」
「あ。彰悟のこと、女の子的にすごく好きになっちゃった。キュンとしたもん、今」
「喜んでる場合じゃねぇのになあ」
水色のアイスキャンディーを齧っていた時の顔を思い出す。
「玲、帰るだろ? 送ってく」
「やだよ。彰悟の部屋で待ってる」
「告白してくれた子振ってきて、帰ったら玲がいるのなんかな」
「僕が本命だもん。当然でしょ?」
「つよ」
門田が苦笑する。
「彰悟がその子とキスもエッチもしなかったのって」
「うるさいって」
「帰ったら、する?」
「しねーよ」
「なんで」
「なんでって聞くのかよ」
「喪にふくすの? 彼女の恋心のために。四十九日だっけ?」
「意味わかんねえ。単なる気持ちの問題だよ。出るぞ。家まで送ってく」
門田は玲の手を握る。有無を言わさず帰すために。玲は不服だったが黙って従った。
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