透明なコップ
太田直
「私」
いつものように社会で戦って帰ってきた後、風呂に浸かっているとふと泣けてきてしまった。こういう時は誰がどう言おうと疲れているサインなのであり、たとえ誰が止めようとも(尊敬する奥田民生氏だとしても)美味しいものを食べて、ぐっすりと寝ることが一番なのだ。
そう思いつつ夕食を食べた後、午後10時の悲しいニュースを見て感傷的になってから歯磨きをした。鏡に映る私を見て、まるで私が私でないかのように思えた。
今思えば、「ああ、脳がオーバーヒートしているのね」と流せるのだろうが、そこまで要領のいい脳は持ち合わせていなかったので、変わってしまった私の顔を眺めて、また憂鬱な気分になってしまった。
こうして時々私は「私」を見失う。
この「私」とはなんなのだろうか。
結論は出なかったものの、きっと内に秘めた理想像なのだろうと思った。
多分、私は心のどこかで「社会で立派に戦って帰って来て、そして健康に生活できていて、充実した人生を送っていて…(以下は割愛する)な自分」というものを持ち続けている。
他人からすればいわゆる完璧主義というものかもしれないし、プライドが高い人間なのかもしれない。
そういう人間だからこそ、その軌道から少し外れてしまった私が許せないのではないか…と思うようにした。
にしても、この完璧主義という厄介なつかみようのない生き物とは、昔から寄り添って来た気がする。
完璧主義についてのエピソードを語るとするならばキリがないが、それこそあまり暗い話を落とし込んでも面白くないだろうからやめておくことにしよう。
こんな私が言うのもおかしな話だが、“完璧主義”という大きな荷物は早急に捨てた方がよい。あまりにも自分のダメージが大きすぎる。まだまだ人生長いんだから、ちょっとほつれがあったっていいじゃない、というくらいの緩さで生きてみたいものだ(それを捨て去った妹を見ると時々羨ましくなる)。
そんな完璧主義に苛まれたこの日の私だが、憂鬱な気分のまま、階段の踊り場に置いてあるチョコパイとコーヒーとをマッチさせてから寝た。寝てる時って何も考えないから本当に幸せである。
「現代社会を生きる人々の最高の逃げ場所」とさえ言える。だから不眠という症状は辛いのだろうし、ストレスが溜まるのかといらぬ思慮をしたところで今日のところは終わりにしておこう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます